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2015年04月19日

自分=セルフへの治癒のために必要だった笑いと暴力

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・self23 公演『ゲ・イ・ム』(1994年)の DM


今日(4月19日)は日曜だったのですが、子どもは、おばあちゃんと遊びに行っていて、私も何となくフラフラ感もあり、外出する気にもならず、昨日見た映画『パッチ・アダムス』のことを考えて、 In Deep の記事を書いていましたら、何時間も没頭して書いていたみたいで、異常な長さの記事となってしまいました。

いつもなら、長すぎた記事になった場合は、アップした後に削っていくんですけれど、何と「削って今の長さ」です。つまり、元はもっと長い記事だったのです。

それどころか、それでも飽き足らずに、こちらに書いていたり(笑)。

いや、それにしてもいい映画でした。

これは映画のデキというより、パッチ・アダムスという実在の人物の存在と、それを演じたのがロビン・ウィリアムズさんというのも良かった。この映画、同じロビン・ウィリアムズさん主演のベトナム戦争映画『グッド・モーニング・ベトナム』と、何だかいろいろな部分で似ているんですよ。

グッド・モーニング・ベトナムも、実在のラジオ局のディスクジョッキーのことを描いたもので、それは、「前線の兵士たちに笑いを与える」という話でしたが、パッチ・アダムスは、「病の人々に笑いをもたらす」というものなんですが、ストーリーの構造的にもなぜか似ているんです。

それにしても「笑い」の重要性。

私は、大学を辞めた後に、劇団みたいなのを作りましたが、活動の後年は、お客さんの数も多くなり、メディアで紹介されることも多かったのですけれど、でも、その頃は「劇団を始めた頃の本質が失われていた」ことも事実です。

その頃になると、雑誌などを見て来る人も多く、つまり「演劇とかアートだと構えて来る」お客さんも多かったんです。

でも、 self23 の本質は、

「お笑い暴力見世物団」

が始まりだったのです。

そして、その始まりは実は・・・

「自分を治し癒やすため」

に、その劇団のようなものを始めたといってもいいかもしれないです。

神経症とパニック障害が最もひどい時で、そして、初めて病院に行く前のことで、いよいよ精神的に追いつめられる日が多かったのですけど、そこに「大失恋」なんてのもやってしまったのです。

その時に精神的均衡をさらに崩して、もう気がおしかくなりそうな日々が多くありました。

その頃に私は劇団のようなものを作ろうと思っていたのですが、神経症で弱々しくなっていた自分を、

「笑い」



「暴力」

の渦の中にたたき込もうとしていました。

劇団のようなものも、最期の頃はアート系のように捉えられることも多かったのですが、本質はそこにはありません。私たちは見世物でありつつも、「自分たちに対して誇り高くありたい」という人々でした。

つまり、「誇りを持って笑われる」ということです。

例えば、下は第1回公演、つまり最初の公演を翌年、再演した時のものです。
客席が爆笑の連続であることがわかると思います。

self23 - 天ぷら家族(1987年 / 新宿タイニーアリス)より



私の公演を見に来るような屈折している人が多い人には、「屈折した笑い」が必要で、そして、笑いは誰でも、そして、私自身も治癒していたと思います。

どんな考えや思想を持っている人でも「気持ちよく生きたい」と思っています。

その「気持ちよく生きたい」ということを補助するのが音楽や舞台表現の本質で、他に意味はないと思います。もちろん「自分自身の気持ちよく生きたいという想い」に対してもです。

そして、ひとつの種類の音楽や表現では、多くの人にそれを与えることができないから、数多くの種類の表現がある。

私の劇団のようなものの公演は、日を追うごとにエスカレートして、巨大化していきますが、その中で、笑いは少しずつ失われていきました。

それでも、ずいぶんと私を治癒してくれたと思っています。

活動の活発だった 1980年代の終わりから 1990年代の初めの間は、私は神経的、精神的にはとても安定していました。

あの時点では、「治癒」は成功していたのかもしれません。

そして、今、新しい治癒活動に入ろうとしています。
いや、もう入っています。

今の考えにたどりつくことができたことには感謝しています。

最終的な治癒は「悟る」ことです。

これは簡単にできるわけもなく、長くかかるか、あるいは多分は「できない」と思います。
でも、できなかったら、できないで別にいいのですよ。

「そういう考えを持ったことのある人生だった」

というだけでいいのです。

それだけでも、何と贅沢な人生だったことであることか。
タグ:Self23


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posted by noffy at 18:57 | 23 to 24

2013年04月18日

戻れない時間

最近、書いてますように、体調というか、いろいろとバランスを崩しているわけですけれど、昔の自分の作品とかビデオとか見たりしているとわりと落ち着くんで、やっばり、なんかこう・・・「戻れない時間の苦痛」というのがこのトシになって感じ始めたのかもしれないですね。

なんだかんだいっても、私みたいな人間、きちんと家でお父さんやったり、経済のこととか含めて全部やったりするのは、こう長く続くとキツいのかもしれないですね。


「そろそろ死ぬかなあ」と何年も前から思っていても、死なないし。
自分で死ぬ気なんてないので死ぬことに関しては待つしかない。


十代はともかく、二十代は確かに異常に自由に生きさせていただいたわけで、まあ、いつまでもあんな楽しい生活が続くわけはないとはわかっていて(実際、二十代の終わりに最初の結婚して、もうそこで終わりましたからね)、そんなものだとも思うのですけれど。

最近発見された、私がやってた劇団の「第一回公演のフィルム」というのが出てきまして、1987年ですから、25年以上前になりそうですけど、これが記念すべき最初の演劇公演だったのですよね。


下のはそのラストシーンあたりの一部です。




東京新宿のタイニイアリスという劇場でした。

何やっても許してくれたいい劇場でした。
今でもあると思いますけど、場所が変わったはずです。



私は、脚本・演出・音楽ですけど、上にも出てます。

下の丸の死んでる人が私(笑)。

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このシーンの前が、家族でロシアンルーレットをやるシーンで、そこで死んじゃうんですよ。後半ずっと死んだまま。

舞台で死んでるのが好きなので、幸せな舞台のひとつでした。

あと、東京国際演劇祭だったか、何とか演劇祭だったかの後に、2つくらいの外国の文化庁関係の人が「資料をくれ」って言うので作ったのが下のでした。




これも思い出深い作品で、テロ現場の死体処理をやっている作業員たちが徐々に、精神に異常をきたしていくというストーリーでした。

今の世の中も同じような精神の苦痛はどこにでもあるのでしょうけれど。


こんなもん子供にも見せられないし(笑)。



あー、窮屈な社会で年齢相応に生きるのは疲れますぅ。

もうちょい我慢しましょう。


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posted by noffy at 23:50 | 23 to 24

2013年01月19日

「なんとなく感じてたことがはっきりとわかってきた」ことを知る 1979年から 2013年までの自分の時間



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▲ In Deep に載せる機会がなかった Google Map でギリシャのテッサロニキの近くで見つかった「胎児の形の施設」。これは軍事と関係ある施設の模様。意味ありげではあります。今回の記事とは全然関係ないですけれど
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33年前の今ころ、パンクのために札幌でひとり歩いていた夜を思い出して

今日、寒い夜の外をボーッと歩いていたら、

「はじめてライブに行ったのはこんな感じの冬の夜の札幌だったなあ」

と思い出しました。

ストラングラーズという英国のバンドで、それまで一度も日本に来ていなかったので、初来日だったんですが、なぜか東京も大阪にも行かずに「北海道の札幌だけ」に来たのです。ロンドンから真っ直ぐに。

すでに英国ではゴールドディスクを獲得していた人気バンドで、札幌にだけ来た理由がわからないのですが、

「あれは何年だったっけかなあ」

と、インターネットで調べてみても、その事実がまったく出ていない。

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▲ その当時のストラングラーズ。インターネット時代になってから知りましたが、わりとみんな大変なインテリだったことが判明。こんな見た目じゃ、当時はそうは思えないわな。

ちなみに、上の写真では左の人がボーカルなんですが、スウェーデンの大学と英国のブリストル大学で生物学を学んでいた時に、「神から音楽をやれ、という声が聞こえて」バンドを始めたのだそう。本人は今でもそう言っています。


その数年後にストラングラーズは東京・大阪などをまわった正式な日本ツアーをおこなうのですが、その数年前に実際にあった「札幌のライブ」の記録がまったく見当たらない。執念で探していたら、1979-198Xというページに下の記述がありました。

stranglers-1979.jpg


「あれは1979年だったのかあ」と、思い起こします。

年代から見ると、私が 16歳の時ですので、高校1年だったようです。
33年から34年前になるのかあ・・・。


当時住んでいた場所から札幌は決して近い町ではなく、まして、そんなパンクバンドのライブに一緒に行くような人もいないし、今と違って、「チケットの入手方法がわからない」という根本的な問題もありました。

結局、迷ったあげくにひとりで岩見沢という町から札幌までひとりで出かけることにしました。会場の「札幌大谷会館」なんて聞いたこともない場所なので、ほとんど行き当たりばったりでした。当時で、家から札幌のそのあたりまでは2時間から3時間くらいですかね。


寒かった記憶がありますが、上の表だと「1210」とあるので、1979年の12月10日のことだったようです。

人に場所を聞きながら、何とかその会場を探し当てたんですが、何だか、もう「騒然」としている。そりゃそうだと思います。札幌に英国の有名パンクバンドが来るなんて初めてのことだし、北海道中のパンクスが集まっている感じで。

私はしばらく、そこでボーッと立ってその騒然とした様子を見ていたんですが、チケットを持っていないことを思い出しました。「とにかくチケットを」と会場周辺を見回したんですが、チケットの販売場所が見当たらない。うろうろとしていると、年上らしい女の子が声をかけてくれました。

女の子 「どうしたの?」
わたし 「チケット持ってないんですよ」
女の子 「あっちにダフ屋がいるよ」
わたし 「ダフ屋だけですか」
女の子 「そうみたい」



ということで、「正規のチケット売り場がダフ屋」ということになっていたようですが、そのダフ屋だと言われた人のところに行って、

わたし 「チケットまだありますか?」
ダフ屋 「あるよ」
わたし 「いくらですか?」
ダフ屋 「〇〇〇〇円」(忘れました)
わたし 「じゃあ、ください」



と買ったのですが、確か、正規の料金とほぼ同じだったんです。
あんまり売れていなかったのでしょうね。
ダフ屋の人もあせっていたのかもしれません。

まあ、そんなわけで、これが最初のライブ経験だったんですが、それはそれとして、最近、私は、若い頃に聴いていた音楽の「歌詞」なんかを調べたりしています。

昔は歌の歌詞なんて全然気にしたことなかったんですよ。

でも、先日の記事の、

「億の神が地下水で眠っている」で始まる歌に救われて 28年目に(以下略)

なんかにも、あぶらだこというパンクバンドの歌詞なんかを載せたりしましたけれど、「なんかの観念を若い時に、無意識にたたき込まれてきた」ような気はしたんです。

今日も夜道を歩きながら、上に書いた「1979年のストラングラーズ」の歌を思い出していたんですが、すると、少し前に自分で、動画に歌詞をつけていた日本のバンドの歌詞の意味と通じるところがあることに気づいたんです。

たとえば上のストラングラーズの、私のライブに行った1979年頃の歌は・・・プロモになっているものは多くないですが、下のような歌があります。

当時のストラングラーズの中ではポップな曲なので、比較的聴きやすいかと思います。

わりとコメディ仕立てのプロモに仕上がっていますが、歌詞を訳してみました。
歌は Bearcage (クマの檻)という1979年の歌です。




The Stranglers - Bearcage (1979年)

必死に働いて点数稼ぎ
サメと泳ぐオレを見てくれ
新しいレース
新しいタイプの競争
恥辱の存在として生きることが恥ずかしい

ああ、オレはいつまでクマの檻の中で暮らし続けるんだ?

奴らは真実なんてオレには言わない
若者はどんどん若さを失っていく

車を売って
肉を売って
いろいろ売って
奴らは王様のように生きていく

オレはいつまでクマの檻の中で暮らし続けるんだ

奴らはブリュッセルでもアムステルダムでも手に入れられる
なあ、オレのドレスデンの夏の日々を返してくれよ
でも奴らはいまだに平和警察をそこに置いてる
地図に線を引くとそこにはオレがいる

オレはいつまでクマの檻の中で暮らし続けるんだ










そんなにこの意味がわかるわけではないですが、なんかこう「管理されること」の歌ではありそうな気がする。


そして、一方は、日本の1980年代。

ハードコアパンクの嵐が吹き荒れた中に、「カムズ」というバンドがありました。

日本の最初のハードコアパンクバンドのひとつで、このバンドはボーカルがチトセさんという女性だったんですが、そのカムズのアルバムの代表曲「人間狩り」という曲の歌詞が下。




The Comes - 人間狩り (1983年)

人間は機械になってゆく
尊重されるのは一人だけの意志

人間は狩られる
機械として狩られる
正義の名のもとに猟奇的になる

人間狩り
みんな一緒だ
誰でも同じだ

No No No!

狂ったように人を狩っていく
進歩の過程に本能が顔を出す
あっちでもこっちでも攻撃が始まる
誰も見えない目だ
どいつもこいつもやっちまえ

人間狩り
みんな一緒だ
誰でも同じだ

No No No!





こちらは、私がアップした動画がありますが、ハードコアパンクで、聴きやすくはないです。
参考までに貼っておきます。





他にも多くを含めて、私は音楽から「管理されるな」ということを無意気のうちに学んでいた感じはあります。

「反抗」ではないんですよ。
反抗も抵抗も暴力もまったく不要なんです。
受動的でも内向的でもいいから「管理されない」こと。


この「管理されるな」というのは、たとえば、よく言われるのは、権力とか、政治とか、そういうような相手を想定する人も多いですけれど、そうではないです。

私の中では「全部」なんですよ。
政治家も神様もまんじゅう屋のおっさんも同じなんですよ。


だからまあ、生きていて面倒くさく感じることも多かったかもしれません。


それにしても・・・。
あのライブに行ったのが 16歳の時で、そして、今年はもう 50歳に達しようとしているなんてねえ。

思っている以上にあっという間に人生なんて終わっていきそうで、それは救いといえば救いだし、あるいはまだ「記憶」を作っていってもいいのかもしれないですけれど、精神的な意味では、自分自身では今となってはもうかなりの「不動」で、それは「完全なる精神の孤独」ともいえるかもしれないですけれど、これが不完全だと、むしろ怖くて人となんて交われないです。


でも、年をとって「なんとなく感じてたことがはっきりとわかってきた」ということはあるかもしれません。


今はひ弱げな文化人となってしまいましたけれど、芥川賞作家の町田康さんが17歳の時に書いた「気い狂て」という歌のラストの部分を歌詞つきで貼っておきます。

50歳になって、やっと、町田さんの「17歳の頭のレベル」に少し追いつけたのかもしれません。


INU - 気い狂て (1981年) / 作詞: 町田町蔵(康)




なんとなく感じてたことがはっきりと分かってきた
まんじゅう屋のおっさんも
さすがに今日は憂鬱げ

ええ加減にせんと気い狂て死ぬ


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posted by noffy at 20:12 | 23 to 24