
なんだか前回の記事には、
> 現世人類としての最期にということを考えている私に示唆を与えることがたくさんありました
などと書いてありますけれど、そんな大仰な話ではなくて、私の若い時のアンダーグラウンド音楽の経験のひとつの中にあったフレーズが、二十代前半の飲み屋の女の子から出てきたというようなことなんです。
ところで、この「あっちゃん」なんですけど、最初に私の席に来てしばらく話をしていた時、なんだかやや複雑な表情で私を見ていました。もちろん初対面です。
わたし 「オレの顔、なんか変? ごめんね。最近はアゴも垂れてきて修復が難しい容貌に・・・」
と私は卑屈な話をしていたのですが、あっちゃんは、
あっちゃん「いや、あのさ、昔好きだった人にちょっと似てるのよ」
わたし 「誰が?」
あっちゃん「あなた」
わたし 「ゲテモノ趣味?」
あっちゃん「そういうわけではないけれど」
わたし 「ウソでもなんでも大変に嬉しく思う所存に御座います(陛下風)」
わたし 「誰が?」
あっちゃん「あなた」
わたし 「ゲテモノ趣味?」
あっちゃん「そういうわけではないけれど」
わたし 「ウソでもなんでも大変に嬉しく思う所存に御座います(陛下風)」
というような他愛のない話をしていたのですが、聞くと、このあっちゃん、
「週に6日お店に出てる」
ということで、よく働くなあと思ったのですが、さらに聞くと、
「昼の仕事が終わってから駆けつけるから結構、時間は大変」
と言います
わたし 「昼? 昼も働いてんの?」
あっちゃん 「うん」
わたし 「夜、週6で働いて、昼も毎日?」
あっちゃん 「毎日っていうか、平日」
わたし 「なんの仕事してんの?」
あっちゃん 「メイクアップ」
わたし 「しかし、それじゃ毎日寝てないじゃん」
あっちゃん 「うん・・・まあ、そのへんは別にダメージ感じないけど」
わたし 「なんでそんなに働くの? 借金でもあるの?」
あっちゃん 「留学したいのよ」
わたし 「あーなるほど。メイクの留学?」
あっちゃん 「うん」
わたし 「どこに留学するの?」
あっちゃん 「アメリカ」
わたし 「やっぱ、メイクの本場もアメリカなの?」
あっちゃん 「本場かどうかはともかく、留学だとアメリカみたいね」
というような女性だったんですが、話の主題はここからで、
わたし 「いつ留学しようと思ったの?」
あっちゃん 「わりと最近なの」
わたし 「なんで?」
あっちゃん 「ある夜にさ、ふと自分がなぜ生きているのか分からなくなっちゃったのよ」
わたし 「そういう時はローソンのちょっと高いおにぎり食べるといいよ」
あっちゃん 「(笑)。で、夜にひとりで外に出てみた時に決心した」
あっちゃん 「わりと最近なの」
わたし 「なんで?」
あっちゃん 「ある夜にさ、ふと自分がなぜ生きているのか分からなくなっちゃったのよ」
わたし 「そういう時はローソンのちょっと高いおにぎり食べるといいよ」
あっちゃん 「(笑)。で、夜にひとりで外に出てみた時に決心した」
この彼女の一連のフレーズを聞いている時、何か思い出しそうだったのですが、次の日になって、
「ああ、あの歌詞と一緒じゃん!」
と思い出したのでした。
以前、
・「億の神が地下水で眠っている」で始まる歌に救われて
という記事を書いたことがありましたが、それは「あぶらだこ」という 1980年代に私がよく聴いていたハードコアバンドの曲のことを書いたものでした。
そのあぶらだこには 「象の背」という曲があります。
これもやはり 25年以上前の曲ですが、下のような歌詞です。
象の背
なぜ生きているのか分からなくて一人で外に出てみる
もっと自由の偽善の嘘で楽しく暮らしたかった
僕らの未来は全々暗くないと信じてみる
嫌れ者の行く先は聖人を超えて快感
貧困の翼をなびかせて歩く象の群れの声
象の上に乗って君らをみんな踏み潰してあげたい
この最初のフレーズの、
「なぜ生きているのか分からなくて一人で外に出てみる」
ということを実践した上に、それで人生を決めたという彼女。
私も「なぜ生きているのか分からなくて一人で外に出てみる」ということは特に震災以降はよくありましたが、でも、コンビニでお酒を買って路上に座って飲みながら、通りゆく若者を睥睨するというようなことしか思いつきませんでした。
「なるほど。なぜ生きているのか分からなくて一人で外に出てみる時に、そこで人生を考えるという選択もあったのだなあ」
と思いましたが、もう遅いので、まあ、せいぜい上の歌詞にある、
「僕らの未来は全々暗くないと信じてみる」
とか
「嫌れ者の行く先は聖人を超えて快感」
あたりを忘れないようにまた生きていこうと。
この「嫌れ者の行く先は聖人を超えて快感」というフレーズは、なかなか好きで、最近 In Deep での「イエスは自由自在に姿を変える生命存在だった?」で、「ユダの接吻」というものにふれたことがあります。

この時のユダとかはわりと快感の中にいたのじゃないかなあとか。
「カ・イ・カ・ン」というセリフは、1980年代の日本映画『セーラー服と機関銃』での薬師丸ひろ子さんの確かラストのセリフだったように記憶しています。

なんだかムチャクチャいい加減な展開になってきていますが、まあ・・・・・。
僕らの未来は全々暗くないと信じてみる。
というフレーズはこの 25年間、私の頭の中に残っていたわけですので、そうなるといいですね。もちろん、ここでいう「僕ら」とは自分のことではなく、僕らの「地球の未来」という意味です。
即席でその歌の歌詞入りの動画を作りましたので貼っておきます。
あぶらだこ - 象の背(1986年)
まだ「現世人類としての最期に」のシリーズは続くと思います。
できれば次世代の人類の未来のために。
今の世代はもういいです。
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