2012年12月16日

架空の死である 「Xゾーン」を求めてから 20年たって

1990年頃だと思うんですが、X-Zone (エックス・ゾーン)という概念に取り憑かれたことがありました。
その頃はまだタルコフスキー監督のゾーンを描いた『ストーカー』も見ておらず、自分の中に浮かんでくる「ゾーン」というものがどんな概念のものなのかさっぱりわからなかったんです。


ひさしぶりに「そういえば、Xゾーンっていう概念に取り憑かれていたなあ」と思い出したのは、下のチラシが出てきたからなんです。

2001年と書いてありますので、11年前ですね。
同時多発テロのあった少し前ですかね。

x-zone-02.png




「エックス・ゾーン」と自分で呼んでいる限り、そこは「通常の感覚では行けない(見えない、触れない)概念の場所」であるとは思ったんですが、具体的にわからない。


しかし、私は二十代の頃からパニック障害などで「死の恐怖」というものを繰り返し味わっていたこともあり、

死に近いあたりになんかありそうなんだけどなあ

と考えていました。


上のチラシには「自殺ギグ」なんて書いてありますけど、実際にそんな物騒なことをするわけではないです。

ただ、「痛めつけられるだけ、自分の体を痛めつけてみるという " 架空の死 " の試み」は、わりと若い時からやっていました。もちろん、舞台やステージの上で、です。

プライベートでは「今でも歯医者で泣くほど痛いのは大嫌い」なので(笑)、そんなこと絶対しません。


いずれにしても、人前でとにかく自分を傷つける。

その理由みたいなものとしては、

「痛みと苦しみの向こうには見えるんだろうか」

という疑問だったと思います。

パニック障害の発作ってのは本当に苦しいもので、「死んじゃったほうがマシ」と、誰でも思うのですが、でも死なない。


そのうち次第に、

「これからの人生で苦しみと共存していくのなら、徹底的にやってやる」

そう思ったのが二十代だったのかもしれません。


まずは「神のような存在(完全な存在と言われるもの)」というものを自分の中で想定してみる

その自分で想定した「神のような存在」と戦うわけです。


先日、昔からの知り合いたちが所沢まできて、昔の話をしていたんですけれど、

「まあ・・・何だったんだろうね」

というような話にはなりました。

それはつまり、「何らかの結論や目標が最後まで見えなかった」からです。
「苦しみの向こうに光があるのか」ということも。

しかし、飲んだ後に道ばたで彼らと話しているときに、こっちに来てから知り合いになったメイドカフェの十代の女の子が歩いてきて、「わあ、リンゴちゃん、またかわいくなって・・・」という私の台詞をキッカケとして、知り合いたちとの話は「どうして今の十代の女性はこんなに美しいのか?」という方向になっていきました

いや、なんかね。上みたいなこととか変なことやっていたのは確かですけど、基本的には女の子のことを考えるのが第一義的な生きる目的でしたし、今もそうですので。



とはいえねえ・・・一体、自分はあの頃、あれだけ自分を痛め続けて何を求めていたのかなあ。


下のは映像がムチャクチャですが、1980年代の終わり頃に上のチラシと同じテーマで私がひとりでおこなったものです。

内容的には「自分を痛めつけた後に、自分の体を、自分でゴミ捨て場に遺棄する」

というものでした。
自分の体にビデオを装着(工業用テープで体にじかにビデオカメラを接着したんです)して撮影したので、こんな画像しか撮れないんですよ。




終わった後に、「ああ楽しかった」と思っただけでなんの答えも出ない。
こういうのやって何度も何度も怪我したりしてバカですよねえ(笑)。


そうして、今、私は 50歳に近づいています。

人生って一体、何を探しているのかなあ。

というより何のために「人生」という人の時間軸って存在しているのだろうなあ。


わからないことばかりですね。
タグ:Self23


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posted by noffy at 19:32 | 23 to 24