2012年01月21日

宇宙は見ている



あー・・・なんか「宇宙は見ている」とか意味ありげなタイトルじゃないですか。
でも、まあ、これからおわかりになりますように、私はやっぱりどうしようもない人間だなあと自覚します。

「楽しければなんでもいいや」という部分から抜けきれない。

先日倒れた後も、後日、その倒れた時の行動についての反省とかしてましたしね。

目の大きなあの看護婦さんにギャグをかませなかった自分が口惜しい・・・」などと考えつつも、その時のことを思い出すと、まためまいを感じるようなことになり、「おっとこれではパニックになる」と、適度なところで控えつつもいろいろと口惜しいことは多いのです(なんだかよくわからない文章だな)。


昨日の記事で、「これからもっと孤独になっていこう」などと書きましたが、どこまで孤独になっても、実は何もそれまでと変わらないということもまたわかっています。

男性といいきっていいのかわからないですが、少なくとも、私自身は「膨大なひとり」だと小さな頃から感じていました。全世界(あるいは全宇宙)を相手にできるほど大きな「ひとりという存在」だと感じていました。


考えれば、クレアの昨年の日記では東京の西荻や吉祥寺という町を一人で歩き続けていた日記が多かったですが、幼稚園くらいの時からもうそうでした。

今の日本は、特に都市部では「こどもがひとりで歩いている」という図はなくなってしまいましたが、40年くらい前は、ひとりでウロウロしている小さな子どもがたくさんいました。

そして、5歳とか6歳くらいの目で、いろいろなものを見る。



ふと思い出した子どものころ

5歳の時、ひとりで歩いている時に「ふと」自分がまったく違う場所に迷い込んだ時がありました。いつもの住宅街を越えて空き地などを進んでいると、周囲の風景が唐突に外国の森の中のようになっていました。

どうして、「外国」だと思ったのかというと、童話の挿絵で見たことのある白い大きなお城が立っていたのです。

その向こうには巨大な池か湖が広がっていました。


「こんなところに池なんかない!」


と気づいた私は、そこで立ち止まり、周囲を見回しました。そこには、当時の岩見沢に多かった粗末な家並みの見慣れた風景がありません。子どもだったですし、とても恐怖を感じたのですが、しかし、どうしていいかわからない。ここに立ち止まっていても仕方ない。

「進んでここを抜けるか、それとも後ろに戻ってみるか?」

結局、後者を選びました。

クルッと後ろを向き、一目散にまっすぐに道を戻りました。
しばらく走ると、また元の町並みが出てきました。

私はそこから今自分が走って戻ってきたほうを眺めてみました。
そこもずっと住宅があるだけでした。


私は、もうすっかり安心して、

「へえ」

と、今起きたことに感心して、「生きていると、いろいろなことがあるものだ」と納得して家に帰りました。家に戻ると夕方でした。

夜になって、親に、「あのあたりって池ってある?」ときくと、「歩いていけるようなところに池はない」とのことでした。
でも、その日起きたことは親には言いませんでした。


小学校に上がってからは「基地作り」の遊びに熱中しました。私だけではなく、他の多くの男の子たちが基地作りに熱中しました。
それぞれの「個人基地」です。

その「基地」の場所は他の子どもたちにわかる場所ではいけないわけで、森の中や、住宅街の裏地など、人が来ないようなところをひとりで探し続けて、「まだ他の子どもたちに占領されていない場所」を探し出して、基地にします。

木や草で周囲を囲って自分ひとりが隠れるような空間を作ります。
そして、そこで何をするかというと、「別に何もしない」のです(笑)。
何時間もじっと潜んでいる。

男の子というのは、たとえば多くの大人が実際にやっている「釣れない釣り」を想像してもらうとおわかりかと思いますが、こういう不毛なことをあまり苦にしません。


何もしないけれど、他のこどもたちの進入を防ぐための「トラップ」は各所に仕掛けるわけで、そういうものを「基地」の周囲に作ります。当時、ベトナム戦争のベトコンの武器を知っていれば、子どもたちも竹槍が突き出ている落とし穴などを作って、お互いに殺し合っていたかもしれません(笑・・・えない←あり得るから)


私がそのトラップを作っているある時、死にかけたことがありました。

そこは崖で、侵入者が「板」を踏むと、その板が下に落ちるような仕組みのトラップを作っていました。小学2年くらいの時です。

そのトラップの試作中に「自分のトラップにかかり」、崖の下まで転落しました。そして、そこにある大木に頭の後頭部を強打して気絶しました。崖といっても数メートルだったと思いますが、しばらく意識を失っていました。


森の中だし、ひとりで作業をやっていたので、誰もそのことにも気づかない。だって、「誰にも見つからないような場所」をわざわざ探して基地にしているのですから、見つかるわけがない。


ずいぶん経ってから目を覚ましました。
何時間か何十分かわからないですが、しばらく崖の下の木の横の土の上に倒れていたようです。


いくら小学2年生でも、「今ので死んでいた可能性がある」というのはわかるんです。しかし、その時の私の反応は「ラッキー。これで侵入者の落ちる感じがつかめた」とほくそえんでいました(笑)。


小学生の頃、頭を強打して気絶したり病院に運ばれたことは何回かあります。
その時に段階的に頭がおかしくなったのかもしれません。


小学生でも高学年になってくると、もう基地作りも昆虫とりもしなくなり、中学生になると、さらに状況は変わっていきました。私は幸い、「音楽」という新しい基地を見つけたので何とか生きてきましたが、当時、あちこちで基地作りをしていた他の小学生の子たちは、その後の自分の基地を見つけられたかなあと思います。


男性の「膨大なひとりの概念」を支えるには「実際に自分はひとりであると実感する場所」が必要なのかもしれません。日本の家でも、別に本なんか読まないのに、「書斎」などと名付けられた男部屋があったりしますが、とにかく、ある程度、「個別に仕切られる」ということは、男性には必要なことなのかもしれません。


それは部屋ではなくても、私などは、「外」がそれに該当します。

変なこと書いていて、タイトルの「宇宙は見ている」を書いていませんでした。
下の写真を見て思ったものでした。


helix_nebula.jpg



宇宙の「体」

上の写真は、「らせん星雲」という、みずがめ座にある星雲があるそうなのですが、ヨーロッパ南天文台という観測所の VISTA という望遠鏡によって新しいイメージが撮影されたというニュースが先日あって、そこからのものです。


The Helix Nebula In New Colors


「あー見られてるなあ」と思いながら、なんとなく画像をいじっていると・・・。








face-comp.jpg






こんなことやってるオレ・・・。

この星雲は地球から 700光年のところにあるそうです。



ちなみに、宇宙には「ハート」もありますからね。



heart-nebula.jpg


これは、ハート星雲(あるいは「心臓星雲」)と名付けられた 200光年先にある星雲なんですけど、こうやって探していくと、体の部位はほとんど天体で見つかったりするみたいです。

上の「目みたいに見える星雲」を Pussy Nebula (プッシー星雲)と呼ぶ人もいるみたいですから、見え方はいろいろのようです。
タグ:23


Sponsored link




posted by noffy at 19:54 | 23 to 24