2011年05月20日

太陽活動の最大期に見られる「すべての命の軽視」と「恋の重視」

若い時に見ていた映画なんかを思い出す中で、「ムチャクチャなことするシーンのある映画は大体、太陽黒点の最大期に作られている」ということに気付きました。

さらに「映画では恋の顛末というのはどうなるっけ?」と考えていたのですが、

「そういや、不倫の末に顔にペンキ塗りまくってダイナマイトを顔に巻き付けて死んだ人がいたな」

と、「気狂いピエロ」というフランス映画のラストを思い出したんですが、制作年を見ると、やはり黒点最大期に向かう 1965年でした。アメリカではベトナムでの北爆が開始され、ダナンに海兵隊が上陸。また、マルコムXが暗殺され、中国では文化大革命が始まる年です。

いい意味でも悪い意味でも「熱い年」だった 1965年。

太陽黒点の最大期はどちらかというと「悪い意味」が強いですが。


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▲ ジャン・リュック・ゴダール監督の「気狂いピエロ」(1965年)のラストシーン。この後、マッチでダイナマイトに火をつけるのですが、すぐに、「オレは何をバカなことをやってるんだ」と火を消しますが間に合いません(笑)。


最近気付いたのですが、「太陽活動の最大期」というのは、人々(特に男性)が無軌道になって暴力的なるというように考えていた以上の「事実」と関係するように思うようになりました。

それは太陽活動の最大期には「人が人の命を軽視する」という傾向です。
それは自分の命さえも。


太陽黒点の最大期に起きたこの 200年間程度の間の様々なイベントはそれに結びつきます。

いろんなことが起きているとはいえ、その中で多いのが、大戦争(南北戦争や第二次世界大戦など)、大革命(フランス革命、ロシア革命、イラン革命など)、大テロ(米国同時多発テロ)などで、この「太陽黒点最大期間だけ」で発生したイベントだけで何億人の人命が奪われてきたのかちょっとわかりません。

戦争だけでも、あるいは革命だけでもそれぞれ数億人の命がなくなっているのではないでしょうか。

そして、この時期の人々(特に男性)がわりと最初に向かう方向が「そもそも自分の命もさほど重視しない」という傾向なのかも。


戦争にしても革命にしても、自分の命が最優先の場合、「大○○」という惨劇に発展する前に収束するような気がします。たとえば、太陽活動が静かだったこの9年間くらい(2002年から2010年までは太陽活動が極めて静かだった)のことを考えてみても、何となくそれは思います。ギリシャ暴動やアメリカのデモなんかもそうでしたが、そこそこのところで自制が効いている。

しかし、もし上の「太陽黒点活動が人(特に男性)に自分の命を軽視する影響を与える」のだとしたら、今後は穏便に済むかどうかは何とも言えない部分があるのかもしれません。


私も男性ですが、この時期の特徴として、一番上に挙げた、気狂いピエロの主人公の「恋の破綻の末に顔にペンキを塗りまくってダイナマイトを体に巻き付けて死ぬ」なんてのも、「まあ、それはそれでOKだよな」と考える部分があります。

それどころか、「やってみたい」とか思うほどです。


とはいえ、映画では主人公は「死ぬつもりで火を点けるが、我に返り火を消そうとするも間に合わずに爆死するのであった(Wikipedia より)」ということにはなっています。つまり、ちょっと思いとどまるけど、やっばり死んじゃう。

このあたりの「自分の命に関わることに対しての異常な粗忽さ」というのもこの時期の人々(特に男性)の特徴かとも思います。


冒頭から自爆モードだけで突っ走る男たちが出てくるマッドマックス(サイクル21の黒点最大期の 1979年制作)とか、ハリウッド映画に「無造作に人を殺す警官像」を確立したダイハード(サイクル22の黒点最大期の1988年制作)とか、メジャー映画でも、「人の命が安い」映画はこの時期の特徴っぽいです。

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▲ 「自分にも命がある」ことを、ほぼ忘れている人たちばかりが出てくるマッドマックス(1979年)。クラッシュしたパトカーでウキウキと暴走族を追跡する警官たち(この後、再クラッシュ)。


映画そのものに「この土地は人の命が安い」なんて台詞が出てくるカサブランカ(太陽黒点最大期の 1942年制作)なんていうのもあります。カサブランカは「個人的な恋と世界革命を同列に扱う」あたりの無軌道さも黒点っぽいですよね。だから、私はカサブランカが大好きなんですが。


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▲ カサブランカ(1942年)。世界をリードする革命家ふたりが延々と話し続ける「自分たちが好きな女性のこと」(笑)。たまには革命のことも思い出してね。


太陽は私たち人類(特に男性)に地球で何をさせようとしているのか。

ちなみに太陽黒点活動が大きな時には、基本的に「宇宙からの宇宙線がふだんより地球に到達しない」という傾向があることがハッキリしています。私個人としては、「太陽からのエネルギーそのものの影響」というもの以上に、これが関係しているように思っています。

つまり、

・そもそも宇宙は人(特に男性)が冷静であることをコントロールする宇宙線のようなものを地球を含む宇宙に放出しているが、「定期的に太陽がそれを遮って」人々を無軌道にする。

というような感じなのではないかと。
太陽の役割はその宇宙線のコントロールかと。

地球に届く宇宙線が太陽の磁場によってコントロールされていることは、先日 In Deep の宇宙線が雲を生成に関係していることを証明しようとするデンマークでの実験という記事で書いた「天候と宇宙線との関係の実験」でも、ある程度は理解できるように思います。


しかし、「何のために?」。

そのあたりはわかるわけもなさそうです。


自戒や反省を込めまして、「気狂いピエロ」のラストシーンを貼っておきます。英語の字幕のしかないですが、それほど意味のあることは言っていません。




最後の詩はランボーだったか誰だったかのもので、

「見つかった」
「何が」
「永遠が」
「海が」
「太陽に溶け込む」


というやつです。

やっぱり太陽を気にしてんだなあ。

今気付きました。

主人公は顔をペンキで青く塗ってますが、理由は「手を伸ばしたところにあったから」だけです。自分が死ぬ直前にいい加減な考えで終わるというあたりが黒点っぽいです。

こういう爆死的な男性の最期は今後1年から2年は実際の世の中でも多くなるように思います。

いろんな意味で気をつけたいですね。

女性は巻き込まれないように、そして、男性は「自分で上のようなことをやらない」ように、という気をつけ方だと思っています。
タグ:サイクル24


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posted by noffy at 06:00 | 地球の歴史

2011年02月11日

音の女神は1963年の英国に出現した



「電気楽器」がない時代の「電子音楽」

ここで紹介する人は、世界に「電子音での表現」という「」を与えた、少なくとも私には女神そのものです。


その女神の名前は、英国のデリア・ダービシャー( Delia Derbyshire )さんという方です。

ご紹介する動画は、1960年代の英国BBCのラジオ番組での音楽製作の風景です。まだ、シンセサイザーというような響きも曖昧だった頃に、オープンリールと「様々なガラクタ」とそして「知恵と工夫」で、彼女はこの世に光を与えることに成功したのでした。

収録期日は書かれていませんが、1960年代の中盤以前ではないかと思います(60年代後半になると、スタジオにもシンセが登場すると思いますので)。オリジナルに字幕までつけて再アップしてみました。

まだ、電子楽器というものが少なくとも一般的にはない時代です。
そこで彼女はどのように「電子音楽」を作っていたのか。




デリアさんは淡々と軽く説明していますが、このいくつかのパートからなる曲の編集にかかる労力と、そして、今でこそ機械がやってくれますが、当時は機械はやってくれないリズムのシンクロを手動で行う・・・。これには「途方もない作業」という言葉がしっくりくると思います。

私は学生の頃、オープンリールを使ったことがあって、その編集の方法も簡単には知っているのですが、あのオープンリールのようなものに、一定のリズムであの木魚みたいなものの単音を規則正しく移植していって、それがちゃんとリズムを刻んでいるとは。


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▲ むかし使っていたのと同じメーカーのオープンリール。音は素晴らしく良いです。これは懐古的に言うのではなく、構造的な良くなるようになっていました。テープをカッターで切られたって再生にはほぼ支障なしでした。


淡々と後世に強烈な後塵を蒔いて

POP2*5というサイトのページに、

ビートルズ「アイ・アム・ザ・ウォルラス」「レボリューションNo.9」のコラージュや、ピンク・フロイド「マネー」で使われたレジスターのサンプル音などのコンクレート風の前衛手法について、発表当時はドイツのシュトックハウゼンやジョン・ケージからの影響が憶測されていたが、むしろ幼少期からテレビ、ラジオを通して子守歌として聴いて育った、BBCラジオフォニック・ワークショップの電子サウンドの影響とみるほうが正しいだろう。


とあります。ここにある「BBCラジオフォニック・ワークショップ」という番組の電子サウンドは上のデリアさんの手にによるものでした。


世の中には、いろいろなジャンルで人々の役に立ったり、世の中にあるべきものを作り出したりしたようないろいろな人がいます。
医学、科学、文学、思想、オカルト、錬金術・・・。

その中の多くの人には「自分がどうしてそうなったのか。どうして、そんなことを始めたのかよくわからない」人も多かったと思います。

上のデリアさんも BBC に入局する前は数学などの成績が優秀な普通の学生さんだったそうです。多分、上の動画はまだ二十代ではないでしょうか。

まだシンセサイザーや電子楽器のない時代に、上のような実験的な試みを始める必然性は本当にあったのかどうかもよくわかりません。手間も暇も(当時では)生演奏の何倍もかかるはずだし、クオリティだって「どうなるか誰もわからない」ものだっただろうからです。

「生演奏でいいんじゃないの?」と上層部が言えばそれで終わったはず。

しかし、プロジェクトは淡々と進み、デリアさんも淡々とこの一種の異常な作業による BBC のラジオ番組での音楽を作り続け、特に有名になるでもなく、そのまま時間は過ぎました。

今・・・。

電子楽器がほぼ大多数の音楽を支配し、そして、録音という媒体さえも電磁的なものにとって替わられました。便利は確かに便利ですが、その分、音楽は消費されていくだけになっています。

ゴミのような扱いで消費されていく音楽(文字通り「消えて」いく)。
存在しないような音楽(電子ファイルだと実際にほとんど存在していない感じ)。

でも、このこと自体は時代の流れでしょう。
それを否定する気はまったくないです。

そもそも、私が YouTube でこのデリアさんの動画を見られたのは、「MP4」とか「FLV」とかなどの「芸術の非存在化」の最先端のようなメディア。

問題もあっても、でも、そのおかげでみんなで楽しめる。
マウスでのクリックがわかれば、小さな子どもだって見ることができる。
文字は読めなくても、クリックして音楽を聴くことができる。

私の子どもの頃は、家電なんて子どもが触れるものではなかったです。
「触れてはいけないもの」くらいの迫力があった。ステレオなんて、車くらいの存在感がありましたからね。

その分、「音楽の威厳化」というのがありました。
なんか恭しいオーディオセット。
その横にクラシックのレコードがあれば、それだけで「なんか恭しい」。

そういうのがむしろ今はないわけで、それはいいのことなのかもしれない。

威厳のあるクラシックおじさんでも、白い iPod を片手に、「ここに入っているマーラーはだね」などと言ってもすでに威厳ゼロ。「マラがどうしました?」と言われそうです。

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▲ 私の父親は教師でしたが、子どもの頃に「クラシック全集(ソノシート)」が小さな家にたくさん並べてありました。上のは違いますけど、こういう顔が部屋のいろんなところにありました。

 私 「上田馬之助?」
 父 「モーツァルトだ」
 (どちらも間違っている)



何だか何もかもよくわからなくなってきましたが、「音楽の電子制御への道を開いた英国の女神デリアさんは、数十年後の音楽の自由の獲得に向けてのドアを開けた音楽の神様の一人だった」と。

そして、彼女が道を開いた「電子音というツール」は、次の世界への音楽の橋渡しとなりました。

ちなみに、デリアさんは 2001年に64歳で亡くなりました。


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posted by noffy at 23:23 | 地球の歴史

2010年07月01日

ネイチャーに載る21億年前の多細胞生物の化石の論文の翻訳と、聞こえてくる科学者たちのため息


最近は、宇宙の成り立ち自体もどうでもいい感じで、結局大事なことは、「今、人間や他の動物や植物としての私たち生物は事実として存在している」ということを把握するのが精一杯な感じです。

特に進化論に関しては、仮に実際それがどんなものであったにしても、人類が地球に生存している間に真実などわかることもないだろうと、なかば諦めています。

まあ、進化に関しての自分の信念だけがかなり強く(今までずっと書いてきたことと同じです)、それだけが中心に残り、周囲のゴチャゴチャとした理論とか発見はあまり気にならなくなっています。誰でも思い込みってのはあるわけで、そんな感じの話ですね。

とはいえ、ニュースに出てくる進化関係の記事はつい読んでしまう。

今日(7月1日)発売されるという科学雑誌ネイチャーに「21億年前の化石についての大発見」みたいなものが掲載されるとかいう報道を読んで、ネイチャーには何度も痛い目に遭っているのにも関わらず、進化論に対してマゾ傾向が強いわたくしは、またもネイチャーの要約ページなどを見てしまっていました。

ネイチャーの要約ページは、こちらですが、何が何やらよくわからず、しかし、ここでわかったことは、研究チームが「世界各国からの20人以上の専門家チームであった」という大研究だったもののようです。

わかりやすく内容が書かれているものはないのかと調べてみみましたら、昨日の WIRED に記事が出ていました。こちらも簡単な内容とは言い難いですが、「高等生命はなぜ生まれたのか」とかいうようなフレーズに惹かれて、つい訳してしまいました。

そして、訳した後には「キーッ! ((((>_<)))) またネイチャーにやられた!」ということがわかり愕然としたのですが・・・しかし冷静に訳したものを読み返してみると、科学者たちの、それなりの心の葛藤というようなものが垣間見える内容のようにも思いました。

これはあくまでも原始スープから始まる「進化論」を語る論文のひとつでしかないですが、科学者たちが「自分たちは生命の進化という、予想以上に深い谷の淵に立っているのではないだろうか」ということを少しずつ表明してきているような感じが何となくしたのです。

論文の内容は結末がわかりにくいものですが、一言でいうと、かつてアメリカミシガン州の北部に分布する鉄鉱層で発見された21億年前とされる最古の真核生物の化石「グリパニア・スピラリス」という生物の存在があって、その同時期に生きていたと思われる化石、つまり21億年前の多細胞生物の化石の新たな研究とその発表というものです。

この新しい化石にはまだ種の名前はつけられておらず、見つかったのはアフリカのガボンです。

地球に酸素が生まれた一大イベント「地球の大酸化事変」という時期と、これらの生物の登場した時期などがシンクロしており、そのことから、酸素と多細胞生物の進化を語るというもので、核心が今ひとつわからないものですが、まあ、何というか、科学者たちの

「なんか生き物ってアレよねえ・・・複雑よねえ」

というようなため息が聞こえるような(なんでオネエだ?)詩的な論文のように思いましたので、面白い内容ではないですが、載せておきます。訳は最近同様、「ぶっちゃけ翻訳」で、ザッと読んでザッと書いているだけなので、詳しいところは原文をお読み下さい。専門用語は調べながらやったので、合っているものもあると思いますが、間違っているものもあると思います。


(ここから)



2-Billion-Year-Old Fossils May Be Earliest Known Multicellular Life
WIRED 2010.06.30

もっとも初期の段階での多細胞生物かもしれない20億年前の化石

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最近新たに化石として発見された21億年前の生物の分類群は、地球の多細胞生物群のうちでもっとも初期の生命グループとして知られることになりそうだ。この生命群は科学者たちの「高等生物がいつ進化して形成されたのか」という疑問に対してだけではなく、「なぜ生まれたのか」という疑問に対しての理解を助けることになるかもしれない。

見つかった化石群。それは、帆立貝のようなシェイプと放射線から成る直径およそ5インチ(約12センチメートル)の平たい盤上のもので、これは、単細胞生物と初期の動物たちの住み家だったと思われる。

これらは、進化の交差に関しての出発点としての初期の異種交流を表しており、また、この異種交流は地球の大気の根本的な変化に対応する必要性を作り出したことを示唆している。

「生命の多細胞性と、酸素の濃縮には明らかに関係がある」と、フランスのポアティエ大学の学者の アブデラザク・エル・アルバニは7月1日に発売されるネイチャー誌で化石について説明している。

単細胞生物は約34億年前に地球の原始スープから現れた。ほぼ直後に、その中のいくつかは集合を開始した。しかし、グリパニア・スピラリス( Grypania spiralis )と呼ばれる最初の多細胞生物が化石の記録として登場するまでには、それから14億年の歳月を要した。

グリパニアは細菌コロニーか真核生物のどちらかであったかもしれない。それは、細胞膜の中に分化した細胞を持つ生物であることを意味する。グリパニアがどういう生命であれ、化石の記録の多様性が爆発する約5億5000万年前(カンブリアの爆発)までに存在した複雑系生物のわずかに知られている例の中のひとつだった。

Gabon2_plaque1.jpg今回の新たな化石(まだ種の名前は与えられていない)は、グリパニアが単独の種ではなかったとこを意味する。彼らは同時代に生きていたかもしれない。 グリパニアは現在のアメリカ合衆国で見つかり、今回の種名のない新しい化石は中部アフリカのガボンで見つかった。生命の多細胞性が当時、特異なものというわけではなく、むしろそれが多数だったという可能性を掲げた場合、「いつ進化したのか」という問題だけではなく、彼らはまた「なぜ高等生物は進化したのか」という疑問に対してのヒントを与えてくれるのだ。

グリパニアと、今回新たに発見された化石が、化石の記録に現れるほんの数百万年前に、地球は「大酸化事変」(The Great Oxidation Event)と呼ばれる環境の大変化を経験している。光合成を行うバクテリアの突然の進化が地球の大気を根本的に変え、無酸素に近い大気の状態から現在の呼吸が出来る大気へと変わったのだ。

「細菌の世界は、地球の気候の歴史の中での最大級の気候変動の洗礼を受けた」と、ブリストル大学の古生物学者のフィル・ドノヒューとジョナサン・アントクリッフェは調査結果に伴う論評に書いた。海洋の化学的変化が複雑系生命の進化を促したという概念がある中で、「これらの化石の年代は地球の大酸化事変のタイミングと見事に接近している」。

細菌は、化学的なシグナル伝達系を持つ。そして、今では多くの研究者たちが、彼ら細菌が何百万も集まり数センチメートルもの規模にも達するコロニー(集合体)を形成する姿を見ることができる。そのコロニーは、個々の別々の細菌たちが集まり、集合的な生命体を形作っているものだ。

この新しい化石に見られる成長パターンは、複雑な情報伝達システムを持ち、また、環境に対しての適切な反応ができる多細胞生物であることを示している。

「細菌に圧力がかかったときに、彼らは協力し合う」と、テルアビブ大学の生物学者であるエシェル・ベン・ヤコブは言った。 「より複雑な環境に対処しなければならない生き物は、さらに高い複雑さを示す」

「あなたがたも、そして私も、地球で最初に大気の中に酸素が湧き出てきた頃に形成されたと思われる多細胞組織を有しているのだ」とエル・アルバニは言う。彼は、多細胞生物は多くの場所で進化してきたはずだと言ったが、化石はまだ見つけられていない。

「地球のすべての生物は変わる必要があった」と、ベン・ヤコブ氏は言った。


写真:1) 化石標本/内側の構造と、再構成をシミュレーションしたもの。
写真:2) 化石




(ここまで)


参考資料として、独立行政法人海洋研究開発機構が東京大学とリリースした 2008年12月24日の論文「従来の定説より3億年前に酸化的大気が存在したことの直接的証拠の発見 〜生命進化と地球大気の進化の関連性の解明に大きなインパクト〜 」に、地球の酸化のことが述べられているようです。


・・・まあ、いろいろと不満も書いてしまいましたが、本当は進化のジャンルには少し希望はあるのですけれどね。多分、お茶目なアナーキー日本人研究グループがまずは宇宙のことあたりからやってくれるとは思っていますけれども、その期待は過度なものではないのです。

別に新しい発見や理論が出てきても、世界の標準理論になんてならなくていいんですよ。

「無」進化論もパンスペルミアも。

単に自分が死ぬまでに納得できるものと出会えればそれでいいかなと。

最近ではパンスペルミア説とか、「生命は登場の最初から分岐していた」という概念は根本的に自分の中に浸透しているので、すでにエイリアンとかにも興味ないんですよ。UFOとか。

宇宙に最初から生命が散らばっているのならば、他の惑星に生命がいるのは当然のことで、しかし、サイズも形態も文明も、それぞれでしょうし、やはり人間サイズで他の文明圏の生命を語っても仕方のない面もあると思うのですよね。

そもそも宇宙の始まりがビッグバンが否定されている現状(過去の記事、地球の成り立ち(3) - ヒミコなどをご参照下さい)ではもうわからなくなっている感じで、宇宙の歴史の長さは計測不能状態に陥っていると思っています。

そんなわけで、他の惑星の生命に対してもっともいいと思うのは、「不干渉」と最近は思っています。「不干渉が一番」というのは寂しい響きに聞こえるかもしれないですが、頭の中では完全に「存在している」のですから、それ以上はもう個人的には不要な感じがしています。

みんないるのは知っているから、お互い会うのはよそう」と。

つーか、実際会えないし。


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posted by noffy at 12:28 | 地球の歴史