2014年09月04日

ロマンスの花でトラウマから解放される

最近、 In Deep のジョン・レノンの曲の記事あたりから、ソルフェジオ周波数に興味を持っているのですが、過去の自分が親しんできた音楽と結構強い接点を持っていることに気づきます。

ビートルズのトゥモロー・ネバー・ノウズは、最も重要だとされている 528Hz のワンコード進行の曲でしたが、いろいろとワンコード進行の曲を思い出していて、特に自分の好きだった曲をソルフェジオ周波数と照らし合わせて聴きますと、わりと見つかるんです。

その中でも印象深かったのは、ちょうど、私が東京に出てきた頃の 1981年にリリースされたパブリック・イメージ・リミテッド( P.I.L. )の「フラワーズ・オブ・ロマンス」( Flowers of Romance )というアルバムの表題曲が、

396 Hz・・・トラウマ・恐怖からの解放

の音が最初から最後までバックに流れ続けていることに気づいたのでした。

この曲は打楽器と弦楽器とジョン・ライドンのボーカルの構成ですが、曲の最初から最後までバックで低い単音で流れ続けている弦楽器の音が 396 Hz です。


Public Image Limited - フラワーズ・オブ・ロマンス



ちなみに、396Hz は下の音です。

396 Hz - Muladhara: The Root Chakra



この曲が収められたアルバムは、全体として非常に鮮烈な曲が続くアルバムでしたが、表題曲の、この「フラワーズ・オブ・ロマンス」は、歌詞の内容としては、何となくセンチメンタリズムを感じさせるものでした。

その理由はよくわからないですが、 Music for Cloudbusters というサイトによりますと、

ピストルズ解散後活動を共にするはずだったシド(Sid Vicious)との別れを歌ったものとも言われています。

とのこと。

早くに亡くなった友人への追悼ソングに、「苦痛からの解放」の周波数とされる 396Hz の音が一貫して流れ続けているというのも、自然の流れとして理解できなくもないです。

このような歌詞の歌です。


Public Image Limited - Flowers of Romance

季節はもう夏
相手次第では
もっと幸せになれたかもしれないし
嘆き苦しんでいたかもしれない

ベランダで将来のことや思い出を話し合うが
会話が進むほどにお互い気まずくなる
俺の意図をわかってくれない

俺は花束を送ったのに
きみが欲しがっていたのはチョコレートだった

ロマンスの花

双眼鏡を手にして
ボックスヒルの丘の上に立ち
皇帝ネロにだってなれたはず
鷹を空に放ち、再出発するんだ
友だちとかいうやつは頼りにならない
哀れなきみは自己弁護ばかり

俺は新しい家具を買い揃えて
すべてをやり直すんだ


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posted by noffy at 09:47 | ペアである自分

2014年07月29日

解放の魂の亡霊が残る吉祥寺に勝手に「碑」を作ろう

monument.jpg
yuku.com


ふと気づくと、前回の記事から、1ヶ月をはるかに過ぎたほども経っているんですね。クレアには「気楽な日記でも書こう」と思って、たまに書いていたんですけど、ちょうど前回の記事を書いた後ころから、

「なんか気楽な感じになれない」

というような気分というか、そういう考えの日が多かったからかもしれません。

ま、悪いのは本ですね。
ガラにもなく、本なんて読むのがいけなかった。

最近買い込んだ数は結構なものですが、特に、

ヌーランド『人間らしい死に方』
須原一秀『自死という生き方』
ブラッティ『エクソシスト』

あたりは特に考え込むキッカケとなってしまっています。



今でも「遊びの死骸」が漂っているかもしれない場所

そういえば、昨年から「連絡する前の日はお互いの夢にお互いが出てくる」ということが判明した昔からの友人がいます。ヨシハラくんといいます。

この人も若い時にやっていた劇団のようなものの最初の頃からの知り合いで、私より5〜6歳年下だと思いますが、私よりはるかにしっかりした社会性を持つ人物でもあります。十代の頃は広島で愚連隊くずれみたいな存在だったようですけど、東京に出てきてからデザイナーの仕事を始めて、今は東京の新宿に事務所を構えています。知り合って、27年になります。

過去記事の、

永遠の「この間」の輪廻の中で - 追悼・のようなもの
 
という記事に書きました、昨年の暮れに亡くなった、私の長年の友人の田中くんもヨシハラくんとは共通の知り合いで、15年くらい前までは東京の吉祥寺などでヨシハラ、田中くん、そして私、の3人で華々しく飲む日々が続きました。

とはいっても、田中くんは「一滴も」お酒が飲めない人で、ウーロン茶などを飲みながら、その場を楽しんでいるというタイプの人だったのですが、私などの羽目の外し方は当時が最も激しかった頃でしたので、半端ではない吉祥寺の思い出を持っています。

地獄に行くための「7つの大罪」(「暴食」、「傲慢」、「色欲」、「強欲」、「怠惰」、「憤怒」、「嫉妬」)のいくつかが吉祥寺の時代だけで獲得できていたかもしれません。

欲望的な意味では、もうすっかり老人となった今から振り返ると、不思議にさえ感じるギラギラ感があった頃でした。

いずれにしても、この3人で会うことも多かったです。


今年の夏前に、田中くんと共通の知人だった何人かと飲んでいた時に、

「お墓参りどうするよ」

という話になったことがあります。

何しろ、田中くんとは公的な、いわゆるビジネス的な接点は 10年以上なかったわけで、もともとが彼の実家の連絡先を知っているわけでもないし、親類縁者の連絡先も知らない。これで、お墓の場所を探し出すのは大変だろうなあと思っていたわけです。

その時、ヨシハラくんが、

「オレ探しときますよ」

と言って、そして、しばらく経った先日、夢に田中くんとヨシハラくんが出てきたのですね。

朝起きて、

「ああ、なんかお墓のことでわかったのかな」

と思っていたら、その日にヨシハラくんから電話があって、田中くんの実家の関係の人と連絡が取ることができて、その結果、ご両親が高齢のため、まだ納骨をしていないのだとか。

「あー、お墓ないんだ」

と私は言いました。

そして、私は以前から考えていたことを、ヨシハラくんに言いました。


わたし 「あのさ、オレ、吉祥寺に田中くんの『お墓』作ろうかと思ってさ」
ヨシハラ「(笑)。なんですか、それは」
わたし 「考えてみればさ、肉親ではないオレらにとって、残ってるのは思い出だけだろ? だから、骨なんかなくても、いちばん思い出の残像が残っている吉祥寺に墓作ればいいかなと」
ヨシハラ「どこに?」
わたし 「どこでもいいんだよ。飲み屋通りのビルとビルの間とかでもいいんだよ」
ヨシハラ「お墓そのものは?」
わたし 「ちっちゃな石かなんかに名前彫って・・・まあ、お墓というより『碑』だよ。モニュメント。他の人からはお墓だってわからなくしとくの。マトリョーシカみたいな形でもいいや。そして、吉祥寺に用事で行くことがあるたびに、そこでちょっと拝んだりさ」
ヨシハラ「確かに吉祥寺では考えられないほど激しく飲みましたねえ」
わたし 「オレたちの最も俗的で解放的な精神の亡霊みたいなのがね、今でも吉祥寺に漂っているんだと思うんだよ。そういう意味では、吉祥寺はオレたちにとっての共同墓地だよね」
ヨシハラ「(笑)」
わたし 「今度、吉祥寺に行くときに、まあ・・・お墓じゃなくても、なんかの祈念碑をどこか撤去されないような場所に置いておくから」



というような話をしていました。

いずれにしても、今年のお盆は、追悼会として、何人かで飲むことになりました。

こっち(所沢)のほうまでみんな来てくれるようです。

そういえば、先日、奥さんが子どものために、テレビで放映されていた映画「ハリー・ポッター」を録画していて、私もハリー・ポッターなんて見たことがなかったので、一緒に見ていましたが、見る前に奥さんが、

「田中さんとわりとそっくりな人が出てくるよ」

と私に言うので、どんな人かと思いましたら、ハグリット、という役名の下のような人でした。

Robbie-coltrane-e-rubeus-hagrid.jpg


「ああ・・・まあ、雰囲気的には似てなくもないけど、やっぱり、田中くんはキューブリックかなあ」

以前の In Deep の記事に載せた下の感じが最も近いですかね。

kubrick-5.jpg


「髪型と体系でハグリット、顔でキューブリックだな」

ということになりました。


そういえば、前回の記事のタイトルは「ツバメへの愛とラモーンズへの愛」というものでしたが、ラモーンズのオリジナル・メンバーの中で最後の生存者だった初代ドラマーのトミー・ラモーンが 7月11日に亡くなっていました。

ラモーンズ初代ドラマー、トミー・ラモーン死去
 MTV News 2014.07.14

ご冥福をモゴモゴ・・・というような対応を繰り返しつつも、これから先も知人も知らない人も含めて、私の人生の記憶の中にある人びとが次々と死んでいくのは事実。

そして、私は本に囲まれつつ、「自分の人生の管理責任」を考えています。
タグ:吉祥寺


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posted by noffy at 16:06 | ペアである自分

2014年05月19日

朝目覚めた瞬間が天国な件

haibi-2014.jpg


数日前、5月15日にハイビスカスが今年最初の開花をしました。
上の写真です。

これは、もう3回くらい冬越しさせているハイビスカスなのですが、例年よりかなり早い開花でした。

とはいえ、まあ、冬の間はもちろん、春の今でも夜間は部屋に入れ、昼間に太陽の出ている時に太陽に当てるという過保護的な育て方をしていますので、こんなものなのかもしれないですが。



お知らせのことについて

In Deep の「ちょっとしたお知らせ:「高い次元へ覚醒」というより「いい人間の認識でこの世を生きたい」と思う方との共有をめざしたく」という先日の記事のことですが、このクレアを過去の内容を含めて移転するのは、やはり大変そうで、シュタイナーとか高い次元のがどうのこうの・・・というような話は、もう少し後になりそうです。

ただ、ブログはどんな人でも見られるもので、それがいい点なのですが、このことに関しては、あまり「誰でも」というのも考えてしまうものがあります。

どうしてかというと、「誰でも見られる」ということによって、私の場合は、実は結構書く内容を選んでいる部分が強いのです。 In Deep などでも

「ああ、このニュース紹介したいなあ」

と思っても、女性も男性も、そして様々な年齢層、様々な信仰、信条、宗教に属している方も読んでいるかもしれないと考えると、あまりにも残酷だったり思想じみたものなどを含めて、場合によっては読んでいる人の心を害したりしますし、書けないことや書かないことはかなり多いです。

だから、本当に書きたいことは誰でも目にできる場所には書けないです。

なので、メルマガみたいな限定した人しか読まないようなものとブログと平行するかもしれないです。

まして、テーマが「高い次元を認識する」とか、あるいは「霊的感覚を認識する」話。
少し間違うと、「迷妄の人になった」と思われかねない微妙なテーマですし。

「ああ、オカもあっちの世界にイッてしまったか」

と思われるのもあれですし。

何より、シュタイナーにしても次元の話にしても、専門的な知識を持っている方々はたくさんいらっしゃるでしょうから、そういう人たちの目にふれるのもちょっとイヤなんです。

私はどんなことでも「教えを受けて、それに従うことが苦手」(教えてもらうこと自体は大好きです)で、「どれだけ優れた人の理論や意見でもそれに無条件に服従することができない」のです。これはもうずっと昔からです。

ですので、私がすることはどうやっても自己解釈になりますから、多分、知識のある方や、あるいは実際に霊的認識のできる方とは合わないと思うのです。

そして、目指すところは古代や中世の神秘学を参考にさせていただいて、「自分だけの理論を作る」ことです。それは別に文字化されなくてもいいんです。

それでも、以前、クレアにコメント欄があった時に、薔薇十字のいろいろなことを教えて下さった、ねるさんという方に教えられた知識はその後の様々なことを考える上での基礎になったもので、今でも大変に感謝しています。


それはともかく、そして、私は「高い次元を目指したい」のではなく、実際には、私が知りたいのは「生き方」なんです。

人類としての「死ぬまでの本当の生き方」であり、もっと言えば、「死が人間存在の通過点でしかないことを理解したい」ということでもあります。

いずれにしても、まだ先になると思いますけれど。



また、ヌーワ様に気づかされた

先日の In Deep の「中国って何なんだろう : 混乱とフリーメーソンと古代神話と蛇とヌーワの関係」で久しぶりにヌーワとふれましたが、中国の古代神話では「伏羲」という人と、女神ヌーワが「対」としてのひとつの存在として描かれています。

nuwa-fuki.jpg

▲ 古代の中国の絵画のヌーワ(左)と、相手のオジサン。


他の神話もそうですが、「この世はすべてが対(二つで一組)」ということになっているわけで、

・陰
・陽


とあり、そして、

・生
・死


がある。

辞書的にいえば、 Wikipedia で陰陽を見ますと、


陰陽とは、森羅万象、宇宙のありとあらゆる事物をさまざまな観点から陰(いん)と陽(よう)の二つのカテゴリに分類する思想。

陰と陽とは互いに対立する属性を持った二つの気であり、万物の生成消滅と言った変化はこの二気によって起こるとされる。




とあり、さらに、


これらは相反しつつも、一方がなければもう一方も存在し得ない。



とあります。

つまり、「陰陽」には、

・陽から陰に
・陰から陽に


というお互いの行き来が示されているように思います。

だとすると、「生死」も、

・生から死に
・死から生に


というお互いの行き来があるということは自然と理解できます。

いわゆる前世とか、そういうことではなく、「常に生と死は循環している」ということが先日の In Deep のその記事で何となくわかりました。


あれ?

ここまで書いて、今回の「朝目覚めた瞬間が天国な件」というタイトルと内容が全然合っていないことに気づきました。

いやまあ、最近、タイトルの通りなんです。

朝目覚めた瞬間に全身が気持ちよくて仕方ないんですよ。それは単なる比喩ではなく、本当の「感覚」なのです。毎日というわけでもないですが、多くの日に。

それで、目覚めた時もそのまま目をまた閉じて、しばらく横になっているんですが、本当に全身すべてに「微妙な快感」が満ち溢れていて、以前はこういうことはなかったので、何なのだろうなあと。体の内部全体も気持ちいいので、寝具の問題でもなさそうだし。

いずれにしても、

「この体の感覚が永遠に続いたら天国だろうなあ」

と思いながら、普通に起きて活動が始まると、その心地よさも消えて、ごく普通の状態となってしまいます。

冬頃にちょっと神経症的に不安定な状態が続いた頃、自分の部屋と寝室に、アロマの噴霧器(ディフューザー)を買って置いたのですね。下みたいなやつ。

diffuser.jpg


寝室は寝る前に。
自分の部屋では適当に。

それで、調べたり試したりしてみると、ラベンダーの精油が、わりと自分によく合うようで、眠りも深くなったし、ふだんの状態もとても穏やかになりまして、それも少しは原因となっているのかもしれないですけれど。

いつも楽で快適な精神状態ばかりだといいのですけど。


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posted by noffy at 14:46 | ペアである自分