2012年01月01日

2012年のはじめに「3:16」ありき


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引っ越しの日からずっと子どもと奥さんは彼女の実家に帰っていて、私ひとりで新居の整理をしています。新年の今日もひとりで過ごしていますが、子どもが帰ってくるとむしろ慌ただしくなりそうですので、1月1日のうちに書いておきたいと思いました。

深夜、 In Deep で、「龍の話」などを書いたのですが、そのせいなのか、その後2時間ほど眠っている間に「龍の雲の夢」を見ました。

これが初夢なのかどうかわからないですが、そうだとすると、龍の夢が初夢ということになると思います。


ところで、夢ではその「龍」の姿の横に「 3:16 」という数字が描かれていました。目覚めた時に私はむしろ、この数字が強く印象に残りました。

3:16

私はこの数字を数年間、「着ていた」ことがあります。


変な表現ですが、「3:16」と書かれたTシャツを 1999年から数年間、そのTシャツが擦り切れるまで繰り返し着ていました。

このTシャツはある人のキャラクターグッズでした。
その人の名前は、米国の元プロレスラー、ストーンコールド・スティーブ・オースティンです。


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1998年頃からの数年間、私がどれだけこのストーンコールド・スティーブ・オースティンに心酔していたかを書くのは難しいですが、オースティンが所属していた 当時の WWF という米国プロレス団体の番組を見ることだけが生き甲斐だった時期があります。

このオースティンの代名詞が「 3:16 」でした。

1996年頃、聖書「ヨハネによる福音書」の3章16節を引き合いに出した演説を、このストーンコールド・スティーブ・オースティンがキングオブ・ザ・リングというプロレス特番での勝利会見で口にしたのが始まりでした。


「ヨハネ伝の3章16節なんてオレは知らないが」(でも、オースティン伝の3章16節なら知ってるぜ)


ということで、以降、彼自身が「3章16節」ということになっていきます。

リング上やトップロープ上で、オースティンは拳のかわりに中指を突き立て、「Austin 3:16 says ...」(オースティン伝3章16節はかく語りき)とまくしたて続けました。


ちなみに、1998年頃からの米国でのストーンコールド・スティーブ・オースティンの人気はすさまじく、本当に今、思い返してみても、あの異常な熱狂と同時代に自分がいられたということが今でも奇跡のような幸せに感じます。


当時、日本では米国の3週間遅れで、RAW is WAR (当時の番組名)という週一の WWF のプロレス番組が月曜日の午後3時30分からJスカイスポーツで放映されていました。

1999年頃から2002年頃までの3年間くらいの毎週月曜日の午後は、私は他のいかなる用事も入れずに、午後3時くらいから「正座して」テレビの前に座っていたものです。

番組開始5分くらい前になると息苦しくなってきて、期待と緊張の頂点の中で、下の動画のタイトルと共に RAW is WAR は始まりました(1998年のタイトルバック)。その瞬間、息が止まりそうになるほどの興奮と緊張に包まれたものでした。





上のタイトル映像の冒頭などに登場するスキンヘッドの男性がオースティンです。

十何年ぶりにこれを見ましたが、今でもこのタイトルバックを見るだけで涙が止まらなくなります(今も泣いてる)。こんなもので泣くのはどうかしているかと思いますが、しかし、当時、世界中に同じような人たちがたくさんいたことも確かです。

1999年前後の WWF の面白さは、私が生まれてから経験したどんな娯楽よりも面白かったし、実際、その後ほとんど映画等を見なくなってしまったほどです。

その後、2002年頃、まだトップスターだったオースティンは WWF から突然解雇され、実質的に継続した現役時代はそのあたりで終わります。そして、私はそれ以来、一度も WWF(現在の WWE ) もプロレスも見ていません。


そのオースティンが「ヨハネによる福音書」の3章16節を自身の代名詞にしていたということで思い出すのは、クレアでも昨年は何度も何度も「ヨハネによる福音書」が出てきていたことです。

そのことに今日まで全然気づいていませんでしたが、「ヨハネによる福音書」の冒頭の1章1節はこれです。



初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。




この「はじめに言葉ありき」で始まるものが、「ヨハネによる福音書」なのでした。



クレアの過去記事より。そういや、この人も何となくストーンコールド・スティーブ・オースティンっぽいですね。



思えば長い『ヨハネ伝』との付き合い

ちなみに、「オースティン伝 3章16節」のオリジナルのヨハネ伝3章16節というのは、下のようなもののようです。


神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。

神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。


(ヨハネによる福音書3:16-3:17)



私がヨハネによる福音書の内容に初めてふれたのは、聖書について私が知っている2、3の事柄 (2011年08月12日)という記事で書いたことがありますが、1985年の TBS のドラマ『イエスの方舟』でした。

その後、なんだかんだと現在までヨハネ伝との関係は続いているわけですが、少し長くなりましたので、ここまでにしておきます。


いずれにしても、私の2012年は 3:16 と共に始まりました。


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posted by noffy at 10:50 | 雑記

2011年12月03日

さらばトーキョーの陽



最近、「今年はみんな転機の時期だよなあ」という言葉を周囲のあちこちで聞きます。

昨日は、東京から離れた場所で働くことになった知り合いの人が「次いつ会えるかわからないですし」と、西荻まで来てくれて、ついでといってはなんですが、最近全然行っていなかった飲み屋なんかを挨拶がてら二軒ほど回ったりしました。

挨拶というのは一種のお別れの挨拶なんですが、私も今年中に引っ越しすることがほぼ確実となって、しかも行き先が東京ではないことが決定していていて、このあたりの飲み屋に来る機会もほぼなくなりそうということもあります。


昨日行ったのは、ひとつは沖縄料理の飲み屋で、もうひとつは北海道料理の飲み屋。

どっちも体格のいいオヤジがやっているのですが、どちらもこの町での歴史はそこそこ長くて、沖縄料理屋のほうなど、私が二十代のはじめくらいの時から行っているので、もう20年以上やっていることになります。

杉並あたりで昔から飲み屋をやっているクソオヤジたちには比較的似たような傾向が以前はあって、


・政治活動などの運動上がり
・舞台活動などの芸術上がり
・ヒッピーくずれ



という人たちが多かったです。

今はそうでもなくなりましたが、東京の新宿から中央線という電車のラインが出ており、その路線上にある中野、高円寺、阿佐ヶ谷、西荻窪といった街はどこもかつてはそんな感じでした。


私の住んでいる西荻窪という町は、1960年代だか70年代だかくらいに、ヒッピーや学生運動家たちが大挙して押し寄せ、コミュニティみたいなのを作っていた時期が長いそうで、今では少なくなりまりましたが、十数年前までは「オヤジ・ヒッピー」みたいな人がたくさんいました。

最盛期のフラワー・トラベリン・バンドみたいな人たちが、夜の街を歩いていたりしたものでした。

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▲ フラワー・トラベリン・バンド


まあ、実際問題として、私自身はこういう系統の人たちによくいた、快活で何でもハキハキと物を言うタイプの頭のいい人たちがわりとニガテで、もっとアンダーグラウンドで「ものも言わずに(あるいは言えずに)」ドヨーンと生きているような人たちとばかり付き合っていた部分が大きいです。

1960年代の生き残り系のような人たちは、自分たちの若者時代だった60年代、70年代に誇りを持って生きていた人が多い感じで、そのことを意気揚々と語ったりしていたものですが、私たち1980年代に青春へ突入した人たちの多くは、「自慢して話せるようなことが何ひとつない」世代でした。


なので、「人生を何も自慢しない」ということが一般的で、少なくとも私はそのように生きてきました。

そして、今に至るまでも、私は、自分の人生で自慢できることは何もないです。
(カツオの料理方法でちょっと自慢できることが・・・)


それでも、60年代のオヤジたちのやっている飲み屋自体は、それなりに楽しいわけで、若い時は本当に頻繁に飲んでいました。

二十代の終わり頃、何にもしていない時期があって、夜になったら飲みに行って、朝帰ってきて眠る・・・という生活を2年くらい続けたことがあります。2年くらい「無思考」で過ごしていたのですが、今思えば、あの時期が自分にとっての一大リフレッシュ時期で、あれがなければ生きていなかったと思います。


そんなこんなで、二十数年住んでいたこの町とか、あるいは東京も離れることになりそうですが、区切りとしてはピタリという感じです。

1960年代の幻想、1970年代の幻想、そして、私たちの持つ1980年代の(パンクなどの)幻想もすべて消えつつあり、その行き着く先が、

新しい時代

なのだと実感します。

あの料理屋のオヤジたちが死に絶え、そして、私が死に絶えた頃には、少なくとも今より新しくて良い時代が来ているのだと思います。

まずは、早く私たちの世代が滅びないとダメだと思いますが。
タグ:西荻窪


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posted by noffy at 20:02 | 雑記

2011年08月31日

CNNが特集した「タイの奇妙な雑誌7選」



今日はちょっと息抜きの話題を。

米CNNのウェブサイト「CNN GO」にタイの奇妙な雑誌を紹介する記事が掲載されています。

どこの国でも本屋で雑誌を眺めるのが好きな私は、タイでもいろいろな雑誌を見ましたが(タイ語が読めないので、文字通り見るしかないのです)、グロ系の現場写真をたくさん載せた犯罪雑誌などが店、あとタイでは路上にも雑誌が売られていますが、そういう雑誌が道ばたに並んでいる光景はなかなか刺激的でしたが、下のような専門誌がたくさんあるということは知りませんでした。驚いた、というより笑いました。

特に「1」の宝くじ当選番号予想誌の「7月にタイ軍のヘリコプター3機が次々に墜落した事件。これが、3月に起きた事故で、兵士16人とカメラマン1人が死亡したことから、当選番号を316もしくは317と予想する」は苦笑しました。普通の国なら自分の国の軍隊の事故をこのように扱うとまず怒られるでしょうね。日本でも怒られるだろうなあ・・・。


でも、実際にはタイ人は全然穏やかな性格ではなく、基本的にとても短気に見えます。
なので、タイは殺人事件がとても多いです(率で日本の7倍から8倍)。
「怒る理由が他の国の人と違う」ということかもしれません。


それでも、やっぱりタイはいいなあ。
いろいろと。


CNN GOの記事をそのまま翻訳してご紹介します。




7 of Thailand's strangest magazines
CNN GO 2011.08.23

奇妙すぎるタイの7つの雑誌

タイでは、「本屋で本を眺める」ということ自体がいい体験になる。

タイでは毎週どんどんと新しい雑誌が創刊され、また同時に次々と消える。なので、公式な雑誌数の統計がなく、正確なところはわからないが、一般的には、タイには 800誌の雑誌があると推測される。

そして、約 60誌の海外雑誌のタイ語への翻訳版がある。
来月にはロンリープラネットのタイ語版が創刊され、タイでの雑誌創刊の勢いは年々増している。

そのように国際的になっていっているタイの出版界だが、海外勢が入り込めない「ニッチ」な世界がある。

それらをご紹介しよう。



1. 公営宝くじ当選番号ガイドブック

01Lottery.jpgタイ政府が発売するタイの宝くじは、番号を選ぶ形式(日本でのロト6のような感じのもの)だ。あなたがタイを旅行していて宝くじを当てようと思ったなら、この「宝くじガイドブック」を購入するのがいいかもしれない。

18ページからなる小さな雑誌で、値段は25バーツ(80円くらい)と、価格も安いものだが、専門家たちの知恵を結集して、「今週の宝くじの当たり番号」を検討している。

たとえば、最新号にはこのような記述がある。

「7月にタイ軍のヘリコプター3機が次々に墜落した事件。これが、3月に起きた事故で、兵士16人とカメラマン1人が死亡したことから、当選番号を316もしくは317と予想する」

とある。

このような怪しくも魅力的な雑誌だ。




2. 仏教ランド(お守りの専門誌)

02Amultets.jpgタイのセブンイレブンでよく売れている雑誌がある。それがこの「仏教ランド」だ。

仏教国のタイだが、これは、「高値で取引されるお守りの専門誌」だ。表紙に載っているものもそれらのお守りの一部で、雑誌の中にもたくさんの「お守りの広告」が掲載されている。

この雑誌は、60バーツ(180円)で、ページ数は56ページある。

実は、タイには女性誌よりも数多くのこれらの「お守りの専門誌」が存在する。





3. コウラウンの鳥かご専門誌

03Cages.jpgコウラウンというのはヒヨドリ科の鳥で、タイの南部ではその鳴き声が珍重されていて、コウラウンを飼育する家庭も多い。

そして、タイにはこの「コウラウンの鳥かごだけの専門誌」が存在する。

月刊誌で、価格は 120バーツ(360円)。
精巧な折などもある作りの雑誌だ。

多くはコウラウンの鳥かごの骨董品や貴重品などを写真で紹介しており、また、内容の中には「コウラウンの鳥かごを1から作るプロセス」を載せているページなどもあり、マニアックなものとなっている。

この雑誌には広告が比較的少なく、出版サイドは、この雑誌の売り上げだけで収益が成り立っていることを示している。




4. ルアーラバーマガジン(釣りのルアーの専門誌)

04Lurelover1.jpgこれぞ「ニッチ誌の見本」と言える素晴らしい雑誌だ。

釣りの雑誌はタイにも世界各地にも数多くあるが、この雑誌は「ルアー」だけに的を絞った雑誌だ。

85バーツ(250円)で、92ページものページ数を持つこの雑誌は、出版サイドがニッチな媒体を探し当てたことを示すように、よく売れている。

この雑誌を知るまで予想していなかったが、「ルアー専門誌」は少なくともタイには他にはないのである。この雑誌の中には「社説」もあり、もちろん、それも釣りとルアーの話だけで展開される。

釣りに興味があるにしろないにしろ、様々なルアーを知ることができる。





5. ファイティング・フィッシュ(闘魚の専門誌)

05Fighting_Fish.jpgこちらは「闘魚」の専門誌だ。

110ページという厚い雑誌だが、価格は 55バーツ(160円)とリーズナブルに押さえられている。内容は広告も多いが、この価格で運営できているということは、よく売れていることを示している。

内容の広告も闘魚に関連したものが多く、この国での闘魚の需要の多さというものを彷彿とさせる。




6. 闘鶏シティ(闘鶏の専門誌)

06Cock_Fighting1.jpg上のほうに挙げた「お守り」の雑誌はタイの雑誌の人気ジャンルのひとつで、どの雑誌もよく売れるが、タイでは「闘鶏」の雑誌も人気がある。

少なくとも、闘鶏の専門誌だけで 12誌以上ある。

写真の「闘鶏シティ」はその中のひとつだ。表紙を飾るニワトリは、8月にチャンピオンとなった鶏で、他の闘鶏雑誌の表紙もこのニワトリが飾っている。

この「闘鶏シティ」のページ数は 96ページにも及び、価格は 50バーツ(150円)。広告も闘鶏関係が多く、鶏そのものの売買広告から、闘鶏のための資材、器材などの広告がたくさん載せられている。

なお、タイでの闘鶏は 賞金が 100万バーツ(300万円)に達することもあり、人気の理由はこの莫大な優勝賞金にあると思われる。




7. ポリス・バラエティ(警察の活動紹介誌)

07Police_Variety.jpg「ポリス・バラエティ」は比較的新しく創刊された雑誌だが、月刊誌で 11番目の売り上げを誇っている人気雑誌だ。

これは、タイ警察の仕事の活動を国民に知らせる目的で作られたものだ。

内容を見ると、まるで警官のために出版されている専門誌のように見えるが、そうではなく、一般市民向けの雑誌だ。

価格は70バーツ(200円)で、発売部数は公表されていない。ページ数は 92ページだが、ページ数の多さを感じさせない雑誌だ。






(ここまで)


「3」の「コウラウンの鳥かご専門誌」のコウラウンという鳥ですが、このような鳥のようです。

kouralan.jpeg



ちなみに、私はタイに行くと、本屋とか雑誌のコーナーをよく見るんですが、「表紙と内容が全然違う」というものも多かったです。

いっとき日本でも有名になった「アチャーガム」という雑誌があって、昔のタイでは1番売れていた雑誌なんですが、こういう雑誌は、たとえば表紙はこんなんなんです。

achah.gif

アイドル誌か多少のお色気か・・・と思いますよね。

でも、開くと次々と「死体の写真」が出てくる。それがほとんどが警察が現場検証で写したものと同じようで、修正もしていないですから、エグいのです。血まみれだったりバラバラだったり。「タイの雑誌は世界で最高にグロい」と言われていたのはこのあたりに原因があります。


そういえば、先日、友人たちと飲んでいた時に、そのうちのひとりが「タイ人の女性たちとタイの田舎を旅する」ということを言っていて、いいなあと。

色気のある話ではなく、その友人というのは以前こちらの記事の冒頭に出てきたSくんという人で、昔、私とタイによく行っていた人です。その旅行は、Sくんの奥さんを含めた大勢で、来年の春にタイの東北のほうに行くのだそうです。

タイの田舎をゆっくり行く旅だと2週間くらいはかかりそうで、子どもの世話もあり、お金もない私に行けるわけもなし・・・。

いいなあ。
タグ:タイ王国


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posted by noffy at 12:39 | 雑記