2012年01月21日
さらに自分を存在を消して
In Deep に書いた「米国の「内戦」がインターネット上で始まった可能性」という記事は、一種感情的な感じにも思えるかもしれないですが、Megaupload そのものはともかく、ストレージサービス自体は YouTube と共に、インターネット生活での私の「命のひとつ」です。
これらのサービスは、一般的には著作権の侵害ということに関しての問題であるのですが、しかし、私たちのようなマイノリティなカルチャーだけを愛している人間にとっては、そういう存在ではないのですよ。
金を出して買えるものの話ではないのです。
たとえば・・・。
こういう音楽の作品があったとします。
30年前にニューヨークのライブハウスで 50本限定で配布されたバンドの音源。
1980年代に発売されたけれど、ほとんど配布されないまま終わったソノシート。
あるいは、1970年代の何とかというバンドのライブの映像とか。
私は数年前までは、そういうものを実際に見たり聴けることがくる日はないと思っていました。
ところが、「それができる日」が到来したのです。
それは「インターネット上の世界で」でした。
YouTube などの動画サイトと同時に、今回閉鎖されたようなストレージサービスが最初は米国を中心に始まり、そのうち世界中で始まりました。
その実態は確かにあこぎなもので、運営者も暴利をむさぼっていたと思いますが、そんなことはどうでもよくて、それらの出現は私たちには「天国が出現した」と同義でした。
「入手することが不可能だと思われた音楽などがあった」のです。
というか、私も YouTube などでは最初期の時期から積極的に、日本のアンダーグラウンド音楽の音源をアップしていました。そして、それは海外のごく少数の人たちに大変喜ばれました。
つまり、全世界に同じように「聴くことを諦めていた音楽が聴ける喜び」を感じる人たちがいたのです。そして、この「あの音楽を聴きたい」という欲求が「強烈なもの」だということは私がよくわかっていました。
私のアップする音楽は著作権が事実上存在しないものばかりでしので、その方面で問題が起きたことはないですが、それでも、倫理的な問題はある部分もあるかと思います。
それでも、「聴きたい」のです。
そして、「その欲求を世界の誰かと共有できた喜び」というものもあります。
今では YouTube でもストレージサービスでも、音楽の非常にマイナーなものまで、ほぼ網羅されてアップされています。たとえば、今回閉鎖された Megaupload の中にも、たくさんそういうものがあったと思います。
実際の話としては、ストレージサービスにあるファイルの多くは、メジャーな映画やアニメ、アダルト系などばかりですが、そのほんの片隅(比率としては0.1パーセントにも満たないでしょうが)には、確かに「マイナー文化」もそのサーバに「図書館のように」積み上げられていたのです。
でも、今回のことで、この流れが止まるかもしれないということです。
『図書館は事情により閉館しました』
という感じでしょうか。
パンク音楽や、エレクトロといわれるジャンルや、アンダーグラウンド・ヒップホップといわれるものでは、 CD やレコード自体が入手しにくいものが多く、インターネットの果たした役割は「強烈」です。
今回のことはアメリカの話ですが、しかし、気づいてみれぱ、「世界はつながっていた」ことに気づきます。
そして、自分が好きな文明の範囲の多くをインターネットに依存していたことにも気づいたわけで、今回のことは刺激になりました。
ちなみに、このタイトルに「自分の存在を消して」と書いたのは、その通りで、この事件をキッカケに、私はさらに「知り合いを少なくしよう」と思いました。「自分の世界をちゃんと作りたいなら」人は個人になっていくほうがいいと思います。
人は・・・というより、男性は、ということかもしれません。
世界は確かに動いている。
そして、最終的には「何にも依存しない自分」を構築しないと、今後の世界を(楽しく)生きていくことが難しい気がする。
今日ずっと聴いていたジェイリブという米国のヒップホップユニットの「サバイバル・テスト」という曲を何となく貼っておきます。今の気分を現した題名だと思いました。
Jaylib - Survival Test (Instrumental)
こういうような、かつての米国のアンダーグラウンド・ヒップホップを何十何百と知り得て、そして実際に聴けたのも、YouTube とストレージサービスのおかげでした。
posted by noffy at 00:35
| ニシオギ日記
2012年01月16日
カオス元年
ふるさとは雪のカオス
下のスクリーンショットは、YouTube にあった今日、1月16日のテレビでのニュースだそう。

この「北海道岩見沢市」は、私の生まれた町なんですね。
東京に出てくるまでここに住んでいました。
ここが現在、水没ならぬ「雪没」しています。
岩見沢という町はもともと雪の多い地方として北海道でも有名で、北海道で最も雪が降る場所のひとつなんですが、今年の雪の量が半端ではないことは年末あたりから、実家の電話で聞いていました。私は「いくら何でもそのうち収まるんじゃないの?」などと言っていたのですが、全然収まっていないようです。
他のニュースにはこうありました。
昨夜7時の段階で、積雪量が182センチを記録し、42年ぶりに市内の積雪記録を更新しました。その後、測定の機械が故障したため現在の積雪はわかりませんが、平年の2.5倍から3倍の積雪があるとみられてます。
42年ぶりということは、42年前には同じような豪雪があったということのようですが、そのころ、私はこの岩見沢で小学1年くらいだったと思います。
その冬を思い出してみましょう。
うーん・・・・・わかんないですね。
背が小さな子どもたちにとって、いつも積雪は自分より高く積もっていたので、それがどのくらいの積雪量かなんてわからないです。
あ! でも、その年、友達の家の庭で遊んでいた時、屋根から落ちてきた雪の直撃を受けて、友達共々、雪に埋もれたんだった!
すぐに家の人に救出されましたが、この屋根からの落雪での怪我はかなりあったと思います。
ああ、他にも42年前の雪で思い出したことがありました。
父親の実家(今はないです)が岩見沢の近くの栗沢という町にあって、大家族で大きな家だったんですが、お正月に遊びに行った時に、台所の建物の屋根が雪で押しつぶされて倒壊したのでした。
子どもでしたが、その「廃墟的光景」を今でもよく覚えています。
その時は台所に誰もいませんでしたが、私のような子どもが、もしあそこにいたら屋根に押しつぶされていたと思います。
雪が多い時は昔の家はあちこちで倒壊というか、屋根が雪に押しつぶされたり、部分的に穴が開いたりしましたが、今年も実家に電話してきいてみると、「お隣の屋根の雪が2メートルくらいになっていて、そろそろまずい」とのことでした。
昔の北海道の住宅はどこも三角形のトタン屋根で、かなり急な角度がついていて、雪が落ちやすく作られていました。

▲ これは今の写真ですが、昔は木造の家にこういう屋根がついている家がほとんどでした。
今でもトタン屋根の家はたくさんありますが、ここ20、30年では家のデザイン的には雪の少ない地方の住宅とあまりかわらない作りの家も多くなり、それらは屋根に「雪を溶かす装置」がつけられています。熱線とかそういうものですね。
どうやら今年は部分的に、一般的な想定での雪の量をはるかに越えてしまって、「雪解け装置が効追いつかない状態」にまでなっているようです。積雪のスピードが例年よりものすごく早いらしいです。
そして、どこの地方でもそうですが、高齢化が著しい北海道では自分で屋根の雪を下ろすことができないご老人が多く、当然、そのような雪下ろしや除雪などを代行する業者がたくさんあるのですが、受注が多すぎて、「全然、手が回らない」のだそうです。
場合によっては、屋根や庭に雪が積もり放題に積もり、「そのまま雪に家が埋もれていくのを見ているしかない」というような状態に陥っている場所や家もあるようです。
他の国でも、この冬は、寒いところはものすごいことになっているようで、今朝の CNN には「480キロの海氷突破、露燃料船が孤立した米アラスカの町へ」というニュースがあり、米国のアラスカ州西部沿岸の町が悪天候で孤立していたということを知りました。
他にも、北インドやアフガニスタンや、あと昨年もそうでしたが、イングランドの一部やレバノン、もちろん、米国でも各地で大雪のようです。

上の写真はアフガニスタンのカブールの昨日の様子。AFPのものです。
それにしても、北海道の本格的な雪のシーズンはむしろこれからですので、どうなっちゃうんだろうかと、いささか心配ではあります。
また、今の北海道は極端な車社会で、つまり「車が動かない状態は文明が動かない状態」なんです。
道路の除雪も追いついていないらしく、いろいろと難しい面がありそう。
車がなければ何もできない。
経済も流通も止まる。
これが北海道の現在の真実です。
私の小さな頃は北海道も今ほど車社会ではなく、徒歩で買い物ができたものですが、今では「カップ麺ひとつ」でも車がないと買いに行けないというような場所も多いです。近くにコンビニがある場合はラッキーですが、多くの場合は、「車がないと(車が動かないと)何もできない」という部分はあります。
個人的に引っ越しと救急車搬送で始まった私の 2012年ですが、実家のある地方も混沌としているようで、全面的に「カオスな新春」というようなイメージはあります。
ポリス・ヴィアンのように
引っ越ししてから、まだほとんど誰にもお礼も挨拶の連絡もしておらず、少しずつ電話やメールをしているのですが、引っ越しで手伝ってくれた昔からの知り合いのジローさんに電話しました。
ジローさんはクレアの昨年の記事「1987年のダッチワイフの神様への儀式」あたりに出てきた人です。
その時の会話など。
ジロー 「引っ越しどう?」
わたし 「こないだ倒れて救急車で運ばれちゃったよ」
ジロー 「マジ? 原因は?」
わたし 「わかんないの。過労もあるとは思うけど」
ジロー 「オカはさ、カラダ弱いんだから気をつけないと」
わたし 「あああ、なんか白雪姫みたいに扱われたい」
ジロー 「白雪姫だとどんなふうに扱われるんだよ」
わたし 「あれ? 白雪姫ってどんな話だっけ」
ジロー 「ガラスの靴が」
わたし 「違う」
ジロー 「リンゴだ」
わたし 「ああ、リンゴが・・・」
ジロー 「木から落ちて・・・」
わたし 「引力を発見したやつだっけ?」
ジロー 「それじゃ、ソントンだよ」
わたし 「ソントンはジャムだろ」
ジロー 「引力の人ってなんだっけ?」
わたし 「サイクロン式」
ジロー 「それは吸引力だろ」
わたし 「ああああああああああ!」
ジロー 「どうした?」
わたし 「十代の頃はさ、オレはボリス・ヴィアンみたいに死ぬんだなんて思ってたんだよ」
ジロー 「ボリス・ヴィアンって誰?」
わたし 「あんまり知らない」
ジロー 「どう死んだの?」
わたし 「知らない」
ジロー 「死に方も知らないのに、死に方に憧れるのかよ」
わたし 「その頃、町田町蔵の歌とか大友克洋の『気分はもう戦争』とか、いろんなところでボリス・ヴィアンのフレーズが出てたんだよ。なんか、語感がかっこよかったんだよ」
そうそう。
先日倒れて、救急車で運ばれる時に、「オレってこんな死に方を望んでいるのではなかったのだよなあ」と思ったんです。
ポリス・ヴィアンはともかくとして、どうも、男性には「自分の未来の死に方」を最初から美化したいという面があります。いや、「男性」と書きましたが、女性にもあるのかもしれません。
というのも、大島弓子さんの漫画で『雛菊物語』というものがあり、これが、自分の死を夢想する主人公の女の子の場面から始まります。
その漫画は、主人公の、
極上のワインを一瓶
雪の上で飲み
眠る
凍死する
という言葉と共に彼女が夢想している場面から始まります。

▲ 『雛菊物語』の表紙。
この漫画に感化されて、学生の時にはじめて脚本を書いたことを思い出します。
どんな脚本だか忘れましたが。
ただ、この『雛菊物語』と私のような者の「妄想」が違うのは、女性の妄想はかなり「現実的だ」ということでした。この漫画でも、主人公の女の子は自殺願望があり、家族が協力して、ショック療法でそれを治す経緯を大島さんらしい脱力した、ほのぼのとした世界観で書き上げています。
しかし、多くの男性が妄想する「自分の未来の死に方」には、ほとんど現実性がないことが多く、私もそうですが、やはり男性は頭がおかしいということが、自分でもよくわかります。
しかしそれは危険な一方で、様々な「奇想天外」も起きる。
男性という存在は頭がおかしくて、(実は)現実的なことを考えるのがニガテで、本当は「夢にどっぷりハマッている」。そこから生まれるものは、考えられない性犯罪や、大殺戮だったりすることもあれぱ、それまでなかった芸術や音楽や科学というのもある。
「ということは・・・」というところでまたよくわからなくなってしまいました。
大体、上の話と下の話が全然リンクしていなくて、ごめんなさい。
上に出てきたボリス・ヴィアン関連ということで、町田町蔵(町田康)さんの 1982年の歌『ポリス・ヴィアンの憤り』を貼っておきます。もう 30年も経つんですね。うーん、早いような一瞬のような・・・。なんちゅーか本中華。
十代の終わりの私が最も好きだった、「私の青春ソング」のひとつです。
そういえば、この 1982年も北海道は大雪でした(やっと話がつながった)。
posted by noffy at 18:26
| ニシオギ日記
2012年01月06日
ここに来た意味は『富士山』なのかなあ
私が移転してきた場所は、埼玉県の所沢というところの割と奥なんですが、転居してからの1週間ほどの最大の難関は「寒さ」でした。
夜間は平気でマイナス 130度くらいまで下がります(やめろって)。
夜になると、脂肪分の少ないジイサンなどが次々が瞬間冷凍でフリーズドライと化していく。そして、夜明けと共に太陽の光で徐々に解凍され、また歩き出すフリーズドライ人間たち(本当にやめろって)。
中学生の時、学校の課題読書で『デンドロカカリヤ』という安部公房の小説を読んだことがあります。細かい内容はよく覚えていないですが、道を歩いていて、「突然、体の外側と内側(内臓)がクルッと逆転して植物となる」というようなことが書かれてあったような記憶があります。
「ああ、あれはできればなあ」と、風に吹かれて思い出します(逆転しても寒さに対処できないだろ)。いやまあ、対処はできないんですが、体の外側と内側で交互に寒さを凌いでみるとかしてみたいとか。
こんな寒さを経験したのは北海道生活以来かもしれませんが、外でいくら寒くてもわりと平気なんですが、家の中が寒いのは許せない。
どうしても、「桃太郎侍ふう」の顔つきになります。

▲ なんか違うような気もしますが、なんでもいいや。
寒さ対策といえば・・・たとえば、「着る毛布」というのを買ったのですね。場合によっては、「 Kill M.O.F. 」というほどに実力のある実力あったかアイテムです。

▲ 寒地で大人気の「着る毛布」。今の近所にあるパルコの無印良品にも(デザインは違うけど)ありました。
今もその着る毛布を着て書いているんですが、ふと、立ち上がったとき、
「ハレ・クリシュナなオレ・・・」
というキーワードが頭の中を走り抜けました。

今の街
ニシオギでも街と人の風景をボーッと見続けていた私ですが、新しい町でもそれはあまり変わらなく、見続けています。
その結果として、今の風景を見ている中でひとつだけ願望はあって・・・それは、たとえば、今日、 In Deep のアメリカ国防総省が『時間を止める装置』を開発という記事で、「時間を瞬間的に空白にする」という技術のことをご紹介したのですが、あれは「タイム・クローク」という名前がつしいてましたが、願望は「ジイサン・クローク」。
瞬間的にジイサンの存在している空間を空白にするという技術です。
・・・というくらいに高齢化の波を感じる場所ですが、しかし、上にもちょっと書きましたが、唐突ともいえるように「パルコ」があったりする。
しかし、そのパルコは少なくとも午前中は、老人たちの憩いの場になっていたりする。
作りは他のパルコとさほど変わらない感じで、むしろユニクロやライトオン、そしてキャンドゥなどがあるせいで、価格的にも実用的な感じのパルコですが、特筆なのが、漫画家の人たちには垂涎の「世界堂」の支店があったりするのです。
今はよく知らないですが、漫画というのはケント紙というものに書くもので、また、多くの場合は「スクリーントーン」というシートを使います。
これは普通は本当に売っていないものです。
昔はみんな新宿の世界堂まで買いに行くしかなかったものでした。
私は漫画家ではないですが、かつて、漫画家の知り合いがなぜかとても多かったのです。漫画家といっても、主に当時の漫画誌『ガロ』などで活躍している人たちだけでしたけど。
あ・・・・・。タイトルの「富士山」にふれてなかったでした。
富士山に捧ぐ

簡単にいうと、うちのベランダから富士山の頂上が見えるんですよ。
私はそのことに全然気づかず、というより、富士山の方向もわからなかったのですが、奥さんが、富士山が見えることに気づきました。
わたし 「へえ、あれが富士山?」
奥さん 「他にあっちにあんな山ないし」
そして、私は下のことを思いました。
「富士山が噴火したら、この目で直接見られるんだ」
と。
さすがに、「ああ、それはすごい」と思いました。
富士山は何度も噴火しているとはいえ、その噴火を実際に目にした人の数は多くはないはずです。
富士山の噴火の可能性については、 In Deep の昨年の「「鎖国」と「富士山大噴火」を生み出した前回マウンダー極小期」という記事でも書きましたが、仮に、今年とか数年内に太陽黒点のない時代(極小期)に入った場合、過去の例でいっても、富士山を含めて、大きな火山の噴火の可能性はそれほど低くない気がします。
そして、その In Deep に書いた通り、ヘルメスのエメラルド板(エメラルドタブレット)が好きな私は、「上なるものは下のごとく」という概念が大好きであり、すなわち、火山の噴火というものは、
> 地球内部から地上へ向けて物質が大放出される大きなイベント
だと思っています。
つまり、様々な困難や被害が伴うのは確かでも、それ(噴火)がなければいけない理由は存在するはずだと思っているということです。
私は基本的には人間として産まれてきてよかったと思っています。
楽しい人生だったとも思っています。
しかし、いまだに不満の部分が大きいです。
ずっとつきまとう、いくつか疑問というのか、疑念があって、これは死んだ後にはわかるものなのか、あるいはそうではないのかはわかりませんが、富士山の噴火を見られれば、いい死に様も感じられるのかなあとかは思います。
日記は時間があるときにも続けて書かせていただきますね。
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posted by noffy at 21:41
| ニシオギ日記