2011年08月18日

暑さ慣れのプロたちの言葉



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▲ 中国もまだまだ暑い。湖南省の地方新聞。「路面温度 59.2度」。


北海道を除く日本全域はまだ非常に暑いわけですが、その暑さも今日(8月18日)くらいで終わるという予測もあり、「さらば、猛暑」ということで、暑さの話題をいくつか(猛暑、終わらなかったりして)。

メイン記事は AP 通信の粋な記事「世界中の暑さのプロたちからのアドバイスを聞こう」を翻訳したものです。これは世界中の暑い国の人々の「暑さの過ごし方」の言葉を紹介したもので、アメリカが熱波に苦しんでいた7月の下旬の記事です。



その前にいくつか暑さの話題など、



猛暑で美しさがわかった「華氏」表記

ちなみに、米国の熱波は今もある程度は続いているのですが、あちらでは気温の表記に「華氏」というものを使います。この華氏表記が、猛暑でこそ魅力を発揮するということが最近わかりました。「並びが美しい」のです。

下の写真は、昨日(8月17日)の米国 Fox テレビ の ヒューストンの週間天気 より。


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101度 102度 101度 100 100 100 100 ・・・・

見事な3桁並び。
まあしかし、摂氏で書くと、

38度 39度 38度 37度 37度 37度・・・

と、うんざりする最高気温が続いているわけですが、そんなアメリカでは、「歩道で目玉焼きを作る」のが大流行(笑)。40度くらいの気温だと、路上温度はものすごいことになり、平気で作れるのだそうです。

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中国の路上でバーベキュー

上に中国の新聞を載せたのですが、今日の大紀元日本語版にも中国の猛暑の話題として、「高温レッドシグナル発令 地表温度55度超=重慶市」とあって、この中の記述も壮絶ながらも「やや笑わせる」ということになっています。

抜粋です。




 この日の午後2時ごろ、現地に取材に訪れた重慶晩報の記者が同市江北区の埠頭に到着し、3分も経たないうちに温度計は最高測定温度である55度になった。これは日光に晒された地表温度が55度よりもはるかに高いことを物語っている。

 記者は準備した豚肉、牛肉、細切りジャガイモやピーマン、卵などを鉄板の上に並べてみた。午後4時、灼熱の太陽に晒されたジャガイモやピーマンからは良い香りがし、肉は鉄板の上で干し肉になり、卵は完全に凝固し特有の香りがしていた。





記者さん・・・。


 > 灼熱の太陽に晒されたジャガイモやピーマンからは良い香りがし。(笑)


しかし、日本もそうでしょうけれど、中国もアメリカも、いつまでも続く暑さはないですのでがんばりましょう。そのうち氷河期が始まるかもしれないですしね。


ここから翻訳です。



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posted by noffy at 12:42 | 雑記

2011年08月17日

1987年のダッチワイフの神様への儀式



守り神「より子さん」を埋葬した日


先日、昔の知り合いたちと会っていた時、その中のひとりのジローさんという人が、

「そういや、よりこさん、元気かな」


と言いました。

「ああ、そういえば、ずっとお参りにいってないや・・・」


と、私も思い出したのでした。


ジローさんは二十数年前頃、大学にいる時に知り合った人で、最初に劇団のような活動に誘った人です。

ジローさんは私の知る人間の中では「最も信心という概念と縁遠い人間」で、踏み絵をやらせたら、踏むのも踏みますが、そのまま十字架を切り刻んでストーブの薪にしてしまうだろうし、仏像があったら、それで金槌かわりに釘を打って、使った仏像はそのまま燃えないゴミと書かれてあるコンビニの箱に捨ててしまうような人です。


心霊や UFO などのオカルトなどにもまったく興味がありません。
彼の前に宇宙人が来ても、効果はなさそうで、

「え? あれ宇宙人だったのかよ。ウナギかと思って蒲焼きにして食べちゃったよ」

と言いそうです。


そういう彼ですが、二十数年前、最初の公演をおこなった際に私と共に唐突に「神様」に目覚めた瞬間がありました。その神様が上の「より子さん」だったのですが、ちょっとわかりにくいですので、ちゃんと書きます。


その公演では、舞台に装置として等身大の女性の人形が置かれました。ダッチワイフと呼ばれるものです。
これは、脚本のストーリー上に出てくるものでした。

物語は、いわゆる家庭内暴力の話で、よくあるテーマなのですが、ただ、父親は「その家庭での暴力が宇宙に向かわないようにするために息子たちを殺す」という面倒なストーリーでもありました。長男は失語症で、次男は対人恐怖症から何年も「スイカの皮をかぶって」生活している。「親も人類も地球も含めて、自分が生まれたすべての根源を消してやりたい」と思い続ける息子たちと、「この息子たちを社会に出してはいけない」と誓う父親との壮絶な家庭内武力闘争の話でした。


ま、ストーリーのほうはどうでもいいのですが、そういう家庭内闘争の家庭に置かれた人形の名前が「より子さん」。

脚本では亡くなった主人公の奥さんの名前をそのまま人形につけたものでした。


より子さんは、基本的にはただ舞台の椅子に置かれているだけなのですが、しかし、破壊と爆破が続く壮絶な舞台の中で、焼けたり破損したりしていき、決局、二日間の公演の後にはボロボロになってしまいました。


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▲ その公演より。公演が進むにつれて、より子さんの顔に(シワとか汚れなどで)表情がついていき、公演が終わる頃には単なるビニールの人形だったより子さんの表情は人間のようになっていました。この写真じゃわからないですが、わりと安らかな表情でしたよ。



公演が終わった後、ジローさんがボロボロになったより子さん人形を見て、


「なあ、より子さんを供養しよう」


と言い出しました。

私も、「ああ、それはいい考えだね」と、ボロボロになってしまったビニール製のより子さんを抱え上げて、そう思いました。


まったく信心深いところのない私たちふたりがどうしてそんなことを言い出したのかというと、この舞台では何度か「ちょっとした奇跡のようなこと」が起きていて、それで私たちは生き残ったということがあります。その細かいことはともかく、死んでも不思議ではなかった局面で、いくつかのギリギリのラッキーが重なり、私たちは誰も怪我ひとつしないで生還しました。そのことが頭にあったのは確かです。



ジロー 「最初から最後まで舞台にいたのは、より子さんだけだったしね」

わたし 「そうねえ。より子さんに守られていた感じはあるよね」



ということで、劇場を搬出した翌日、より子さんをきれいに洗って、小さくたたんで、ジローさんとふたりで埋葬することにしました。



わたし 「場所は?」

ジロー 「稽古してたあたりでいいんじゃね?」



その頃は、都内のある大学で稽古をしていたので、その大学のキャンパスにある大きな木の下にスコップで大きな穴を掘り、そこにより子さんを埋めて、ふたりで手を合わせました。そして、しばらく黙祷しました。感謝の感情を含めた一種の「儀式」でした。


それからそこを通りかかるたびにお参りしていましたが、大学も改装工事などで次第に様相も変わっていき、また、私たちも大学との縁も薄れ、もうかなり長い間、より子さんのところには行っていません。


冒頭のジローさんの「そういや、よりこさん、元気かな」は、そのことを話していたのでした。
ふたりとも長い間行っていないのです。

その後、いろんな公演を行うたびに「人格を持ちそうな小道具」は、やたらとそこに埋葬した記憶があります。今、掘り起こすと変なものが次々と出てくると思います

お陰で何とか何年もの間、みんな無事で公演を続けることができました。

もう、あの集団のあのような公演を今後行うことはないですが(事実上無理)、いずれにしても、今このように凡庸に生きていられることは不思議に感じます。


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▲ 当時の写真はほとんど残ってないですが、これは25年くらい前のその頃のメンバーの写真です。その頃の東京の下北沢という街の駅前。ここに写っているほぼ全員が今は「お父さん」。世も末ですね。




個人的な守り神の系譜


考えれば、私は小さな頃から「物を擬人化する」ことが多くて、また、そこから派生する「儀式」が多い人でした。

昔ここに書いたことがあるような気もしますが、小学2年の時に草原で「神様」を見つけたことがあります。

十数センチくらいの長さの、縦に長い単なる石ころだったんですが、道を歩いていて、その石を見た瞬間、「お、神さま」と思いました。その石を拾って、そして、家に持ち帰り、ランドセルに入れました、それから実に3年間くらいの間、ランドセルにずっとその石にを入れて、常に持ち歩いていました(結構重いものだったのに)。たまに、見て「あるある」と確認していました、


多分、それが自分にとって「はじめての宗教」だったと思います(あるいは「最後の宗教」だったかも)。


以前、 In Deep に、

人の心の中にはもともと神と来世がある:オックスフォード大学の研究結果
 In Deep 2011.07.27

という記事をご紹介したことがあります。それによると、近年のオックスフォード大学の最大の調査研究の結果としては、「放っておいても、人間は神様をいろんなところに見いだす」ということはあるようです。

人間とはそもそもがそういうものらしいです。


極論でいうと、「神様が存在しなくても、神様を求める習性を持っている」ということだと考えることもできます。



「石ころの神さま」と離れた小学時代の後、私の中学生活は幻聴と強迫神経症の兆しと共に幕が開き、これもこれで、「放っておいても狂気のほうへ行く」という人生が自分でも実感できていたのでありました。でも、すでに何年間かを神様と過ごしていたので「多分大丈夫」という感覚もありました。


あるいは、人生の節々で小学2年の時の「石ころ」に相当するような様々な神様「的なものや風景」と出会ったりはしています。最近だと、2年くらい前の秋、西荻の路上で神様を見かけたことがあります。


そして、今ではやはり「実際には神様はいない」と考えます。「最初がことぱだった」という概念に何も矛盾が考えられなくなっている中ではその考えに至るのは仕方ない。

しかし、だからこそ、私たちは必死で自然の中に神様を求め続けます。
あるいは「求め続ける」必要があるのかもしれません。

人間が自分たちで神様を求めて作り続けているうちは「神はいる」と言っていいのだと思います。
音楽だって誰も作らなければ、歌も曲も聴けません。



「作り出す」という行為が人間の最も優れた能力だと私は思っていて、神様もそこに含まれるのだと思います。

もちろん、私がそう思っているというだけで、人によっていろいろな神様(実際に存在する神様とか)があるのでしょうけれど。そういう「考え方の多様性」というのも人間にとって大事なことだと思います。

そして、それは他人に決められるものではなく、「それぞれのご自分」が考えるべきものかとも。
タグ:セルフ23


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posted by noffy at 13:09 | 雑記

2011年07月29日

薔薇の名前(薔薇じゃないけど)



朝のヘアカット


先々週くらいだったか、朝、鏡で自分の顔を見た時に、中途半端にやや長めの、いわゆる最近の日本の男性の普通の髪の長さであることに気づき、「これではいかん」と思いました。


それは、私の頭の中に「梶井がいるから」です。

梶井の顔。


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m9(^Д^)

何度見てもホッとさせられる梶井のこの顔。


この梶井の顔が最近の私の中にこびりついていて、鏡の中の自分の髪型が梶井より長いことに急に腹が立ちました。で、台所にある料理用のハサミを持ってきて、ジャキジャキと髪を切って、短髪にしました。

・・・なんか、こういう描写だけ書くと、まるで突発的な気狂い行動みたいに思われるかもしれないですけど、私は自分で髪を切るのがうまいし、早いんですよ。


あれは、小学校4年くらいの時からだと思いますが・・・実は、私は 40年近く床屋に行っていないのです。この40年、基本的にはずっと自分で髪を切っています。


キッカケは、その小学4年頃に近所の床屋に行った時の出来事でした。当時の床屋なんてのは、子どもが行っても好みなんて訊くわけでもなく、適当にチャッチャッと短くして終わりなんですけど、それでいいんですよ。「変な工夫」とかしないのが粋。


ところが、その日、床屋のオヤジは何をどう思ったのか、私を「坊ちゃん刈り」にしたのです。坊ちゃん刈りとは・・・まことちゃんみたいなやつです。

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ボーッとしていた私がふと鏡を見ると、そこには、ぼっちゃん刈りの私が。


(;゚д゚)


私は今も昔もぼっちゃん刈りが大嫌いなのです。


お金を払って家に帰った途端、家にあったハサミで「あああああああ!」と叫びながら、そのぼっちゃん刈りの髪をハサミでズタズタに切り裂き、グチャグチャの頭にしたことがキッカケでした。それから、ずっと自分で切っています。


そういえば、以前書いた、タイのアクション映画「チョコレート・ファイター」で主人公の女の子が同じように泣き叫びながら自分の長い髪をハサミで切り落とすシーンがあります。





これは、自分のお母さんが重い病気によってすでに髪がなくなって、カツラだったことを知った時に、その事実に耐えられなくなって切るのでした。この女の子は、小さな頃からお母さんの長い髪が大好きで、落ち着かない時や発作の時(発達障害でパニックがよく出る)には、お母さんの長い髪をさわって生きてきたので、お母さんの長い髪が「消えた」ことは信じられないことだったようです。


話が逸れましたが、子どもの頃から自分で髪を切っているので、上手なんですよ。
学生の頃は知り合いの髪もよく切ってあげていました。

あと、切るのが早いんです。


そんなわけで、朝「ふと」髪を切るのは全然可能なんですが、さすがに梶井のように単なるボウズにはしなかったですが、適度な短髪でバシッと。


鏡を見て、自分に「 m9(^Д^)プギャー 」と笑っていました。
しかし、人びとの反応を見ると、わりと「梶井ヘア」は女の子の反応がいいですね。


吉祥寺の女の子たちにも「それのほうがいいよ、オカさん!」と次々とほめられ、この無意味なおだてられぶりもまた、「梶井の歩んだ不毛な愛の道」とも似ていて、嬉しく思ったものです。




世代による「死」の観念


実は、明後日から北海道に帰省するんですが、それで何かと慌ただしいのに、体がどうもダルくて、非常にいろいろ面倒なんですが、一年に一度はちゃんと帰って子どもなど見せておかないと、親たちもそろそろ七十代の後半(父)と前半(母)ですし、いろんなことがいつの話かわからないですしね。


それにしても、これは一般論ではないと思うのですが、今までの人生で、


・年上であればあるほど命を大事にする傾向


・若い世代であればあるほど逆の傾向



は感じます。
あくまで、「何となく」の話ですので、個人個人の方はいろいろとあると思います。


このどちらがいいとかいうことは私にはわからないですが、私自身は病弱で生まれたせいもあって、どちらかというと「下」のほうに近い感じの期間が長かったように思います。なので、「下」の人たちの考え方のほうは(是非の判断はともかく)理解はしやすいです。


少し前のことですが、ここにも以前出てきた(光の時代(ニューエイジとニューヘイジ)という記事)、夜の街の女の子。通称「あべ尻江さん」(適当すぎるって)が下のようなことを言っていました。彼女は 21歳です。


「死ぬのがこわいとかって、その意味がわからない」


この言葉に対して、特に感想はないですが、私などはこういうことの意味に自分で気づいたのが、3月11日の震災後のことでした。


というか、正確には、「こわくない」のではなく、「死に対しての意味が変わりつつある」という感じにも近いのかもしれません。


なので、自身の安全とか健康に関してのことは以前もひどかったですが、最近はさらに無頓着になっていて、「それよりもできるだけ楽しく生きよう」という思いもあります。多分、何度も出てくる創造神ヌーワは「人間の命題は楽しく生きられるかどうか」と思っていたようにも思ったりしていて、そのことも関係あります。


まあしかし、別に「お花畑」の世界とも違うわけで、ただ楽しい気分だけで生きられるわけがない。

毎日、腹の立つことも多いし、今日だってタッパーの蓋が合うのが見つからずに、探しているうちに戸棚の上から食器が落ちてきたりと大災難に陥り、「家族もろとも爆死してこの人生終えてやろうか!」と思ったりしたり、さらには、うだうだと「女の子のこと」ばかり考えていたり、太陽黒点最大期の気狂い思考がベースにあるわけですが、しかし、「命そのものを考える」という概念がやや薄い感じは否めません。


まあ・・・

人生とは何か、あるいは、「感動とは何か」。


こういうことをですね、まーこの(田中角栄風)、知ってから死にたいという思いはありますけれど。




花たちと俺


帰省が約1週間弱なんです。

夏の1週間・・・。


心配なのが植物なんですよね。


普通の観葉植物あたりは強いもので、その間、あまりカンカンと太陽の当たらない部屋の中にでも入れて、「たまには座敷牢気分でも味わってやがれ!」と、放っておいても、1週間くらいではまず大丈夫なんですが、普通の花が。

枯れはしなくとも、「太陽も水もどちらも欲しい」という花たちは弱る。


まあ、それをいろいろと思案中ですが、中でも「2年もののニチニチソウ」というのがあります。

ニチニチソウというのは、今の時期ならどんな花屋さんでも売られているもので、カンカン照りでも花を咲かし続けるものなんですが、なんとなく一年草(ある季節で枯れてしまって年越しはしない)のイメージがあります。しかし、この花はマダガスカル原産で、当地ではずっと咲き続ける多年草なんですね。


でも、普通は夏だけで用済みとされてしまう。


たとえば、こちらの園芸サイトなどにも


晩秋には枯れてしまいますが、本来は毎年花を咲かせる多年草なので冬越しは可能です。真冬でも10℃以上の気温が保てれば枯れずに翌年も花を咲かせます。しかし、わざわざ苦労して冬越しさせるメリットはあまりなく、毎年タネをまいて育てた方がよいと思います。



と、「メリットのない部分」を赤で書かれてしまうほど強調されています。


私は昨年の晩秋、その夏お世話になったニチニチソウを眺めているうちに、「死なばもろとも!」と、冬越しさせることを決めたのですが、冬越し自体は非常に簡単で、ただ屋内に入れておくだけでした。強い植物だと思います。


さて、上の園芸サイトで言われていた「わざわざ苦労して冬越しさせるメリットはあまりなく」に関してですが、それはどうだったのか?

結論としては、メリットは大ありでした。



2年目からは「木」になっていくんです。

つく花の多さも、そのあたりに売っているニチニチソウが数個〜10個くらいの花をつけているのと比べると、2年目のうちのは一度に 20個くらいの花が咲きます。根元の幹は太さ1センチくらいの「木の幹」となっているので、多分、このまま太くなって、「木」となっていくのだと思います。


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▲ うちのニチニチソウ。幹からガーッと枝がたくさん出ています。花自体もやや大きいです。


そんなわけで、来週は不在が多くなりますが、適度に更新できればと思っています。
タグ:日々草


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posted by noffy at 20:18 | 雑記