2012年02月13日

夢は夢のなかだけで見ればいい



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自由が含まれない自由

小学校を卒業する頃のことだったか、教師が生徒全員に「みんなの将来の夢を言ってみなさい」というようなことを聞くイベント的なことがありました。

ここでいう「夢」というのは、要するに「将来何になりたい」というやつです。

さらにいえば、この「将来、何になりたい」というのは「職業」のことでした。
つまり、「将来、どんな仕事の職業につきたいか」という質問なのです。
だから、厳密には夢でもなんでもないんですが、これは今でもよくありがちな質問の形態かとも思います。

その時はみんないろいろと答えていたと思いますが、私がきかれた時、

「ありません」

と答えるしかありませんでした。

そんなこと一度も考えたことがなかったからです。

「どんな仕事をしたい」など考えたことがなかったのですが、この「夢」というキーワードで覆われた「社会システムへの子どもたちの組み込み」というのは執拗に続いていて、常に「それを考えることが子どもたちの義務」となっていました。


あるいは、「自由」と名前のつく学業的なものに一切自由は存在しませんでした。たとえば、夏休みの「自由研究」で、「ネコをたくさんころして人形を作ってきました」という子どもがいても、それはほめられないでしょう。あるいは、「この町で一番万引きのしやすい店をランキングしました」という自由研究もほめらないと思います。

なので、男の子なら自作の鉱石ラジオとか(私もそういうのを作ってました)、実用では何の役にも立たないものを作って、先生にほめられて、そのうえ「点数」なんかがつきます。「自由に点数がつく」という異常事態。

この仕組みを自分で実際に味わったのが、中学1年だったか2年の時の「自由感想文」という夏休みの宿題を書いた時のことでした。

課題図書は何種類かの本から選ぶのですが、私はヘミングウェイの「老人と海」を選びました。あまり覚えていないですが、それなりに面白かった記憶があります。

そして、問題の感想文。

私は主人公の老人が、船上で釣ったウナギを塩とライムだけで「ナマ」で食べていることが許せませんでした。その上に「まずい」とか言っている。

なので、感想文は次第にその「ウナギを生で塩だけで食べていることに対しての糾弾がメイン」となっていきました。

そして、日本の鰻丼の話となっていき、しかし、当時、中学生だった私は「実は、わたし自身はまだウナギというものを食べたことがないのです」という方向の感想文になっていきました。

自分がウナギを食べたことがないのに、そのウナギを「奴はナマで喰って、マズイとか言っている。なんてファッキンな!」。

そして、感想文は、最終的に、

「いつか私もウナギというものをお腹いっぱい食べてみたい。それが私の夢です」

と、ここで「夢」という単語が飛び出し、感想文は素晴らしい形で終わったと自分では思いました。

そして、学校での教師の評価。

「ダメだ、これは」。

と、なんと再提出という憂き目にあってしまいました。

「畜生、自由な感想文にどうしてダメ出しが出るんだよ」

と思いましたが、次第に「学校システムというのはすべてそんなものなんだ」と知るようになり、「学校では自由と名付けられたフィールドで、自由にしてはいけない」という学習をしていきました。そのあたりから、私にとって学校とは、とりあえずあるけれど、何の想いもないし、何の意味もない場所となりました。

そのままの態度で中学も高校もずっと過ごしました。
大学は3日で行かなくなりました。


いつのまにか「夢」という言葉が何かとすり替えられてしまっていたり、「自由」という言葉もすり替えられている。


ちなみに、最初の小学校での夢をきかれて、「ありません」と答えた時、教師は、

夢もないとロクな大人にならないぞ

と言いました。

You are fucking right ! (あなたは正しい)

確かに(ウナギ以外の)夢を一度も持たないで生きてきたせいで、ロクでもない大人になってしまいました。


それにしても、当時、ひとりひとり「自分の夢を語っていた」彼ら彼女たちはどうしているのかな。
あの時、自分が言ったことを覚えているのかなあ・・・。

「僕は科学者になりたいです」

「わたしは看護婦さんになりたいです」

「僕は総理大臣になります」



ちなみに、私が「夢を持つ」という意味自体がおかしいということに気づいたのは、高校の頃に、カンボジアで政権をとった時のポル・ポトの言葉を知った時でした。


泣いてはいけない。
泣くのは今の生活を嫌がっているからだ。

笑ってはいけない。
笑うのは昔の生活を懐かしんでいるからだ。



どうして、この言葉から「夢」はいけないと気づいたのかというと、

「今、生きていることが楽しいなら夢の存在は必要ない」

と気づいたからでした。

ポル・ポトの言葉でいえば、


夢を想うのは今の生活に夢がないからだ



ということになると。

瞬間瞬間に生きている人には夢を持つ暇がありません。
それは今の瞬間が現在で未来なので、「夢ってなによ」ということになるからです。


こういうふたつがあるとします。

「今が楽しくて楽しくて夢など見ている暇がない」。

「今が苦しくて苦しくて夢など見る余裕がない」


この対極にあるふたつというものの差を「埋める」ことが、実は、私の神経症とパニック障害への対処の始まりでした。

強迫神経症への対処の概念のひとつとして森田療法というものの「あるがまま」という思想があります。大正時代に日本人の森田さんという人が編み出したもので、しかも、今でもこれは日本人しか実践できないと思います。

それはどうしてかというと、「森田療法」というのは「治さない」からです。


苦しみをそのままに


から始まり、最終的には、


すべてはそのままに


というところに行き着いていきます。
これは極論でいうと、「死」まで続きます。


仏教でも「この世は存在しない」らしい

先日、パニックの再発のことなどもあり、何年かぶりに昔お世話になっていた(25年の付き合いがあります)ニシオギの心療内科の先生のところに行ったのですが、その先生は仏教に帰依していて、その時、待合室に先生の最近書いた本があったので、待っている時に読んでいましたら、

仏教では、実はこの世には何もない

ということが最も基本のお釈迦様の概念なのだそうです。

これって「はじめに言葉ありき」の聖書と同じ、なんもない世界の話だなあと思い、診察の時に


私 「センセー、仏教ではこの世は存在しないんすか?」
先生「うーん、私も完全に理解しているわけではないですけどね」
私 「聖書でも、この世って存在しないんですよ」
先生「そうなんですか」
私 「この世って何なんスかね」



というような話をしました。



あああ・・・・・話がムチャクチャに繋がっていない。

こんな文章を、アップしていいものかどうか迷いますが、実はいろいろと書いておきたいことなどもあったりします。

なんだか、最近 In Deep が私が書いているのか誰が書いているのかわからなくなるほど自動書記的な展開を見せることがあって、まあ・・・もう自分はタイピングしているだけみたいな感じで、幽体がウヨウヨと(コワイな、おい)。


実際、最近はたまに何かを書くようなお仕事のお話とかをもらうこともあるのですが、どうしても素直に「はい」と言えないのです。「 In Deep を書いているのは私です」とは言えない気がしてきて、一体、私はどうすれば? みたいな。お金もないのに仕事を断ったりしている自分って何なの? とか(多分単なるバカなんでしょうけど)。

そんなことを考えています。

しかし、そういう意味では最近倒れたことも、パニック障害が再発しつつあることも、とてもいいタイミングなのかもと思っています。

それはシンクロニシティとも関係しています。



シンクロニシティの確信

最近、多くの事柄や、あるいは人々とシンクロニシティを感じることが本当に多くなって、今はすでに、「シンクロニシティの確実な存在」を私は確信しています。

ということは・・・もう、すでに実際の人とのつながりは不要になってきているのではないかとも感じているのです。インターネット、手紙、電話といったようなコミュニケーション手段はそろそろ必要なくなっているように思っています。

もちろん今すぐではないですが、そんなに遠くない未来に私は完全に孤立しようと思ってます。


最後の理想は、「シンクロニシティだけで知り合いの人々と繋がっている」ということ。


最近、倒れたり、あるいはパニック障害(強迫神経症)が再発のような感じになってきていて、電車に乗るのも一苦労ですが(閉鎖空間に長くいられない)、しかし、この体調悪化のタイミングは意外に素晴らしいタイミングなのかも、と今にして思います。

この1ヶ月以上、家族以外の誰とも会っていませんが、今の調子だとそれは続きそうで、これは考えるいい機会だと思っています。

そして、考えることは最初に書いた、


・自由
・夢
・シンクロニシティは何を仲介したいのか



ということになるのかもしれません。

ホントにまとまりのない文章ですみません。

いずれにしても、「日記ブログ」としてクレアを残しておいてよかったです。こういう支離滅裂なことでも一応許していただけそうで、つい書いてしまいます。
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posted by noffy at 19:33 | 23 to 24