2014年03月04日

夢で目覚めて、結局はただの思い出話を書いていて



今、夜中なんですが、夢で目覚めて眠れなくなりました。

最近、よく舞台をやっていた時代の夢を見ます。

実際にはやっていない公演の夢ばかりなのですが、その光景が意味していると思われる今から二十数年前が懐かしいのか何なのか・・・。

ポル・ポトは、子どもたちに向けた指令文書の中に、


泣いてはいけない。泣くのは今の生活を嫌がっているからだ。
笑ってはいけない。笑うのは昔の生活を懐かしんでいるからだ。



という言葉を書いていますが、まさにそういう部分があるのかもしれません。



中学1年の時、初めてレッド・ツェッペリンを聴いた時に、「やっと自分の人生が始まった」と思えた時から、わりとガーッと、しかし結構ダラダラと十代、二十代、三十代ときた中で、あとの四十代とか今とかはオマケなのか、不要な部分なのか、そのあたりも判然としないんですが・・・。



そういえば、先日まで1ヶ月以上かけて、 iTuens にある音楽を整理したんです。

ちょっと、その量がハードディスクを圧迫していて、少し減らそうと。たかが音楽でも、その数が多くなると、それなりに容量を食うんですよ。

下のは整理した後ですが、それでも 9500曲あると 40GB もハードディスクを占有しています。

iTunes.jpg


整理する前はさらに多くて、1万数千曲あったんですが、「全部聴いた」んです。そして、不要なのを整理したと。上の 9500曲でも聴くのにかかる時間が「 22日18時間47分」。整理する前はそれより多く、結局全部聴くのに、2ヶ月近くかかったのではないですかね。


でも整理してよかったですね。ずっと聴いていなかった懐かしい曲や、若い時に作った曲などもたくさんあり、「聴いておいてよかった」と思いました。

中でも、忘れていたのが、レッド・ツェッペリンが 1972年にインドのボンベイ(現在のムンバイ)でおこなったレコーディング・セッションで、これは正規のアルバムには収められていませんが、音は残っています。

特に、元のスタジオ・バージョンも好きだった「フレンズ」という曲のボンベイ・セッションは何とも平和な響きに満ちていました。

Led Zeppelin - Friends (1972 Bombay Sessions)




レッド・ツェッペリンは、いわゆるハードロックバンドとされていましたが、実際にはそういうカテゴリーから外れた自由なバンドでした。

その後の私が、パンクもノイズもテクノもジャズも民族歌謡もアヴァンギャルドもヒップホップも抵抗なく好きになれた背景には最初にレッド・ツェッペリンから「自由の洗礼」を受けていたことがあると思っています。



最近知ったこととの些細なリンク

曲を整理していた時、曲を流して作業している中で、

「お前は奴隷になる」

という意味を英語で繰り返し言っている曲があって、「これ何だっけかなあ」と、タイトルを見ると、1998年頃のアルバムで、アメリカのシンシナティという街で DJ をやっていたミスター・ディブス( Mr. Dibbs )という人の「 Slaves (奴隷たち)」という曲でした。

Presage/Mr.Dibbs - Slaves (part / 1998)




「ミスター・ディブスを初めて聴いたのは15年前? 20年前?」

と判然としないものの、そのアルバムの曲のタイトルを改めて見てみますと、そのテーマに今初めて気づきました。

全13曲で、すべてのタイトルは、

The Illuminati
New World Order
The Media
Riddles
Divide & Conquer
Aliens
Project Lucifer
The Secret Society
Remote Control
Novus Ordo Seclorum
Slaves
Trilateralism
Why?


となっています。

日本語だと、

イルミナティ
新世界秩序
メディア
ふるい分け
分割と征服
エイリアン
ルシファー計画
秘密結社
遠隔操作
ノウス・オルド・セクロルム(ラテン語で「新世界秩序」)
奴隷
三国間主義
なぜ?


というタイトルで、当時は英語のタイトルなんて読みもしなかったし、仮に読めても、イルミナティなんて言葉を知っているわけもなかったですしね。今になってはじめてアルバムの意味がわかりました。

そのアルバムはこんな CD のデザインでした。

presage.jpeg


これって、先日の In Deep の記事の「カオス化する2014年 : 地獄の業火に包まれ続けたウクライナと「プロビデンスの目」を結びつけるもの」に出てきた「プロビデンスの目」というものであることに気づいて、苦笑したんですが、15年も経ってその意味がわかるとは。

ミスター・ディブスって人は、当時は「ギャング化した仙人」というようなルックスの人で、体は全身がタトゥーで覆われていました。

mrdibbs.jpeg

▲ 15年くらい前の Mr.Dibbs 。


それにしても、ずいぶん音楽を聴いて、ずいぶん映画を見てきました。

最近はわりと本も読みますが、十代から四十代まではほとんど本のたぐいは読まないで生きてきました。これは今思えば正解で、音楽と映画に費やした時間を考えると、そこに読書が入り込む余地はあまりなかったと思われます。

音楽そのものには質量はないですけれど、聴く場合には「実際の時間が必要」というところはあって、これは現在のように音楽が電子媒体となって、実質的に存在しないようなものとなっても、聴く時だけには「存在として浮上する」という性質があります。

映画も同じですけれど、聴く人や見る人がいなければ、「存在しないもの」であるということにも気づきます。


何だか朝になるまで無意味にダラダラと書いてしまいました。
タグ:音楽


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posted by noffy at 05:31 | ペアである自分