2011年09月05日

月の夢と白血球の役割



昨日一昨日と2日間連続で「月」の夢を見ました。

そのどちらも非常に月がクローズアップされた夢だったのですが、思えば、これまでの人生で「月の夢」というものはそんなに見た記憶がない気もします。

今までの人生では、

・太陽
・月


と並べると、どうにも月は格落ちの感があるように思ってきた実感があります。

太陽は信仰の対象にもなり続け、日本では「おてんとさん」などと言われて親しみをこめて崇めつづけられてきましたが、月は西洋では「ルナ」という単語に表されるようなマッド系イメージを呈する感じも強く、日本ではそこまでではないにしても、ややネガティブなイメージが先行している感じはあります。まあ、夜に見るものだから、そのイメージも仕方ないということはありそうですが。


しかし、先日 In Deep で書きました「ヘルメスのエメラルド板の解釈」には、


> 太陽と月が彼らの生命の物質を聖杯に注いでいる光景が描かれている。太陽と月は、このように逆の性質のものを結びつける。



とあり、少なくとも中世の西洋神秘学上では月と太陽は性質が違うだけで、「ほぼ対等の存在」として扱われていることを知ります。


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▲ ヘルメスのエメラルド板に描かれた月と太陽。


まあ、中世の神秘学はともかくとして、夢で見たことで「月」というものに興味が沸いてきました。
ちなみに、見た夢に出てきた月で思いだしたのは 100年以上前のサイレント映画でした。



メリエスの映画の月

最初に夢に出てきた月は、ジョルジュ・メリエスという人の映画に出てくる擬人化した月にとてもよく似ていました。メリエスという人は、サイレント映画の草分け的な存在であるフランス人で、多作ですが、1902年の「月世界旅行」というサイレント映画が有名かと思います。

そこに出てくる「目にロケットが刺さった月」は大変に有名で、映画を見たこともない人でも一度は目にしたことがあるのではないでょうか。

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今では YouTube で全編見られます。


私の夢に出てきた「擬人化(目とか口があるという意味)された月」は、三日月で、目にロケットは刺さっていませんでしたが、「メリエスの月」のようにこちらを見て笑ったりしていました。


メリエスはこの「月世界旅行」の後も何本か宇宙旅行の映画を撮りますが、特に晩年に撮影した宇宙旅行の映画はとても素晴らしいものです。邦題は忘れていましたが、調べると「極地征服」という1912年の映画のようです。メリエスを含めたサイレント映画を見たのは、私がまだ学生の頃で(つまり25年以上前)、東京・高田馬場の、名前がどうしても思い出せないのですが、毎週、土曜の深夜にオールナイトでサイレント映画を上映している小さな映画館があって、そこでずいぶんと見ました。

この「極地征服」もその時に見たのだと思います。

短縮版ですが、YouTube にもありました。

Conquest of the North Pole (1912)


この「極地征服」で描かれる宇宙は、メルヘンそのもので、その後のSF映画で描かれる「宇宙」とは一線を画したものでした。
メリエスの「極地征服」から何シーンか。

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▲ 空を飛ぶ天秤座。


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▲ なぜか悪役の「土星」。この後、爆破します(笑)。


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▲ 乙女座? 基本的に星はすべて味方。


メリエスは芸術家ではなく、見世物小屋のオヤジでした。
だからこそ、わりと純粋に娯楽に徹していた感じがします。
芸術家や思想家が映画を作り出してから、何だか映画は理屈くさくなってしまいました。




月と白血球

話がそれましたが、前述した In Deep の記事では、細胞が地球と似ている気がするということを書いたのですが、

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▲ 人間の細胞。


それなら、月は何だろうなあ」と考えていて、いろいろと人体の内部のものを見ていたのですが、かなり「似ている」と思えるものがありました。

それは、血液の中にある「白血球」のうちの好塩基球というものです。「好塩基球」なんてサラッと書きましたが、こんな言葉今回初めて知りました。

そのことについては後で書くとして、月と白血球(好塩基球)を並べると、こんな感じとなりました。

・白血球(好塩基球)

like-luna.png


・月

full_moon_large.jpg


ちなみに、この「白血球」というものが何をしていているかというと、 Wikipedia によりますと、


外部から体内に侵入した細菌・ウイルスなど異物の排除と腫瘍細胞・役目を終えた細胞の排除などを役割とする




というもので、つまり、「白血球は、人間の体から悪いものを排除している」という役割で間違いないかと思います。体のどこかに炎症などか起きた時に白血球数が増えるのは、体内の細菌と戦う白血球が増えるからのようです。

驚いたのは、私は「白血球に種類がある」なんてこと知らなかったのですが、上記によりますと、白血球には、好中球・好酸球・好塩基球・リンパ球・単球の5種類と、マクロファージというそれぞれの種類があるとのこと。

haku-1.png

イメージ図を見ますと、全体的に「月っぽい」形ですが、まあ、特に写真では上の「好塩基球」というものが最も似ている気がした、と。


そして、この好塩基球というものをこちらで調べると、この働きがまた興味深い。


生体の免疫機能に関与していると考えられるが、はっきりとした存在意義は不明である。





「あ、これも働きがわかってないものなんだ」と知りました。

人間の体の中で働きのよくわかっていないものは大変に多いですが、大きな器官では松果体脾臓などから、小さなものでは、このような好塩基球のようなものまで、「何のためにあるのかわからない」というものがたくさんあります。 DNA の97パーセントを占めていると言われるジャンク DNA と呼ばれるものもそうです。


そして、今では思うことは、「人間には(他の動物にも)無駄な組織や意味のない器官は一切ない」と考えています。この好塩基球にも「確実な役割」はあるんでしょうね。


まあ・・・西洋神秘学で、「太陽と月が真逆の作用で、ひとつのものを作り出すことに関与している」というならば、体の中で太陽と似たものを見つければいいのですが、それは非常に簡単です。

人間の体の内部で最も太陽と似ているものは「卵子」です。

これは結構見落としていたことですが、写真を見ていて先日気づきました。
太陽と並べるまでもないと思います。

こちらは卵子の写真。

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こんなイラストだとさらにハッキリするかも。eHow.comより。

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意味を考えるより先に形のほうが物語ってくれるような気がする昨今です。


さて、少し長くなりましたので、いったん終わりますが、月の話をまだ書いてみたいと思います。

今朝見たほうの「月の夢」では、さらにいろいろと面白いこともありまして、月への興味が大きくなっています。


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posted by noffy at 16:34 | 地球と宇宙の生命

2010年07月07日

植物の人類支配の目的とか、メキシコの眼のない魚が「松果体で見ている」こと


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昼間の多くの時間を植物をいじくりまわして過ごすようになって1カ月くらいになるのでしょうかね。

没頭状態はひどくなっていますが、まあ、悪いことばかりでもなく、植物を置くスペースを自分の部屋とベランダから「住居全体」に推し進めている作業の中、必然的に模様替えや大規模な整理などをしていて、奥様からも「どんどん部屋が綺麗になるから、まあいいか」というような受け取られ方になってはいます。

最近、東京はものすごく暑いし、私の苦手な湿気もひどいのですが、多少涼しい時には、地元から前後一駅程度くらいを散歩して、他の家々の植物を見て歩いたりしています。

最近まで全然気づかなかったですが、植物というのは街のあらゆる部分に浸食しており、食べ物屋や美容院などの自営業系の店舗の店頭にはほぼ確実に植物が置いてあるのですが、それが「何となくインテリア的に」というあたりで止まっているものから、「次第に植物に支配されていく店主」という状況になってしまっているお店も多く見受けられます。

近所におでん屋と日本そば屋が並んでいるところがあるのですが、そば屋のほうは入り口周辺をマツみたいなものとか日本的な植物でまとめてあって理解できるのですが、おでん屋のほうは日本的な植物もあるにはあるのですが、その周囲にソテツやハイビスカスやシダ類、あるいはドラセナやサンスベリアというような南国系の植物がたくさん生い茂り、もはや南米のジャングル化しており、おでん屋であることは看板で辛うじてわかるくらいになっています。

うちの向かいのほうにある、旦那のほうは80歳を越えているご老人夫婦の一軒家も、家の前には鉢とプランターが100個以上並んでいるのですが、そこにもほとんど系統だった秩序はなく、盆栽の世界と南国パラダイスが同居した空間を作り出しています。今日、そこのおじいさんが買い物袋をぶら下げて家の前に立っており、その植物たちを見回した後に、「ふー」と大きくため息をついていました。

「こんなことになってしまった老後のオレ」

というようなことを思っていたのかもしれません。

麻薬などのドラッグもそうかもしれないですが、中毒的な様々な事象というのは徐々に生活の中に浸透してきて、気づいた時にはすでに取り返しのつかないことになっていることも多いです。


植物の終局は最後の終局

以前、もう1年以上前ですが、植物の終局とかいうタイトルの記事を書いたことがありますが、細かい内容はともかく、タイトルだけ見ればお笑い種で、「植物種」という大きな区切りで考えれば、それは地球が存亡している最後まで生き残るもののわけで、終局は「他の生き物のほうに順番に訪れる」ことには疑いの余地がないことだと思います。

微生物的な「藻」のたぐいまで含めれば、むしろ「植物で始まり、最後も植物で終わる」と考えるのが妥当な感じがします。

最近は勉強もあんまりしていないんで、植物に関しても文字としての学習は全然していないのですが、歴史上何度かあった生き物の大量絶滅では、植物自体もかなり絶滅しているはずで、つまり、「強い植物でも生きられなかった環境」は地球にはあったのだと思います(もちろん、環境の激変だけが生物の絶滅に関係するわけではないと今は思っています。

多分、生き物は「自己壊滅」するのだと思います
)。そして、それらを乗り越えて、2億年くらい前には、現在、観葉植物で見られるような植物の一部は、ほとんど今の形と変わらない状態で地球に登場していたようです。

そこでいろいろと気づくこともあります。

たとえば、植物の中でも、日本での観葉植物のジャンルに入れられる植物たちには、次のような特性を持つものが多いです。直射日光が当たらない室内に置くことが多いためと、日本には寒い冬の季節があるためですが、

・太陽光があまり必要ない
・寒さに強い


という点です、。

いろいろな植物があるので、これはひとつの例ですが、こうした特性は、たとえば、「熱帯の植物」にも多々見られます。いかにも熱帯の植物といったようなヤシのようなものなどは、イメージとしては暑い気候の下、砂浜でギンギンの直射日光に照らされて生きているように見えますが、種類によっては、「それも大丈夫だけど、氷点下もOK」というものもたくさんいるのです。

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・地獄の黙示録に出て来そうな熱帯雨林風景が似合うヤシですが、このワシントンヤシというのは氷点下の気温も全然OKです。


本来、いわゆる進化論でいう適所適材から考えると、これらは「その地では不要な能力」であり、1年を通じて絶対に気温が10度以下になることがないような東南アジアの熱帯にも、「氷点下の気温にも耐える」というような植物が自生しています。

この「不要な能力」というのは、まあ、現時点では不要なわけですが、しかし、この世の中の生き物すべてに「絶対的に無駄であることは存在しないはず」で、多分、この植物たちの「35度の高温でも、氷点下10度の極寒でも生きられる南国の植物」にはその理由があるのだと思います。

そして、それらの極端な環境に強い植物の多くはやはり、地球に登場してからの歴史が長いものが多いように感じます。植物以外でも、昆虫や海の生き物では、5億年くらい姿を変えていないようなものはたくさんあるわけで、それらはやはり「強い」のだとは思います。

まあ、ミツバチなんかも少なくとも1億年前には今と同じ姿でいたわけですけど、今、絶滅に向かっているっぼい感じもあって、今の地球の状態だと1億年程度の生存グループは危ういのかもしれません。そういう意味では、2億年程度の生存グループである上記の植物たちも正念場ではあるのかもしれません。


自分たちの遺伝子の拡散のために人類を利用しているように見える「動けない植物」

私はパンスペルミア論を支持しているのですが、最近の思いとして、「この世の生き物の種類は想像を絶する」という考えに傾きつつあります。いわゆる何千万種類とか何百億種類という話ではなく、まさに「想像を絶する」という話で、無数という言い方でいいのだと思っています。

ところで、現代の人間の生活では今の私もそうですが、植物は存在自体が見事に資本主義に取り込まれていて、たとえば植物は都市部では基本的には「買ったり、売ったり」するものです。

花屋なんかがあり、輸入や輸出や栽培といったビジネスにもなっています。

これらは食べるためのものではないです。「どうしてこんなことになったのか」ということを考えたときに、植物は基本的に動けないという事実に思い当たります。つまり、自分で種や遺伝子を拡散したくても自分の行動能力では限度があるということです。

そして、「だったら動くものを利用して世界に自分たちを拡大させればいい」と、植物が人間を利用して自己の増殖を拡大させてきたような気がいたします。

船を開発し、飛行機を開発し、人間は地球の非常に多くのところを行き来して、そして植物や動物もそこを移動できるようになった。植物自身の移動能力では難しい距離を人間が運んでくれる。

やり方はわからないですが、植物は人間を精神的に支配できる特性を持っているのだと思います。人が植物を見ることに金銭的価値を見いだすようになったのは、それが理由なのでしょう。お金が絡んだほうが現在の人間は真剣になりますから。

「こいつらは金が絡めばオレらのために働く」と植物は看破しているのかもしれません。

そういえば、映画の「宇宙戦争」でも地球を襲ったエイリアンは自分の星の赤い植物を植えて、人間の体液を肥料にして育てていましたが、架空とはいえ、植物の「他者による遺伝子の拡散」の実例のように思います。


さて、一応ここからが今日の本文となるのでしょうか。

今日もまた何だか翻訳みたいなものなのですが、「松果体」に関する研究発表のニュースです。ニュースブログに載せるには「これは大ニュースだ」と思えない方もいらっしゃると思いますし、こちらに載せることにしました。また、記事自体は数日前のものなのですが、記事の内容の研究発表が2008年のものであることもあります。

記事には代表研究者の名前は記載されていないですが、 論文の原文によると、研究チームは米国メリーランド大学のヨシザワ・マサト氏(漢字がわからないです)と、ウィリアム・ジェフリー氏という二名がメインのようです。

彼らは、メキシコの洞窟に住む目の見えない魚が「眼がないのに光に反応する」ことを発表し、そして、「光の受容体がないはずのこの魚がどうして光を感知しているのか」ということに関して実験を繰り返し、「脳の松果体が直接光を感じとっている」と結論付けたのです。

松果体というのは二つの大脳の間あたりに位置する脳のの中にある機関ですが、ホルモン、メラトニンを分泌すること以外の役割はいまだに不明ながら、古来よりオカルト系の話の中核をなす器官でもあったようです。

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・二つの大脳の中間あたりにある器官です。


私はよく知らないのですが、古くはデカルト、そして、ヨガやニューエイジ思想までによく出てくるものだそう。


デカルトはこの世界には物質と精神という根本的に異なる二つの実体があるとし、その両者が松果体を通じて相互作用するとした。デカルトは松果体の研究に時間を費やし、そこを「魂のありか」と呼んだ。 松果体が人間の脳の中で左右に分かれていない唯一の器官であると信じていたためである。

この観察は正確ではない。顕微鏡下では、松果体が2つの大脳半球に分かれているのが観察できる。松果体に関するほかの理論としては、流体を放出するバルブとして働いているというものがあった。手を頭に当てて思索を行うと、そのバルブを開くことができると考えられていた。


とWebには書かれてあります。

今回、メキシコの魚が「松果体で直接光を見ている」ということがわかったというのは、そういう点では意味のあることなのかもしれません。前回の記事で、「お茶目な日本人科学者たちが何かを」などと書きましたが、これも日本人中心の研究のようです。宇宙からのアミノ酸、ビッグバンの否定と、近年の日本人の「謙虚な大発見」は続いていますが、今回は松果体の働きの発見でした。

ちなみに、ソースは Epoch Times 。つまり、英語版の大紀元です。大紀元の英語版の記事は面白いものが多いです。

なお、実験自体は、魚の松果体や両眼を切除したりしていて、魚には少し気の毒です。

(ここから)




Blind Fish Sees With the Pineal Gland
The Epoch Times 2010.07.03

目の見えない魚は松果体でものを見ていた


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メキシコの淡水に住む熱帯淡水魚には2つの種に属するものがいる。ひとつは、陸地の川に住む目のある種類。もうひとつは、洞窟の水の中に住んでいるもので、こちらには目がない。

この目のないメキシコの淡水魚は眼原基(目の前段階のもの)自体は、胚として成長するが、幼魚の時に皮膚で覆われ退化してしまい、目にはならない。この魚は光を感じ取ることはできないと思われてきたが、メリーランド大学の研究者が2008年に「ジャーナル・オブ・エクスペリメンタル・バイオロジー」に発表した研究論文によれば、「別の方法で見ている」ことが明らかとなった。

この魚は、目は機能していないが、脳の中央近くにある松ぼっくりの形をした内分泌腺の「松果体」で光を検出していることが実験からわかった。松果体は皮膚の奥深くにある器官であるにも関わらず、光を感知できているという。この松果体は、いくつかの脊椎動物では「第3の目」としての器官として知られている。

メキシコのパチョン地区の洞窟魚とティナジャ地区の洞窟魚(それぞれ眼のない魚)、そして陸地の川に住む(眼のある)魚のそれぞれの集団が実験に使用された。実験は、陸地の川の魚と洞窟の両方の幼魚に、プラスチックで仕切った空間の中で、3分間ずつ光を当てる。その後、光を遮って、水面に泳いで上ってくる魚の数を数えた。この影に対しての反応行動は、若い幼魚が、水面に浮かびながら物陰に隠れて捕食者から逃れるための行動だという。

受精後1.5日後には60から70パーセントの洞窟に住む魚たちが、この影への反応を見せた。陸地の川に住む魚では、約50パーセントがこの反応を見せた。この実験は7日間のあいだ、一日に一度繰り返し行われた。すると、ティナジャ地区の洞窟魚は陸地の川に住む魚よりも多く影に対しての反応を見せることがわかった。この結果は、光を感じる能力は眼のある陸地の川に住む魚と、眼のない洞窟魚の両方に存在していることを示している。

幼魚が何を頼りにして影を感じることができたののかを突き止めるために、研究者たちは、魚の松果体、片眼、あるいは両方の眼を取りのぞいて実験を続けた。両眼を取り除かれた陸地の川の魚と洞窟の魚は両方が従来と同様の行動を示したが、松果体が取り除かれた魚では、約10パーセントの魚しか影への反応行動をとらなかった。

研究者たちは、松果体が影への反応行動の重要な要素であり、また、松果体だけで光を検知できているのわけではなく、松果腺と運動系との神経連絡が存在すると結論づけた。




(ここまで)

論文の本稿は Shadow response in the blind cavefish Astyanax reveals conservation of a functional pineal eye
(盲目の洞窟魚アステュアナクスにおける影に対しての反応は、身体保護が機能上の松果眼でおこなわれていることを明らかにした)


というものです。

論文には、松果体や眼を取り除いた際の反応の写真なども掲載されています。私には見てもわからないですが、こういうものです。

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posted by noffy at 05:37 | 地球と宇宙の生命

2010年05月28日

人類の進化の可能性(2):裸子植物が行う暗黒での光合成


ここ数日イライラがひどいのですね。

イライラしても人にあたったりすることは基本的にないので、表面的には穏やかですが、心の中は乱れております。そういう時は宇宙とかの「デカそうなもの」に頭の中であたるようにしています。

太陽系なんて星間雲の磁場に叩きつぶされて一瞬で宇宙の藻屑になればいいのに」とか、少し気を紛らわしたりしているわけですが(おいおい・・・)。
それしても、なんですかね。このイライラは。

うちの奥さんは仕事でご老人たちと日々会うのですが、「ここ数日はカリカリしてらっしゃる方が多い」と言っていたので、全体的に・・・いや、少なくとも近隣地区に関してだけは全体的にイライラしてるのかもしれません。だったら、西荻窪に小惑星でも落ちて、怒りも悲しみも瞬時にして消え去ってしまえばいいのに(おいおい・・・)。

黒点のせいかと思って黒点情報を見てみても、今はそんなに多くないです。黒点どころか、太陽なんて消えてしまえばいいのに(おいおい・・・)。

さて、それはともかく、今日のメインの記事は、一昨日の夜中に目が覚めた時に書いたものです。

夢で何か言われて調べていたら、ちょっと興味深いことだったというものですが、夢で言われたことを即座に調べてアップしているようでは、どうにも妙なオカルト中年と思われるのもアレなので、何度か読み直してからアップしてみようと。今読んでみますと、そんなに変なものではないようですので、アップさせていただきます。



葉緑素はどうして緑色になるのか

さきほど夢に老婆が出てきて、「月の光でも植物は光合成を普通におこなえるぞよ」というようなことを言っていたのですね。語尾の「ぞよ」は適当ですが、夢の中で私は、「そりゃまあ、月の光も光だから弱い光合成くらいは多少はやってんだろうとは思うが・・・」と言うと、老婆は、「ふっふっふっ」とイヤな笑いを残して去っていったのでした。

ここでふと目が覚めたのですが、夢でなんか言うのはたいていは男性で、つまりジイサンが多く、バアサンは珍しい。そのあたり、やや気になって、夜中の1時頃だったのですが、起きまして「月の光 光合成」でググッてみました。

すると・・・いろいろと出てくるのですが、とりあえずひとつ意外なことがわかったのです。「葉緑素はどうして緑色になるのか」なんてことはもう何百年も前からわかっていたことだと思い込んでいたのですが、これが判明したのは、つい最近。しかも、最近も最近の先日2010年4月18日のことだったようです。

解明したのは、大阪大学、名古屋大、立命館大学などの教授からなる共同研究グループというかなりの大ごとだった模様。

植物や藻類の中で葉緑素が緑色になる反応のしくみを解明

実験の内容と概要は、こちら(PDF)にあります。この書類のこの部分にそのあたりがわかりやすく書かれています。
葉緑素を作るメカニズムに関してはこういうことだったようです。


ダイズを暗いところで芽生えさせると緑にならないで黄色い “もやし”になってしまいます。これはダイズなどの植物では、緑色のもとになる葉緑素を作るための最終段階ではたらく酵素が光を使ってはたらくためです。

これに対して、クロマツやドイツトウヒなどの裸子植物の芽生えは暗いところでも葉緑素を作り緑色になることができます。また、多くの藻類やラン藻、光合成細菌も暗所でも緑になる能力をもっています。植物の種類によって芽生えが緑化する能力に違いがあることは、一世紀以上前にドイツの植物生理学者によって報告されていましたが、それがどのような仕組みの違いによるのか長い間分かりませんでした。


へえ・・・。
一般的な「被子植物」というのは光がある状態でないと、緑色になることはできないようなのですが、裸子植物というものでは「光がなくても光合成ができる」と。要するに、「暗闇で光合成できる植物たちがいる」と。

この被子植物とか裸子植物とかの分類ですが、この地球上にあるほとんとの植物は被子植物となっているようで、被子植物の花の形態というサイトによると、

・被子植物 約 250,000種
・裸子植物 約 1,000種


という比率で、被子植物(光がないと光合成できない)の数が圧倒的のようです。

存在の数としてはマイナーな裸子植物ですが、その種類は、日本の裸子植物によると、ヒノキ、ソテツ、イチョウ、マツ、スギなどだそう。

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これらは「闇の中で光合成のできる」ということのようです。

この中の「ソテツ」という響きにソソられます。
どうにも古代の植物のイメージがある。

観葉植物の販売サイトのゆりどろのソテツの説明にはこうあります。

顕花植物として一番最初に現れたのがソテツの仲間です。化石の分類では古生代約2億年位前にシダ植物から進化し、胞子に代わり精子が卵子と受精するという完全な雌雄別のある植物が蘇鉄類となったようです。

中生代の恐竜が栄えた後期ジュラ紀から白亜紀(約1億5千年前)にかけての時代の最盛期を迎え、その時期には広く地球上を覆い、その頃の化石は日本の北海道や栃木、高知などで大量に発掘されています。その後より進化した植物に徐々に駆逐され、現在は他の植物と競合の少ない海岸、砂漠、岩磔地帯に生き残っている種が多くみられます。



2億年くらい前なら、もう地球には酸素も豊富だったとは思いますが、あるいはその頃、「太陽があまり当たらない暗い時代」があったりして。

太陽があまり当たらない環境だと被子植物の多くはうまく育てず、ものによっては全滅するはずですが、これらの裸子植物は、気温次第でしょうけれど、うまくいくと暗闇の中で生きていける

PDF書類には、「多くの藻類やラン藻、光合成細菌も暗所でも緑になる能力をもっています」とあり、被子植物以前の植物全般に暗闇でも光合成ができる能力があるということかもしれないです。そんなこんなで一晩調べていたら、夜があけてしまいました。


なんで、こんなに光合成にこだわってしまったかというと、以前、こちらの記事のコメントで、薔薇十字の修行をされている、ねるさんがこう書かれていたからです。ちょっと長い引用になってしまいますが、その部分を引用させていただきます。


シュタイナーが言う体内における光合成の件、これは明らかにオカルトに聞こえますが、薔薇十字の伝統に生きる者は本気でこれを実践します。狂気の沙汰と言われようと、呼吸による身体内の炭素の把握はぼくらの最重要の関心事です。これは呼吸の行とよばれます。

ぼくら薔薇十字の徒は人間の本来のバランスを取り戻そうとします。呼吸の行というのは人間である自分と植物との共生の問題です。人間は生きているだけで大気中に二酸化炭素をばら撒きます。そして「どれだけ二酸化炭素を排出しないか」という冗談みたいなことが、ぼくら薔薇十字の修行者にとっては真面目な課題です。

古神道の大国隆正という人の『本学挙要』という本の中に人と稲が逆さに並べて描かれている図があります。これはフトマニの区象といって、人間は逆さまになった植物であり、互いに共生しているという旨を説明するものです。西洋でも東洋でも霊学ではこれは一般的な認識です。薔薇十字でもおなじです。植物というのは、体内に緑色の血が流れ、太陽に向かって真っすぐに成長する地上の存在としてはピュアなあり方のお手本みたいなものです。

ゲーテには「原植物」という理想的な植物の概念があります。つまりあれが人間として目指すべき理想であり、最高の元型です。鉱物の中にも例えば水晶のように炭素が純化された存在として理想的な存在たちが居ます。植物や鉱物というのは本来の意味において頭上の天体運動の鏡像みたいなものです。薔薇十字の理想は、赤い血の情熱を保ちつつ植物のように上へと向かうことです。そして太陽に向かうことです。これが重要な点です。

天体のなかで西洋神秘学でロゴス(言語)と呼ばれるものの象徴が「太陽」です。でも現在の宇宙で頭上に輝く太陽が人間にとっての「言語」の象徴に過ぎないとすれば、物理的に把握されるただの象徴である太陽より、植物のほうが先に創造されるというのは自然ですよね? その前に「言語」は既に存在している、というより、むしろこの宇宙の原初には「言語」が先にあったのですから。それ自体は植物の誕生よりずっと昔だというわけです。


私が理解できているかどうかはともかく、こういうような「植物と人間の関係」とか「人間の光合成」というような概念の可能性にはやはり興味があります。そして、もしかすると、日々いろいろと発見されていることの中に、何かそういうことと関係していることも「ある」可能性もないではないのかもしれないです。

最近、話題となっていた、インドのブリザリアン(不食みたいな概念)の人なんかもそうですが、まあ、いろんな人や、「可能性を持つ人」はいるのかもしれないですし。

まあ、少し飛躍した意味になるかもしれないですが、「進化」という意味も含んでの植物への興味が今の私には少しありそうです。


イライラついでに:太陽にイラついている惑星

ところで、先日、不思議な関係を持つ「恒星と惑星」が発見されていました。ナショナルジオグラフィックなどで、「親星が子どもの惑星を食べる」というような見だしで紹介されていましたけど、まあ表現の問題もありそうですので、もともとこれを紹介した「ハッブル・サイト」をそのまま掲載しておきます。


(ここから)


Hubble Finds Star Eating a Planet
HubbleSite 2010.05.20

ハッブルが惑星を食べる親星を発見

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2010 年5月20日:「自分の惑星を食べた恒星」と書くと、まるでB級SF映画のタイトルのように聞こえるかもしれませんが、しかし、これは地球から600光年離れた場所で本当に起こっていることです。

その悲しい運命の木星ほどの大きさの惑星は、まるでロウソクの炎の中の蛾の様に、太陽にあたる親の星の大気圏のすぐ近くまで動いていきます。これは恒星の重力が引きつけるポイントまで大気が吹き出るために、惑星がとても熱くなるので起こります。惑星は多分、今後1000万年ほどで完全に親の星に食べられてしまうでしょう。

惑星が星の正面を通り過ぎた時、ハッブルの新しい紫外線分光器であるコズミック・ オリジン・スペクトログラフは、惑星の大気の中の要素を様々に測定しました。 WASP-12b と呼ばれる、この惑星は、大気が華氏2,800度で沸騰している状態となっており、今まで発見された中で最も熱い惑星と知られています。




(ここまで)


という感じです。
まあ、このように太陽もイライラすると、自分の惑星を食べてしまうということのようですね(そうじゃない)。

しかし、世の中全体もイライラしなきゃいいですけれど。
最近、社会情勢のこととかは書かないですが、世界はいろいろとすごくなってますね。
タグ:葉緑素


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posted by noffy at 16:52 | 地球と宇宙の生命