2014年05月08日

無へ向かうためのキュア(治癒法)を思い出す

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▲ 20年以上前の映画ですが、30年来の友人のジローさんと私の2人がメインキャストで出演した映画『菊池』より。奥が私。この映画は、ベルリン国際映画祭で「ウォルフガンク・シュタウテ賞」(新人賞)というのを受賞しました。そのあたりは、この映画の監督のイワモトケンチ- Wikipedia に出ています。

基本的に他人の作品には一切関わらない私が、当時、バンドもやっていた友人だったイワモトさんだから、頼まれた時に出演を承諾した作品でした。そういえば、このときも撮影期間中に倒れて救急車で運ばれたことを思い出しました。その時の診断は単なる「過労」でした。







先日の In Deep の、

パニック障害 30年目の年に思い出す森田正馬の「あるがまま」と谷口雅春の「さとり」のリンク
 2014年05月07日

には、どうしても書く勇気がなかったのですが(意味を勘違いされそうな気がしたのです)、森田療法の森田さんの「あるがまま」という概念を最も端的に現すことのできる言葉があるのです。

それは、

「ま、いいや」

なんです。

この「ま、いいや」というのは、いい加減なやり方や生き方をあらわす意味での「ま、いいや」とはちょっと違って、むしろ、「葉隠れ」とかそっちに近いような話で、「死と苦痛を自分の中にひとつのものとして包括する」ということなんです。

In Deep ではパニック障害の話でしたので、たとえば、下のようなことがあるとする。


頭の中が苦痛と強迫観念で独占されて、めまいもする、発狂しそうで、もう死んでもいいほど苦しい。



・・・・・という時に「ま、いいや」と思えるかということ。



あるいは、さらにたとえば、もっと極端な例を出します。


自分がどこかの国か何かを旅行していて理由もないのにいきなり拳銃で撃たれて倒れる。人々が病院に運んでくれるかもしれないし、そうではないかもしれない。そもそもどの程度のキズかわからないけれど、意識が少しずつ遠のいていく。

死ぬかもしれない。





・・・というときに、「ま、いいや」と思えるかということ。


パニック障害では、基本的に「死を恐怖する」という人間なら誰でも心に持っている部分が、別の形で、あるいは極端な形で出現します。


そして、「あるがまま」というのは、

その苦痛を自分そのものとして生きる

ということで、そういう意味で、自分の死に対して、「ま、いいや」と考えることのできる「心の状態」(実際に死にそうな時の対処は、それとは別にきちんと行わなければなりません。生きることに無関心になるという意味ではないからです)を作り上げることなのですね。

そして、苦痛と自分が融合した時に「自分が無であるという自覚(それが錯覚でも構わない)」にまで到達するということに本願がありそうです。


ここ数日、あまり調子がよくなくて、ラベンダーをアロマディフューザー(噴霧器)から噴出させた横で、ややグッタリと考えたりしていたのですが、二十数年前に、その「あるがまま」の理念を知った日のことを何となく思い出しました。

確か、それからしばらくしてから半年くらいだったか、ただひとりの人物と月に2、3度会う以外は誰とも知り合いと会わずに過ごした時期がありました。何をして毎日過ごしていたのだか思い出せないのですが、自分なりの治癒期間だったのかもしれません。

ちなみに、この「ただひとりの人物」が最近なくなった、田中くんでした。
私に仕事を与えるために、探し出してくれてくれていたのです。


あらゆる対人関係には、「人間と人間のあいだに何かしらの力」が生じます。

それを「気」とか、そのように言ってもいいのかもしれないですけれど、いずれにしても、それは場合により「圧力」になり、あるいは、「影響」となって、自分の表層意識では気づかないところで、自分が人から見えない影響を受けて、そのことによって「気づかないうちに自分が変化してしまっている」ということも起きます。

私も若い時は、「自覚していない自分の変化」の中で、自覚できない歪みやストレスが生じていると自分で実感したことがあります。


そういう時は思い切って、しばらく人と会わないことにする、という方法に尽きました。


今は家族がいるので、厳密な意味では無理ですが、それでも、家族を除けば、実に人と会わない期間が続いています。

以前、たまに書いていたことがありますが、宇宙は「個人ひとりひとりから出発している」わけで、周囲との調和で作り上げられるものではないと思っています。

自分の、その中の・・・・・。

どこかはわからないけれど、そこに宇宙があって・・・・・。

もしかすると、そこにいわゆる神というように言われるものがいるかもしれなくて・・・・・。

いないかもしれなくて・・・・・。

自分の中の宇宙が崩れそうになったのなら、方法は人それぞれでいいと思いますので、そのことを是正していけば・・・・・。

少なくとも「そのひとつの宇宙は救われる」という、まあ何だか曖昧な書き方ですけれど、そんな気も・・・・・するわけで。
タグ:あるがまま


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posted by noffy at 18:09 | ペアである自分