
さきほど道を歩いていた時、ふと「自分が異常に心地良い」状態にいることに気づいた瞬間に、「多幸感」の中にほんの数分間突入しました。
この「多幸感」という言葉、 Wikipedia 的には、
多幸感とは、通常短い間続く、非常に強い幸福感およびそれに伴う興奮。
脳細胞間のシナプス間で幸福感を司る神経伝達物質であるセロトニンが大量に放出されている状態。
というように味気ないですが、この状態が、
・酒だとか
・クスリだとか
・何か幸福感を得るような直接的な原因だとか
がなく、唐突にやってくることが、数年から十数年に一度あります。
タイトルに「数年ぶり(十数年ぶり?)」としたのは、この前のがいつだったか明確な記憶がないからですが、50年も生きていた人生で数回しかないことです。
これは要するに、「意味なく唐突にセロトニンが大量に放出される」という状態に陥るということになるようなのですが、その数十秒とか数分間とかのあいだはまさに天国で、何もかもが心地よく感じる上に、全身が溶けてしまいそうな恍惚感さえ伴います。
しかし、終わるのも早くて数分もすれば、元の状態に戻ります。
「久しぶりだったなあ」
と思いつつ、しかし、改めて街の風景や人々を見ていると、
「これって神話なんだよなあ」
とも思います。
神話の世界はあまりにも美しいものと醜いものと暴力的なものが混沌としていていますが、「どちらかというと、神話の世界は醜い部分が強い」ことは、世界どこの神話を見ていても、そんなようなものの気がします。
日本の神話も国産みの最初は、 ヒルコ - Wikipedia によれば、
ヒルコ(水蛭子、蛭子神、蛭子命)は、日本神話に登場する神。国産みの際、イザナギとイザナミとの間に生まれた最初の神。しかし、子作りの際に女神であるイザナミから声をかけた事が原因で不具の子に生まれたため、葦の舟に入れられオノゴロ島から流されてしまう。
始祖となった男女二柱の神の最初の子が生み損ないになるという神話は世界各地に見られる。
と、「不具の子だから川に流す」という現代で考えても相当非道なことをやっている人たちから神話というか、日本の形成がスタートしている。
そして、それが、
世界各地に見られる。
というのが神話の世界。
つまり、「神様の世界」。
さらにわかるのは、「そういう子に奇跡をもたらすことができない」という無能さ。
現代社会と、そして今の人間と何が違うのか? と思います。
幸い、多くの今の日本人は神話ほど非道ではないですけれど、同じようなことは多く見られるわけで。
非道を脈々と受け継ぐ人たちがいて、そして、そうではない人たちもたくさんいる。
常にこの世は神話である・・・というより、今は特に神話だと思います。
今日の「多幸感」の中を歩く異常な心地よさと、そして、その空間に、多分、必ず同居している苦痛や悲しみ、あるいは非道。
それらがすべてひとつの点だと感じた一瞬でした。
関係ないですが、以前の記事で「インド系アンビエント」を聴いているようなことを書いたのですが、次第に聴いているだけではつまらなくなり、いろいろな曲から部分部分を寄せ集めて、好きな音楽を再構成したりしています。
下のはそういうもののひとつです。
Spice of India vol.1
今日もいろいろなものを見ました。