要するに「今までと同じに生きる」というだけの意味ですが、これをさらに徹底するにはどうするのがいいかというと、もう「なるべく人と会わない」ということに尽きるわけだったりします。
結局、50年近く生きてきてしまったわけですが、これまでずいぶんとたくさんの人々と出会ったとはいえ、「自分の思っていることを素直に話せる人」というのは、全世界で数人くらいしかいなかったということもあって、残った人生を考えると、その数が変わるわけもないなあと思います。
特に、新しい出会いに関しては、今後は「すべて拒絶しよう」と考えていて、私の人との出会いの人生というのはすでに終わったのだと思います。
最近、たまに所沢まで昔の友人たちが入れ替わり来てくれて、それが他人のコミュニケーションのすべてという感じとなっています。
先日は、こちらまで来てくれた友人と2日間くらい飲み続けました。
彼も同じくらいの年ですが、バツイチでひとりものです。
でも、「ひとりが楽なことに気づいてしまって、このまま進みそう」とのこと。
以下少し彼との会話など。
知人 「なんか最近死にたくなることも多いよ」
わたし「ごめん。今、喪服ないから葬式に行けないや」
知人 「そんなに展開を先取りするのかよ」
わたし「考えたら、最後にネクタイしたのって15年くらい前だな」
知人 「いつ?」
わたし「ほら、ミナミくんの結婚式」
知人 「あーあれか」
わたし「キオスクでネクタイ買ったんだけど、オレ間違って黒買ったじゃん」
知人 「ああ、あれはしてっちゃダメだったな」
わたし「そもそも、なんで日本の冠婚葬祭なのにネクタイなんだよ!」
知人 「知らないよ、そんなこと」
わたし「羽織袴とか、白装束とかでいいじゃんよ」
知人 「羽織袴の参列者はジイサンとかでいそうだけどな」
わたし「本当はそれでもダメだね」
知人 「どうすんの?」
わたし「魏志倭人伝の世界だよ」
知人 「どうすんだよ」
わたし「上半身裸で入れ墨。あと、歯に色を塗るんだよ。もちろん全員だよ」
知人 「すごそうな結婚式だな」
わたし「祝辞とかはなしで、シャーマンが幻覚キノコ喰って絶叫する」
知人 「うーむ・・・」
わたし「ただね。肉食のなかった日本はこれで終わるけど」
知人 「他だと何か続くのか」
わたし「ボルネオとかアフリカだと、ここで牛の首を撥ねるというイベントが」
知人 「地獄の黙示録を思い出すな」
わたし「その血を杯に入れて祝杯。肉は焼く」
知人 「下味は?」
わたし「それはない。焼肉のタレもなし」
知人 「精妙にして野趣に富む」
わたし「そういう海原雄山みたいな味の論評もなしだ」
知人 「お先真っ暗といえばさ」
わたし「誰もお先真っ暗なんて言ってないぞ」
知人 「大学の時、宗教学の講義でさ」
わたし「どんどん進む話かよ」
知人 「スペインの異端派の話の時、教授がこう言ったんだ」
わたし「何?」
知人 「こんな異端もいたんかい」
わたし「・・・・・」
知人 「ギャグだったみたいで、教授本人は笑ってるんだ」
わたし「・・・・・」
知人 「あれから、オレは世の中を少し醒めて見るようになったね」
わたし「・・・・・これから、うちで DVD でも見ようか」
知人 「何ある?」
わたし「そっちが好きそうなのは・・・スターシップ・トゥルーバーズとか、デスレース2000とかある」
知人 「ああいいね! リコの元恋人の彼氏がバグに脳みそをすすられるシーンでも見て夜でもあかすか」
それから、本当にうちの私の部屋で朝まで DVD を見ながらお酒を飲み続けたのでした。
(奥さんと子どもが彼女の実家に遊びに行っていた日)
ちなみに、「デスレース 2000」というのはあまりご存じない映画かとも思いますが、30年近く前のアメリカ映画で、今の時代ではもう作れないタイプの「非道」という文字に貫かれたアメリカ映画です。
「弱い者をひき殺せばひき殺すほど得点を獲得できる国家によるカーレース」の話ですが、今あらためて見ると、「なんか、今って結局こんな世の中かも」と思わせるものもあります。
この映画は、80年代、90年代とずっと三流映画扱いだったのですが、今は「カルト」という扱いをされていて、一応、Wikipedia にも載っています。
この映画の最後は、なんだか教訓めいて終わるのですが、そこを貼っておきます。
車を運転しているのが主人公のレーサーですが、このシーンは彼が「前代の大統領を殺して大統領になった」直後です。
デス・レース2000年 ラストシーン
こんなナレーションが入っています。
この殺りくの歴史だが、
人類初の武器は紀元前 200万年前に猿人の一群が発明した。
この猿人は知能は高くなかったが、小さな斧を作り出し道具に用いた。
この道具の使用は脳を発達させた。
そして殺りくの歴史が幕を開ける。
皮肉にも人間が考えることを始めたその時から。
まあ、この30年ほど前という時代は、ミトコンドリア DNA の解析などが進んでいなかったので、「古代の猿人と現代人がリンクしている」と考えられていた時でした。
その後わかったこととしては、少なくとも遺伝子から見ると、古代の猿人と私たちには関係性はないようで、つまり、 200万年前の猿人が武器を使っていたとしても、「それは今の人類とは関係のない一団」で、他の動物のしたことだったと。
実際には、上にある「この殺りくの歴史」は、今から7万年前くらいに始まったと推測される比較的新しい歴史だったということが言えそうです。
それにしても、この7万年間で人間と人間でどれだけ人間を殺したか。
パラダイスばかりを口にする人たちの「無神経さ」に最近、ちょっと、いろいろと思います。