朝のヘアカット先々週くらいだったか、朝、鏡で自分の顔を見た時に、中途半端にやや長めの、いわゆる最近の日本の男性の普通の髪の長さであることに気づき、「
これではいかん」と思いました。
それは、私の頭の中に「梶井がいるから」です。
梶井の顔。

m9(^Д^)
何度見てもホッとさせられる梶井のこの顔。
この梶井の顔が最近の私の中にこびりついていて、鏡の中の自分の髪型が梶井より長いことに急に腹が立ちました。で、台所にある料理用のハサミを持ってきて、ジャキジャキと髪を切って、短髪にしました。
・・・なんか、こういう描写だけ書くと、
まるで突発的な気狂い行動みたいに思われるかもしれないですけど、私は自分で髪を切るのがうまいし、早いんですよ。
あれは、小学校4年くらいの時からだと思いますが・・・実は、私は 40年近く床屋に行っていないのです。この40年、基本的にはずっと自分で髪を切っています。
キッカケは、その小学4年頃に近所の床屋に行った時の出来事でした。当時の床屋なんてのは、子どもが行っても好みなんて訊くわけでもなく、適当にチャッチャッと短くして終わりなんですけど、それでいいんですよ。「変な工夫」とかしないのが粋。
ところが、その日、床屋のオヤジは何をどう思ったのか、
私を「坊ちゃん刈り」にしたのです。坊ちゃん刈りとは・・・まことちゃんみたいなやつです。

ボーッとしていた私がふと鏡を見ると、そこには、ぼっちゃん刈りの私が。
(;゚д゚)私は今も昔もぼっちゃん刈りが大嫌いなのです。
お金を払って家に帰った途端、
家にあったハサミで「あああああああ!」と叫びながら、そのぼっちゃん刈りの髪をハサミでズタズタに切り裂き、グチャグチャの頭にしたことがキッカケでした。それから、ずっと自分で切っています。
そういえば、以前書いた、タイのアクション映画「チョコレート・ファイター」で主人公の女の子が同じように泣き叫びながら自分の長い髪をハサミで切り落とすシーンがあります。
これは、自分のお母さんが重い病気によってすでに髪がなくなって、カツラだったことを知った時に、その事実に耐えられなくなって切るのでした。この女の子は、小さな頃からお母さんの長い髪が大好きで、落ち着かない時や発作の時(発達障害でパニックがよく出る)には、お母さんの長い髪をさわって生きてきたので、お母さんの長い髪が「消えた」ことは信じられないことだったようです。
話が逸れましたが、子どもの頃から自分で髪を切っているので、上手なんですよ。
学生の頃は知り合いの髪もよく切ってあげていました。
あと、切るのが早いんです。
そんなわけで、朝「ふと」髪を切るのは全然可能なんですが、さすがに梶井のように単なるボウズにはしなかったですが、適度な短髪でバシッと。
鏡を見て、自分に「 m9(^Д^)プギャー 」と笑っていました。
しかし、人びとの反応を見ると、わりと「梶井ヘア」は女の子の反応がいいですね。
吉祥寺の女の子たちにも「それのほうがいいよ、オカさん!」と次々とほめられ、この無意味なおだてられぶりもまた、「
梶井の歩んだ不毛な愛の道」とも似ていて、嬉しく思ったものです。
世代による「死」の観念実は、明後日から北海道に帰省するんですが、それで何かと慌ただしいのに、体がどうもダルくて、非常にいろいろ面倒なんですが、一年に一度はちゃんと帰って子どもなど見せておかないと、親たちもそろそろ七十代の後半(父)と前半(母)ですし、いろんなことがいつの話かわからないですしね。
それにしても、これは一般論ではないと思うのですが、今までの人生で、
・年上であればあるほど命を大事にする傾向
・若い世代であればあるほど逆の傾向
は感じます。
あくまで、「何となく」の話ですので、個人個人の方はいろいろとあると思います。
このどちらがいいとかいうことは私にはわからないですが、私自身は病弱で生まれたせいもあって、どちらかというと「下」のほうに近い感じの期間が長かったように思います。なので、「下」の人たちの考え方のほうは(是非の判断はともかく)理解はしやすいです。
少し前のことですが、ここにも以前出てきた(
光の時代(ニューエイジとニューヘイジ)という記事)、夜の街の女の子。通称「
あべ尻江さん」(適当すぎるって)が下のようなことを言っていました。彼女は 21歳です。
「死ぬのがこわいとかって、その意味がわからない」。
この言葉に対して、特に感想はないですが、私などはこういうことの意味に自分で気づいたのが、3月11日の震災後のことでした。
というか、正確には、
「こわくない」のではなく、「死に対しての意味が変わりつつある」という感じにも近いのかもしれません。
なので、自身の安全とか健康に関してのことは以前もひどかったですが、最近はさらに無頓着になっていて、「それよりもできるだけ楽しく生きよう」という思いもあります。多分、何度も出てくる
創造神ヌーワは「人間の命題は楽しく生きられるかどうか」と思っていたようにも思ったりしていて、そのことも関係あります。
まあしかし、別に「お花畑」の世界とも違うわけで、ただ楽しい気分だけで生きられるわけがない。
毎日、腹の立つことも多いし、今日だってタッパーの蓋が合うのが見つからずに、探しているうちに戸棚の上から食器が落ちてきたりと大災難に陥り、「
家族もろとも爆死してこの人生終えてやろうか!」と思ったりしたり、さらには、うだうだと「女の子のこと」ばかり考えていたり、太陽黒点最大期の気狂い思考がベースにあるわけですが、しかし、「命そのものを考える」という概念がやや薄い感じは否めません。
まあ・・・
人生とは何か、あるいは、「感動とは何か」。
こういうことをですね、まーこの(田中角栄風)、知ってから死にたいという思いはありますけれど。
花たちと俺帰省が約1週間弱なんです。
夏の1週間・・・。
心配なのが
植物なんですよね。
普通の観葉植物あたりは強いもので、その間、あまりカンカンと太陽の当たらない部屋の中にでも入れて、「たまには座敷牢気分でも味わってやがれ!」と、放っておいても、1週間くらいではまず大丈夫なんですが、普通の花が。
枯れはしなくとも、「太陽も水もどちらも欲しい」という花たちは弱る。
まあ、それをいろいろと思案中ですが、中でも「
2年もののニチニチソウ」というのがあります。
ニチニチソウというのは、今の時期ならどんな花屋さんでも売られているもので、カンカン照りでも花を咲かし続けるものなんですが、
なんとなく一年草(ある季節で枯れてしまって年越しはしない)のイメージがあります。しかし、この花はマダガスカル原産で、当地ではずっと咲き続ける多年草なんですね。
でも、普通は夏だけで用済みとされてしまう。
たとえば、
こちらの園芸サイトなどにも
晩秋には枯れてしまいますが、本来は毎年花を咲かせる多年草なので冬越しは可能です。真冬でも10℃以上の気温が保てれば枯れずに翌年も花を咲かせます。しかし、わざわざ苦労して冬越しさせるメリットはあまりなく、毎年タネをまいて育てた方がよいと思います。
と、「メリットのない部分」を赤で書かれてしまうほど強調されています。
私は昨年の晩秋、その夏お世話になったニチニチソウを眺めているうちに、「
死なばもろとも!」と、冬越しさせることを決めたのですが、冬越し自体は非常に簡単で、ただ屋内に入れておくだけでした。強い植物だと思います。
さて、上の園芸サイトで言われていた「
わざわざ苦労して冬越しさせるメリットはあまりなく」に関してですが、それはどうだったのか?
結論としては、
メリットは大ありでした。
2年目からは「木」になっていくんです。
つく花の多さも、そのあたりに売っているニチニチソウが数個〜10個くらいの花をつけているのと比べると、2年目のうちのは一度に 20個くらいの花が咲きます。根元の幹は太さ1センチくらいの「木の幹」となっているので、多分、このまま太くなって、「木」となっていくのだと思います。
▲ うちのニチニチソウ。幹からガーッと枝がたくさん出ています。花自体もやや大きいです。そんなわけで、来週は不在が多くなりますが、適度に更新できればと思っています。
posted by noffy at 20:18
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雑記