2013年03月29日

現世人類としての最期に(10) - 平衡を失った世界だけれどこれはゲームじゃない



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▲ 1982年のナレーションの一切ない「映像と音楽だけ」のドキュメンタリー映画『コヤニスカッツィ/平衡を失った世界』の冒頭に出てくる米国の先住民族フリーモント族(ホビ族の一派)の壁画。もともと、「コヤニスカッツィ」とは、ホピの言語で、意味は「常軌を逸し、混乱した生活。平衡を失った世界」とのこと。この映画は今回の話とは直接は関係ないですけれど。
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シルエットや影が革命を見ている。もう天国の自由の階段はない

数年前に酔っ払って、 In Deep にアップした記事があって、その記事は今はもうないですけれど、デヴィッド・ボウイという英国のミュージシャンの 1980年のスケアリー・モンスターというアルバムの一曲目の「イッツ・ノー・ゲーム/ It's No Game (Part 1)」という曲のことを書いたことがありました。

その歌は英語ですが、同じ内容のナレーションが、べて日本語で語られるという、世界的なメジャーミュージシャンの曲としては珍しいものでした。ナレーションはミチ・ヒロタ(廣田三知)さんという日本人女性によるものでしたが、多分なんですが、英語から日本語にしたのも彼女ではないかと思うのです。

そのせいなのか、実際の英語のニュアンスと比べて、情緒的であることに最近気づきました。

下に YouTube にあるその歌を貼っておきます。

日本語のナレーションの部分も動画の下に書いておきますが、今回、私は英語のオリジナル、つまり、33年前にデヴィッド・ボウイがこの歌に書きたかった「革命」というイメージが、今の私がクレアで書いているこの「現世人類としての最期に」というもので書きたいことと重なるものがあると思いましたので、オリジナルの日本語ナレーションのあとに、私の翻訳バージョンを記しておきます。

表現が男性的である部分を除けば、それほど意訳はしていません。


デヴィット・ボウイ - It's No Game (Part 1) 1980年




オリジナルの日本語ナレーション

シルエットや影が革命を見ている
もう天国の自由の階段はない

俺、現実から締め出され
何が起こっているかわからない
どこに教訓があるか
人々は指を折られている
こんな独裁者に卑しめられるのは悲しい

新聞は書き立てなさい

難民の記録映画
標的を背にした恋人たち
民衆に石を投げれば粉々に砕け
昨日に蓋をすれば
恐怖は増す

俺の頭に弾を撃ち込めば
新聞は書き立てる




It's No Game (Part 1) 英語部分の私による翻訳

うごめく影どもが革命を監視している
もはや天国への自由の階段はない

現実の出来事から締め出され
状況はまったくわからない
でも、ひとつだけわかる

これはゲームじゃない

難民の記録映画
処刑される恋人同士
民衆に石を投げればそれは粉々に砕ける
昨日のことに目をつぶれば恐怖は増すのだ

俺の頭を撃ち抜いて殺せ
そうすれば新聞屋たちは書き立てる

モラルは消えた
人々は指を折られ続けている

こんな独裁者たちに卑しめられ続ける屈辱はもうたくさんだ




今回の作品で、特に31年前の映画『コヤニスカッツィ/平衡を失った世界』はご存じない方には見ていただきたいと思いますので、Amazon のリンクを貼っておきます。




次第に時間が少なくなっている気もしまして、この今の時代の「いい文化」というものはできるかぎり、共有しきながら、ひとつの時代を終えていくべきだと最近の私は思います。


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posted by noffy at 16:30 | 現世人類としての最期に