2012年02月09日

七色の天体: 着色が続いている宇宙



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▲ カシオペヤ座Aという天体。超新星爆発の残骸とされていますけど、「残骸」という言い方が申し訳ないほどきれいな七色。




前振り日記

知り合いから電話がかかってきました。
考えてみれば、「電話で人と話す」ということ自体も久しぶりな感じです。

私はふだんは携帯もメールもほとんど使わない人で、子ども関係の連絡で使うくらいです。先月は引っ越しがありましたので、それなりに通話に使いましたけれど、イベントや何もない月などは、ほぼ基本料だけで終わることもあります。

そんなわけで、かかってこないうちは「電話の存在も忘れてしまいそう」だったので、知人からの電話は助かります。


知人 「よー、オカさん。最近何してんの?」
わたし「大根ダイエット」
知人 「そういうことじゃなくて」
わたし「そういえば、ラ・ムーが離婚したんだよ」
知人 「誰だよ」
わたし「菊池桃子先生だよ」
知人 「ああ、ラ・ムーってあったね」
わたし「あったね、じゃないよ。あの時、先生は『これからは私のことを菊池桃子ではなく、ラ・ムーと呼んで下さい』って言ったんだよ」
知人 「ほお」
わたし「だから今でもオレはそれを守ってる」
知人 「みんなもうそれは忘れてるって」
わたし「だって、まだ解除の許可は下りてないはずだぞ」
知人 「神様の命令かよ」
わたし「それより重いよ」
知人 「そんなにすごいのかよ」
わたし「オレらの世代は菊池桃子先生を十戒先生と呼んでるんだよ」
知人 「どんな先生だよ」
わたし「彼女はモーセだよ」
知人 「ほとんど意味がわからないよ」
わたし「モーセと申せ、なーんちゃって」
知人 「・・・・・」
わたし「まあ、そんな感じだよ、近況は」
知人 「どんな感じだよ」



そんな感じで、なかなか人に言いたいことが伝わらない昨今ですが、用件としては、「去年の忘年会も今年の新年会もまだやってないけれど、それは決行するのや否や」というようなものでした。

引っ越しがあったり、体調も今ひとつだったりというのがあって、知り合いたちとも全然会っていません。


わたし「そもそも、1ヶ月くらい電車に乗ってないんだよね」
知人 「所沢でも出不精か・・・」
わたし「なんか倒れてから目まいがあってさ、電車に乗りたくないの」
知人 「それじゃ仕様がないか」
わたし「じゃあ、忘年会は夏頃までには検討して、今年の新年会は 2013年度あたりに延期しての開催を目指して」
知人 「小さな町のオリンピックかよ」
わたし「電話で人と話すのも久しぶりだよ」
知人 「隠遁してるなあ」



二十代の頃、そういう「誰とも会わない生活」の状態がズルズルと長引いて、気づくと1年半くらい、知り合いとは誰とも会っていないことがありました。その時は一人暮らしだったので、文字通り、誰とも会わない生活。

部屋に引きこもっていたわけではなく、毎日ずっと外にいました。大きな街とか名画座とかアングラゲーム屋とかで過ごしていました。それらの場所にはたくさん人がいても、みんな「一人」でしたので気楽でした。

当時は携帯もなかったし、家にいないと誰も連絡なんてつかないんですね。
すぐ「行方不明」になっちゃう。
周囲でもどんどん行方不明になっていく。

今もあの頃の気分を思い出して、わりと新鮮な感じです。

上にも書きましたけど、実際、目まいとか、あと「閉所恐怖」っぽい部分が最近強くて、電車とかそういう閉鎖空間に入ることに若干抵抗があって、しばらくあまり移動しなそうです。もともとが強迫神経気質バリバリですから、そう思ってしまった以上は、収まるまで時間を待つしかないですね。


さて、長い前置きとなりましたが、今日は In Deep で紹介しきれなかった写真を載せておこうと思います。


レインボーカラーの意味

以前、「宇宙の色と形: 様々な星雲や銀河」という記事で、最近の観測機器の発達によって、とても様々な色や形の宇宙の姿が見えるようになったということをご紹介したことがありました。

あのとき、その続きも書こうとしていたんですが、最近、地球環境関係などでいろいろなことが日々起きていまして、そちらを記事にしているうちにずいぶんと時間が経ってしまいました。時間が経ちすぎましたので、続編として In Deep に続きを書くのはあきらめたのですが、その内容は「レインボーの宇宙」でした。

どんなことかというと、最近の宇宙写真を眺めていると、「宇宙の中で七色(あるいは多彩な色)に光るもの」が以前と比べて、ものすごく多いことに気づくんです。

02-ngc4038.jpg

▲ In Deep の記事でもご紹介した NGC4038 という天体ですが、こちらは NASA のシュピッツァー望遠鏡でさらにきれいな色で撮影されたもの。


最近、「偉大なる生命の七つ目の光線」というものの存在を教えてもらったりしたんですが、私自身の理解はとぼしく、それがどんなものかは説明できないのですが、その「七色」には次のような意味があるのだそうです。


1つ目の光線は「赤」で、「リーダーシップ」
2つ目の光線は「ライトブルー」で、「教育」
3つ目の光線は「緑」で、「 哲学」
4つ目の光線は「黄」で、「芸術」
5つ目の光線は「藍」で、「科学」
6つ目の光線は「ピンク」で、「愛」
7つ目の光線は「紫」で、「儀式」



というような意味のような感じの概念が(宇宙には)あるのだそう。

でまあ、それぞれの色の意味はともかく、最近の天体観測での「色の多彩さ」には目を見張るものがありまして、それらの「七色の天体」をご紹介しておこうと思いました。

そして、その天体が放つ「色」によって、その天体の意味があらわされているのかもしれないなあ、とか思ったりした次第であります。


なお In Deep では天体の文字での説明もつけていましたが、ここでは名前と写真だけにさせていただきます。

理由としては、現在の多くの天体につけられている正体とか特性は、今の科学での推測の部分が大きく、どうも真実とは違う感じもいたしますので、見るだけのほうがいいことも多い気がします。ちなみに、美しく見えるものは、今の天体科学では「超新星爆発の残骸」と説明されるものが多いです。

それでは、ここからです。




・天体 W49B

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・HH 49/60 (別名: 宇宙の竜巻)

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・SN 1572 / ティコ超新星残骸

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・オリオン座の V380 Ori 連星

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・へびつかい座ロウ星の雲

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・カシオペア座の星の形成域とされている場所/W5

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・銀河群 アベル 2744

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という感じで、キリがないのですが、「宇宙は現在、着色されている」という感じさえいたします。

なお、「地球のほうの七色」も結構あって、いろいろとありますので、それも次回あたりにご紹介します。雲とかオーロラとか虹が中心ですけれど。


あんまり関係ないですが、昨年おこなった公演で、劇中で「虹の彼方に」を流した場面があります。「虹の彼方に」は 1939年の米映画「オズの魔法使い」の中でジュディ・ガーランドが歌ったものですが、それをノイズ仕立てで私が編曲したものです。
あまり意味はないですが、貼っておきます。

虹の彼方に(そこも同じだけど)

タグ:7色


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posted by noffy at 08:44 | 地球の歴史

2011年09月01日

「宇宙間の諸地球」 : 主が我々の地球に生まれることを良しとされ…の後編



さきほどアップした記事の後、さらに少し「宇宙間の諸地球」を読んでいて、その記事に書いたこと私の感想自体が「間違っているなあ」と思いました。

でまあ、本から書き写すようなことはできる時にしかできないので、やっておくことにしました。「主が我々の地球に生まれることを良しとされて、他の地球に生まれることを良しとされなかった理由」という章の後半部分です。

すべての表現が婉曲なのでわかりにくいですが、「言葉」を飛び越えて、「人間が神だ」という響きにさえ聞こえる部分もあり悩みますが、まあ余計な前振りなしで、書いてみます。

今日二度もアップしていますが、前の記事、


 ・スウェーデンボルグの「神とことば」に関しての見解


に、この章をご紹介しようと思った経緯など書かれてありますので、ご参照下さい。


それでは、ここからです。
この内容がわかりやすいとは思いません。

ご各自でお考えくだされば幸いです。

(※)文中に「地球」と何度も出てきますが、「我々の地球」と記されている以外の「地球」というのは、水星や木星などの太陽系の他の惑星のことをさしています。





エマヌエル・スウェーデンボルグ 「宇宙間の諸地球」(1758年)

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主が我々の地球に生まれることを良しとされて、他の地球に生まれることを良しとされなかった理由」より。

 主から天界を経て与えられた我々の地球の聖言は、天界と世とを結合させるものであることを知らなくてはならない。その結合の目的のために、聖言の文字に含まれているすべての物と天界のすべての物とは相応しており、聖言は、その最高の、また最も深い意味では、主、諸天界と地球内の主の王国、主から発して主の中に在る愛と信仰を取り扱い、従って主から発して主の中に在る生命を取り扱っている。我々の地球の聖言が読まれ、また述べ伝えられるとき、このような物が天界の天使たちに示されるのである。

 この太陽系の諸々の地球に住む者たちを前にして語った際に述べたように、他の各々の地球では神的真理は霊や天使たちを通して口の言葉により明らかにされている。しかし、こうして明らかにすることは家族内に限られている。なぜなら、大半の地球では人類は家族ごとに離れて生活しており、それゆえ霊と天使たちとを通してこのように啓示される神的真理は家族の範囲よりは遠くに伝えられず、新しい啓示が絶えず続いてなされないかぎり、真理は歪められるか、死滅するかするからである。我々の地球ではそうではなく、そこでは、聖言である神的真理は、永遠にその完全さをもって存続している。

 どのような地球の者であっても、神を人間の形の下に承認し、拝する者はすべて主から承認されて、受け入れられることを知らなくてはならない。なぜなら、人間の形をとられた神は主であられるからである。そして、主は人間の形をした天使の形をもって、諸々の地球に住む者たちに現れたもうゆえ、それらの地球から来ている霊と天使たちとは、神は実に人間であられることを、我々の地球の霊や天使たちにより告げられると、その聖言を受け入れ、それを承認し、それがそうであることを喜ぶのである。

 上に述べた理由に、以下のことを附加することができよう。すなわち、我々の地球の住民や霊たちは、かの最大の人間の中では、自然的な祖となる感覚に関係しており、その感覚は最も外なるものであって、そこに生命の内部が終わっており、またそこにそれをその共通の基底として依存しているのである。

 文字に於ける神的真理の場合も同一であって、それは聖言と呼ばれ、今述べた理由からまたこの地球にのみ与えられて、他の如何ような地球にも与えられなかったのである。そして、主は聖言であって、その聖書の最初であり、また最後であられるゆえ、そのため、すべての物が秩序に従って存在するために、主は、ヨハネ伝に記されているところに従えば、すすんでこの地球に生まれて肉となられたのである。

 (ここから聖書「ヨハネによる福音書」1章1-14節の抜粋)







参考までに、「ヨハネによる福音書」1章1-14節を日本聖書協会より。新共同訳。




初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
この言は、初めに神と共にあった。
万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。

(中略)

言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。
言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。

この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。








スウェーデンボルグは「文字」と書いたのか「音」と書いたのか

上の抜粋部分に、「主から天界を経て与えられた我々の地球の聖言は、天界と世とを結合させるものであることを知らなくてはならない。その結合の目的のために、聖言の文字に含まれているすべての物と天界のすべての物とは相応しており」という部分があり、ここに

 > 聖言の文字に含まれているすべての物と天界のすべての物とは相応しており

という部分があります。

これはこの「宇宙間の諸地球」の原語版を知らないので、非常に邪推な考えですが、「聖言の文字」の「文字」は本当に原語で「文字」と書かれてあったのかが気になります。


というのも、以前のクレアで何度か、「母音と世界の認識」のことを書きまして、「人間の世界の認識手段は母音であり、表記文字ではない」からです。


文字文化を持たなかったマヤ文明やアイヌ文明や縄文の人々などの文明がどうして素敵(なような感じがする)ものだったのかということは、「文字のない人間文明の大きな可能性」を示唆してくれているような気がします。

そして、以前、[資料]人間は生まれた時に「音」で世界の形を学習していたという記事で翻訳した、米国科学的心理学会の発表である「赤ちゃんは言葉を認識する前から母音を通して世界を学んでいる」という事実を見ると、

 > 天界のすべての物とは相応して

いるものは「文字」ではなく、「母音」だということに気づきます。


なので、スウェーデンボルグが「文字」と書いていたのかどうかは重要なことのように思います。

それにしても、「宇宙間の諸地球」の上の抜粋部分は全体に難解ですね。

特に、


我々の地球の住民や霊たちは、かの最大の人間の中では、自然的な祖となる感覚に関係しており、その感覚は最も外なるものであって、そこに生命の内部が終わっており、またそこにそれをその共通の基底として依存している


などを読んでいると、松鶴家千とせさんの「わっかるかなー わっかんねーだろーなー」を思い出します。

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まさに、ヘルメスのエメラルド板にある「上なるものは下のごとく」を実感します(そんな意味でいいのか)。



それにしても、なんだか慌ただしくてすみません。
アップできない時はできないですので、できる時にやっておきます。


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posted by noffy at 21:33 | 地球の歴史

スウェーデンボルグの「神とことば」に関しての見解



緊急時用の食品として本棚の上にカップラーメンを置いていてそれを忘れていたことに気づいて、「ああ賞味期限切れてるかも」と見てみると、ずいぶんと以前に賞味期限が切れていたので食べることにしました。

私の場合、基本的に記載されている賞味期限を信じないので、悪くなっているかどうかは食べて味で判断します。もっとも、子どもには賞味期限を守らせていますけれど。


えーと・・・で、何の話かというと・・・そのカップラーメンを本棚から取る時、一緒に本が落ちてきて、頭に当たったんですよ。


軽い苛立ちと共にそのあたった本を見て、「ああ、これは!」とその本のことを思い出したのです。私の頭をたたいたその本は、エマヌエル・スウェーデンボルグという人の「宇宙間の諸地球」という本で、1758年に書かれたものですから、今から 250年くらい前の著作です。


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2年くらい前、古本屋でこの本のタイトルを見て「このタイトルはおかしい」と思って、衝動買いしたのでした。それまでエマヌエル・スウェーデンボルグの名前も知らず、どんな人だか見当もつかなかったので、家に帰って Wikipedia で調べると、大変な人だったことを知ったのでした。


Wikipedia から抜粋します。中略が多いです。

エマヌエル・スヴェーデンボリはスウェーデンのバルト帝国出身の科学者・政治家・神秘主義思想家。霊的体験にもとづく大量の著述で知られ、その多くが大英博物館に保管されている。

スヴェーデンボリは当時 ヨーロッパ最大の学者であり、彼が精通した学問は、数学・物理学・天文学・宇宙科学・鉱物学・化学・冶金学・解剖学・生理学・地質学・自然史学・結晶学などで、結晶学についてはスヴェーデンボリが創始者である。 動力さえあれば実際に飛行可能と思えるような飛行機械の設計図を歴史上はじめて書いたのはスヴェーデンボリが26歳の時であり、現在アメリカ合衆国のスミソニアン博物館に、この設計図が展示保管されている。



そんなに学問に精通しなくても、と思わず苦笑するような華麗な経歴なのですが、しかし、この「宇宙間の諸地球」は本当に面白かった。

どういう内容かというと、一言で書くと、


太陽系内の水星、木星、火星、土星、金星、そして月の住人たちの「霊」と毎晩交わした会話の記録。



なのです。

こう書くと、やばげな老人の日記にくらいしか思われないかと思います。

だからこそ上の Wikipedia の経歴を載せたという意味もあります。

紛れもない 18世紀最大の科学者。
そういう人が書いたものです。


そのスヴェーデンボリが真面目に「木星の霊や天使たちは・・・」というように書き続けているのが「宇宙間の諸地球」という本なのです。


さて、まあ、この本を古本屋で見つけて、スウェーデンボルグさんのことを知ったのも偶然でしたが、今回、賞味期限切れのカップラーメンと共に「宇宙間の諸地球」が本棚から落ちてきたのも多分、何かの偶然。


さきほど改めてパラパラ飛ばし読みしてみると、やはり面白い。

特に、この本の中の章に

主が我々の地球に生まれることを良しとされて、他の地球に生まれることを良しとされなかった理由

という長いタイトルの章があります。

このニュアンスがおわかりでしょうか。


・我々の地球に生まれる
・他の地球に生まれる



という言葉をスウェーデンボルグは使っている。

この本を買った2年前は意味自体わからなかったけれど、「ああ、これこれ」と今は曖昧ながらも思います。


いずれにしても、この「主が我々の地球に生まれることを良しとされて、他の地球に生まれることを良しとされなかった理由」というタイトルの章には大変に刺激的な表現が多くあります。

そこからいくつか資料として抜粋したいと思います。

スウェーデンボルグに言わせると、「私たちがこの地球に人間として生まれてきたことには理由がある」とのことです。彼はこの章でそのことを書いています。旧仮名づかいの変換と、改行をしています、

(※)本文中の太字は私によります。




エマヌエル・スウェーデンボルグ 「宇宙間の諸地球」(1758年)

主が我々の地球に生まれることを良しとされて、他の地球に生まれることを良しとされなかった理由」より。


 なぜ、主は我々の地球に生まれて、人間性をとることをよしとされ、他の地球にはそれを良しとされなかったかについては、多くの理由があり、それについては私は天界から教えられたのである。

 その主要な理由は、聖言のためであり、すなわち、聖言が我々の地球に記され、記された後は全地に公けにされ、いちど公けにされたならば、全子孫に保存され、かくて神が人間になられたことが他生のすべての者までも明らかにされるためであった。

「主要な理由は聖言のためであった」のは、聖言は人間に、神が在す(いらっしゃる)こと、天界と地獄が在ること、死後の生命が在ることを教え、さらに人間は天界に入って、永遠の幸福に入るためには、どのように生き、どのように信じなければならぬかを教える神的真理そのものであるからである。

 すべてこれらのことは啓示されなかったならば、ひいては、この地上では聖言がなかったならば、全く知られなかったであろう。しかも、人間は、その内部の方面では、死ぬことができないのである。

(中略)

「かくて神が人となられたことが明らかにされるためであった」、なぜならこれは第一の、最も重要なことであって、そのために聖言が啓示されたからである。

 なぜなら誰もどのような姿の下でも把握することのできない神を信じて、その神を愛することはできないし、それゆえ目にも見えずそのため理解もできないものを承認する者の考えは自然の中へ落ち込んで、全く神を信じなくなるからである。

 そのため、主はこの地球上に生まれて、このことを聖言により明らかにされることを良しとされたのである。それは、そのことがたんにこの地球に知られるのみでなく、そのことによって、他の地球から来ている霊たちや天使たちにすらも明らかにされ、また我々自身の地球から来ている異邦人たちにも明らかにされるためであった。

(中略)







実際にはこの章はこの後もかなり長いのですが、長すぎる抜粋も飽きると思いますので、その部分は別の機会に。


なお、この章の最後は・・・ああ! なんと、聖書の「ヨハネによる福音書」の冒頭の引用(1節から14説まで)終わるのです。

すなわち、

はじめに言葉ありき

の部分です。




▲ もうこの写真はいいっての。光の時代(ニューエイジとニューヘイジ)より。



著作では「ことば」は「聖言」と訳されており、つまり、上の抜粋本文中に何度も出てくる「聖言」というのは「ことば」と置き換えられることがわかります。

このヨハネによる福音書の冒頭に対してのスウェーデンボルグの見解は次のように書かれています。


聖言(ことば)は、神的真理の方面の主であり、かくて主から発する神的真理である。しかし、これは少数の者にしか理解されないアルカナである。



「アルカナ」がどういう意味だかわからないですが、タロットで名前のついている22枚のカードを大アルカナといいますので、そのあたりと関係あるのかもしれません。

いずれにしても、上の文章自体とても難しい言い回しなのですが、この全体を通じて私たちが理解しなければならないのは、「この時代、どんな人物であろうとキリスト教的な神を否定できなかった」ということがあるはずです。

だから、非常に婉曲でわかりにくい表現が多いのはそういうことだと思います。

これは、共産党政権の中国やかつてのソビエト政権下での出版物や映画(政権の不利となるものはいけない)、そして、軍国主義時代の日本の出版物(軍事政権を否定するようなものはいけない)などにも多く見られたことです。

非常にまわりくどい表現になりやすいのです。

ちょっと回り道になりますが、このことで思い出したことを書きます。



戦時中に出版された「戦ふ日本刀」に思うこと

日本で戦時中の昭和15年頃に出版された「戦ふ日本刀」という名著があります。成瀬関次という刀の修理工の人が書いたもので、彼は戦時中に数千本の刀を修理している「日本刀のプロ中のプロ」なのですが、この本で明らかになる事実は、「日本刀は基本的に欠陥兵器」ということでした。

工芸品としての美しさに優れている日本刀ですが、構造上、「人を殺傷することに適していない」のです。これは今でも知らない方が多いかと思いますが、テレビのチャンパラは完全なおとぎ話で、刀は「刺す」ことはできても、人を叩き切るには、あまりにも各部が脆弱で、人を切ることに適していない構造です。


まあ、戦国時代以前までは、日本刀も武器として開発が続いていたようですが、戦国時代にはすでに「腰にぶらさげる身だしなみ用品」となっていったということのようです。


実際、戦国時代以降の戦争での主要武器は弓と槍と鉄砲で、こちらなどで見ると、


日本の歴史上、刀ほど実戦において役に立たない武器はなかったはずです。組織的な戦争が頻繁に行われた鎌倉時代から戦国時代にかけて、武士の主要武器は常に弓・鉄砲でした。たとえば戦国時代の戦争における負傷者の負傷原因を探ってみると、そのうちの約80%が弓もしくは鉄砲による負傷、10%程度が槍による負傷、刀による負傷はせいぜい2〜3%に過ぎません。



とあり、戦国時代でも、すでに日本刀は「武器」ではなかったようです。
しかし、今でも外国人は仕方ないとしても、日本人でさえ「日本刀は強い武器」と考えている方も多いのではないでしょうか。
「神話」というのはちゃんと崩さない限り続いてしまうのです。

探すとネットに「戦ふ日本刀と軍刀の評価」というページがあり、ここにこのようにあります。



戦時言論統制下、日本刀神話絶対の世論の中で書かれた本書はその背景を勘案して読まないと其の真意が読み取れない。




つまり、日本刀は軍事政権下では聖なるものであり、「直接、日本刀を批判すること」はできなかったのです。
これがスウェーデンボルグの書き方と似ていると感じたのでご紹介しました。





「人間は内部では死なない」ことと「地球からの異邦人」の意味は

ずいぶんと話が大きく逸れましたが、スウェーデンボルグがいた時代の「キリスト教」と、戦時中の日本の「軍人神話」や「日本刀神話」は似たようなものであり、それらを直接非難することは誰にもできないのです。なので、言い回しがとても婉曲になり、わかりづらくなります。


それを考えた上で「聖言(ことば)は、神的真理の方面の主であり、かくて主から発する神的真理である。しかし、これは少数の者にしか理解されないアルカナである」という部分を「訳して」みたいと思います。

こんな感じではないでしょうか。



「言葉こそが真理であり、私たちが神と呼んでいるものの真理でもある。しかし、このことはほとんど理解されていない」。



スウェーデンボルグが言う「これは少数の者にしか理解されないアルカナである」については、聖書にも似たような記述があるので、そこからの引用のような部分もあるのかもしれません。

「ヨハネによる福音書 /1章 10節」のこのあたり。


言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。
言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。




そして、これらと上に抜粋したスウェーデンボルグの文章の中にも関係する部分はあります。

誰もどのような姿の下でも把握することのできない神を信じて、その神を愛することはできないし、それゆえ目にも見えずそのため理解もできないものを承認する者の考えは自然の中へ落ち込んで、全く神を信じなくなるからである。


これもわかりにくいんですが、後の部分にもいろいろとでてきて、つまり、スウェーデンボルグはこういうことを言いたいようです。


とりあえず、神を人間のような形にしておかないと誰も神を信じない

と。

つまり、「言葉」だとか「何となく存在するもの」が神では信仰が成立しないので神を人間の形にしているということが何度もこの「宇宙間の諸地球」に出てきます。




chaos.jpg

▲ たとえば、こんなような姿の形容できないものが出てきて「私は神だ」と言っても、誰も信奉などしないが、

gos.jpg

▲ (本当は違うけど)こういうような人間の姿をしているものに出てきてもらったほうが信仰は成立すると。






なんだか、思うままに書き殴っていて、全然まとまりがないですが、実は、今回の部分を抜粋したのは、上の抜粋文で太字にしたこの2つの部分を注目したいと思ったからなのです。


・人間は、その内部の方面では、死ぬことができない





・我々自身の地球から来ている異邦人たち


という2つの部分です。

どちらも意味はよくわかりません。最初の部分では「その内部の方面では、死ぬことができない」とあります。

これは、私は DNA のことだと考えたいですが、しかし、スウェーデンボルグの時代には DNA の存在は明らかになっていなかったので、スウェーデンボルグの想定していたものの具体的な感じがわからないですが、「人間の中には死なないものが存在する」ということであることは確かだと思います。


また、次の「我々自身の地球から来ている異邦人」というフレーズ。

これはもっと言い方を現代風にすると、「この地球からやって来るエイリアン」ということになります。


どこから来るのか?
それは誰なのか?


いろいろと考えながら賞味期限切れのカップラーメンを開けるのでした。


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posted by noffy at 16:50 | 地球の歴史