
▲ 秋の終わりの夏と冬の花の共演の一瞬です。10月26日。
--
家の電話に電話がありました。
相手 「あー、オレオレ」
わたし「ああ・・・それは今、足りてますので」
相手 「オレオレ詐欺じゃないですよ。オレですよ、オレ」
わたし「あー、だから、うちはちょっと大丈夫ですんで、他をあたって・・・」
相手 「オレですよ、ハナダですよ」
わたし「あー・・・」
相手 「・・・」
わたし「・・・えーと・・・」
相手 「忘れてるんですか」
わたし「いや、わかったけどさ」
わたし「ああ・・・それは今、足りてますので」
相手 「オレオレ詐欺じゃないですよ。オレですよ、オレ」
わたし「あー、だから、うちはちょっと大丈夫ですんで、他をあたって・・・」
相手 「オレですよ、ハナダですよ」
わたし「あー・・・」
相手 「・・・」
わたし「・・・えーと・・・」
相手 「忘れてるんですか」
わたし「いや、わかったけどさ」
というわけで、ずいぶんと会っていないむかしの知り合いから電話がありました。
ハナダくんという人です。
ハナダ 「久しぶりですよね」
わたし 「10年ぶりくらい?」
ハナダ 「そのくらいになるかなあ」
わたし 「じゃあまた10年後に! じゃあね」
ハナダ 「それで終わりですか!」
わたし 「いや、なんかもう人と話すの面倒でさ」
ハナダ 「昔から人の話きかないしねえ」
わたし 「あ・・・」
ハナダ 「何?」
わたし 「10年後って言ったけど、20年後にしよう」
ハナダ 「オレは嫌われてるんですか!」
わたし 「じゃあ、19年後」
ハナダ 「変な駆け引きはいいです」
わたし 「10年ぶりくらい?」
ハナダ 「そのくらいになるかなあ」
わたし 「じゃあまた10年後に! じゃあね」
ハナダ 「それで終わりですか!」
わたし 「いや、なんかもう人と話すの面倒でさ」
ハナダ 「昔から人の話きかないしねえ」
わたし 「あ・・・」
ハナダ 「何?」
わたし 「10年後って言ったけど、20年後にしよう」
ハナダ 「オレは嫌われてるんですか!」
わたし 「じゃあ、19年後」
ハナダ 「変な駆け引きはいいです」
最近、妙に昔の知り合いと偶然会ったり、連絡があったりします。
あと、変な偶然の重なりで結局、意外な昔の知り合いに繋がったりする。
わたし 「これはもう、オレもお迎えが近いんだと思うよ」
ハナダ 「まだ死んじゃう年じゃないでしょ」
わたし 「まず、キミからだろうけど」
ハナダ 「オレが死ぬんですか」
わたし 「この電話を切った途端にその心臓が・・・」
ハナダ 「本当に体弱いんだからやめて下さい」
ハナダ 「まだ死んじゃう年じゃないでしょ」
わたし 「まず、キミからだろうけど」
ハナダ 「オレが死ぬんですか」
わたし 「この電話を切った途端にその心臓が・・・」
ハナダ 「本当に体弱いんだからやめて下さい」
というような話をしていました。
まあ、ハナダくんは「まだ死んじゃう年じゃない」と言いますけど、お互いに要するにぶっちゃけ 50歳ですからね。
昔でいえば、男性の寿命。
いや、今でもアフリカあたりでは、男性の平均寿命が 30代、 40代というのはよく見られます。
下のはアフリカの何カ国かの1958年からの平均寿命の推移。
アフリカ諸国の1958年から2003年までの平均寿命

ボツワナとかジンバブエは、2003年の時点で平均寿命が 40歳より下ですしね。
その後、改善したというような話も聞かないですし、平均寿命がその国の人たちの年齢を決定づけるわけではないですが、平均でみれば、 40歳より前に亡くなる人が多いということはいえそうです。
上の表のウガンダなんかを見ると、最も平均寿命が高かった 1970年くらいで 50歳くらい。アフリカの平均寿命の低さはエイズが大きな原因のようですけれど、ウガンダの場合、エイズの登場以前から低い。
ウガンダといえばアミン大統領ですが、彼など亡くなったのは 80歳で、ウガンダ人としては相当長生きでした。ちなみに、アミン大統領って「人食い大統領」とか言われてましたけど、伝記をたどると、アミン大統領はどうやら菜食主義者に近かったらしく、肉はほとんど体が受けつけなかったそうです。
最近、「みんなで会いましょうよ」というような話が出ることが多く、ハナダくんもそのようなことを言っておりました。
ハナダ 「こんど、昔のみんなでパーッと集まりましょうよ」
わたし 「ああ、いいね! 2030年頃にパーッと・・・」
ハナダ 「そんなに先ですか!」
わたし 「いや、オレ、今、東京じゃないしさ」
ハナダ 「そっちでもいいですよ」
わたし 「2029年ってのは?」
ハナダ 「人間が嫌いになったんですか!」
わたし 「高島忠夫の息子って離婚成立したの?」
ハナダ 「ムチャクチャな話の逸れ方ですか!」
わたし 「あー、うるせえよ。もう好きにさせてくれよ!」
わたし 「ああ、いいね! 2030年頃にパーッと・・・」
ハナダ 「そんなに先ですか!」
わたし 「いや、オレ、今、東京じゃないしさ」
ハナダ 「そっちでもいいですよ」
わたし 「2029年ってのは?」
ハナダ 「人間が嫌いになったんですか!」
わたし 「高島忠夫の息子って離婚成立したの?」
ハナダ 「ムチャクチャな話の逸れ方ですか!」
わたし 「あー、うるせえよ。もう好きにさせてくれよ!」
という心境の最近だったりします。
そういえば、夏の一番暑かった頃に書いた記事で、夏越しさせていたジュリアン(冬の植物で30度以上だと枯れる)のことを書いたことがありました。
下の写真は7月の終わりのもので、あまりにも暑い時にはクーラーに当てていました。

その後、8月も9月も日中 35度をキープし続けた猛暑。
さすがにダメかなと思っていたのですが、今、上の彼女は、下のように葉はボロボロになりましたけれど、花を咲かせようとしています。

どうやら、地獄の夏をこのジュリアンは生きのびたようです。
次は冬。
この夏と秋を楽しませてくれた草木たちに地獄が訪れます。
気候だって、今までと同じかどうかもよくわからない。
でも、着々と夏の植物の冬支度も始めています。
私たち人間にはジャスモン酸エステルを分泌させる力があるのだから大丈夫。
上の意味がわからない方は、In Deep の「人類が獲得し得る「最強の農業テクノロジーの可能性」とは」をお読み下さると幸いです。
しかも、これは私もその後に、実証できるくらいに植物栽培で確信してます。
上のジュリアンもしたことといえば、「毎日さわること」だけでした。
この概念の基本は、
・植物をさわる
・無視しない
・無視しない
というだけです。
本当に他に何もないのです。
これを知ってから、私は自分の子どもを以前よりよく抱き上げます。
まあ・・・多分ですけど、人間も「さわられる(意識を向けられる)」ことには、きっと「明確な」意味があるような気もしています。