前回の記事で書きました、「神がかりの時の台詞」です。
まあ、実は神がかりというより、一種の「キツネ憑きの記録」として残されているもののようです。
昭和13年(1938年)の筆記による記録で、場所が書かれていないのですが、「野口みよ」という女性が、子どもを亡くした後、毎日毎日、お題目を唱えているうちに神がかりとなったと書かれてあります。
「1」とか「2」とかわけてあるのは、時間軸に間があるようで、後半にいくに従って、神かがりの度合いが大きくなります。途中から「カタカナ表記」が多くなります。これは、当時の記録者が、意味をとれなかったもので、音声をカタカナとして記録したようです。
野口みよさんのこの言葉は、私にとっても「青春の思い出」で、27歳くらいの時に、これを元にして、女性の長い台詞を書いたことがあります。とても美しい女優さんがその台詞を話しているのをきいて、「夢のようだ」と、思った記憶があります。
今年(2011年)の10月におこなった公演のタイトルは「赤色反応」というものでしたが、実はこれはその時(1990年)の公演のタイトルをそのまま使ったものでした。内容は全然違いますが、「あれを使え」と頭の中で命令のようなものがあったというか何というか、難しい説明になります。
まあ、ともあれ、そんなわけで、引っ越しのおかげで何十年も見ていなかった本が見つかり、文字でおこすことができて嬉しいです。
ここからです。
文字を大きくしてみました。
(1)
おののめの神を知らぬか。ああよいの、いざなぎ、いざなみの神を知ろう。
いざなぎ、いざなみの神によりて我が国はなりくるぞ。
戯れごとをするな。
妙法寺の和尚を呼べ。妙法寺の和尚を呼べ。
呼ばんとすれば、南無妙法蓮華経。
手をつなぎ悪らつなる計りごとなしおる。
親に棄てられたる汝の酬いなるぞ。
溺れる。
我が世の常。
常なる常なる。
悪しきを払って助け給え。
嫉妬心の強き女。
失恋の果て。
殺し給え。
(2)
秋季皇霊祭は終わり。
りん病がうつる。
るんぺんが来る。
留守は禁物。
つるべをゆずれ。
肺結核は愛の欠乏。
肺結核の原因は愛の欠乏の理。
愛の欠乏にある反感の弱い心。
殺し給え。
暗黒の花よ。
暗黒の木の実。
花にたわむれ、花にたわむる。
ちょんまげ、おれの長刀ふりまわすぞ。
長刀ふりまわす命令言下。
命令に弱き進行の遠き。
欧州戦の当時、秋津御神(あきつみかみ)の使命を帯びてアレツ大神教校。
秋津御神のオーヨノユワイ、オーセノショーキ、チンチンチン、チョンギン、ツンツンツン、ビロビロビロ、オツキノキツキ、感極まって、チンコンシュ、ツンツンツン、ピンポッケ、キンチンカンキン、オーシキキョーキ、終始一貫本分を果たし、執権の任。
空襲用意。執行終了。
(3)
オツケノボンキ、注意人格者、スーキーポンキ、シツキノコーシ、コーシューヒカンキワマル、ホーシキ、キンキンキン、アンカン、ピヨピヨピヨ、秋季皇霊祭。
凡婦ながらボンボンドイコ、ボンボン太鼓が鳴り出す折は俺もこの家の中に。
チンコロリと国家のためにめいめい尽くせよ。
長刀は悪さを払うなれど、長刀振れども世嗣(せし)つながず。
悪さ払ってそのあとは春のよう。
その後は世直り。
チンチンチン、コンコンコン、ガラガラガッチャカ、カンカンカン。
私十九の春の宵、あなたとはじめて夢をみた。
怖ろしい夢をみたが、飛び込んだことは飛び込んだ。
二十年の月日は振り返れば夢の間に過ぎ去った。
夢のさめたは宜し。
養子なる奴。
コンキシュなる。婚期を失したる。
上の流れ清くも、清らかなれども有効なれ。
ツルツルツル。
チョンマゲチョッキ。
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