2010年06月21日

キュヴィエ先生との出会い


kuwazu.jpg

最近、植物を置くスペースを作るために自分のものをバシバシと捨てています。

奥様からは「もう植物はやめて」と、喧嘩や大酒飲み並みの扱いを受けつつある我が家の植物ですが、しかし、うちの子どもはなかかな興奮していて、「もっと花を! もっと緑を!」というような植物躁状態に陥りつつあるようです。

そのスペース作りのために先日も本をバシバシと捨てている時に、「神秘学カタログ」という分厚い本が箱の中から出てきました。

荒俣宏と鎌田東二という人の共著となっています。

「あーこれ、ずいぶん前に新刊で買って、ちょっと広げたら難しくて5分でやめて放置しといたやつだ」

奥付を見ると、「昭和62年9月1日発行」とありますので、放置歴は長く、23年ほど放置されていたようです。

当時は「オレってこんな本持ってたりするんだよね」という女の子へのアピールのためだけに買ったような本が本棚に並んでいましたが、これもそういう中のひとつだと思われます。「タイトルがいかにも難しそう」というのがポイントで、内容なんてどうでもいいのです。

しかし、今、目次を見てみると、興味を引く部分がないわけでもないのですね。

たとえば、この本の中の「異物としての生命 - 生命本体論のためのノート」というセクションの2つめの見だしのタイトルは、


生物は生きているのではないかもしれないこと

となっています。

「ふーむ・・・」と、タイトルだけで何となく満足したりします。

ちなみに、この「神秘学カタログ」は、著者たちご本人の文章もわりと難解ですが、引用元に関しての難解さは一種異様な世界で、たとえば、この章の冒頭のほうで引用されている、エルンスト・ヘッケルとかいう人の「生命の不可思議」という著作を後藤格次という人が訳したものから引用されていて、それはこんな感じになっています。

「吾人が有機的生活作用と比較し得べき凡ての無機的現象中、外見が相似て而も内部の相類するもの、火炎に若くはない。此の意味深長で重要な比較は、己に二千四百年以前、有能な希臓の自然哲学者の一人たるエフェソのヘラクレイストが為した処である。」

こんな調子でえんえんと引用されるのですが・・・・・荒俣先生・・・意味どころではなく、そもそも漢字も読めないです。

まあ、そうは言いつつも、飛ばし読みで、この「異物としての生命」を読んでいましたら、18世紀の終わり頃に活躍したフランスの博物学者のラマルクという人と、フランスの博物学者で解剖学者のキュヴィエという人のふたりに少し触れた後に、そこからオカルトまでに達していく生命エネルギーについての4つの段階が書かれてありました。

ちなみに、私はラマルクもキュヴィエもどちらもまったくといっていいほど知らなかったのですが、少し調べてみると、後の生物学などにかなりの功績を残した偉大な科学者のようです。

ラマルク
キュビエ

などにわかりやすく出ています。また、 Wikipedia の進化論のページにも頻繁にその名前が登場します。

このキュヴィエという人は、今回私は初めて知ったのですが、ダーウィンの進化論に対して強硬に反対意見を言い続けていた人だそうで、天変地異説というページにはこうあります。

天変地異説(Catastrophism)または激変説とは、地球や生物の歴史に関する初期の仮説の一つで、地層の形成や化石生物を天変地異的な現象で説明しようとするものである。ジョルジュ・キュヴィエによって唱えられ、斉一説や進化論に対する強い抵抗勢力であったが、19世紀には力を失った。



天変地異説と書かれている横にあるカッコの中の英語を見ると、カタストロフィズムと読めます。カタストロフ・セオリーという言葉は「破局理論」などとされていますが、それに従えば、このカタストロフィズム(カタストロフ+ ism)というのも「破局説」とも読める感じで実にかっこいい。しかし、その説自体はきわめて普通のことだったようです。上の天変地異説によると、

キュヴィエによると、天変地異によって大部分の生物は死滅し、それらが土砂の中に埋もれて見つかるのが化石である。また、彼は完全な絶滅を考えていたのではなく、一部は生き残ったと考えていた。これは、貝類などにいくつもの時代から共通に出現するものがあったためである。



地球の歴史上で何度も起きていた生物の大量絶滅のことなどを考えると、この18世紀後半の意見は今でもあまりにも「普通に正しい見解」のように私などには見えますが、この対立は結局、キリスト教的な問題の「創造論 vs 進化論」の土俵で論争されてしまったようで、結局、創造論を否定したダーウィンの進化論がサバイバルに勝って生き残り続けているというのが現状のようです。

ところで、私は、最近、ダーウィンの肖像や写真などを見て思うのですが、ダーウィン先生は自分のお顔を見ている時に、「人間は猿から進化したのかもしれない」と考えついたのかもなあと思っています。

7240_Darwin-Charles-Robert.jpg

・ダーウィン先生の写真

darwin-old.jpg

・ダーウィン先生の晩年の写真


さて、一方のキュヴィエさんのお顔ですが、この人の顔がなかなかいろいろと私に考えさせるものがあります。肖像画を見る限り、1970年代のパンクバンド「セックスピストルズ」のギタリスト、スティーヴ・ジョーンズ とキュヴィエさんはそっくりで、何となく「パンクの輪廻転生」という言葉さえ思い浮かびます。

cuvier-250.jpg

▲ キュヴィエさんのお姿。


steve_jones.jpg

▲ セックスピストルズのスティーブ・ジョーンズの演奏風景。1976年前後。キュヴィエ先生(1769 - 1832年)と比べて、眉、目、鼻、口など、ほとんど生まれ変わりのレベルで似ている感じですね。約200年の間があるのに、髪型も同じ(笑)。


ただまあ、当時の肖像画は同じ人を描いていてもいろいろで(上のキュヴィエ像は Wikipedia にあるもの)、どれがご本人に近いものだったかは今ひとつわからないですが。

いずれにしても、このキュヴィエさんの研究はちゃんと調べてみたいもののひとつで、今日からは「キュヴィエ先生」として、心の師と仰ぎたいと思います。


生命のフェーズ

さて、生物の発祥とか進化なんてどうでもいいですが(おいおい!)、この「神秘学カタログ」には、ラマルクやキュヴィエらの生物理論などから始まり、オカルトに達するまでの生物の段階(本では「相=フェーズに区切る」と書かれています)を簡単に現したものが書かれていて、それは、

1 生命エネルギーは生物を活かす(運動させる)

2 生命エネルギーが実は意志の本体である

3 生命エネルギーは一種のメディアとなって、生命体と外部との「理性的」(あるいは言語的)以外のコミュニケーションを可能にする

4 生命エネルギーは霊界にまで達している


ということのよう。

1から4までどのような理論的支柱で展開していくのかは私には本を読んでもよく理解できません。それぞれのフェーズでの説明に出て来た人だけを挙げておきたいと思います。

1 → ラマルク、キュヴィエ
2 → 動物磁気説の提唱者メスメル
3 → メスメル、条件反射の理論のパブロフ
4 → ドイツの化学者カール・フォン・ライヘンバッハ、オルゴン理論のヴィルヘルム・ライヒ


「4」の人たちは誰だかわからないですので、これから調べてみます。

この「4 生命エネルギーは霊界にまで達している」関係は、 UFO や1936年に発見されたというビオン(bion)だとかいう微粒子の話に発展していくのですが、一気に理解できる話ではないですね。

このビオンというのは、

青色の微粒子で、生命体と物質の境目を形成するエネルギー的物質とみなされた。なぜ生命と物質のはざまにある微粒子かというと、これは明白な自由運動を行なうのだ。

というもののようです。
このビオンが生じるエネルギーが「オルゴン」というものだそう。

このあたりはよくわからないし、少なくとも今はわからないままでOKであります。


植物に見える霊的存在

さて、話はずいぶん飛びましたが、結局、今回書きたかったのは、この荒俣宏先生の「異物としての生命 - 生命本体論のためのノート」という論文の中で、もっとも良かった論文の最後の文章を紹介したかったからです。そのフレーズは、ヴィルヘルム・ライヒという人の言葉で、たった一行ですが、


生命は不可量物質であるから


というものです。

「多分そうなんだよな」

と最近は思います。
生き物の正体ってのは計れないんだよな、きっと。

現時点では植物ラブとはいえ、一時、微生物に心を奪われ、「すべての生命は物質として計れるはずだ」というような考えに陥りそうになっていたわけで、そこを、ねるさんの書き込みの「シュナイダーは微生物を悪と見なしていた」ということなどを知って、ハッ Σ(゚Д゚) としたわけです。

「オレは微生物に支配されかかっていた」と。

まあ・・・確かにファージとかはカッコイイですけれどね・・・。

そんなわけで、こういう23年間埋もれていた本に目を通すキッカケを与えてくれたのも、キュヴィエ先生を知ることができたのも、植物のおかげでした。「植物のためのスペースをもっと作ろう」などと思わなければ、この神秘学カタログはさらに何十年も埋もれたままになっていたはずです。

ありがとう、植物。

・・・とはいえ、植物も生き物。「生命の自己増殖」とか「生命の爆発的増加」などの概念を考えると、単純に「植物っていいっすね」だけとは言えない部分は確かにあります。

たとえば、藻なんかも植物なんでしょうけれど、それら微生物の様相を呈している植物の異常発生や、あるいは身近な例だとたまーに見る「ツタに完全に覆われてしまって、近所の子どもたちから魔女の家とか呼ばれてしまっている家」など、植物の自己増殖ぶりもかなりのものがあります。

7076f3b5.jpg

そのあたりの「爆発的増殖」の恐さはメキシコ湾の原油流出事故などでも、海の状態の変化として今後目立ってくると思われますが、まあ、そのあたりの暗いことはともかくとして、この「自己増殖の恐ろしさ」を人間に感じさせない一群はあるのです。

それこそ最近知ったことですが、「成長の遅さが際立つ裸子植物の一群」(すべてではないですが)で、これらの裸子植物の人生というものは、ただ見ているだけでも上記オカルト理論でいえば、「1」の生命エネルギーが運動させるというところは超越していて、「2」の、生命エネルギーが実は意志の本体である、というところまでは感じさせてくれます。

その後の「4」あたりの、「生命エネルギーは霊界にまで」となると、いろいろと今はわからないですが、まあ、しかし、植物の幽霊という概念などはあまり聞かないということは、植物は存在自体がすでに霊界と通じているのだなあ(ほんまかいな)と頼もしく思ったりもします。


Sponsored link




posted by noffy at 00:31 | 地球の歴史

2010年05月09日

地球の成り立ち(0):宇宙はすべて生き物からできている


昨日の記事のコメントに、 Ku_uu さんがリンクを貼ってくれていました。日経サイエンスの2010年6月号に載るものであるらしい記事で、

生物が作った多様性 鉱物進化論

というものです。
カーネギー研究所地球物理学研究所のヘイゼン博士という人の文章のようです。
ヘイゼン博士は出だしで平然とこう書いています。

現在,地球上にある鉱物は,わかっているだけで4400種類。こんなに種類が多いのは地球だけで,太陽系のほかの惑星ではずっと少ない。一体なぜだろうか。実は鉱物の半数以上は,地球に生物がいたために誕生したのだという。


まあ、何となく無難な文章です。

読んだ時は「へえ」と普通に読んでいたのですが、ちょっと前に寝ようとしていたら、また夢うつつの状態で、このことが思い浮かび、同時に、

「あ!」

と、夢の中で叫んでしまいました。

ものすごいことに気づいてしまったのです。ものすごいことでもないのかもしれないですが、わりと気になっていたことが一気に解明してしまった感じなのです。それは、今回、「地球の成り立ち(0)」とタイトルをつけてみたのですが、つまり、地球を飛び越えて、「宇宙が何からできているのか」ということがわかっちゃったんです(苦笑)。

ヘイゼン博士の上の文章からわかったということではなく、今まで胸の内でつかえていたことが、この文章をキッカケで最後まで展開してしまったという感じかもしれません。

というわけで緊急特集であります。

長くなりそうですので、最初に結論を書いておきますね。「そんなのくだらねー」と思ったら、読み進める必要はないです。どうしてかというと、「そんなのどうでもいいことだから」です。地球や太陽系がどうやってできようが、その組成が何であろうが、今の生活はあくまで今の生活なわけで、関係ないことではあります。

さて、結論:

宇宙が自ら作り出しているものはすべて生物やアミノ酸を含む有機物で、宇宙は生物以外は生産していない。宇宙に漂うすべての塵そのものやその集合体から作り出される恒星システム、銀河のシステムもすべて生物からできている。現在無機物と呼ばれるのはその副産物であり、もともとは生き物。また、地球を始めとする惑星そのものはすべて「生き物と生き物の亡骸の固まり」でできている。

ということです。
うまく繋がりのある文章を書けるかどうかわからないですが、このことを書いてみます。


ハレー彗星の成分と一致した地球の「あるもの」

1986年に英国のカーディフ大学でチャンドラ・ウィクラマシンゲ教授たちのチームが、シドニーのアングロ・オーストラリアン天文台にあるアングロ・オーストラリアン望遠鏡で観測した、「ハレー彗星の赤外線吸収スペクトル」というものを示した貴重な観測結果のいくつかのグラフがあります。「スペクトル」というのは「分布図」くらいに思っていただければいいと思います。

銀河からは地球に向かって常に赤外線が放射し続けているそうで、このことによって、「様々な宇宙の物質の赤外線の吸収スペクトル」というものを観測できることができます。これはつまり、「赤外線がその物体を通過する際のいろいろ」を調べることで、その物質がどんな性質を持っているかを調べられるということです。

そして、宇宙の物質の赤外吸収率を観測した後に、地球上の実験施設で、同じような強度の赤外線を様々な物質に照らして、その吸収スペクトルを調べることで、その宇宙の物質が「地球でいえばどんな物質と似ているか」ということがわかるということになるようです。

そして、チャンドラ博士は1986年のハレー彗星の観測で、「地球上のある物質のスペクトルがハレー彗星のスペクトルと一致する」ことを発見したのです。下の表がそれです。

モノクロですのでわかりにくいですが、点の部分が、ハレー彗星のスペクトル。曲線で描かれている部分が「地球上のある物質」のスペクトルです。

fred2.jpg

このハレー彗星と同じ曲線を示した地球上の物質が何かというと、これが何と「大腸菌」なんです。これは簡単にいうと、「ハレー彗星は細菌(微生物)の固まりかもしれない」という可能性を示したグラフということになります。

英国カーディフ大学において、この後、「大腸菌の宇宙環境シミュレーション下での適応実験」が執拗に繰り返されるのは、この時のハレー彗星と大腸菌とのスペクトルの一致によります。こういう懸念というか疑念というか希望というか、そういう空気がカーディフ大学の天文学チームや宇宙生物学チームの間に広がったのは、1986年のチャンドラ・ウィクラマシンゲ教授の上記のハレー彗星の観測によるところが大きいです。

チャンドラ博士のことは、このブログでは、2月の普遍的人類は生命体として全宇宙を満たしているのかもしれないという記事で取り上げていて、私はその時に、つまりつい最近知った人ですが、調べると、チャンドラ教授の数々の実験結果は、同じカーディフ大学での恩師に当たるフレッド・ホイル博士の「宇宙に生命は広がっている」というバンスペルミア説を完全に支持するものばかりで、相当に大きな影響をもつ科学的な実験結果をたくさん挙げている人です。

嬉しいのは、「チャンドラ教授はまだ生きている現役の学者だ」という点です。彼が生きている間に、これらの様々な実験結果が科学的に再考され、「それが真実であることに異論がない」ことが証明されてほしいと思っています(それが人々の「覚醒」に繋がることだと思うので)。そういう意味でも、最近の日本の国立天文台の発表やアメリカのカーネギー研究所などヒミコの発見など、最近の過激な発見は頼もしい限りです。

さて、カーディフ大学ではその後も様々な実験と検証が繰り返されましたが、その実験の中で明らかとなる「生き物の真の姿」というものがありました。それは私もふれている「異常に強靱な微生物の生命」です。

一連の実験の中のひとつで、物学教授のシャルワン博士という人が行った実験は、ホイル博士に「生命は宇宙から地球に飛来し続けている」ということを確信させるものとなりました。それは「大腸菌の加熱実験」です。

箇条書きで書くと臨場感が乏しいので、ちょっと緊迫感を増すために、その実験の様子を小説風にまとめてみますね(苦笑)。

(ここから)




大腸菌の灼熱地獄からの生還

1986年、イギリスのカーディフ大学の生物学教授のシャルワン・アル・ムフティ博士たちの研究グループは、研究室の片隅に立ちすくんでいた。

博士たちの研究グループは、先頃、同じカーディフ大学の天文学者であった、チャンドラ・ウィクラマシンゲ博士たちが結論づけた彗星の赤外線吸収スペクトルの分析結果から導き出された、「ハレー彗星の成分が大腸菌とほぼ同じ有機物成分だ」という研究成果に驚きをあらわすと共に、ひとつの疑問も感じていた。

確かに、ウィクラマシンゲ博士のデータからは彗星からの剥離物が有機物構成であることは明かであり、そこには異論を差し挟む余地もなかったが、しかし、問題はウィクラマシンゲ博士が唱えている「その彗星が、地球に接近、または、彗星の破片が地球大気圏に突入して、その宇宙の微生物が地球にもたらされた」という論旨であった。

何が問題かというと、それは、「地球の大気圏を通過する物体が経験しなければならない摩擦熱」に関しての問題だ。

彗星の破片は時速3万6千キロ(秒速10キロ)という超高速で移動しているものであり、また、地球はそれよりも早い公転スピードを持っている。そのスピードの中で、ある物質が惑星内に着陸するとなると、その摩擦で生じる衝撃によって、その物体は分子レベルでバラバラに破壊されてしまい、生物が生き残る可能性はないからだ。これは大気のない星では言えることで、かなり好条件でも、彗星に乗った微生物が生きたまま着地するのは不可能だと思われる。

しかし、一部の大気のある惑星、たとえば地球の高層圏などでは気体の密度が低いために、侵入した破片の速度は減速される。なので、分子レベルでの破壊は一応免れるので、「形」は残る。

しかし、それでも、「熱」の問題はある。

地球大気に秒速10キロのスピードで物体が突っ込んできた場合、その摩擦熱は物体の大きさ(粒子の直径の4乗根)と比例する。その場合、物体が針の先くらいのものでも、摩擦温度は3000度に達し、ほとんどの物質は残らない。あるいは生物なら生きられるものはいないはずだ。

可能性があるとすると、それより小さなものだ。
たとえば、細菌やウイルスくらいの大きさの粒子なら、突入した際の摩擦温度は約500度となる。

摩擦で加熱される時間は約1秒間と推定される。
この「1秒間の500度の状態」を生き残ることができない限り、生物は彗星に乗って地球に侵入してくることはできない。

つまり、実験の目的は、「微生物は500度の温度で1秒間加熱された後に生還してくるのか」ということになる。博士たちは厳重に管理された研究施設で、彗星のスペクトル分析から、組成がもっとも似ていると思われる大腸菌での加熱実験を行うことにした。

(以下略)



小説仕立てはこのあたりで疲れましたので(笑)、ここまでにしますが、この流れで結果はおわかりかとも思います。この「500度の温度で1秒間加熱」の実験を、大腸菌はクリアしたのです。その後に、適度な栄養媒体に入れることで、大腸菌は再び繁殖(分裂)を開始したのでした。

たとえ1秒とはいえ、大腸菌の大きさだと、全身すべてが瞬間的に500度になると思われます。でも、彼らはほとんど全員が生きのびた。

こうして、微生物たちは難関を乗り越えて地球に降り立った(現在も)と考えられます。

最初に地球上に微生物が降り立ったのは、地球への隕石や小惑星の爆撃が収まった40億年前から38億年前頃だと思われます。地上に降り立ったあと、微生物の中にはすぐ「微生物として」活動を開始するものもあったでしょうし、また別のものは、適度な環境がその地に芽生えるまで、何万年も何億年も待ち続けたものもあったかもしれないですが、少なくとも、35億年ほど前以降の地球でしたら、大気もあっただろうし、気温も氷河期を挟んだとしてもなお生ぬるい。

地球はこの38億年前に「微生物の手に落ちた」と思われます。


とまあ、このあたりまでは今まで繰り返しふれてきた、「地球の生命の成り立ち」についてのことなのですが、今回のメインテーマは、そもそも「宇宙全域がこんな調子で成り立っている」という話で、さらにいうと、「宇宙は有機物以外は生産していない」という話となります。

そういう意味では「宇宙は生きている」というのはたとえ話ではなく、本当なのかもしれません。生と死というような概念がありますが、宇宙は「生」だけを作り出している。死は別のシステムというようなことも考えられますが、そのへんの個人的なロマンは置いといて、この問題にふれるには、次の概念をある程度解決する必要があります。
これは、実は今の化け学の根幹とも抵触する話ともいえるので、簡単には書けないことなのですが、

・無機物と有機物を区別している基準とは何か

という概念についてのことです。
ここに関しては、私はあまりにも知識がないので今後の課題とはしたいです。

いずれにしても、このあたりがうまく解決すれば、ホイル博士の持論であった「宇宙塵は有機物だと思われる」という意見は、そのまま「宇宙すべてが生物だ」という意見と繋がると思います。

宇宙塵というのは宇宙のチリのことですが、 Wikipedia には、


宇宙塵は星間物質の一種で、宇宙空間に分布する固体の微粒子のことである。化学的組成は、珪素や炭素が多く、他に鉄やマグネシウムなどの重元素も存在する。主に水素から成る星間ガスとともに、主要な星間物質である。暗黒物質の候補の一つとしても考えられている。



とあります。

珪素、炭素、鉄、マグネシウム、水素などの由来の問題ともなりますが、今回の話は「これらもすべて生物由来だ」ということを前提として、次に書く太陽系や地球、あるいは銀河系などがどうできていったかということに考えを広げていくと、今回、私が書いている「宇宙はすべて生き物からできている」ということが少しご理解いただけるかと思います。


宇宙に無数にある恒星系の成り立ち

恒星系というのは、私たちでいえば、太陽系のことです。

太陽系が出来るまで

という太陽系の成り立ちがわかりやすく図で説明されているサイトがありましたので、ご紹介します。クリックで拡大します、

02-1-1.jpg

大きい図ですので、図を分解して、説明を文字でおこしました。現物には、1とか2の数字はないですが、便宜上つけさせていただいています。




1.

suns-1.jpg

宇宙には超新星爆発の残骸などから成る「分子雲」というガスと塵でできた雲が漂っています。これが進化を遂げて太陽系になるのです。分子雲の中の特に密度の高いところは「分子雲コア」と呼ばれます。


2.

suns-2.jpg

何かの拍子にこの分子雲コアの密度がさらに上がると分子雲は収縮を始めます。収縮した分子雲コアの中には後の太陽系になる「原始太陽系星雲」と呼ばれる塵とガスから成るディスクが形成されます。


3.

suns-3.jpg

ディスク周りを覆う球状の雲は「エンベロープ」と呼ばれ、これらはいったんディスクに落ち、そこからさらに中心に出来つつある原始太陽に落下します。


4.

sun4.jpg

原始太陽系星雲の断面を横から見るとこんな形をしています。最初は塵とガスが均等に混ざっているのですが、やがて塵がくっついて成長を始め、惑星の元となる「微惑星」が形成されます。しかしこのときにガスから成る星雲はまだあったのかなど、この過程は謎だらけです。


5.

sun5.jpg

微惑星同士は衝突、合体を繰り返しやがて現在の惑星の大きさまで成長します。大きな微惑星の中には短寿命放射性元素の崩壊の時に発生する熱などによって、内部がいったんどろどろに溶けている物もあります。


6.

sun6.jpg

そして現在の太陽系です。このように惑星進化の過程にはたくさんの謎が残っています。



となっていました。
これらの過程が真実であるかどうかはまた別問題として、文中に出てくる、塵、雲、ガスなどが「全部生物」だと考えていただくことが、今回の私の書きたかった論旨ということになります。

そして、この文章の最後にある「このように惑星進化の過程にはたくさんの謎が残っています。」の部分は、実際の過程の詳細はともかくとして、「惑星進化の過程は微生物がコントロールしている」ということになると思っています。

そして、地球などの惑星もこういう恒星ができるコントロールの直接の支配下にあるわけで、地球そのものも微生物のコントロールで成り立ったとは思うのですが、その「地球そのものは何からできているか」というと、やはり塵や雲やガスなどの微生物の「亡骸」、死体ですね。

それが固まっていると。
つまり、地球は生き物の死体の固まりだと考えます。

さて、今まで私が書いてきたことを照らし合わせると、ここまでは自分では比較的単純な話だと思うのですがもここからがちょっと複雑な話になります。


地球が死体の固まりなら生前の意志はどこへ?

ちょっと前の記事で、いわゆる「霊」の問題にふれたことがあります。

論旨としては、霊は光を反射しないから、人間には見えない。なので、同じ光を反射しないので人間からは見えない「暗黒物質」と霊は同じタイプのものでは、というような話でしたが、それはそれとして、そういうことを書いていたことがあったとして下さい。

そして、お釈迦様のこういう概念があるのですね。この記事のフレッド・ホイル博士の言葉から引っ張ってきたものですが、

この対話から、ブッダが生命と意識(彼はすべての生命に意識があると考えていた)を宇宙的表現 -- 宇宙の構造に全体として結びついていて別々にできないものと捉えていたことは充分に明らかである。


という部分の「彼はすべての生命に意識があると考えていた」の部分。

「すべての生命」ということは文字通り「すべて」だと思うのですね。
大腸菌なんかも、あるいはウイルスとかも。

とすると、上に出て来た宇宙塵や星雲、星間ガスといった「生物かあるいは生物由来のものたち」にも、すべてには「意識がある」と、少なくともお釈迦様は考えていたらしい。

それで、「霊は何か」とか私にはわからないんで、霊の正体はともかく、幽霊話なんか聞いていても、幽霊には意志があるように見えますよね。さて、人間の霊に意志があるなら、「あらゆる生物の意志」にも霊があると考えるのまた無理ではないかもしれない。

宇宙塵や星雲、星間ガスたちの幽霊。
あるいはウイルスやバクテリアたちの幽霊。

そういうものたちの亡骸で地球ができていると考えると、地球というのはものすごく巨大な墓場であり、そこには、見えざる何兆の何兆倍の何兆乗といったような数の生き物たちの意志が漂っていると考えられるように思うのです。

それこそ暗黒物質とも関係している霊の世界。

つまり、地球というのは(宇宙というのは)、生物と生物の亡骸と生物の意志が集まってできている。

という結論に辿り着いたのでありました。

あーしかし、これは・・・。エンディング・テーマとか言って始めた「地球の成り立ち」シリーズですが、意外とゴールが早いかもしれんぞ・・・。しかし、「どうやってできたのか」はわかっても、「なぜ必要か」はまだ全然わからないですね。

つまり、本来的に宇宙なんてものは必要なものだったのか、ということがどうもまだわかりません。


Sponsored link




posted by noffy at 02:22 | 地球の歴史

2010年04月28日

宇宙はサイコロをふらない - 宇宙の起源と生命の起源


「地球の成り立ち」をエンディング・テーマとするといって進めているのに、話が飛躍しがちだし、途中で昨日みたいなネバダのが入ったりして、連綿性という意味で問題が出ていますが、まあ、最近、頭の中が、インターネットのハイパーリンクみたいなもので、考え方の進み方にまとまった整合性がないので、仕方ないような気もいたします。

まあ、そうは言っても、社会情勢のほうは、核有事の懸念やら、ギリシャはジャンキー化し、タイのフランス革命化と、混沌としてきていて、こんな厳しい社会情勢の中で、いつまでこんなものが続けられるか微妙ですが、とりあえず、ここまで書いた中で、教えていただいたり見つけたりした中での、いくつかのポイントを進行順に簡単に書いておきます。



これまでのまとめ

1. 発祥は不明ながら宇宙はもともとあった(ビッグバンはなかった)。

2. 地球の生命は地球上で偶然にでたらめに発生したものではない。

3. 生命の素はウイルス、バクテリア、真菌(カビ系)などの微生物として宇宙から来た。

4. ダーウィンの提唱した進化論は存在せず、生命種のもともとの遺伝子が地上に存在した(遺伝子の寿命は理論上では50億年)。

5. 世界の存在そのものは「生物に認識されて初めて存在する」と思われる。

6. 知覚の媒体は光や音や味などの、つまり粒子や電磁波で、それが生物の知覚機能でキャッチされるが、その後の媒体の行方は現在のところ不明。

7. 生き物が世界の認識をやめると、多分、世界は消滅する

8. その認識本能を牛耳っているのは生物すべてにある「元型」。

9. 元型は情緒の問題ではなく、多分、存在しているナンカの物質が介在している。有機物かそれよりちっちゃい粒子のようなものかはわかりません。

10. 元型は宇宙全体に満ちているので、たとえば、地球が滅びたり地球の人類が絶滅しても、宇宙の存在を支える元型は消えないので宇宙は消えない。




こんな感じでしょうか。

「3」に関しては、「太陽系周辺に地球の生命のほぼすべてを構成している左型のアミノ酸が最近発見された」(こちら)ということもあり、ウイルス、バクテリア、真菌、アミノ酸、など、様々な生命体が宇宙に存在する状況証拠は上がっていて、思ったよりも宇宙を漂っている生命や有機物の種類は多彩な可能性もあります。

「簡単に」と書いたのに、何だか長いですが、まとめた文章として書けば、

本来はこの世の存在というのは無いもので、宇宙全体の元型を保有している有機物起源の生命(のたぐい)が、それぞれの知覚機能(人間なら視覚や聴覚や味覚や触覚など)で認識することによって世界は現れて存在している。その意味で、世界と宇宙を支えているのは生命そのもの。

というような感じでしょうか。

たとえば、神様とかの正体はまだわかんないですが、それらが仮にエラくても、世界を存在させるには、「元型を機能させるマシン」が必要で、それが、生き物の肉体だということのように思ったりします。

なので、神様(正体不明ながら)だけでもダメだし、生き物だけでもダメだしと。
どっちがエライも何もなく、ひたすらに一蓮托生の世界。

「本来はこの世はない」という部分には、確かに妙にオカルトな響きがありますが、これは生物の感覚の認知機能上の問題で、「認識されないものはない」という表現となっているわけで(実際に存在しない可能性はあるにしても)、普段の生活では気にしないでもいいことだと思います。

それもこれもあれも、まあ一応は今は存在しているから大丈夫と。

あるいは生きていないものも関係しているかもしれないですが、多分・・・ですが、死んだものは、私たちに見えている宇宙の出現と存続とは関係していないように思います。それは、死んでしまって肉体を持たなくなったものは、「元型の仲介物質」を持つことができないからです。

今日の報道で、

物材機構・米ミシガン工科大など、人間の脳に似たプロセス持つ進化回路を作製 (日刊工業新聞 4月26日)

というものがありました。

「大規模な並列計算をする脳型コンピューターを作り、自然災害やがん細胞の進化など複雑な現象のシミュレーションなどに応用する。」というもので、この分子プロセッサーは(生物の細胞のように)自己繁殖もできて、(生物のDNAのように)自己修理もできるようです。

しかし、これがどれだけ進んでも、ロボットには元型がないので、「生き物」と価値観を共有することはできないし、人間にもならないと思われます。小説のように、ロボットによる世界征服は単なるプログラム的な出来事で、さほど恐いものではなさそうです。

この「元型 vs 無機物」は、たとえば、映画ロボコップで、ロボコップとオムニ社の治安維持ロボット ED209 がオムニ社の本社ビル内で戦うシーンがあります。いくら、 ED209 が武力に優れていても、元型がないので、「人間の感情の変化によるカオス的な行動パターンが読めない」ということになり、ノーフィールド、ノールール戦なら何度やっても、 ED209 はロボコップに勝てないと思われます。

ed209-robocop.jpg

YouTubeより。左がED209(純粋なロボットで元型を持たない)。右がロボコップ(思考主体は人間の脳なので元型を持つ)。


何だかよくわからない展開になりましたが、「地球の生き物同士の、良い悪いを含めた強靱な感情の連帯感はこの元型にある」ということかもしれません。憎い、可愛い、恐い、恥ずかしい、愛しい、などは、相手が元型を持たないものならあまり持たない感情ではないでしょうか。つまり、生物である犬や猫に対して向けられる愛情と、宝石や自動車などに対しての感情とは違うと。

嫌われる虫がいるのも、それが「元型をもって生きている」からだと思います。どんなに精巧に作っても、ロボットの虫の嫌われ度は大したことがないと思います。

なので、いわゆる、死者や死者の世界、あるいは霊とか、そういうものは別のメカニズムで存在しているのかもしれないですね。

私なんか子どもの時だけじゃなくて、今でも幽霊の話とかコワイし、心霊写真なんか見ると、寝られなくなっちゃいますが、不思議なのは、霊とかって、確かに「見える人と見えない人」がいるのですよね。学生時代からつい最近まで、ずいぶんとそういう人と会いました。

私は今も昔も霊のたぐいはまったく見えないわけですが、この、

・見える



・見えない

の差は、「共通の元型」の話から考えると、大変に大きな問題で、本来なら「同じ世界にいる者同士であっちゃいけないこと」だとしか思えないのですが、霊が見えるという人たちのただ一人として、ウソや幻覚を言っているような人はいませんでした。つまり、その人には「見えている」。

なので、多分、「光」の問題と「認知機能の進化」の問題なのでしょうね。

前述したように、世界が存在する上で「見える部分」に関しては、光の反射がすべてで、物の色も形も「光が目に入ってくる」から認識できます。これは「真っ暗闇では何も見えない」とうことで何の疑問もなく理解できますが、つまり、生き物、少なくとも人間には「光を反射するもの以外は見えない」ということになります。

つまり、霊のたぐいは光を反射しないのでしょう。
それが見える人がいるというのは、それは「目」で見ているのではないということかもしれないです。目で見えていると思っているのは、見えている本人が勘違いしているのだと思います。視覚、聴覚、味覚、触覚以外の感覚なのかもしれない。いわゆる異次元とか、幻視体験とか、デジャヴュとか転生とか前世とかそういうのもこれらと関係ありそうですが、わかんないです。


暗黒物質を知覚する物質とは

さて、この「光」で思うのが、宇宙の暗黒物質です。

昨日、アストロアーツで、

すばる望遠鏡、暗黒物質のゆがんだ分布を明らかに

というニュースがあったのですが、この冒頭部分でも尋常ではない「暗黒物質」の存在がおわかりかと思います。

銀河団とは1,000個ほどの銀河の集まりで、そこには太陽の1,000兆倍にもおよぶ大量の暗黒物質が付随していることが知られている。暗黒物質の正体は依然として不明であり、現代天文学および物理学におけるもっとも重要な未解決問題のひとつとされている。

とあります。そして、

暗黒物質は光を発しないため、詳細な空間分布を調べることはひじょうに難しい。


とあります。

abell2390.jpg

▲ 上記アストロアーツの記事より。紫の部分が解析で得られた Abell 2390 という銀河団の「暗黒物質の分布」と見られる場所。この暗黒物質の正体に迫る結果を導き出したのも日本の国立天文台の人。最近、国立天文台がノリにノッてます。応援してますよ。


アストロアーツの暗黒物質の説明には「光を発しない」とありますが、これは「光を反射しない」ということと同義だと思われ、これは月や様々な星を考えるとわかります。月も夜空に光るたくさんの星も、光を発しているのではなく、反射しているから、私たちに「見えている」

暗黒物質にはそれがないということのようです。
霊も多分、光を反射しない。

まあ・・・ここからは相当なオカルトですが、「太陽の1,000兆倍にもおよぶ大量の暗黒物質」というものと、霊や異次元に代表されるような、「見える人と見えない人のあるもの」、つまり、光を反射しないものは、(知覚の面では)同列のもので、そして、それが宇宙全体の90何パーセントを占めているということは、本来の世の中のほとんどの存在はそれらなんでしょうね。

既知の知覚以外でしか掴めない何か。

それが何かは死んだらわかると思います。
私が死ぬ際に唯一楽しみにしていることがあるとしたら、それくらいですかね。


ちなみに、タイトルの「宇宙はサイコロを振らない」というのは、アインシュタインが量子力学を批判する言葉として使った「神はサイコロを振らない」という有名な言葉から拝借したものです。

日経サイエンスの、量子力学 - やっぱり神はサイコロを振らない?という記事にはこうあります。

彼(アインシュタイン)は観測される現象が偶然に選ばれるという量子力学のあいまいさに納得せず,最終的にはすべてが古典力学で説明できるのではないかと考えていた。



アインシュタインが言うように、この世には「偶然」というものは存在しないように最近思えます。それが古典力学で解明されることかどうかはともかくとして。


Sponsored link




posted by noffy at 12:24 | 地球の歴史