2015年07月10日

子どもの生命の取捨の選択は、それ自体が否定されるわけではなく、女性自身が賢明に考えること・・・ - セックス・ピストルズ - Bodies

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少し前に、

人はいつも目覚めていなければならない - ジョン・ライドンのカート・コバーンの自死に対しての強烈な糾弾を見て
 2015年06月22日

という記事で、1994年に自死したニルヴァーナのカート・コバーンの死に対してのジョン・ライドン(セックス・ピストルズ、パブリック・イメージ・リミテッド)のコメントは「カート・コバーンに赤ちゃんがいた」ことに集中していて、以下のようなものだったことを書きました。


交通事故か何かで不可避的に死んだならまだしも、奴には子供がいたんだぜ、まったく。

これから真っ白な心で世界に対峙し、成長していこうかっていう子供の気持ちにもなってみろってんだ!

なのに自分がもうこの世で生きていく自信が無いから自殺します、だ?

何が病める魂だ。

これほど身勝手で無責任で利己的な男が他にいるかってんだ!

(出典:NEVER MIND THE SEX PISTOLS



この「赤ちゃん」に対しての、一種、感情的にも思える発言を聞いて、ジョン・ライドンって、子どもが好きなのかなあ、くらいに思っていたのですが、その後、ふと、

「そういえば・・・セックス・ピストルズのボディーズも感情的だったなあ」

と思い出したのです。

セックス・ピストルズのアルバムにある、ボディーズ( Bodies )という曲のことです。

ボディーズは「ボディ」の複数形ですが、「たくさんの死体」というような意味です。

そして、この歌では、「堕胎された赤ちゃんの死体」を意味します。

自己流ですが、訳してみましたので、読んでみていただければ幸いです。

ジョン・ライドンが「堕胎」ということに対して、一種、正気を失っているほど感情的であることがわかると思います。

彼がこの歌詞を書いたのは 20歳くらいの時です。



Sex Pistols - Bodies




彼女はバーミンガムからやって来た
彼女は赤ん坊を堕ろしたばかりだった
彼女は精神病だった
彼女の名前はポーリン、木の上に住んでいた

彼女は自分の赤ん坊を殺したどこにでもいる女
彼女は田舎から何通も手紙を送りつけてきた
彼女はケモノだ
彼女は最低の恥さらしだ

死体だ! オレはケモノじゃない!
母さん! オレは出来損ないじゃない!

工場の作業台の上で掻き出される
違法な堕胎が行われる場所
便所に置き去りにされた包みの中で
小さな赤ん坊が叫び声を上げて死んでいく

死体が叫ぶ! クソみたいにムチャクチャにひどい話だ
( Body screaming fucking bloody mess )

死体だ! オレはケモノじゃない!
死体だ! オレは出来損ないじゃない!

体を痙攣させ、喉からゴボゴボ音を立てる
なんてひどい光景だ!

オレは分泌物じゃない、排泄された蛋白質じゃない
オレは痙攣じゃない

あれもこれもクソみたいだ
何もかもやっちまえ、手に負えないガキはやっちまえ
彼女はあんな子どもは欲しくないんだ
オレはあんな子どもは欲しくないんだ

死体だ! - オレはケモノじゃない!
死体だ! - オレは出来損ないじゃない!




オリジナルのレコードバージョンは YouTube のフルアルバムで聴くことができます。
2曲目です。

他のジョン・ライドンの曲は、実は精神的に比較的冷静なもの(客観的なもの)が多いですが、この曲は「感情を放出したまま」となっていることがわかります。他の曲で「 fucking bloody mess 」(もう何もかもクソみたいにムチャクチャだ、みたいな感じですかね)なんて、一種汚い単語の羅列が出ることもなかったように思います。

この曲はセックス・ピストルズの曲の中でもテンポの早い曲のひとつで、ストレート・ロックンロールにも近い趣があり、十代の頃大好きでしたが、こんな内容の歌詞だったことを知ったのは最近です。

なお、この歌詞の内容について、ジョン・ライドンは「堕胎を否定している曲というわけではない」ことを 2005年の音楽メディアとのインタビューで明言しています。Music for Cloudbustersというサイトに、インタビューの訳が出ています。

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The Q Interview - I want to take the Sex Pistols to Iraq!

「インタビュー - セックス・ピストルズをイラクに送りたい」より

俺はまだ幼いうちから現実というものを受け入れるしかない環境にいたんだ。俺が住んでいたのは便所が外にある二部屋しかない家だった。

その家で母親が流産したんだ。もちろん母親を責めるつもりはないが、生まれていれば俺の弟か妹になって一緒に遊んだかもしれないものを、俺は片付けてトイレに流さなくちゃならなかったんだ。それがどんなにショックなことかわかるだろ。

俺は中絶反対派でも賛成派でもない。だが女性は自分で生むか生まないかを選択できるようにすべきだ。



ジョン・ライドンが、まだ 20歳くらいの時、つまり、どちらかという遊びたい盛りの年齢で、これだけ感情的になっていることには理由があったようです。

そして、ジョン・ライドンは「母である本人が考えること」の重要性を説いています。
周囲からのどうのこうのではなく、自分で考えて決める。

中絶というものは、女性側にも、あるいは男性側にもにいろいろな事情があることが事実であり、否定すればいいというものではないとは思います。さまざまな事情には抗しきれないものがあることも理解されます。

しかし、母親となった自分がまず考えてみること。

現在、全世界で「1年間で 5000万人くらいの赤ちゃん」が生まれてこないという現実が存在します(参考記事)。

「生命の選択をしている」という意味で、身ごもっているご本人が慎重に、賢明に、冷静に考えられる社会だといいなあと。


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2015年07月09日

私は「時間」だ : ポップ・グループ - We Are Time


ポップクループのTシャツ
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45-revolution


最近の、

資本主義の崩壊と、この文明の崩壊は《「破壊」は「創造」に対しての愛》という観点から私たち人間にとって「最も幸せなこと」だと確信してみる
 In Deep 2015年07月09日

などを読み返しても、自分でも何が何だかよくわからない部分があるのですが、いずれにしても、ここにあるような「システムの変化と進行」に対しての「積極的な気持ち」であるには、気持ちが弱い方に傾きそうになった場合は、「気合い付け」が必要で、そういう時には、パンク系とかアンダーグラウンド・ヒップホップなどで「決意的な気持ち」を高めることにしています。

生ぬるいだけの感情でいると、流されそうになることがあります。

そうなると「決意」を維持するのは無理で、そのために、あえて安らぎを避けて交感神経を刺激する。

そういう意味では、パンクにしても何にしても「交感神経だけを刺激する音楽」を数多く聞いてきた私には、そういうものがとても役に立ちます。

昔は、音楽の歌詞なんて気にしたことなかったんですが、最近は好きだった曲などの歌詞に興味を持つことがあります。

十代の私に最も衝撃を与えたバンドのひとつにポップ・グループというバンドがあります。

このバンドの「For How Much Longer Do We Tolerate Mass Murder?」(オレたちはいつまでこの大量虐殺に耐えればいいんだ?)というアルバムの1曲目の フォース・オブ・オプレッション ( YouTube )を聴いたのは十代の終わり頃だと思いましたが、本当に驚いた曲でした。

そして、既存の社会に対しての「攻撃!攻撃!攻撃!」で完全に色塗られたこのアルバムは、以降は「気合い付け用アルバム」として長く重宝していました。

そして、ふと彼らの、別のアルバムですが「ウイ・アー・タイム」(オレたちは「時間」だ)という曲を聴いている時、その歌詞の内容が先ほどの記事を書いた時の気分と似ているなあ、と思いましたので、訳しておきたいと思いました。



The Pop Group / We are Time



もう待たない
もう走らない
もう振り返らない

オレはお前に「時間」を与える
オレはお前を弾けさせる
待つことは罪だ

すべては今起こっている
夢はとてつもなく早く過ぎ去る

お前は最初の人間で
オレたちは最後の人間だ

従うべき秩序はない
明日への恐れもない

いまだかつてないキス
永遠を獲得した人生

オレたちは変化のスピードを打ち破る
オレたちは永遠を手なずける

時間はお前の中にある
お前の目を通して光り輝く

オレたちは言葉を殺す、
大きな言葉のウソを

ウソ! ウソ! ウソ!

時の流れをお前の彼女に近づかせるな
お前は今、聖書がやったことをしている

オレ、お前、オレたちすべては時間という存在だ

すべてを破壊してやる
オレたちは時間だ



うーん、力強い。

ここにあるように「私は時間だ」と考えて生きるのもいいかもしれません。
そして、無限の人生。


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2015年03月09日

【21世紀生まれの少女少年に聴いてほしい20世紀のロック100選】ジョージ・ハリスンではなくて「センセイ」と私たちに呼ばれていた彼

ザ・ビートルズ - ウィズイン・ユー・ウィズアウト・ユー(1967年)


ビートルズは 1970年(私が7歳の時)に事実上解散していますので、私たちの世代は実質的にはビートルズのリアルタイム世代からはかなり離れているのですが、それでも、中学生くらいの時でも、

「音楽はビートルズとレッド・ツェッペリンから」

みたいな空気はありました。

私が最初にビートルズで感動した曲は、ラジオの深夜放送で聴いたジョン・レノンのレボリューション(1968年)という曲でしたが、これは今でも普通にサイケ的なロックとして一種の永遠ですので、特に今さら語るようなものではないと思います。

しかし、「感動」とは違うかもしれないですが、「驚いた」曲があります。

私が初めて聴いたビートルズのアルバムは、サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンドという、Wikipedia によれば、ビートルズのアルバムで最も多く全英チャートのベスト1を獲得した大ヒット・アルバムでした。

このアルバムを聴いたのは中学1年生の時でした。

これまでに全世界で 3200万枚が売れているという超絶なヒット・アルバムですが、そのレコードのB面の1曲目は、ジョージ・ハリスンによる「ウィズイン・ユー・ウィズアウト・ユー」という下の曲でした。

Within You Without You (1967年)




「・・・?」


と私は思いました。

当時の北海道の中学1年生は「インド音楽」なんて知りません。

翌日、中学校でこのアルバムを貸してくれた友人に訊いてみました。

わたし「あー、ときに貴君はB面の1曲目をいかに思うや」
友人 「貴殿は何か異質を感じたとでも?」
わたし「ロックとは何たるかを貴君に問いたいと思うています」
友人 「わたくしはセンセイと呼んでおります」
わたし「何をですか?」
友人 「この歌を作った方です」
わたし「ジョージ・ハリ……」
友人 「言っちゃいかん!」
わたし「はい?」
友人 「センセイじゃ。センセイでいいのじゃ」
わたし「口調が中学生を逸脱しておりますぞ」


というようなわけで、口調は適当な表現となっていますが、以降、ビートルズのメンバーの話になる時に、やや「変化」が出てきました。

普通ですと、

「ジョン・レノンはさあ」

とか、

「ポール・マッカートニーはさ」

とか、

「リンゴ・スターってよ」

というようにビートルズは個人の全員の名前が的確にあがる珍しいバンドだったのですけれど、私たちは、ジョージ・ハリスンだけは、

「まあ、センセイの場合は」

というように、ずっと「センセイ」の名前で語っていたのでした。

この中学校の時の反射的行動は長く残っていたようで、何十年も経った 2001年に、

「ジョージ・ハリスンが亡くなったって」

という言葉を知人から聞いた時に、

「センセイが?」

と返していたほどでした。

ちなみに、「ジョージ・ハリスン先生」ということではないです。ジョージ・ハリスンという名前が「センセイ」という一言に集約されたということです。

それほど、中学生の私には、このウィズイン・ユー・ウィズアウト・ユーという曲が衝撃だったようです。

そして、このセンセイの曲のおかげで、その後さまざまな民族音楽を先入観なく聴くことのできる資質を身につけることができたのだと思っています、


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