
「無」と「主観」の比較
ここ数日、森田療法を創設した森田正馬博士が、神経症の治療理論を具体的に記した『神経質の本態と療法』( 1922年)をずっと読んでいて、ちょっとシュタイナーはお休みしています。
この『神経質の本態と療法』に関しては、二十代の時から知っていたのですが、何しろ、大正時代に書かれたものですから、新刊でない時代のものは、文字、漢字、表現が私にはよくわからない部分があったのです。
「私は」が「余は」だったり、「われわれは」は「吾人は」という表現の上に、文字遣いも難しい。
それが現在出版されている新刊では、そのあたりが、ほぼすべて現代の仮名と表現となっていて、実に読みやすいのですが、改めて読んでみて、この『神経質の本態と療法』というものは、神経症の人には、まさに「圧巻といえる存在」だと思わせしめるものがあります。
ただ、神経症やパニック障害といってもいろいろな「気質」があり、この場合、「不安観念」や「強迫観念」が強いタイプの神経症の人に限られる部分がありますが、私などは「まるで自分のために書いてくれているみたいだ」と思わせるほど、釈然とする部分が多いです。
内容的には、学位論文として書かれたものが後に出版されたものですので、あくまで学術論文そのものではあり、神経症以外の人には概念自体がよくわからないものではあるとは思います。
その中に、神経症患者が「自分の意識とどのように対峙するか」ということについて、森田博士は「老子」の次の言葉を引用しています。
「宇宙の本元すなわち真理を虚無と名づけ、無名と云う。しかもすでに無名という名目があっては、それはもはや本体ではない」
この老子の言葉は難しいですが、多分、つまり、真理(宇宙)の存在は「無」だとしても、そこに「無という名目」があっては、それはもう「無」ではないというようなことではないかと。
あるいは別の解釈では、「無という名前」が無についているということは、私たちは「無」を「無という名称」や「無という概念」として「無として存在しているものとして無を認識している」わけで、もはや、それは「無」の本質ではないと。
これを読んで、
「しかし、じゃあ、無はどのように現せばいいのだろう」
と考えますが、概念であろうと、名称であろうと、表現できる状態の「無」というものは存在しない。なので、この世の真理は、およそ表現できるものではないということなのかなと。
ちなみに、森田博士はここで思想や宇宙論を展開しているのではなく、ここでいう「無」というものが、人間の「自分への認識」と似ているものだといっているようです。
つまり、自分が自分に対して第三者のように向きあうことは出来ないということです。
ところで、シュタイナーはまさにこの「自分のことを第三者からのように向きあうこと」を神秘学の訓練の中のひとつとして記していたりして、「科学者・森田正馬 vs 神秘思想家・シュタイナー」という図式も見えたりして興味深いものです。
ちなみに、これを読まれている方の中で、神経症である方がいらっしゃるとして、森田療法に興味を持たれたなら、森田療法に関して平易に、あるいは「優しく」書かれたようなものも数多く出版されていますが、森田療法の「真意」を知りたいのなら、創設者の森田正馬さんのものだけを読むべきだと思います。
そこにあるのは「冷徹な治療原則」だけで、「愛」とか「優しさ」とはある意味で無縁です。「その症状を完治させる」という本来の医者というものの姿勢を貫いているだけです。
そこには「一切の甘えを許さず、自己と向きあう」方法が書かれています。
『神経質の本態と療法』は Amazon
この本には、読むだけでも治癒になりそうな「迫力」があります。
お釈迦様が悟った瞬間

ところで、「あきらめ」という言葉は、いろいろな面で、マイナスのイメージの強い言葉かもしれないですが、「あきらめ」というキーワードは、少なくとも自分に対しては有効なものかもしれないなあと思います。
森田博士は「あるがまま」という言葉を使っていますが、それは著作では以下のように書かれます。
無念無想とか、必死とか、さては悟りとかいうものは、自らこれを獲得しようとするときには、それはすでに仮想であるから、まるで鏡に映る映像のように、自己以外に投影した客観的な対象となり、すでに自己そのものではない。
勇気とか自信とかいうものは、獲得しようとしてもできるものではない。それと同じで苦痛とか煩悶とかいうものも、それを離脱しようとしても思う通りにはならない。
それを離脱しようとするには、二つの場合がある。ひとつは苦痛、煩悶、そのあるがままになりきることである。そうなればこれは純主観の状態であるから、まったく客観的な批判を離れ、さきほど述べた自分では自分の顔を見ることのできない状態となる。
お釈迦様が「悟り」に至った際のことにも言及していて、
釈迦が大悟したのも、人生を安楽として安心したのではない。人生の最も悲観である諸行無常、是生滅法ということを覚悟して、はじめてそこに安心立命を獲たのである。
これはものすごい簡単な表現で言い換えさせてもらいますと、お釈迦様は、
「今は生きているけど自分も死ぬんだ」
と理解して、やっと安心した、と。
しかし、この「今は生きているけど自分も死ぬんだ」という気持ちを完全に体得することがどれだけ難しいことかはおわかりかと思います。「自分は死ぬ」ということは誰でも知識としては知っていても悟れない。
しかし、森田博士はそんなことを無理に思うこと自体が間違いだともして、以下のように書きます。
死をおそれるということは、主観的にわれわれの感情における事実である。われわれは外界、内界を問わず、その現象、事実を如実に記載、叙述説明するものを「科学」といい、それを正しく推理、判断することを「論理」といい、それに絶対服従することを「信仰」と名づけるのである。
それゆえ、知識によってただちにこの感情の事実を無視、没却しようとするのは、常識的な誤想である。
なので、「死」をおそれることは普通のことであり、「死をおそれ、死に不安し続ける自分自身を積極的に受け入れる」と。
それにより、おそれも不安も自分と一体化したものとなり、つまり、「自分の顔を自分では見ることができないように」おそれと不安は、客観的に自分を見ている自分からは離れていく・・・という、まあ、どう書いてもわかりやすくならなくて、すみません。
何だか、森田博士の論文を読んでいると、梶井基次郎さんの小説の一部を思い出します。そういや、梶井さんも神経を病んでいまして、多分、梶井さんは森田博士の時代でいう「発作性神経症」(今でいうパニック障害)とか「心悸亢進発作」(今でいう心臓神経症)などもわずらっていたと思います。
たとえば、1924年の『瀬山の話』という短編などは、強迫観念気質、つまり、「ひとつのことが異常に気になる」部分が端的に現されています。この「瀬山」というのは、梶井さん自身のことだと思われます。
これは過去記事の「バーストした視覚の中での新宿にて」の中に抜粋したことがあります。
梶井基次郎『瀬山の話』( 1924年)より
一体、何故アといえば、あの片仮名のアに響くのだろう。私は口が発音するその響きと文字との関係が --- 今までついぞ凝ったことのない関係がへんてこで堪らなくなった。
「一体何故(イ)といったら片仮名のイなんだろう。」
私は疑っているうちに私がどういう風に凝って正当なのかわからなくさえなって来た。
「(ア)、変だな、(ア)。」
それは理解すべからざるもので充たされているように思えた。そして私自身の声帯や唇や舌に自信が持てなくなった。
それにしても私が何とかいっても畜生の言葉のように響くじゃないかしら、つんぼが狂った楽器を叩いているように外の人に通じないのじゃないかしら。
身のまわりに立ちこめて来る魔法の呪いを払いのけるようにして私の発し得た言葉は、「悪魔よ退け!」ではなかった。ほかでもない私の名前だったのだ。
「瀬山!」
私は私の声に変なものを味わった。丁度真夜中、自分の顔を鏡の中で見るときの鬼気が、声自身よりも、声をきくということに感ぜられた。私はそれにおっ被せるように再び、「瀬山!」といってみた。その声はやや高く、フーガのように第一の声を追って行った。その声は行灯の火のように三尺も行かないうちにぼやけてしまった。私は声を出すということはこんな味があったのかとその後味をしみじみ味わった。
「瀬山」
「瀬山」
「瀬山」
「瀬山」
私は種々様々に呼んでみた。
しかし何というへんてこな変曲なんだろう。
こういうのも、ある種の神経症の人から見れば、普通のこととして理解できる面はあると思います。
私にもこのような性質が強くあります。
この執着が強迫になり、そしてそれが理由で「苦痛」が生じた時、その人は病気ということになります。しかし、苦痛がともわなければ、それは「病ではない」ということでもあります。病気か病気でないかの境界線は「苦痛があるかないか」という主観的な部分にあるのが神経症やパニック障害の特徴です。
いずれにしても、私の場合は、臆病で不安ばかりの自分とさらに一体化して、確固とした「臆病な自分」に「気づかなくなる」までの道のりが自分が一生涯進む生き方であり、そして、これまでの生き方でもあったことに気づきます。
そうでなければ、「完全な自由」にはなれないのです。
自分が自分を束縛し、自分が自分を恐怖させている状態が死ぬまで続いてしまうのです。高い次元という以前に、その前提であるオールフリーである自分を獲得することさえできない。
そのことを最近少し忘れていたみたいで、また、そのことを思い出して生きていきたいと思っています。