2012年02月18日

「神様、あしたが来ませんように」



最近、 In Deep で「血の川」のことを何度か取り上げていますが、何だか妙に私の「血の川」に対しての執念を感じられた方もいらっしゃるかもしれないですが、執念はあるんです。この「血の川」に関しては、25年来の思い入れがあるのです。

1988年くらいだったと思いますが、私が 25歳くらいの時、初めて女性のキャストだけによる舞台を作ったんです。昨年の10月ころ、こちらの記事あたりで書いたシリーズの「最初」の公演でした。


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▲ 昨年の公演のワンシーン。手前の得体の知れない生き物のようなモノの奥で自傷している「リストカッターの少女」のヌーワ。斧で自分の腕を叩き落とすのが彼女の日常。


昨年の公演をおこなったのは、このクレアを書いている中で人類創造神のギャル神様ヌーワの存在を知ることになったことがキッカケでした。

公演の内容は、ヌーワ(自殺癖のある普通の女の子)が「世界を見ることをやめなかった瞬間」を書けたわけで、個人的にとても満足した公演でした。その公演のキャッチフレーズは「わたしは神様なんかじゃないわ」というものでしたが、そのシリーズの最初の公演が 25年前の公演でした。

その25年前の公演は、廃墟の中で感情を失った女の子たちが、「未来に進むか、そこで止まるか」を選ぶ話で、舞台設定はしていないですし、理由はわからないですが、「この世に男性がひとりもいなくなった世界」の話でした。

当時は自分で脚本を書いていて、「なんでこんなもん書いてんだ?」と思っていて、その内容の意味も自分でさっぱりわからなかったんですが(泥酔して書いて朝になるとできている)、そのあたりが昨年来のクレアの「男性と女性」あたりの記事を書くうちにわかってきたという部分もあって、まあ、私の人生は(自分以外には)ほとんどの部分が無駄ですが、とりあえず、段階的に意味のある部分もあるのだなあと思ったりして、どんどん「思い残すことがなくなっている」という感じです。

それはともかく、先日の引っ越しの時に、その 25年前の脚本が出てきたのです。

私のものではなく、キャストの誰かのもののようでしたが、それこそ 25年ぶりくらいに読んでみて(私は自分の書いた脚本の内容を公演後にはいつもすべて忘れます)、昨年おこなった公演までまったく同じコンセプトが続いていることがわかり、「へえ」と思ったりします。


その公演で、「血の川」を作りたかったのが、私の「血の川」との付き合いの始まりでした。

最終的に満足のいく血の川を作ることができたのはその数年後でしたが、執拗に作り続けた記憶があります。

また、「血の川」というのは、二十代のはじめに「エルトポ」というメキシコ映画にショックを受けて以来の「悪夢の自分なりの再現」でもありました。たとえ、「血の川」が悪夢であったとしても、「それを自分の手で(架空でも)作ることができたのなら、もう悪夢ではないかもしれない」という部分もあったかもしれません。



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▲ 1970年の映画「エルトポ」の血の川のシーン。思えば、 40年以上前の映画になるんですね。


その25年前の脚本の1ページ目を何となく写しておきたいと思いました。

「 AX TRASHO 」というタイトルの公演でした。
この意味は、実はタイトルをつけた自分で今でもよくわかりません。

出演者には 15歳の少女もいましたし、モデルさんなどもいた華やかなものでしたが、彼女たちが立っている床下には「血の川」が流れていました。

(ここから引用)




AX TRASHO (1988年)

シーン1/プロローグ

4人の少女が椅子にぐったりとした様子で目を閉じて座っている。みんな同じような真っ白な薄手の質素な服を着ている。

そこにもうひとりの少女(少女D)が入ってくる。格好は他の少女たちと同じ。彼女の両手は真っ赤に染まっている。そして、水が一杯張られた器(ボール)を両手でしっかりと抱き抱えている。器の水の中には銃が水に浸かっている。

少女Dはしばらく舞台の4人の少女たちをきょとんと眺めている。そして、舞台中央まで歩き、床に水の入った器を置く。そして、その場にかがみこみ、器の水で自分の赤く染まった両手の赤い汚れをきれいに水で洗い落とす。

手をきれいにしてから、器の中に入っている銃を取り出し、自分の服で拭いた後に、「カチッ」と引き金を弾く。しかし、濡れている銃は撃てない。何度か「カチッ」と引き金を弾くが、濡れている銃はメルヘンでない限り撃てない。

少女Dは不思議そうな顔をして銃を眺める。銃口を覗いたりする。さらに何度か「カチッ」、「カチッ」と引き金を弾くが銃は撃てない。

少女Dはそのまま銃口を自分の頬に当てる。

そして、銃を自分の頬に当てたまま、「もしもし・・・もしもし・・・」と言う。

しかし、そう言っても何も起こらない。
現実は言葉では動かない。
何も起こらないことに飽きた少女Dは銃をポーンと床に投げ捨てる。

そして、床に落ちた銃を眺める。

銃の捨てられた場所に、天井から血が滴り落ちてくる。

少女Dはその光景を見て、あわてて器を持って、その血を器で受ける。

ところが、天井の別の場所からも血が滴り落ちてくる。
今度はそちらも受けようとするが、「血の雨」は天井の様々な場所から落ちてきてしまい、少女Dは舞台中央で途方に暮れた表情で器を持って立ちすくむ。

しかし、最初は慌てた表情をしていた少女Dは、そのうち諦めた表情にかわり、そして、平然とした表情になる。

血の雨の中を平然とした顔をして歩いて(でも、決して血には当たらないようにしながら)進み、他の少女たちが眠っているあたりにある椅子に座る。

彼女は、自分の両手を確認して、自分の手が汚れていないことを確認して安心した表情でそのまま目を閉じる。

(台詞)

少女D 「私は怒ることができない人なの。それがどうしてかを考えることもできないの。だから、どうしていいかわからない。なので今は眠ります。本当は泣きたいけれど、泣く方法がわからない。その方法を忘れてしまいました。なので、眠ります。お休みなさい、神様。あしたが来ませんように」


音楽カットイン。
暗転。





(引用ここまで)

ここにある血の雨は本当に装置で、赤い水が公演の最初から最後まで降り続けました。

「装置」っていっても、知人の男性たちに「天井で雨を降らして」と頼んで、彼らがペットボトルを持って、天井に1時間以上ずっといてくれたという感じです(笑)。その人たちとの付き合いのこの25年。まあ、ありがたいです。


今にいたるまで、まだ「血の川」を引きずっている理由はこのあたりから始まっているのでありました。
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posted by noffy at 22:46 | 23 to 24