2013年08月25日

魔物たちを集めて結局はそれらに助けられていた時代

最近、 In Deep の南極の記事なんかで、南極に廃墟っぽい光景を見つけて喜んだりしていた私ですが、こちらの記事には、



私も若い時には、舞台などで廃墟ばかり作っていたんですけど、廃墟は一方で確かにすでに「モンスターとしての存在そのものでもあった」という実感は今でも感じます。



というようなことを書いたのですけれど、ちょうど上の記事を書いた次の日だったと思うのですが、ある探し物をしていて、私の部屋の押し入れの箱を開けたりしていました。その際、昔の脚本なんかと一緒に、雑誌等が入った大きな箱が出てきまして、当時の私の劇団の記事が出ている資料などが入った箱でした。

箱の一番上にあったのが、今はなき写真誌『フォーカス』で、下のは1990年のものですので、もう23年前のものです。

forcus-omote.jpg


この号には私が当時、東京の浅草でおこなった公演の光景が見開きで記事になっていました。

下のような見開きです。

ru-focus.jpg


フォーカスなどにはこの後にも何度か取り上げられましたが、この号のフォーカスをよく覚えているには理由があって、当時、フォーカスはわりとメジャーだったせいか、北海道に住む実家の両親も買っていたみたいなんですね。

そして、そこに上のような写真が出ていたと。

もっとも、写真だけでは誰だかわからないのですが、下の記事には私の実名が出ていて、それで「息子だ」と知った母親が電話をしてきた記憶があります。

あんた東京で何やってんだい!?

と(笑)。


もう 28歳とかそのくらいでしたが、親も私が東京で何をやっているのかはよくわかっていませんでしたし、私も当時はほとんど北海道に帰省していませんでしたので、親子関係は断絶されていたようなものでした。

しかし、これで久しぶりに会話をしたと。

フォーカスが親子の縁も復活させてくれたのでした(苦笑)。



ところで、上の写真誌はモノクロなんですが、実際には趣味の悪い照明で綾取っていましたので、適当なイメージとして、たとえばですけど、下みたいな場だったのです。


ru-focus-2.jpg


そして、舞台の天井からは公演の後半の30分くらいずっと赤い水(血の意味)が降り続けていて、煙で全体がボヤけている。

そういう地獄のような場所であったのですが、この場所がどこだか想像つきますでしょうか?


実はここは今は下のようになっています。

asakusa-taishokan.jpg


なんと上の地獄のような場所は東京・浅草の大勝館なんですよ。


今はちゃんと復活している大勝館でどうしてこんなことができたのか?

私も実は、今回、 大勝館 - Wikipedia で大勝館の歴史を見るまで知らなかったのですけれど、その歴史を見ると、


1971年(昭和46年)10月12日廃業。63年の映画館の歴史を閉じた。建物は取り壊され、浅草中映ボウルが建築された。建物内にはアポロ、キャピタル、ロマンの3つの映画館も設けられたが、いずれも成人映画を上映していた。

1981年(昭和56年)ボウリング場と映画館が閉鎖されると、建物周囲を鉄塀で囲いそのまま廃墟ビルとして放置される。

(ここ)

2001年(平成13年)、浅草ロック座の斎藤智恵子が同館を借り受けることとなり、館内を改装の上、彼女が経営する劇場「浅草大勝館」として大衆演劇の興行を開始。




1981年に「そのまま廃墟ビルとして放置される」のあとの「(ここ)」と書いた時代におこなったものなのです。つまり、大勝館の「廃墟時代」におこなったものなのです。

もちろん勝手に行ったものではないですので、ご安心下さい。

これは 1990年の東京国際演劇祭の中で、下町を復興するという意味でおこなわれた下町演劇祭と題されたわりと規模の大きなイベントの中の出し物のひとつでした。

最初の打ち合わせの時に、

わたし 「ここ(大勝館)を好きなところ壊しちゃっていいということですか?」
担当者 「ええ、いいですよ」


ということで、「当局公認」だったんですね。

映画館だった一室を徹底的に破壊して舞台にしました。


既存の建物を破壊してから建築し直すという大がかりなことは、その後に1度やったことがあるだけで、いい思い出となっています。私たちには特別なスタッフとかそういうものもいないですし、そもそも料金の派生する人件費など考えたこともなくて、この時もその時のメンバー7名くらいですべての破壊と建築をおこないました。




廃墟とは人が逃げた場所だから

まあ、この頃は、他にも廃墟は数多く作ったんですけれど、舞台に廃墟を作るということは、「良い存在」を作ろうとしているわけではなく、「存在として悪いものを作ろうとしている」という部分があります。

なので、せっかく廃墟を作ったのなら、そこらの近辺にいる魑魅魍魎や怨霊や物の怪などの「魔物」たちがその時だけでも集まるのだろうと思っていました。

どうせ、私や私たちには誰にも魔物を見る力なんてないですので、気配すら感じないのですが、私たちのやっていた「演劇のようなもの」に一種、想像を絶するような迫力が生じていたことがあるとすれば・・・それは、舞台に集まった魔物たちによって出現した世界なのだと今でも思います。

その「悪いもの」たちは、舞台に異常な迫力を作り出してくれると同時に、そして、私たちをどうにも守ってくれていた。

最後まで誰も死にもしなかったし、大きな怪我をしなかったのですよ。
悪くても骨折程度でいつも済みました。


普通の人がちょっと動いただけで怪我をしそうな環境の中に頭から突っ込んだり、鉄棒で殴り合ったりしていた私たちですが、いつも生きて公演を終えられた。

それが良いものであれ、悪いものであれ、私の作った廃墟の舞台に集まってくれていた精霊(悪い精霊も含めて)たちは、私たちの体を通して、娯楽を作り出していたのかもしれません。

・・・いや、私たちをオモチャにして遊んでいたのかも。

でも、「あっちの世界とこっちの世界」は現実にはリンクしないとも思っています。

23歳の時に見た映画『フルメタル・ジャケット』の中で、教官が

God plays His games, we play ours.

と言うシーンがあります。

字幕はともかく、意味として「神は神として遊び、人間は人間として遊び、それは別々」というようなことだと思います。


まあ、別々のところに生きて、あるいは存在している。



いずれにしても、この世の悪い存在とは何かは個人個人で違うものでしょうけれど、今でも私は当時の「悪夢のようだけれど、奇跡の連続だった日々」を思い出します。


下の動画は、以前、海外の機関からプロモみたいなのを送ってくれと頼まれて作ったんですけど、途中でやめたものです。


self23 / 1987年〜1995年

タグ:Self23


Sponsored link




posted by noffy at 18:32 | 現世人類としての最期に