
少し前に、
・人はいつも目覚めていなければならない - ジョン・ライドンのカート・コバーンの自死に対しての強烈な糾弾を見て
2015年06月22日
という記事で、1994年に自死したニルヴァーナのカート・コバーンの死に対してのジョン・ライドン(セックス・ピストルズ、パブリック・イメージ・リミテッド)のコメントは「カート・コバーンに赤ちゃんがいた」ことに集中していて、以下のようなものだったことを書きました。
交通事故か何かで不可避的に死んだならまだしも、奴には子供がいたんだぜ、まったく。
これから真っ白な心で世界に対峙し、成長していこうかっていう子供の気持ちにもなってみろってんだ!
なのに自分がもうこの世で生きていく自信が無いから自殺します、だ?
何が病める魂だ。
これほど身勝手で無責任で利己的な男が他にいるかってんだ!
(出典:NEVER MIND THE SEX PISTOLS)
この「赤ちゃん」に対しての、一種、感情的にも思える発言を聞いて、ジョン・ライドンって、子どもが好きなのかなあ、くらいに思っていたのですが、その後、ふと、
「そういえば・・・セックス・ピストルズのボディーズも感情的だったなあ」
と思い出したのです。
セックス・ピストルズのアルバムにある、ボディーズ( Bodies )という曲のことです。
ボディーズは「ボディ」の複数形ですが、「たくさんの死体」というような意味です。
そして、この歌では、「堕胎された赤ちゃんの死体」を意味します。
自己流ですが、訳してみましたので、読んでみていただければ幸いです。
ジョン・ライドンが「堕胎」ということに対して、一種、正気を失っているほど感情的であることがわかると思います。
彼がこの歌詞を書いたのは 20歳くらいの時です。
Sex Pistols - Bodies
彼女はバーミンガムからやって来た
彼女は赤ん坊を堕ろしたばかりだった
彼女は精神病だった
彼女の名前はポーリン、木の上に住んでいた
彼女は自分の赤ん坊を殺したどこにでもいる女
彼女は田舎から何通も手紙を送りつけてきた
彼女はケモノだ
彼女は最低の恥さらしだ
死体だ! オレはケモノじゃない!
母さん! オレは出来損ないじゃない!
工場の作業台の上で掻き出される
違法な堕胎が行われる場所
便所に置き去りにされた包みの中で
小さな赤ん坊が叫び声を上げて死んでいく
死体が叫ぶ! クソみたいにムチャクチャにひどい話だ
( Body screaming fucking bloody mess )
死体だ! オレはケモノじゃない!
死体だ! オレは出来損ないじゃない!
体を痙攣させ、喉からゴボゴボ音を立てる
なんてひどい光景だ!
オレは分泌物じゃない、排泄された蛋白質じゃない
オレは痙攣じゃない
あれもこれもクソみたいだ
何もかもやっちまえ、手に負えないガキはやっちまえ
彼女はあんな子どもは欲しくないんだ
オレはあんな子どもは欲しくないんだ
死体だ! - オレはケモノじゃない!
死体だ! - オレは出来損ないじゃない!
オリジナルのレコードバージョンは YouTube のフルアルバムで聴くことができます。
2曲目です。
他のジョン・ライドンの曲は、実は精神的に比較的冷静なもの(客観的なもの)が多いですが、この曲は「感情を放出したまま」となっていることがわかります。他の曲で「 fucking bloody mess 」(もう何もかもクソみたいにムチャクチャだ、みたいな感じですかね)なんて、一種汚い単語の羅列が出ることもなかったように思います。
この曲はセックス・ピストルズの曲の中でもテンポの早い曲のひとつで、ストレート・ロックンロールにも近い趣があり、十代の頃大好きでしたが、こんな内容の歌詞だったことを知ったのは最近です。
なお、この歌詞の内容について、ジョン・ライドンは「堕胎を否定している曲というわけではない」ことを 2005年の音楽メディアとのインタビューで明言しています。Music for Cloudbustersというサイトに、インタビューの訳が出ています。
The Q Interview - I want to take the Sex Pistols to Iraq!
「インタビュー - セックス・ピストルズをイラクに送りたい」より
俺はまだ幼いうちから現実というものを受け入れるしかない環境にいたんだ。俺が住んでいたのは便所が外にある二部屋しかない家だった。
その家で母親が流産したんだ。もちろん母親を責めるつもりはないが、生まれていれば俺の弟か妹になって一緒に遊んだかもしれないものを、俺は片付けてトイレに流さなくちゃならなかったんだ。それがどんなにショックなことかわかるだろ。
俺は中絶反対派でも賛成派でもない。だが女性は自分で生むか生まないかを選択できるようにすべきだ。
ジョン・ライドンが、まだ 20歳くらいの時、つまり、どちらかという遊びたい盛りの年齢で、これだけ感情的になっていることには理由があったようです。
そして、ジョン・ライドンは「母である本人が考えること」の重要性を説いています。
周囲からのどうのこうのではなく、自分で考えて決める。
中絶というものは、女性側にも、あるいは男性側にもにいろいろな事情があることが事実であり、否定すればいいというものではないとは思います。さまざまな事情には抗しきれないものがあることも理解されます。
しかし、母親となった自分がまず考えてみること。
現在、全世界で「1年間で 5000万人くらいの赤ちゃん」が生まれてこないという現実が存在します(参考記事)。
「生命の選択をしている」という意味で、身ごもっているご本人が慎重に、賢明に、冷静に考えられる社会だといいなあと。