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2011年12月01日

12月のハイビスカスを見ながら思う「太陽系と宇宙線の関係」



今朝起きると、部屋のハイビスカスが咲いていました。
下の写真は携帯で撮ったものですので、ボケていますけれど、左の赤い花がハイビスカスです。

hibi-11.jpg


11月の中旬あたりでまだつぼみをつけていたので、「このまま頑張って、12月にもハイビスカスを咲かせよう」と、昼はなるべく暖かいところ、夕方になると室内に入れていたのですが、今年いちばん冷え込んだ今朝になって咲くというのは何とも感慨深いものがあります。



太陽を目指す宇宙線と似ているもの

朝方ずっと夢を見ていて、それは「宇宙線」の夢でした。

宇宙線は現在でも、

・どこから発生しているのか
・どのように地球に向かっているのか


などの正確なところはほとんどわかっていませんし、そもそも、小さすぎるものなので、「そのもの」を肉眼で見ることもできません。

夢でその見えない宇宙線のことをずっと見ていて、起きてから、なんとなく宇宙線のイラストを見たりしていたのですが、下のイラストを見て「これは」と思ったのです。

海外のサイトにあったものですが、日本語を少し入れました。


cosmic.jpg


これは、太陽の影響が及ぶと考えられる範囲である「太陽圏(広い意味で太陽系という言い方でもいいと思います)」に、どのように宇宙線が入ってきているかの想像図のようなんですが、この「グネッ」とした矢印の進行の雰囲気を見て、

「なるほど、これは間違いなくあれだ」

と思うに至りました。

思い出したのは、このことです。

fer.jpg


すなわち、「受精」の光景。
イメージとしての宇宙線の正体は精子。

太陽圏の中心(そこには太陽がある)に向かって突き進む宇宙線という想像が正しいのであれば、いろいろなことを考えさせてくれる感じがいたします。


以前から、クレアのこちらの記事などで、惑星などと人間の体の姿の対応(宇宙と人間は似ているということ)などを書いたりしていましたが、その考えの中心であるのは「太陽」です。人間存在の基本は太陽にあると。

しかし、考えれば、私たちの太陽も、また数多くの太陽の中にひとつに過ぎないことは、観測上すでにわかっていて、太陽は天の川銀河にもこの銀河の外にも無数にある。


上の宇宙線のイラストを描いた人がどのような科学的根拠でこれを描いたかは別としても、この太陽系と太陽圏の周囲を描いたイラストは、太陽圏がきわめて「子宮っぽく」描かれているという感じがします。これを見ていると、人間の住む宇宙圏の「最小単位」というのがこの「太陽圏」ということなのかもしれないと思ったりします。


何となくではありますけれど、中世の神秘学や、エメラルド・タブレットなどに描かれている「太陽系のシステム」というものも理解できるような気もしないではないです。

参考までに、 In Deep の[地球の内なる太陽] Vol.3 - ヘルメスのエメラルド版(エメラルド・タブレット)から抜粋します。

roze-first.jpg




2つの手の上には、7つの惑星が描かれている。

そこには、太陽と月が彼らの生命の物質を聖杯に注いでいる光景が描かれている。
太陽と月は、このように逆の性質のものを結びつける。

その聖杯は、両性具有を意味する水星で支えられている。

水星は男性と女性の両方の性質を持つ。
これも、別の方向としての、「逆にあるもの同士を結びつける」ことをあらわす。
その左には、火星と土星がある。そして、右に金星と木星がある。

これらの惑星はバランスよく極性を与えられた位置に配置されている。





いまだに意味はよくわからないとはいえ、「太陽系内の惑星の配列には、人間性とそのシステムと大きな関係がある」ということを書いているのだとは思います。

実際に関係あるかどうかはともかく、今後、太陽系以外の他の恒星システムの観測が進むことによって、このエメラルド・タブレットなどに記載されていることの意味はわかってくると思います。

すなわち、太陽系の惑星の配列に意味があるなら、他の恒星システムも「同じような惑星の配列からできている」と思われるからです。完全に同じという意味ではなく、「太陽」、「月」、「水星」などのように、その役割を持つ惑星が、すべての太陽系の中に存在しているというような意味です。


先日、 In Deep の地球から見える星の数が大幅にアップ: 銀河の数だけでも「7兆」にという記事に書きましたが、今後、新しい星と銀河と太陽系の発見は飛躍的にその数を増やしていくと思いますので、いろいろと楽しみです。



ところで、「松果体の光」なんですが、写真的にいうと、

dou-02.jpg

上の写真のような感じから、


dou-01.jpeg

こんな感じで「目の奥のほうの小さな穴のようなところから、白い光が出てくる」ということに気づきまして、そのことを書こうとしていたんですが、うまく書けないです。この光の明滅には周期性がありますが、それが時間による周期なのか、他のことなのかはまだよくわからないです。

なんとなく、「息を吐いている時に光って」、「息を吸うと暗くなる」という感じもします。

いずれにしても、どうやら、視覚以外の部分でも、人間は周期性を持った光を自分の中で発生させている、あるいは光をキャッチしているのかもしれません。

これは皆さんも眠る前とか目をつぶった時に試されてみるといいかとも思います。

自分の中に光がある」ということが漠然とわかるような気がいたします。


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posted by noffy at 10:20 | 地球と宇宙の生命

2011年11月20日

病原菌とブルーノが教えてくれる『病気の実態』



熱で寝込みながら、頭の中で細菌と語っていたくだりです。
前半くだらなくて申し訳ないですが、後半、 In Deep の「16世紀にジョルダーノ・ブルーノが描いた宇宙の姿」という記事に出てきたジョルダーノ・ブルーノの著作からの抜粋が出てきます。

ブルーノは「宇宙のすべてはひとつ」だというような感じ(私がよく理解していないので)の説のようで、つまり、病気やその症状も、大地や宇宙と通じているものであるということを著作で言っています。





病原菌との対話 2011

登場人物

kin-bru-kindo.jpg

・左からブルーノ、オカ、キン。


わたし=私
そいつ =細菌


わたし 「君に質問がある」

そいつ 「ふむ。それは何だね?」

わたし 「ところで、私は君を何と呼べばよいのだろう」

そいつ 「君の知っている名でよい」

わたし 「私は君の名前は知らない。ある医者はマイコプラズマともいうし、あるいは私が長く付き合いのある緑膿菌や溶連菌といった者たちかもしれない。それでも、私は君に名前をつけるのをよそうと思う」

そいつ 「ふむ。では、あなたは私を何と呼ぼうというのか」

わたし 「キンと呼ぶ」

そいつ 「愛称はつかないだろうか。『ちゃん』などの」

わたし 「それでは欽ちゃんになってしまう」

そいつ 「ふむ。なら、愛称はいらない。・・・しかし、冠はどうだ?」

わたし 「冠とは何か?」

そいつ 「たとえば・・・遠山の・・・」

わたし 「よせ! 遠山の金さんを目指すのは」

そいつ 「ふむ。ならば、納得しよう。それで、質問とは何かね?」

わたし 「君たち細菌は・・・最近何してる?」

そいつ 「ダジャレ・・・そういう者にはこのように」

(熱が上がる)

わたし 「うわ・・・やめろ! わかった。ちゃんと質問する」

そいつ 「私の力を見く・・・見く・・・。こういう場合なんていうんだっけ?」

わたし 「ん?」

そいつ 「オレの力を甘く見るな、みたいな言い方」

わたし 「見くびらないほうがいい?」

そいつ 「ああ、それそれ。私の力を見くびるないほうがいいぞ」

わたし 「『ら』が『る』になってる」

そいつ 「見くばらないほうがいいぞ」

わたし 「今度は『び』が『ば』になってる」

そいつ 「畜生。こうしてやる・・・・・」

(熱が上がる)

わたし 「わああ! 逆ギレかよ! やめろ」

そいつ 「私の力を見くびるもよらず」

わたし 「記憶が後退しとるがな」

そいつ 「いらつく宿主だな」

わたし 「キンよ」

そいつ 「ふむ」

わたし 「あなたはなぜこの世に存在するのか?」

そいつ 「ふむ。いい質問だ。中世のジョルダーノ・ブルーノという人は16世紀の著作の中でこのように言っています」

わたし 「どのように言っているのですか」

そいつ 「諸元素の区別という概念に基本的な異議を申しつつ、そこで病気について以下のように述べています」


万物を包んでいる包括者はひとつであり、ひとつの大きな機構がこの広大な地域に撒き拡げられているのです。(中略)

相違なった諸部分が、岩、沼、川、泉、海、空、金属、洞窟、山、野原といったような合成物と所と姿を異にするさまざまの構成に従って、同じように秩序づけられていると考えられます。これらがその時々の気象状況に応じて、山、谷、洞穴、水、精気、火、などを作っているのです。

動物のなかにもいわゆる異質部分があって、骨、腸、静脈、動脈、肉、神経、肺、四肢、といったそれぞれの姿をもったもののさまざまな構成に従っています。

また同様に、炎症、丹毒、結石、めまい、発熱など無数の症状、体調は霧、雨、雪、炎熱、稲妻、雷、地震、風、海陸の嵐に対応するのです。

したがって、広く思われているように、土や山もまた生き物であるとするならば、これらはふつうの生物よりもいっそう多くのすぐれた理性をもった生き物に違いありません。

無限、宇宙および諸世界について』より。




わたし 「ふむ。まるで意味がわかりませぬ」

そいつ 「つまり、あなたは『症状』などと言って個別に語っているそのあなたの症状は自然の存在や現象と共鳴しており、また、それは突き詰めれば、すべてはひとつだと赤塚不二夫は言っているのです」

わたし 「人が違う」

そいつ 「ブルーノは言っているのです」

わたし 「では、わたしの現在の感染症も、地球の状態や自然の何かと連動しているとおっしゃるのですか?」

そいつ 「それは私にはわからない」

わたし 「うーむ、私の体を大地と考えると、私の大地は細菌で冒されているということなのでしょうか?」

そいつ 「それはわからない。私はしがないブルース歌手」

わたし 「何だか適当だな、おい」

そいつ 「私を見くぼ・・・」

わたし 「もうええわ、それは」






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posted by noffy at 21:02 | 地球と宇宙の生命

2011年09月10日

地球は特別な存在ではないと思ってみたりする晩夏



こういうことを書くのも何だかアレなんですが、最近の私の考え方を突きつめていくと、多くのオカルトが自分の中から消滅していく寂しさがあります。「最近の私の考え方」という書き方は曖昧ですが、たとえば、 In Deep に以前書いたこちらの記事、

科学が到達しつつある「宇宙に存在するあまりにもたくさんの他の地球と生命」

などにある「全宇宙に広がる生命」という考え方と、そして、パンスペルミア説(宇宙が生命を拡散させている)なども、どんどん拡大解釈していくと、最終的には「地球に他の星からのエイリアンが来る必然性がない」という結論に行き着かざるを得なかったりします。

それは、宇宙に生命がありふれているものなら、地球を選ぶ理由がほとんどないと思えるからです。

それほどまでに近隣宇宙は生命に満ちていると考えています。

しかし、「近隣宇宙」と「高速移動までの限界」という2つのことがあり、それらの生命同士が相まみえる機会は極端に少ないということもあります。


たとえば、太陽系から数十光年という、宇宙規模から見ると比較的近い場所に、地球と同じような環境が想定される星がいくつも見つかっていて、今後、観測技術の向上によって、この数はさらに増えると思われます。

地球と似た環境が想定される「グリーゼ 581」(関連記事)という惑星は、地球から20光年のところにありますが、サイズは地球の倍あります。


Gliese581.jpg

▲ グリーゼの想像図。その太陽系との太陽との関係を含めて、何もかも地球とそっくり。こういう星は他にもいくらでもあると最近は考えられています。


仮に、太陽系外のそちらの方向から異星人が来たなら、地球よりグリーゼのほうが近いわけで、しかも、グリーゼ 581dと地球の間には他の「地球タイプ」の惑星はまだ見つかっていないはずですので、その場合は普通は少なくとも最初にグリーゼに行くと思います。そして、どの方向から来ても、地球や太陽系の周辺には似たような惑星がたくさんあります。

環境が地球のようなら、実際には人類がいようがいまいが、そちらに行くと思います。
なぜなら、私たちの地球でも人類は、誰もいないことがほぼ予想されていた「月」に最初に行っています。その最大の理由は「月が近かった」からです。


あるいは、多分、このすべての宇宙にある生命が作る文明は、「高速移動を越えられない」という宿命を持っているように思います。
物理の法則は、ほとんどすべての宇宙に適用できるはずだからです。


そうすると、実はどんな惑星のどんな進んだ文明を持つ人々であっても、「移動距離」は極端に小さくなる。

たとえば、1番身近な銀河である私たちの銀河系でも、その幅は「銀河系のディスクは直径約8万 - 10万光年」と見積もられているそうで、仮に量子テレポーテーション的な、光の速度で移動できる文明を持ち、それを実用できる人たちがいたとしても、銀河を横切るのに10万年もかかっていたのでは、それは普通の生命ではなし得ないものであり、あるいは、仮に高速移動で加齢しないとしても、「そんなことをして楽しいか?」という問題はあるわけです。

220px-Milky_Way_2005.jpg

▲ 私たちの天の川銀河。


私たちこの地球の人類はというと、「月」に行ったきりで、宇宙レベルではほんの目と鼻の先である火星にだって有人飛行はいつのことになるか(仮に米国の経済が再度ポシャれば、莫大な予算がかかる火星計画は存続が難しい感じがします)。


そして、物理の法則というのは宇宙すべてに適用できるものだとすると、他の惑星の人々にしても、やはり「光年の旅」というものは難しいものだと思います。


仮に、そういう高速移動のようなことができる人々がいた場合でも、他に魅力的な惑星は太陽系の周辺だけでもいくらでもありますし、そこには水もあるし空気もある。あるいはレアメタルも石油や天然ガスなどのエネルギーも多分ある。
そちらで悪い理由がない。


2年くらい前、CNNの「地球型の水の惑星が近距離で発見」という記事をご紹介したことがありましたが、そこに出てきたハーバード大学のデービッド・シャルボノーという教授は「地球型の惑星はわれわれの太陽系と同様の条件下でのみ形成されるという定説」が覆されたと述べましたが、この後、新しい惑星の発見が続く中で、自分たちの太陽系そのものが特殊なものでもないということがわかってきています。

そして、最近の宇宙惑星科学の理論では、水はともかく、空気に関しては、「最初からある程度保たれている」(惑星形成の中で自然と水素によって大気を保つように形成される)とする意見が強く、地球みたいな惑星は、どんな宇宙空間でも数十光年(地球からクリーゼくらいの距離)も行けばウジャウジャとあるはずです。



まあ、そういうようなことを合理的に考えていくと、一体これまで続いてきたエイリアン騒動とか、宇宙からの来訪者に関しての様々な話は何だったのだろうという感じもあります。

もちろん、「宇宙人がいない」という意見はまったく論外で、宇宙のどこにでも人々はいて、それらは姿も形も考え方も、あるいは趣味指向も地球の人間と同じようなものだと思っていますが、「それらが無謀なテクノロジーを駆使してまで地球に来る理由は?」というのは、どう解釈したらいいのかということかもしれません。


まあしかし、これは何かを否定しているということではなく、自然とそういう考えに落ち着いてきてしまうわけで、私個人の考え方であり、問題だと思います。人に説得するような話ではなく、独り言に近いです。だから日記として書いています。


しかし、それにしても、地球には未確認行物体の目撃は現実に存在するし、エイリアンのような人たちを見たりする事件がたくさんある。

ウソや作り話もあるにしても、全部がウソのわけがない。


一体、地球人の私たちは「何」を見てきたのか?
あるいは見ているのか?

それは「上から」ではなく「下から」来ているのではないのか?



なんてことも考える昨今であります。
西洋神秘学では、地球の内側には悪い者たちがたくさんいるというような概念もあるようですし。

まあ、悪い者たちではなくても、「地下には何かいるのかも」という考えは漠然とはあります。
こちらなどでたまにふれていますけれど、実際のところがわかるわけでもないし。

ilkleyalien2.jpg

▲ こういう人たちは何なのか? Phantoms & Monstersより、最近、英国ヨークシャーで撮影された写真の解析図。




神様の正体

夏前からたまに書くことがある「言葉と世界の創造の関係」、すなわち、

 ・世界は言葉で始まった

というようなことも、今の考え方を加速させているかもしれません。

「世界は言葉だけで始まって、今でも言葉しか存在していない」というような究極なオカルトを普通に信じ始めると、何だかもう、いろいろな他の不思議がどうでもよくなってくるという部分はあります。

むしろ、ひたすら現実的な考えに戻っていくという感じもして、最近では「神様の存在」すら危うい(というか、いないと思います)。

しかし、それでも、たとえば私は大人ですのでそのように考えますけれど、うちの子ども(6歳)なんかの中には「普通に現実的に」神様が存在していて、それと共存しています。うちの子の神様とは何なのか? ということも思います。


先日、話の途中でふいに、

「それはね、神様は知ってるよ」

と子どもが言いました。


わたし 「じゃあ、神様に訊けばいいのかな?」
子ども 「聴いたって仕方ないよ。神様は知ってんだからそれでいいじゃん」
わたし 「神様は教えてはくれないのかい?」
子ども 「人間で知ってる人なんていないもん(ケラケラ)」


と笑っていましたが、なるほど、そんなものなのかもしれないなあと。

そういえば、去年ですから、彼がまだ5歳の時ですけど、散歩の時にこんなこと言っていました。

私が空をボーッと見て、「空の上には宇宙があるんだよ」と言うと、


子ども 「知ってるよ」
わたし 「 UFO とか飛んでるかもよ」
子ども 「飛んでいるのは宇宙のずっとずっとずーっと上だから見えないよ」
わたし 「雲の上だから?」
子ども 「違う。宇宙の上だから見えないんだよ」


みたいなことを、タラちゃん語で言っていましたが、「宇宙の上」というのは、どのように解釈すればいいのだろうと考えたものでした。


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posted by noffy at 01:21 | 地球と宇宙の生命