2013年02月26日

現世人類としての最期に(1)


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最近、クレアの更新が開いていますが、現状を考えますと、今後もあまり更新はできないようにも思います。

そして、In Deep の記事を書くために毎日のように見る現象や、データ、あるいはそこにオカルトを加えて見てみても、「時代の急変」というものがそんなに遠くないことを確信的に思う部分があります。

なので、In Deep の記事をできる限り書く一方で、クレアの日記的な更新をやめまして、上の「現世人類の最期に」というタイトルで、書ける時にだけ短く書いてみたいと思います。


結局、私本人はどうしても、どこまでも現実主義的で、スピリチュアル的な意味での未来への幻想を抱くことができないまま、時間はこのまま過ぎていくと思いますが、私が現在の世の中に生きる中で最も絶望していることがあるとすれば、 In Deep などでも、たまに書いていたことがありますが、「アリストテレスが別々にしてしまった地球と宇宙の概念を人類は是正できなかった」ということだと思っています。

人類は、数千年かけてその前の時代の概念に戻ること(地球は宇宙の中にあるということを感じながら生きること)が必要だと思っていました。

そして 2008年頃から2012年頃にかけて、そういう「概念の是正」のようなことが起きるのではないかと思っていました。


しかし、私たち人類にはそれができなかったと今感じます


現代人類は宇宙を精密に観測していて、あたかも、「宇宙と密接化していく」というような勘違いが多くありますが、現実には、どんどんと人間(あるいは地球)と宇宙の関係は希薄になっていて、先日のロシアの隕石爆発などでも、あの程度のことで、「天体から防衛システムを作る」などと言っている国もあります。どうでもいいですが、天体からの完全な防衛システムを作るというのは理論的に完全に不可能なことです。その理由は天文学者なら本当はわかっているはずです。


しかし、それはともかく、病気や交通事故で死ぬことと比較して、天体で死ぬことはそんなに良くないことですか? と考えてしまう。

この事実は「私たち人類は宇宙をのけ者にしている」という感覚で生きているというひとつの例にも思え、日食や流星を「見世物」として楽しむけれど、「地球に来た天体は悪者」


キリスト教の聖書やイスラム教のコーラン、あるいはブッダの言葉などが正しいのなら、宇宙は「自分を認識してもらいたくて人類を作った」と読めます。


そこには「存在しない宇宙が最初から」あり、ずっとずっとある。


人類が認識を初めてから宇宙は物理的にも存在するようになりましたけれど、最近の流れを見ていますと、「もはやこれまで」という感じはします。

認識されない宇宙の悲しみ、というものはずいぶん前からクレアでも考えていましたけれど、宇宙存在そのものが「悲しみの存在」であるうちは、どんなに希望的な観測を持っても、その存在全体は楽しい状態へと浮上できないと思います。

そこで宇宙はどうしようかと考える。

聖書の「ヨハネの黙示録」だったか何だったか、


「見よ、わたしはすべてのものを新たにする」


と言っているくだりがあったと記憶しています。

全部を刷新する、と。

神学者カール・バルトの「ロマ書」には、「すでに終末はもたらされている」とあり、「あとは人類がそのことに気づくことだ」というようなことが書かれてあったような気がしますが、つまり、この世には、時間軸でいう「終わり」は存在しないという考え方がありますが、では、どういう時に宇宙は、

「見よ、わたしはすべてのものを新たにする」

とするかというと、それは、「人類に認識されて存在している宇宙」が、人類に認識されなくなり始めた時ではないかと私は思います。

宇宙は新たに自分を認識する存在に託したい。



震災の後に、「宇宙の「自殺」を食い止めるべきかそうではないのか?」という記事を書いたことがあって、そこに、

「このまま何もせずにいれば、いつかはその宇宙の自殺プログラムというものは多分、作動するんだろうなあ」。

と何の考えもなく書いたことがありましたけれど、その時は自分でも何のことを書いているのだかわからないまま書いていましたが、そのことを思い出しました。


次がいつになるかわからないですけれど、書ける時に書きます。でも多少急がないと、物理的な意味ではなく、精神的な意味であまり時間がなさそうです。


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posted by noffy at 15:10 | 現世人類としての最期に