示唆の中で
この数日、いわゆる夢判断的には、個人か社会全体のことかはわからないですけれど、「転機の示唆」とされる要素がたっぷりの夢を見ていました。
数日前には、引っ越すために家を出て行く夢を見たのですが(実際に住んでいる家ではないです)、昨晩、今度は、新しい家に入居した夢を見たのです。「数日かけて夢がつながっているのだなあ」と起きてから感心しましたが、他にもいろいろと見ました。
どこかの街で「大晦日の夜から元旦の夜まで」同じ場所でその光景を眺めて過ごす夢を見たりしていました。
東京の渋谷のような都会でしたが、町は、大晦日には多くの人々でごった返していましたが、元旦には街には誰もいなくなっていました。
私は、多分その丸1日間、その街の歩道か路肩に座ってボーッと光景を眺めていたのですが、隣にいた人(誰だかわからない)に、
「どうして元旦に急に人がいなくなったの?」
と尋ねると、彼・・・というか、男か女性かもわからないですが、その人は、
「・・・それが理由だから」
と言うのですが、意味がわかるわからないはともかく、その言い方が、1995年1月に NHK で5夜連続で放映された埴谷雄高さんの『死霊』についての番組の中で朗読される蟹江敬三さんの言い方そのものだったんですね。
下みたいな感じです。
埴谷雄高『死霊』第一章「癲狂院にて」(1948年)
他にも「古いものから新しいもの」という概念を示唆するような夢を、この数日とてもよく見ていました。それが転機を意味するということなのかどうかはわからないですが、もうひとつの夢のほうが気になっていました。
言われてみれば確かに何もしていない最近
昨晩は5つくらいの別のストーリーの夢を見ていて、その中のひとつですが、夢の中で美しい女の子に、最近、カルチャー的なことをネットを含めても何もしていないことを指摘され、したほうがいいよ、と忠告されたのでした。
女の子は、昔のアニメ『マッハ GoGoGo』のヒロインの志村ミチみたいな髪型と顔つきの女の子で、アニメではなく夢の中では実際の人なんですが、知らない女性でした。

▲ 『マッハ GoGoGo』の志村ミチさん。これはやや現代風な絵。
目覚めてから、「そういえば最近は何もしていないなあ」と思います。
理由は後述しますが、気力もなくなっていたのです。
そして「何も考えない」という日々が続いていました。
私は誰でも知っているような一般的なことに関しては知らないことが多い非常識な面がある一方で、知っても知らなくてもいいようなどうでもいいようなマイナー文化に関しては、多くの人たちが知らないようなことを確かに知っているほうかもしれません。
アンダーグラウンドな音楽や映画、あるいはアートのカルト史的なものを含めて、若い頃から親しんできていました。でも、今はネットで文化を伝承することさえ含め、何もしていません。
この「文化の伝承」という行為を人がやめると、あらゆる文化と文明はそこで止まってしまうもののようにも思います。
それはどんなジャンルであっても。
夢の中で私に忠告してくれた美しい女の子は、そのことを思い出させてくれました。
感謝したいと思います。
十代のバースト

▲ 石井聰亙(現在は石井岳龍)監督の『爆裂都市』(1982年)より。
今朝、ニュースを見たら、
・作家、映像ディレクターの戸井十月さんが死去
産経ニュース 2013.07.29
というのが目に入りました。
彼は Wikipedia 的には、

という人物ですが、私にとっては、19歳の時に見た 映画『爆裂都市』に、町田町蔵さんと兄弟役で出演していたことを、とても強く思い出します。
この爆裂都市は俳優の陣内孝則さんの映画初主演作なんですが、それはともかく、当時の私たちには当時のロック、パンク界からの豪華なキャストに感動したものでした。
戸井さんは町田町蔵さんの兄の役で、下がふたり揃って写っている場面。

この後、戸井さんは日本を代表するバイカー作家となり、町田さんは芥川賞作家となっていくのですから、世の中はいろいろです。
かれらの正式な役名を知らなかったので、 Wikipedia で見てみましたら、下のような役名だったようです。まあ、当時はいろいろとこんなもんでした(笑)。

当時、つまり 30年以上前、いろいろな音楽をきいたり、こういう映画を見たり、そういう若い時代を送っていた時には「未来はバラ色」に映ったものでした。
地球は完全な自由な時代になる。
パーフェクト・フリーの時代が来る、と。
まあ、でも実際には来なかった。
それどころか、30年前より人間社会の自由性は明らかに摩耗してしまいました。
そして、私は私の生きている時代にはもうそれは来ないと最近思っていた。だから、「そんな中で文化を伝承してどうなる」と捨て鉢な気持ちもあったんですけれど、昨日の夢の中で、

から忠告された後に、「自由な時代が来る来ないは別として、ひとりの人間の生き方としてはそういうこと(マイナー文化の伝承)も大事かもしれないな」と。
地球が滅びようが人間が絶滅しようが、それは仕方ないことですが、 DNA の記憶の中に残される(と思われる)記憶は残しておいてもいいのかなとも思います。
思えば、私もじきに 50歳ですからね。
幼稚園の頃、医者に「この子は7歳までは生きない」と言われて、本当なら死んでいたはずの私が生きたその後の四十数年はオマケとしての人生のようなものなのですから、オマケなりの生き方はあるとも思います。
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