2015年02月28日

最近の夢の世界の確立感が半端ないことについて

なんか、昨日、ボーッとしている時に、
無意識的に変な記事を書いていたみたいですね。

体調は相変わらずで、
リハビリ的に外を歩いてみたりしていますが、まだあやふやです。

しかし、それはともかくとして、ここのところ、
夢の世界の「確立感」が半端じゃないのです。

確立感だとか、ここのところとかいうのも曖昧ですが、
数ヶ月くらい前から徐々にという感じで、

「一晩限りで夢が完結しない」

ことがどうも多いのです。

たかだか夢なのに、次の日や、あるいはしばらく後に、
登場人物も含めて「話が続く」のです。

それ以上に、最近は昔の知り合いが異常といっていいほど出ます。

私は昔から夢はよく見ましたけれど、現実的ではない夢を見ることが多く、
夢の中に、肉親や友人を含めて、
実際の知り合いが出てくるなんてことは、ほとんどなかったのです。

それが、今は本当によく出る。
生涯で知り合ったすべての人が出てくるような勢いが続いています。

昔の友人、昔の恋人、母親も出るし、
それどころか、亡くなった親戚や祖父母も出てくる。
亡くなった友人も出ます。

昨日なんかは、この数十年間ほとんど思い出したこともないような、
中学時代と高校時代の友人何人かと電車に乗っていました。

昨日の夢の中では、それなりに楽しく会話しているのに、
私は、「じゃあ」と、彼らを残して、
降りるべき駅ではないところで下車するのでした。

もちろん、これまでは、
「昔の知人や現在の知人と道などで会う」という夢もたくさん見ましたけれど、
このように「別れる」という夢もたまに見ます。

こんなに何十人も夢の中に現実の知り合いが出てくることは、
人生で初めてのことです。

ちなみに、私は、

夢をちゃんと見ている(つまり、夢を夢だと気づかない普通の状態)

という普通の夢とは別に、

それが夢だと気づいて見ている夢

というものも見ます。

後者のほうは、まるで映画でも観ているように
第三者的にその光景を夢の中で見ています。
目覚めているわけではないです。

その場合は、かなり客観的になっていて、
「これからどうするのだろう」
とか、いろいろと考えながら、その夢を見ていることがわりとあります。

これがレム睡眠とかノンレム睡眠などの状態と
関係あるのかどうかわからないですが、
客観的に夢を見ていることは毎晩のようにあります。

しかし、問題は普通の夢のほうの最近の状況設定なんです。

その夢の世界は、

「その世界は自分が過ごしてきた世界とすごく似ているけれど、でも違う」

というもので統一され始めているのです。

しかも、一晩で完結しないものも多いです。
最近は何度も何度もその人生での夢を見るのです。

その世界は全体的には自分の過ごしてきた人生や世界観と
何もかも似ているのに、細かい部分ではまったく経験したことのない経験をしている

たとえば、演劇の本番の夢を見ている時も、
自分ならおこなっても不思議ではない公演の内容で、出演者も大体同じなのに、
「そんな公演はしたことがないし、その場所もまったく知らない」。

というように、「実際の人生から少しだけズレた世界」なんです。

でも、その世界は、何かがちょっと違えば、
多分、私が実際に経験していた世界であるとは思われ、

「自分の人生では出現しなかったけれど、別の未来では出現していた可能性が高い」

というような世界なんです。

そこは単なる普通の東京の風景で、
異常なことも何もない。

自分の人生をただ振り返っているように見えるけれど、
ところが「どれひとつ実際に経験したことのないことばかり」なのです。

こんな夢の世界を繰り返し経験していると、
「夢」というものに対しての考え方も、最近は少し違っています。

何かというのは具体的にはわからないですが。

あるいは、起きているほうの世界、つまりこっちの世界が無くなったり、
私自身が存在しなくなった時には、
私のあっちの、つまり夢の世界での存在が始まったりするのですかね。

だとすると、今まで過ごしてきたこちらの人生と、
ほんの少しの輪郭の違いがある程度で、その根本は大して変わらない。

仮にその夢が自分の頭の中にあるものだけだとしても、
少しだけ違う経緯のもうひとつの人生が、そこで進んでいる。

というのは不思議というのか、
あるいは、そんなものなのかもしれないとか、
いろいろと考える次第なのでした。

あーフラフラするの早く良くなんないかな。
タグ:夢の世界


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posted by noffy at 15:30 | ペアである自分

2014年11月13日

パンク的思い出補正の日々の中

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・何十年か前の自分。東京・渋谷のギャラリーの屋上です。


そういえば、前回記事で、父親にガンが見つかったということを書いたのですが、最近、2週間の精密検査から退院しまして、ガンではなかったことがわかりました。全身検査をしたようなんですが、良性のポリープがいくつか見つかっただけだったそうです。

電話をしましたら、すでに父親はお酒を飲んでいました。
酒に関しては、私も同じように病床でも飲みますので、同じようなものですかね。

まあ、しかし、今回ガンではなかったとはいえ、年は年(約80歳)ですので、いろいろとそんなに遠い話ともいえないということも言えなくもないです。

そして、自分の年齢も、ふと思えば結構なところまで来てしまっています。

先日のチュ……何とか彗星のことを書いた In Deep の記事など、冒頭が「最近、物忘れが激しくて」というフレーズで始まっていますが、特に冗談でもないです。

特に、最近は何でもインターネットで検索すればわかるということもあり、すぐに検索してしまうというあたりも、「自力で思い出す」という力を衰えさせている感じもします。

そんな中で、先日、

AC/DCのフィル・ラッド逮捕、殺し屋雇い殺人計画した疑い
 AFP 2014.11.06

という記事を見まして、まあ、記事の内容はタイトルの通りなんですが、それよりも、その記事の最後のほうに書かれてあった、

AC/DCは9月、創設メンバーのマルコム・ヤング(Malcolm Young)が認知症のためシドニーの施設で治療を受けていると発表した。

と書かれてあることに注目しました。

「AC/DCの創設メンバーが認知症……」

私は中学生以降、パンクばかり聞いていて、ハードロックはまったく聴かなかったですので(当時、パンクが好きな人は、ハードロックが嫌いな人が多かったです)、 AC/DC の曲はまったく知らないのです。

しかし、さすがに「世界で3番目に売り上げたアルバムを持つ」ほどの超メジャーではあるわけで、そのような一世を風靡したハードロックバンドのオリジナルメンバーが「認知症で活動不可能」という響きはどことなく寂しいものがあります。

ちなみに、2014年現在までに、ベスト盤などを除いて、歴代で売れたアルバムのベスト3はこちらのページによりますと、

1位 1億1000万枚 マイケル・ジャクソン 『スリラー』 1982年

2位 4千500万枚 ピンク・フロイド 『狂気』 1973年

3位 4千200万枚 AC/DC 『バック・イン・ブラック』 1980年

となるとのこと。

累積の売り上げでは世界でトップクラスでのアルバムの売り上げを持つレッド・ツェッペリンだとかビートルズなども、単体アルバムとして見れば、たとえば、レッド・ツェッペリンで最も売れた4枚目のアルバム(タイトル名は特になし)でも3700万枚、ビートルズで最も売れた『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』で、3200万枚でした。

マイケル・ジャクソンの1億1000万枚というのは、ちょっと尋常ではない枚数で別格ですが、AC/DC の4200万枚というのも、壮絶なものだと思います。

こんな人たちの創設メンバーが認知症で引退……。

その認知症で引退した人はマルコム・ヤングという人だそうですが、 Wikpedia によりますと、1953年 1月 6日生まれの 61歳とのこと。

まだ 61歳。

今年になってからバンド活動継続が困難になったと発表されたということは、かなり以前より認知症を発症していたと考えるほうが妥当で、50代くらいから何らかの症状は出ていたのだと考えられます。

50代。

私も昨年からその領域に入っているわけで、何となく人ごととも思えず、記事を読んでいました。

私は、自分がアルツハイマーなどを含めた認知症的なことで周囲に迷惑がかかりそうだとわかった時にすることはすでに決めていますが、AC/DC のメンバーのニュースを見ていますと、それは遠くもないのかもしれない……などとも思い、このニュースを見て以来、十代、二十代の頃によく聞いていた音楽を再びよく聞いています。

今年はリラックス系とか、ソルフェジオ系とかを聴くことが多かったんですが、しかし、十代、二十代で聴いていたパンクやノイズを聴いていると、「そちらのほうが精神的に落ち着く」ことに気づきました。

もともとがそういう指向と渇望があったからこそ、若い時にそちらに進んだのであって、それは年齢を重ねても同じなのだと実感しました。美しさより破壊の方向を好む。

カセットなども発掘していると、何十年も忘れていたような音楽も出てきます。

最近発掘された中では、現在は作家の町田町蔵(町田康)さんの、1987年の……アルバムのタイトルは忘れましたけれど、その頃(私は23歳)好きだった曲を何十年かぶりに聴いて、なかなか嬉しかったです。

町田さんは歌詞が難解なことが多く、この曲も内容はよくわからないですし、そもそもタイトルも意味がわからないですが、全体として「哀愁」があります。

町田町蔵 - 木偶の棒陀羅(1987年)



時期としては、町田さんが1980年代の始めから続けていた「パンクス」という立場から少しずつ変化していく頃で、多分、このアルバムが彼の「ラスト・パンクアルバム」というような感じもします。

曲の4分過ぎ頃から曲のラストまで繰り返し呟いたり叫んだりする、

「こら、刺してみい! 刺さんかい!」

というフレーズが、彼の「バンクからの卒業」のフレーズにも聞こえます。

むかしの音楽シーンを懐かしむのは、いわゆるネット用語での「思い出補正」に過ぎないのか、そうでもないのか、それはよくわからないです。

けれど、20年前、30年前というのもそんな昔の気もせず、「人生って結局は瞬間だな」と何となく思ったりします。


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posted by noffy at 11:15 | ペアである自分

2014年10月20日

夢の中の父親とか自分たちの夢ではない未来とか

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how stuff works


ここ2年くらいは、昔の、特に演劇時代の友人がよく夢に出てきます。

この二十数年間、続けて付き合っている人など数人だけですが、たまに彼らと会うキッカケも夢を見て……ということが多くなりました。夢に出てきた翌日あたりに「元気かなあ」と電話をすると、むこうもこちらの夢を見ていたことも何度かあります。


まあ、それはともかくとして、つい先日、夢に父親が出てきました。

夢の中の父は病院にいて、あまり元気がなさそうでした。
その場には医師もいて何か言っています。

起きた後、何となく気になり、実家に連絡してみると、父は病院でガンの可能性を告げられていたのでした。

まだ生体検査などをしているわけではなく、内視鏡レベルでの判断ですが、ほぼ 80 歳に近い年齢で、この年齢だと今ではガンになること自体は不思議でも何でもありません。

母親が冷静だったので安心しましたが、父も母も比較的そのあたりの考え方は私とも近く、つまり、「年をとって死んでいくことに抵抗しても仕方ない」というような考えが多少あります。

今の時代、80歳は特別長生きではないですが、それでも、父親は10人きょうだいの中で、もっとも年齢を重ねて生きているうちのひとりです。しかも、今でも船で釣りに出かけているほど、年齢から考えると非常に頑健な人です。

なので意外感はありましたが、いずれにしても、父のガンが仮に確定した場合、治療をするのか、あるいは「しない」のかなどを含めて考えることになりそうです。老人のガンの進行は遅いですから、慌てて考えるようなものでもないですし。

母が「治療しない」という選択を父が持っていることを口にしていましたので、治療しないかもしれません。

そんな中、昨日、冒頭に出てきた昔からの友人のひとりが私の住む町にやってきて、朝まで飲んだのですが、その友人の父親もずいぶんと前にガンと診断されています。

その友人の父親は元大学教授で、ラジオなどの教育講座の番組を持っていたほどのインテリで、医学にも詳しい人だったその人が、ガンと診断された時の即断は、

「治療はいっさいしない」

というものでした。

「無意味な抗がん剤治療など受けてもどうにもならない」ということで、放置しているそう。痛みなどが出た場合だけ対症療法的なことをしてもらうような感じらしいです。

昨日、その友人と話している中で、

「まあしかし、父親世代はともかくとして、オレら自身も十分な年だし、そろそろオレらも1人ずつこの世から消えていくわけだ」

というようなことを話していました。

「誰が最初かな」
「どうだろね」
「田中くんは逝っちゃったしな」
「オレかな」
「いや、オレだわ」


などと話しながらも、とんでもなくハシゴを続けたのでした。

考えれば、病弱だった私は、子どもの頃に医者から5歳だか6歳くらいまでしか生きられないだろうと言われていたわけで、50年ほど生きたうちの四十数年はオマケのような人生だったのかもしれないですし、だからわりと適当に生きていたわりには「生きてきた感」がありますし、野望というようなものを基本的に持たない人なので、特に思い残すようなこともないし……というような人生で。

それと共に、ちょっと前に In Deep に書きました、臨死体験についての記事にあるような、「意識は死後も継続する」ということを今ではわりと真剣に考えていて、あるいは、物質的世界の方自体が、「意識が作り出した架空のもの」かもしれない……というような思いが頭をよぎることもありますが、それを完全に思ってしまうと、逆にこの世はつまらない感じもしますので、

・意識
・肉体を含む物質的世界


に関しては、一応のところは、どちらも独自に存在するということで、お許し願えれば幸いであります(誰に言ってんだよ)。

そんな最近です。


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posted by noffy at 15:50 | ペアである自分