2012年09月22日

春以来、何ヶ月も家族以外の誰とも会っていなかったんですが、この夏は、昔の知り合いの何人かが、たまにこちらまで会いにきてくれたりしていました。

数日前も、学生時代からの知り合いがやってきて、居酒屋で飲んでいると、ふいに友人が「自分の人生」について語ろうとし始めました。


知人 「"花"って歌あるじゃん」
わたし「知ってる知ってる、松島のお杉さんがどうのこうのっていう」
知人 「違うわ! なんの歌だよ。泣きなさい、笑いなさいってやつだよ」
わたし「マナカナって分裂したらしいじゃん」
知人 「人の話を聞けよ!」
わたし「聞いてるって」
知人 「えーと・・・何の話か忘れたじゃねえか!」
わたし「すぐ忘れるような話はもともと大した話じゃないんだよ」
知人 「あ、花だ、花」
わたし「ああ知ってる。松島のお杉さんがどうのこうのっていう」
知人 「だから違うわ! 話をそこに戻すな!」
わたし「だから、早く話してくれよ」
知人 「あの歌詞の中にさ、川は流れてどこ行くのってあるんだよ」
わたし「そういえば、小林一茶ってすげえの」
知人 「話を最後まで聞けっつーの!」
わたし「はいはい」
知人 「川っていうのはさ」
わたし「ねえ、『ゆで卵の塩辛乗せ』っていうの頼んでいい?」
知人 「メニュー見てんじゃねえ!」
わたし「ちゃんと話聞いてるって」
知人 「俺も最近は自分の人生をまるで川のように感じてさ」
わたし「すいませーん、注文お願いします」
知人 「思えば長く生きてしまったということと同時に・・・」
わたし「あと、マグロのブツを。え、ない? そうですか、じゃあ・・・」
知人 「川のように生きていくのも・・・」
わたし「うめー、このモツ」
知人 「ホントに聞いてんのかよ!」
わたし「聞いてます、聞いてます」
知人 「オカは・・・・・相変わらず人の話を聞かないねえ」
わたし「わあ、『ゆで卵の塩辛乗せ』失敗。まっずーい」
知人 「徹底的に聞いてないのかよ!」



そんな感じで、旧友と昔話に花を咲かせていたのですが(咲いてないじゃん)、上に「小林一茶ってすごい」という私の話があります。

人の話を聞かない友人にその話は遮られてしまいましたが、何がすごいのか。

これは以前、何かの記事の資料として小林一茶の俳句を調べていた時に、Wikipedia - 小林一茶の以下の記述にあたったことにあります。赤い字は私によります。


Wikipedia - 小林一茶より

62歳で2番目の妻を迎えるも老齢の夫に嫌気がさしたのか半年で離婚。64歳で結婚した3番目の妻やをとの間に1女・やたをもうける。

残された日記によれば、結婚後、連日連夜の交合に及んでおり、妻の妊娠中も交わったほか、脳卒中で58歳のときに半身不随になり63歳のときに言語障害を起こしても、なお交合への意欲はやむことがなかった



私は思わず、「あのな、ジイサン・・・」と、つぶやきました。


上の Wikipedia には、

「一茶のつくった句は約2万句と言われ、芭蕉の約1000句、蕪村の約3000句に比べ非常に多い」

という小林一茶の創作のエネルギーもどうもそのあたりとも関係しているのかも。

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▲ 小林"好色"一茶。手に持っているのも、こうなっては、別の道具の意味を考えてしまいます。


ただまあ、上の小林一茶の「盛んな性生活」のことを知り、「俳人と性」ということに興味を持ち、調べていると、上の比較の中に出てくる松尾芭蕉にはこのようなページが存在しました。

「教えて goo」にある「質問 松尾芭蕉は衆道(男色)でしたか?」という質問に対してのいくつかの回答。


回答 No.1
芭蕉は痔に悩んでいたそうですが、これによって芭蕉はアナルセックスの愛好者であったと推測できます。したがって、芭蕉が衆道(男色)であったことは間違いないでしょう。

回答 No.2
松尾芭蕉については全然知りませんが、痔だったからアナルセックスの愛好者だったんだと決め付けるのは、あまりに短絡的な暴論でしょう。

回答 No.3
織田信長と森欄丸、武田信玄と寵童春日源助(高坂昌信)、上杉謙信と直江山城守兼継らは、紛れもなく同性愛の関係にありましたが、松尾芭蕉が忍者とか、そのような関係にあったと云う文献はありません。



これを読んで、ふたたび私は「あのな、あんたら・・・」と思いました。

何の論争をしとる。



そんなわけで(どんなわけだ)、100年くらい続いたかと思った夏でしたが、昨日今日と急速に涼しくなってきました。昨日、道を歩いていたら、近所にある八百屋さんの前で店のおばあさんと、お客さんが話をしていて、八百屋さんのほうが、

「やーーーっとだよ、やっと。もう毎日毎日暑くて暑くて、もうたまったもんじゃなかったからね」

と言っていました。

みんな、長い長い夏を苦しんでいたようです。

私もそのおばあさんの言葉をきいて、空を見上げ、太陽に向かって、

「バアサンの言葉を聞いたろ、太陽」

と、声に出してつぶやきつつ歩いていくのでした。



また見た、富士山上空の赤い空

そういえば、In Deep のこちらの記事で、「富士山の上空が赤かった」っての書いたんですけど、一昨日もまた見たんです。

今度は夜中に目覚めた時で、夜中の1時くらいですかね。

「赤」というと、夕焼けっぽい色を想像されるかと思うんですが、そっち系の赤ではなく、ワインレッドというか・・・まあ、血の色ですね。

以前、アメリカで磁気の影響で空が真っ赤になったことを記事で紹介したことがあるんですけど、あんな赤でした。


2-ohio.jpg

▲ 2011年10月24日の米国オハイオ州コロンバス市の夜空。2度見た「赤い富士山の上空」もこんな色でした。


それにしても、最近、なんだか富士山が気の毒で。
「噴火したら悪夢だ」とかそんなことばかり言われて。

メディアなんか、「富士山、近く噴火!戦慄の最悪シナリオ…首都圏はブラックアウト(ZAKZAK)」みたいな記事のタイトルをつけたりしていて、「これじゃ富士山が単なる日本にとっての悪者じゃん」と思ってしまいます。

これなんかも、あんまりこんな調子が続くと、昨年のエレニン彗星の自殺と一緒で、死んじゃうかも。


ふだんは日本の象徴だ、あっぱれ富士だと褒めちぎるのに、「火山の最も大事な仕事である」噴火をするとなると「悪魔扱い」。

しようがねえなあ、と思います。

火山の仕事は噴火すること
火山は風景として眺められることがメインの仕事ではありません。
それが最近わかりました。

噴火してこそ火山。


ところで、どうして今回、突然日記を書いたかというと・・・忘れました(笑)。

実はクレアの日記は夏も何度も書いていたんです。

でも、書き上がって、読んでみて、「やっぱりアップするのやめよう」と結局一度もアップしませんでした。


この夏は(今もだけど)頭が完全に狂っていて、何を書いたんだか自分でもわからないような狂気の日記ばかりでしたからね。

バロウズという人の『裸のランチ』っていう小説があって(小説は読んだことはないですけど)、それは映画にもなっていて、その映画のシーンみたいなマルキ三昧のような文章をずいぶんと書いて破棄した夏でした。


Naked-Lunch.jpg

▲ カナダ映画『裸のランチ』より。

そんな感じで、そのうち、また書きます。


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posted by noffy at 17:53 | 雑記