知り合いの方からメールをいただいて、なんか、この間の記事で、聖書のこと(ヨハネによる福音書)にふれたりしていたこともあり、聖書のことが書かれてありました。
私は聖書のことを書いたりすることもあるとはいえ、「じゃあ、聖書のことをよく知っているのか」と聞かれると、
「全然知らない」
という答えが咄嗟に出ます。
有名なくだりをいくつか知っているかどうかという程度の。たとえば・・・右だか左の頬を打たれたら・・・左だか右の頬を差し出す? 突き出す? ・・・くらいの知識です。
では、「じゃあ、聖書との付き合いなんか最近のほんのちょっとなんだね」と言われると、
「いえ、今年で25年目になります」
と答えられます。
聖書と私の関わりは長いのです。
まあ、その成果が「右だか左の頬を打たれたら・・・左だか右の頬を差し出す? 突き出す?」程度の知識だというのはともかくとしても、そのくらいの長い歴史があるのです。
しかし、確かに25年経過したとはいえ、残念なことに、その 25年間くらいの間で実際に聖書とふれた時間というのが、「大体4、5日」というのもまた事実で、このあたりのことを書きたくなりました。
今年、480歳になるわたくし(そんなになるのかよ)。
いやいやいやいやいや(いや、は二回でOK)、まあ、いずれにしても、四十代の後半を迎えたわたくし。
その中の 25年にわたる「私と聖書」。
パニック障害の渦中で見た「イエスの方舟」
私が二十代の前半の頃、テレビ番組で、「イエスの方舟」というのがありました。
調べてみると、こちらのページにありまして、昭和60年の作品ということのようです。 TBS の単発ドラマ。昭和60年は 1985年になりますかね。
上のページには「昭和60年度文化庁芸術祭芸術作品賞受賞作品」という物々しい文字が躍っていますが、そういう物々しい響きは別として、とにかく面白いドラマでした。実際にあった「イエスの方舟事件」を、ビートたけしさんと、あとは当時、私が大好きだった佐藤慶さんが共演して演じたドラマでした。
当時、私はテレビを持っておらず(18歳くらいから30歳くらいまでテレビをほとんど見たことがないのです)、人の家にいた時に、偶然、その部屋のテレビでこの「イエスの方舟」をやっていたのです。
これが面白かった。
映画は当時もよく見ていたのですが、その部屋の人に「テレビのドラマってこんなに面白いんだね。これじゃみんな映画なんて見なくなるはずだ」と言ったくらいです。
音楽が日本の現代音楽の女王様である三宅榛名さんで、彼女が全編ソロで不気味なオルガンを鳴り響かせているというような怪作でもありました。
実は今日知ったんですが、この「イエスの方舟」が今、 YouTube 上に全編あるんですよ。古い作品とはいえテレビ番組なので、早々削除されるような気はするんですけど、タイトルをいれないでリンクしておきます。
10に分割してアップされています。
1-10
1 http://www.youtube.com/watch?v=ojlbUqZ4kho
2 http://www.youtube.com/watch?v=YBCqGPkoH-A
3 http://www.youtube.com/watch?v=ggT3lwinYgI
4 http://www.youtube.com/watch?v=ggT3lwinYgI
5 http://www.youtube.com/watch?v=kQJlvYUWg7w
6 http://www.youtube.com/watch?v=FjTU5X_qMLI
7 http://www.youtube.com/watch?v=CbQDvrtCRPk
8 http://www.youtube.com/watch?v=xtL8G4u8MuU
9 http://www.youtube.com/watch?v=X_xpPv3kqcY
10 http://www.youtube.com/watch?v=bjxSkNtHgY0
私は今でも、この番組の冒頭シーンを見るとジーンときます。
このドラマを見た後、「生まれて初めて」聖書に興味を持って、実際に買ったことを思い浮かべます。
10年くらい前にビデオで見直したことがありますが、今回 YouTube で見たのは久しぶりでした。今回、 YouTube で久しぶりに見直して感じたのですが、このドラマはまた、一昨日くらいに In Deep の・
・第21太陽活動最大期にジョン・ライドンが夢見た「アナーキー・イン・ザ・UK」」
という記事に書いた、「すべての人は「自分の居場所」と「自分の精神的な拠り所」だけを探して生きている」という若者群像に他ならないと思いました。
「イエスの方舟」には好きなシーンがいくつもありますが、ストーリーの中で、信者の女性たちと一緒に暮らしていた千石イエスの娘が家出をしてしまい、その娘を探すために、信者の女の子たちが一生懸命、全国を回る中のシーンがあります。
そこで、信者のうちのふたり(若き田中美佐子さんと小林聡美さん)が、東京の原宿に探しに来た時のふたりの会話が何となく好きでした
ふたりとも、女の子の親たちは「カルト教団に娘をさらわれた」と思っている。しかし、実際はそうではないことを親に伝えたくとも、親元に引き戻されることのほうがイヤなので言わない。
それほど親という存在は嫌われているのです。
少なくとも、このドラマの信者の女の子たちの親は(そして、私たちの世代の多くの親たちもそうでした)。
その部分を抜粋しました。
台詞も抜き出してみました。
役名がわからないので、田中美佐子さんがA、小林聡美さんがBで。
「おっちゃん」というのは千石イエスのことです。
小林聡美さん演じるBの少女の役は中学生か高校生のはず。
A 「東京まで来て探すようじゃおしまいよね。いくら、タエちゃんがこの街がすきだったからって、ここで働いている保証なんてないもんね。下手すりゃこっちが親にとっつかまっちまうわ」
B 「そろそろ、つかまって東京で暮らしたいんじゃないですか」
A 「そうでもない。結構今の生活楽しいもん。・・・おっちゃんがいて、みんながいて。・・・神様ってよくわかんないけど、何となくいいのよね。夢があってさ。・・・あんたこそどうなのよ。あたしなんかと違って、ピアノやってれば充実できたんじゃない? 檜舞台踏んでさ」
B 「それだけならね」
A 「ああ、いろいろあるんだ」
B 「なんか、お父さん、愛人いるみたいでさ、お母さんとすごいのね。だから、あたし、うちにいてもたまんないんだよね」
A 「そういうの手紙に書いてやればいいのよ。一方的にテレビなんかでこっちの悪口ばっかり言われちゃってさ」
B 「手紙?」
A 「あたしね、書いてやろうと思ってんだ。それで、放送局とか週刊誌に出してやんの。どうしてあたしが家出したのかって。そうじゃなきゃ、おっちゃんに気の毒だもん。(通行人に)写真撮ってもらえますか? 記念写真撮って同封してやろう。みんなビックリするよ」
(手紙の内容)
A 「教会へ行ったキッカケは・・・恋に破れて、ズタズタになったからです。でも、誰と結婚しても結局は同じことです。・・・子供を産んで、亭主の浮気で母さんはきりきり舞いして、こういう街でたまーに息抜きして、おいしいもの食べて・・・年とって・・・そんだけ! ゼロ。 ・・・先が見えて・・・やりきれないです」
このドラマを見た時の私は、1985年という年代から考えると 22歳だったようで、まだ劇団のようなものもやっていなかったし、大学はもうヤメていた頃です。拠り所が何もなく、In Deep に書いた「自分の居場所」と「自分の精神的な拠り所」はまるでありませんでした。
だから、この信者の女性たち、特に上の田中美佐子さんの「神様ってよくわかんないけど、何となくいいのよね。夢があってさ」という台詞がなんだかうらやましかった。
何しろ、この人たちは「自分の居場所」と「自分の精神的な拠り所」が見つかっちゃったわけですよ。
どうしてそういえるかというと、このドラマでは、信者の19人の女性たちは、一度親たちの元に返された後、今度は「親の了承の証書」を手に、「全員」、千石イエスのもとに戻ってくるのです。
家出した娘も戻ってきます。
少なくとも、彼女たちには千石イエスの教会(聖書の研究会)が「自分の居場所」だったようなのです。
でも、上の田中美佐子さんの台詞にあるように「神様ってよくわかんないのよね」と。
実は聖書の中の神様もどうでもいい。
「ここにはいい人がたくさんいるから」と。
それで死ぬまでみんなでそこにいる。
世間から見て、それが是であろうと非であろうと、宗教であろあとなんであろうと、結果として確かにそこが居場所だった。
ドラマを見ている途中でそのことに気づいた私は、
「チクショー、オレにはこういうのがない・・・」
と思いながらも、ドラマで繰り返しフレーズが出てくる「聖書」というものに興味が沸いたのです。千石イエスの最終的な教団名は何か知らないですが、ドラマでは最初、「聖書研究会」という名前のグループで活動していました。
ドラマでも何度も何度も執拗に字幕入りで千石イエスの語る聖書の言葉が出てきます。そして、それは、まるで、「聖書普及番組」のごとく、私の胸の中に入ってきたのです。
なので、私が人生で最初に覚えた聖書のフレーズの多くはこの「イエスの方舟」で字幕で表示されていたものです。
その中で当時の私がもっとも心を打たれたのはこの一節でした。
4シーンになりますが、 そのまま載せます。
「ルカによる福音書」 12章 51節〜53節の部分です。




このドラマの字幕は昔の聖書のもので、ちょっと言い回しが難しいですので、日本聖書協会からはここうなります。
あなたがたは、わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。そうではない。言っておくが、むしろ分裂だ。
今から後、一つの家に五人いるならば、三人は二人と、二人は三人と対立して分かれるからである。
父は子と、子は父と、/母は娘と、娘は母と、/しゅうとめは嫁と、嫁はしゅうとめと、/対立して分かれる。
聖書にこういうようなフレーズがあることを知り、22歳の私は聖書を初めて自分で手にしたのですね。
古本で買ったんだったか、何だったか忘れましたが、ポケットサイズの聖書。
読みはじめて・・・
2ページ目で飽きました。
いや、でもね。
いろいろと努力はしたんですよ。
聖書を理解したいと。
当時、パニック障害が1番ひどい頃で、そういうのもあるいは良くなるかもしれないとかも思ったし、わりと「本気」でした。
地元のキリスト教の教会に行ったりもしたり。
でも、まあダメでしたね。
それでスーッと興味が失せて・・・次に突然、また聖書と交わったのが、それから11年後の33〜34歳頃のことでした。
多分、1998年前後のことだと思います。
そのキッカケは2つあるのですが・・・・・・。
つーか、ここまでだけでも、すげー長くなってますね。
今気づきました。
聖書を語らせたら止まらない(ほとんど知らないくせに)。
1998年のキッカケについては次に書きますね。
ところで、上の「聖書にハマる周期」ってのが太陽周期のサイクルとわりと一致していることに気づいたんですよ。
今も太陽活動の最大期ですけど、唐突にたまに聖書のこと書いたりしますしね。
おい、聖書!
お前は太陽となんかの関係あるかい?(北海道弁)
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