2012年02月24日

100万回のなぜ: ついに見つけた「音楽の精霊」を今まで知らなかった理由を知りたくて



わりといろんな音楽を知っているつもりだったんですけど、つい昨日、私は「きわめて重大な音楽家」の活動の実相を知りました。

ふと、クレアの過去記事を見てみますと、ちょうど1年ほど前に、デリア・ダービーシャーさんという英国の女性のことを知り、記事にしています。これが昨年の 2月11日のことですので、2月というのは私にとってはいろいろなものと出会いやすい時なのかもしれません(いつもその傾向があります)。その記事は「音の女神は1963年の英国に出現した」です。


デリア・ダービーシャーさんは音楽家というわけではなく、1960年代前後の英国のBBC放送のラジオ局に勤めていた、いわゆる「単なる会社員」です(ミュージシャンやアーティストではないので名前のクレジット等が存在せず、ごく最近まで多くの人たちが彼女の名前を知ることができなかった)。

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▲ 1960年代のBBCスタジオでのデリアさん。


1950年代に、BBCラジオで子ども向けの科学番組などの「効果音」を担当した BBCラジオフォニック・ワークショップという社内のスタッフチームがいて、1960年代にその一員となったのがデリア・ダービーシャーさんという女性だったのですが、まだ 1960年代のはじめというのはシンセサイザーなどの電気楽器も多くは出回っておらず、実験的な試みをしているアーティストたちはいましたが、デリアさんたちは「芸術家」ではなく、「技術屋」であるので、とにかく、どんな方法であれ、効果音を作るというのが彼女たちの仕事でした。

その時に彼女たちがおこなったその「効果音作り」の方法を YouTube にアップされているインタビューや、あるいは実務のフィルムを見た時に涙が止まらなくなりました。コップとかバケツとか、いろいろなガラクタをスタジオに並べて、叩いたりぶつけたりしながら「最善の音」を拾っていく。

そして、デリアさんはついに「ガラクタの音をテープで拾ってつなぎ合わせて、それを劇中で流れる音楽にしていく」という、途方もない作業に取り組みます。

私はその作業風景にあまりに感動して、日本語字幕をつけてアップしたことがあります。




今だと、簡単にできるこれらの「サンプリング」ですが、デリアさんのオープンリールを使った方法だと、ほんの短いリズムのあるサウンドを作り出すだけで、何時間も、あるいは何日もかかるはずです。オープンリールの編集は「ハサミで切って、テープでつなぎ合わせる」というのが基本なんです(私も若い時やってました)。

あるいはその「リズムを同期させる」というのは奇蹟に近い行為だったと思います(普通に考えれば奇蹟)。

それでも、デリアさんは音楽家ではなく、単なるBBCのスタッフですから、その功績がたたえられるでもなく、名前さえクレジットされなかったと思います(「BBCラジオフォニック・ワークショップ」というクレジットだったと考えられます)。


ごく最近になって、こういう人の存在を YouTube などで知ることができた私などは本当に幸運なのですが、知られようが知られまいが、デリアさんの功績(あるいは影響)は、その後、「彼女の存在がなくても」止まらなかったのです。

その理由は、英国は当時のロックの本場で、その英国ロックが1960年代から爆発的に発展していくことと関係しています。子どもの頃にラジオの教育番組で、デリアさんの「音」を聞いて育った子どもたちがミュージシャンとなり、曲を作り出した時、知らず知らずに彼らはその影響下にあったと思われます。

POP2*5というサイトによれば、ビートルズやピンク・フロイドなど実験的な音楽録音を果敢におこなっていた英国のバンドの音楽は、ほとんど「デリアの末裔」といえる可能性があります。

その英国ロックは世界に伝播していくわけですが、その実験的な部分に触発された何万、何十万というバンドやミュージシャンたちが、またそこに触発されていく。結果、「デリアの魂」は、現在のほぼすべてのポップ・ミュージックの根底に横たわると私は考えています。

黒人という「音楽の父」によってブルースとジャズによりこの世に登場した「大衆音楽」は、デリア・ダービシャーという「音楽の子」によって影響のターゲットを拡げていきました。


そして、私はつい昨日のこと、「精霊」を見つけたのです。

それは、1930年代から米国で活躍した白人ジャズミュージシャンのレイモンド・スコット( Raymond Scott )という人です。

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▲ 若き日のレイモンド・スコットさん。この20年後くらいに彼は「覚醒」します。


私は 1930年代から1940年代のアメリカのジャズやポップスも好きで、夜などはそういうのばかり聴いています。スウィングやビッグバンドなどの名残があり、ビリー・ホリディなどの偉大なジャズ・ボーカリストが出る土台となった時期でもあります。

皮肉な話ですが、米国が大恐慌に入ったこの時代が、米国史上で、最も「音楽が美しくて楽しい」時代でした。それは誰にも否定できないと思います。

その時代「だけの」レイモンド・スコットの曲は知っていたのです。

楽しくて新しめのジャズを作る「古い時代のミュージシャンとしての」レイモンド・スコットだけは知っていたのです。



▲ 1937年の名曲「パワーハウス」。70年前の曲とは思えないですが、それでも、この頃は新しくても普通のジャズバンドのリーダーでした。


しかし、このレイモンド・スコットという人が、戦後の 1946年に米国に「マンハッタン・リサーチ株式会社( Manhattan Research, Inc )」という音楽スタジオを設立したんですが、このスタジオで 1950年代に録音された未発表音源を昨日はじめて聴いて「 これは!」と、死ぬほど驚き、もう一度、その年代(1950年代)を見て驚きました。

これらの音はひとことで言うと、「電子実験音楽」なのですが、これを聴いた途端、クラフトワークも YMO も頭の中から消え去るほどのインパクトがあり、そのインパクトは同時に、「どうして今までこの音が世に出ていなかった?」という、あまりに大きな謎に直面しています。


そんなわけで、しばらく、このレイモンド・スコットという人のことを調べてみたいと思っていて、レイモンドさんのことが調べ終わるまで、クレアの記事はしばらく書けなそうです。

クレアのほうも、4とか十字架とかいろいろと途中になっているものが多いんですが、まあ、しかし好きなものが繋がっていけば、どこかで全部繋がるのかなと。 In Deep でも毎日、ニュースが繋がっています。

なんだかんだいっても、私にとって最も大事なものは音楽(特に大衆音楽)なんです。




▲ マンハッタン・リサーチのレイモンド・スコットさん(1967年)。音楽は 1950年代の彼の曲。この頃はまだ「テクノ」なんて言葉もない頃で、しかも、これは 40年後に流行するハウスやテクノなどのクラブ音楽ジャンルの本流と言えそう。音楽の歴史の流れの「隠された真実」のひとつがこのあたりにありそう。


それにしても、毎日時間が早いですねえ。
あっという間に一日が終わります。
まあ、植物の世話に時間をさかれているのも確かなんですけど。


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posted by noffy at 19:13 | 23 to 24