2013年03月24日

現世人類としての最期に(8) - あぶらだこが促してくれた「ダーウィンとの和解」



ダーウィン・・・。

その名を知らない人はいないと思います。
Wikipedia から抜粋します。


ドイツの作曲家。音楽史上極めて偉大な作曲家の一人とされ、楽聖とも呼ばれる。その作品は古典派音楽の集大成かつロマン派音楽の先駆けとされている。



……あれ? そんな人だっけ?

ああ、よく見たら、ダーウィンではなく Wikipedia のベートーベンのほうを引いていました。こういう間違いはよくありますよね。

まあ、いずれにしても、このダーウィンは進化論という学説の第一人者ということになっています。

顔つきなども確かに凛々しい。


darwin-1.jpg

▲ チャールズ・ロバート・ダーウィン(1809 - 1882年)



……あれ? なんか違う気もする。


ああ、ダーウィンこっちだ。

darwin-lg.jpg


まあ、容貌だとかはどうでもいので、写真なんかも大体合っていれば(種族とか性別とか)いいと思うのですが、このダーウィンの「進化論」というのは、実は「ビックバン」という理論が作られる人間的な思想の温床となりました。

科学的には何の関係もなさそうなこのふたつには、

・何らかの始まりがある
・それは進んでいって終わっていく


という部分で同じなのですが、人間は自らの生命を「有限」と考えるところから、このあたりの思想に行き着いたようですけれど、まあしかし、最近はどうでもいいような気もしてきました。


なにしろ、リセットの時代を迎えたわけですから。


いつか、またこの地球に出てくる子どもたち、そしてその子どもたちが育って大人になった時に、今の記憶の伝承は残っていてはいけないと私は思っています。


映画とか音楽とか絵画とか、伝えたいものもありますけれど、「選別」というのはできない。それはまた人それぞれの趣味になってしまって、「社会的に強いものの選ぶものだけが残っていってしまう」から。


なので、とりあえず全部消す。


また1から。


そんなわけで、今ではもうこのダーウィンに対しても悪感情はなくなりました。


そう考えさせてくれたのも、最近、やたらと歌詞を紹介している「あぶらだこ」という、 25年くらい前に活発に活動していたハードコアパンクバンドの歌詞によります(現在もあることにありますが、メンバーが違う)。

クレアの最近の記事でも、

真夜中のあっちゃんが言った「私の責任」の所在(後編)
「億の神が地下水で眠っている」で始まる歌に救われて

などに、あぶらだこの歌詞を載せています。


今回も載せます。

しかも、そのタイトルはもろに「ダーウィンの卵」。
1986年頃の曲だと思います。

先に歌詞を載せておきます。

以前のものもすべてそうですが、歌詞は、この歌っているヒロトモさんというボーカルの人によるものです。



ダーウィンの卵

ab-2013-03.jpg


資本淘汰の種の根源
突然変異の今
生存闘争で蛸敗れ
墨を吐いて立ち下がる

結論、形能的、機能的な
意志は同種の変化により
遅かれ早かれ無我夢中の
適応拡散によじ上る

早く早く歩いてここまで来て
せめての間は一人で走る

貧乏で出現の根源
突然家出の今朝

見えざる死にざる着かざる
骨のずいまで青い鳥

大変化は開拓の労働により光りに守られ
あと先もなにも考えずに卵の中から蘇る

突然変異の今
生存闘争で蛸敗れ
墨を吐いて立ち下がる

結論、形能的、機能的な
意志は同種の変化により
遅かれ早かれ無我夢中の
適応拡散によじ上る

早く早く歩いてここまで来て
せめての間は一人で走る





あぶらだこ - ダーウィンの卵 with Lyrics




この歌詞を知ったのは最近ですが、「機能的な意志は同種の変化により遅かれ早かれ無我夢中の適応拡散によじ上る」というフレーズは驚くばかりです。

これを聴いていた頃は、22歳くらいの頃だったと思います。

体中全身にガムテープを巻いて、体の中に小さなラジカセを埋め込んで、「自分自身が音楽発生器になる」というコンセプトで、東京の早稲田の街を歩くというようなイベントをひとりでやっていたことがあります。

下の写真は、その最初の自殺「的」イベントの 15年後くらいに渋谷のアートギャラリーから依頼されて、同じことをやったものの時の資料写真で、本番ではなく、これでもまだメイク途中です。

pack_h.jpg


私の希望は「口の呼吸だけ残して、皮膚呼吸を完全に止めること」でした。
それで何十分くらい動いていられるのか。

実際、上のも「自分で何のために何でこんなことをやっているのかわからない状態」でした。


この頃すでに私の公演等に無償で手伝ってくれる人たちがいました。結局そういう「人の嗜好を赦す」人間だけと今でも付き合っているような感じなのかもしれません。

特に、この頃の付き合いのあった人たちは「私の自分の命を預けたことのある人」たちですから、今たまに会ってもまあ気楽です。


過去の表現活動では、「確実に死ぬかも」と思ったことが3度ありました。

ところが私は今生きている。



そして、なんだかありきたりの人生になってしまって・・・。



あの時、どこかで死んでおけば・・・と思うことは本当によくあります。

でも、生きていて楽しいこともたくさんありましたからね。

だから死ぬ時期での人の存在の価値の比較はできません。
タグ:ダーウィン


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posted by noffy at 23:19 | 現世人類としての最期に