2014年05月12日

鳥たちと富士山にうながされて突き進む「あるがまま」への道

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▲ 1785年の『薔薇十字の秘密のシンボル』より。シュタイナーは、この本の中に神秘主義の根本が記されているとしています。ハトもこのように電線に止まっていたかもしれません(それはこわいわ)。



空気が澄んでいる日には私の家のベランダから富士山が見えるのですが、最近は見えない日が多いです。

なので、富士山が少しでも見えた日には一応、お礼というのか、一礼というのか、そういうようなことをしたりしています。

今朝はうっすらと富士山が見えて、一礼していたりした後、ボーッと見ていましたら、ベランダの目の前の電線にハトが1羽止まり、そして、少ししてもう1羽、ハトが止まりました。

ちょうど、風景の中にハトがリンクするというような形になったのですが、そこにスズメと、何という鳥かわからない2種類くらいの小鳥がその電線に止まり、何だか、たちまちのうちに「鳥だらけ」になってしまい、それでも、「鳥と富士山の対比」、そして、ベランダには植物もたくさんありまして、鳥と植物と富士山というのも、なかなかいいものだなあ・・・と思った時に、

ふと、さきほどの In Deep の異常に長い記事、

人工 DNA から生命が作られる物質科学の時代に考え直したい 100年前にシュタイナーが唱えた「人類が高次へ移行する方法」
 2014年05月12日

のことを「書こう」と急に思いたち、それから午前8時くらいから昼過ぎまで、ずっと書いていました。

確かにシュタイナーの書いていることは興味深いとはいえ、あそこまで長々説明するような気など今朝まではまったくなかったので、自分でも「オレは何をやっているのだ」という気もしましたが、ハトやらの鳥たちを見ていて思ったのですから、まあ、鳥もそのために来てくれたのかもしれません。


まあ・・・それに、何だか唐突な書き方になるかもしれないですが、個人的に「今は黙示録」なのだと感じているということもあります。

そこから救われたいとか、そういうようなことは最近はあまり思わないですけれど、「ものすごい平穏と安寧だけの日々」というものを経験したいなあ、と思うことはよくあります。

現実には、平穏と安寧「だけ」なんてあり得るわけはないんですが、それでも、先日の記事「無へ向かうためのキュア(治癒法)を思い出す」とか、 In Deep のパニック障害の記事などで、森田療法の「あるがまま」の理念を久しぶりに思い出し、そして、今回のシュタイナーの言葉にある、

「自分自身を生命全体の一部分と感じること」

とか、

「人生のさまざまな現象に対するとらわれない態度」

とか、

「ある種の人生の均衡状態を捕獲すること」

などをぼんやり考えていると、不安神経症もパニック障害も「存在していない病気」であることに改めて気づきます。この意味は、「症状は存在するけれど、それは病気の本体ではない」ということで、本人の気質が大きく関係している以上は「自分とはそういうものなのだ」というように、

力強くあきらめる

ということでいいのかもしれないというようにも最近思います。

昨日今日はとても平穏な心の状態でした。

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▲ 森田療法を生み出した森田正馬(もりた まさたけ)さん( 1874 - 1938年 )。



そういえば、全然関係ないことかもしれないですけれど、私は健康診断とかもしないので、自分の血圧すら知らなかったんですよ。2〜3ヶ月前に家庭用の血圧計というものが家庭にきまして、それで測ってみたところ、私は「上が 160以上 、下が100程度」あたりのものでした。

介護をしている関係でそのあたりに詳しい奥さんに、「これってどうなの?」ときくと、

「病院に行くべきレベル」

と言われてしまいました。

彼女が言うには、血圧は上が 120くらいで、下が 80くらいまでが正常血圧なのだそう。

その後もたまに測りましたが、似たようなものでした。
ちなみに、遺伝的にも高血圧で、父も母も祖父もみんな高血圧(祖母は不明)。

なので、自分もそういうものなのだろうなあと思い、それに高血圧対策なんてのもわからないわけで、そのまま放置していました。

何しろ、高血圧予防のあたりの部分を見ると、大体、「減塩しろ」とか「お酒は適量に」などと書かれていて、それがどうも実行が現実的ではない数値で示されています。

下のは、厚生労働省の高血圧を防ぐ食事というサイトにあるイラストですけど、毎日お酒を飲む人に限定すれば、この範囲で収まっている人なんて、ほぼいないのでは?

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私が飲むのは大体、芋焼酎ですが、上の量だと適量は「コップ半分くらい」ということになります。私の場合、この5倍以上は毎日飲んでいて、もう少し若い時は、この10倍、20倍と一晩で飲んでいたこともありました。

そして、つまみも塩辛だとか塩分の多いものが多いですしね。

そんなわけで、何となくあきらめていたわけなんですが、2週間くらい前に森田療法の本で、「あるがまま」のことを久しぶりに読んでから、「自分の状態の悪さに気張ることをやめる」ことを始めたあたりから、どんどん血圧が下がって、ここ1週間くらいは上下はありますけれど、大体、上が 120〜130で下が 80〜90台となっています。

「血圧も『あるがまま』にすれば下がるのか?」

などと・・・は実は思っていないですけれど(笑)、理由はともかく、最近の「脱力感」とは関係あるのかもしれません。

悟りも覚醒もどちらも、基本的には「圧力」よりも「脱力」に近い概念のようにも思いますしね。

「生きているのか生きていないのかわからないような心地よい状態」というのが、究極的な平穏だとも思いますが、そんなの経験したら、こちらの世界に戻ってこられなくなりそう。


ところで、どうでもいいことかもしれないですが、地域医療に携わっている方が書かれているサイトで、血圧の話というページがあって、全体的に興味深いことが書かれてありますが、


実験では収縮期血圧を300mmHg(血圧計の最高値)まで上げても血管は何ともなかった。



という実験結果があるのだそう。

実際、手術の際などにはストレスがかかるそうで、


血圧が一時的に250mmHgくらいにまで上昇するのは珍しくないが、それで何か問題が起きたことはない。



と書かれています。

要するに、一時的な高血圧は気にするものではないということのようです。
その状態が続けば、確かに良くない面もあるのかもしれないですが。

この方のページには、検診と年齢についてなど、現在の「高齢化の中の日本」の医療制度についての問題が非常に納得できる形で書かれていますので、比較的高齢の方なども読まれてみるとよろしいかと思います。

この日本の高齢化ひとつとっても、そこには「黙示録」的な状態が近づいていることが見えて仕方ありません。


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posted by noffy at 16:56 | ペアである自分

2014年05月08日

無へ向かうためのキュア(治癒法)を思い出す

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▲ 20年以上前の映画ですが、30年来の友人のジローさんと私の2人がメインキャストで出演した映画『菊池』より。奥が私。この映画は、ベルリン国際映画祭で「ウォルフガンク・シュタウテ賞」(新人賞)というのを受賞しました。そのあたりは、この映画の監督のイワモトケンチ- Wikipedia に出ています。

基本的に他人の作品には一切関わらない私が、当時、バンドもやっていた友人だったイワモトさんだから、頼まれた時に出演を承諾した作品でした。そういえば、このときも撮影期間中に倒れて救急車で運ばれたことを思い出しました。その時の診断は単なる「過労」でした。







先日の In Deep の、

パニック障害 30年目の年に思い出す森田正馬の「あるがまま」と谷口雅春の「さとり」のリンク
 2014年05月07日

には、どうしても書く勇気がなかったのですが(意味を勘違いされそうな気がしたのです)、森田療法の森田さんの「あるがまま」という概念を最も端的に現すことのできる言葉があるのです。

それは、

「ま、いいや」

なんです。

この「ま、いいや」というのは、いい加減なやり方や生き方をあらわす意味での「ま、いいや」とはちょっと違って、むしろ、「葉隠れ」とかそっちに近いような話で、「死と苦痛を自分の中にひとつのものとして包括する」ということなんです。

In Deep ではパニック障害の話でしたので、たとえば、下のようなことがあるとする。


頭の中が苦痛と強迫観念で独占されて、めまいもする、発狂しそうで、もう死んでもいいほど苦しい。



・・・・・という時に「ま、いいや」と思えるかということ。



あるいは、さらにたとえば、もっと極端な例を出します。


自分がどこかの国か何かを旅行していて理由もないのにいきなり拳銃で撃たれて倒れる。人々が病院に運んでくれるかもしれないし、そうではないかもしれない。そもそもどの程度のキズかわからないけれど、意識が少しずつ遠のいていく。

死ぬかもしれない。





・・・というときに、「ま、いいや」と思えるかということ。


パニック障害では、基本的に「死を恐怖する」という人間なら誰でも心に持っている部分が、別の形で、あるいは極端な形で出現します。


そして、「あるがまま」というのは、

その苦痛を自分そのものとして生きる

ということで、そういう意味で、自分の死に対して、「ま、いいや」と考えることのできる「心の状態」(実際に死にそうな時の対処は、それとは別にきちんと行わなければなりません。生きることに無関心になるという意味ではないからです)を作り上げることなのですね。

そして、苦痛と自分が融合した時に「自分が無であるという自覚(それが錯覚でも構わない)」にまで到達するということに本願がありそうです。


ここ数日、あまり調子がよくなくて、ラベンダーをアロマディフューザー(噴霧器)から噴出させた横で、ややグッタリと考えたりしていたのですが、二十数年前に、その「あるがまま」の理念を知った日のことを何となく思い出しました。

確か、それからしばらくしてから半年くらいだったか、ただひとりの人物と月に2、3度会う以外は誰とも知り合いと会わずに過ごした時期がありました。何をして毎日過ごしていたのだか思い出せないのですが、自分なりの治癒期間だったのかもしれません。

ちなみに、この「ただひとりの人物」が最近なくなった、田中くんでした。
私に仕事を与えるために、探し出してくれてくれていたのです。


あらゆる対人関係には、「人間と人間のあいだに何かしらの力」が生じます。

それを「気」とか、そのように言ってもいいのかもしれないですけれど、いずれにしても、それは場合により「圧力」になり、あるいは、「影響」となって、自分の表層意識では気づかないところで、自分が人から見えない影響を受けて、そのことによって「気づかないうちに自分が変化してしまっている」ということも起きます。

私も若い時は、「自覚していない自分の変化」の中で、自覚できない歪みやストレスが生じていると自分で実感したことがあります。


そういう時は思い切って、しばらく人と会わないことにする、という方法に尽きました。


今は家族がいるので、厳密な意味では無理ですが、それでも、家族を除けば、実に人と会わない期間が続いています。

以前、たまに書いていたことがありますが、宇宙は「個人ひとりひとりから出発している」わけで、周囲との調和で作り上げられるものではないと思っています。

自分の、その中の・・・・・。

どこかはわからないけれど、そこに宇宙があって・・・・・。

もしかすると、そこにいわゆる神というように言われるものがいるかもしれなくて・・・・・。

いないかもしれなくて・・・・・。

自分の中の宇宙が崩れそうになったのなら、方法は人それぞれでいいと思いますので、そのことを是正していけば・・・・・。

少なくとも「そのひとつの宇宙は救われる」という、まあ何だか曖昧な書き方ですけれど、そんな気も・・・・・するわけで。
タグ:あるがまま


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posted by noffy at 18:09 | ペアである自分

2014年04月29日

六歳の春から何十回目かの春

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▲ 本文とは特に関係ないですけど、今年1月に北海道で撮影されたサンピラー(太陽柱)現象。北海道のどこかまでは記されていません。 雪が降る中の太陽柱は珍しいように思います。YouTube より。



免疫に見放されていた幼少期

何歳の頃にそう言われたのかは知らないですが、私は小さな頃、医者に、

「この子は6歳まで生きられるかどうか」

と言われたそうです。

もちろん、言われたのは親ですが、それを聞いた母も父も、それからは意地になったといってもいいほど、かなり必死に私の面倒を見てくれていたそう。

この6歳というのは特別な根拠というより、「小学生まで」というような曖昧な区分だったのかもしれないですが、何しろ、私の幼少期は、医者がそのようにこぼすほど「病の連続の日々」でした。小児ぜんそくがベースとなり、その中で、数限りない病気を繰り返していたものですので、当時の医学では、医者がそう言うのも無理はない・・・というほど多くの病気を経験しました。


多分、今思うと、感染症に対しての免疫能力が非常に低かったのだと思います。

小児ぜんそくは小学校3年くらいまでには治りましたが、それまでの私の当時の写真を見ると、驚くほどガリガリでした。よく「ミイラくん」とか「ガンジーくん」というあだ名がつかなかったものだと思いますが、同じ小学校にも他に多少、ぜんそくの子どもがいて、全員ガリガリでした。

そういえば、ガンジーといえば、20代の終わりにインド人の多いある国へ旅行に行った時に、宿泊していたホテルの土産物店のインド人の母と娘さん双方から、その店に買い物に行くたびに、

「あなたはガンジーと似てる」

と言われ続けたことがありました。

どこをどうしても似ていないと思うのですが、ただ、その時、ガンジーのような「丸い眼鏡」(サングラス)をかけていたので、そのせいかもしれないとは思います。

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話を戻しますと、ぜんそくは「呼吸することに多くのカロリーを費やす」ということもあり、余計な肉を体につける余裕がないのです。その上、小さな頃、私は食事に興味がなく、ひとりではまったく食べなかった。

親にむりやり水でご飯を流し込まれたこともありました。
それをされなければ、ずーっとご飯を食べないままだったかもしれません。

そんなわけで、非常に痩せていたのですが、小児ぜんそくが治ると、今度は薬の副作用の強烈な反動がきました。

これは、多分、当時の小児ぜんそくの人々が治った時にはほぼすべてが経験していたと思うのですが、それは・・・強烈に太るのです。

それはもう、体重が2倍とかになっていくような太り方で、小学校の中頃からは今度は、「肥満児」ということになってしまいました。

ぜんそくが治った後も感染症に対して弱かったのは同じで、中学、高校と、すぐ熱を出す人でした。

ひどい時には月に1週間くらい熱で学校を休むこともありました。

バンドのライブや、その後の演劇の舞台なども、20代くらいまでは熱を出しながら出ていたことが多かったです。というより、「イベント時に熱のない時のほうが少なかった」という感じもあります。

上に「免疫力が低かったのでは」と書きましたが、風邪などの感染症だけではなく、腫れ物やものもらいなども本当によくできる少年でした。

結局は、年齢と共にそれらは消えていったのですが、普通の人なら誰にでもある免疫力を獲得するために数十年かかったということなのかもしれません。


今から 20年ほど前、30歳になった頃、「最後の大難関」ともいえる「謎の病気」にかかったことがあります。

とにかく体がだるく、風邪のような悪寒が続いて、動くこともままならないほどの状態が半年くらい続いたことがあるのです。

もちろん、各種の病院に行ったわけですが、どんな検査でも体には特に問題はなく、ただ、「異常に白血球が多い」という状態が続いていまして、何らかの炎症と体が戦っていたのかもしれないですが、炎症が何かわからない。

いずれにしても、半年くらい、昼は寝たきりになったような状態でした。

こういうような「あれは何だったのかなあ」という病気は、大人になってからも、何度かありますが、最近は、まあ、おおむね人並みの免疫力ではないかと思います。最近は1年か2年に一度くらい風邪を引く程度です。




似たもの同士

そういえば、最も近しい友人だった人が亡くなったことを書きました、

永遠の「この間」の輪廻の中で - 追悼・のようなもの
 2014年01月10日

という記事の中で、亡くなった友人の田中くんのお葬式に4人で行ったことを書いたのですが、その4人はみんなセルフ23という劇団のようなものを一緒に最も長くやっていた4人で、全員 20年以上の付き合いになりますが、その4人のうち3人が「小児ぜんそく」を経験していたことを知りました。

小児ぜんそくの患者数はそれなりにいるとはいっても、比率としては大変に少ないものではあるわけで、それを知った時には「へえ」と思いました。

やはり、他の二人も小児ぜんそくが治った時には急激に太ったそうです。
ひとりは、柔道を始めて痩せられて、もうひとりも何かスポーツで痩せたそう。

スポーツがまったくダメな私は、身長が伸びるに従って、やや普通の体系に戻っていきました。

本当かどうかは知らないですが、「町蔵(町田康)も小児ぜんそくだったらしいぞ」と、20年くらい前に音楽関係の人から聞いたことがあります。


ちなみに、4人の中でひとりだけ小児ぜんそくではなかったジローさんという人は、「狂犬病のワクチンを打ったことがある」という今の日本ではかなり珍しい経験を持つ人です。

東京の世田谷で生まれて育ったジローさんですが、子どもの頃に犬に噛まれ、病院につれて行かれると、そこで狂犬病のワクチンを打たれたのだそう。

私はその話を聞いた時、

「それはいいなあ。日本で狂犬病が再流行した時に安心じゃない」

と心から羨ましく思いました。
狂犬病のワクチンは今の日本ではお願いしても打ってもらえません。

でも、お隣の中国やロシアなんかは狂犬病だらけのわけで、再流行しないということは言えないですしね。

というより、「狂犬病のない国」のほうがはるかに少ないのです。
下の図は 2008年の資料ですが、緑の国が狂犬病のないとされている国です。

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corgi.asobon より。

アジアで狂犬病がない国は日本と台湾だけ。
全世界で見ても、狂犬病がないのはオーストラリアと周辺国。
そして、北欧の一部とイギリスなどわずかです。

他の国は狂犬病があるんです。

いずれにしても、私は医者に言われた6歳を大きく過ぎてもまだ生きています。
タグ:病気


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posted by noffy at 13:41 | ペアである自分