最近、「今年はみんな転機の時期だよなあ」という言葉を周囲のあちこちで聞きます。
昨日は、東京から離れた場所で働くことになった知り合いの人が「次いつ会えるかわからないですし」と、西荻まで来てくれて、ついでといってはなんですが、最近全然行っていなかった飲み屋なんかを挨拶がてら二軒ほど回ったりしました。
挨拶というのは一種のお別れの挨拶なんですが、私も今年中に引っ越しすることがほぼ確実となって、しかも行き先が東京ではないことが決定していていて、このあたりの飲み屋に来る機会もほぼなくなりそうということもあります。
昨日行ったのは、ひとつは沖縄料理の飲み屋で、もうひとつは北海道料理の飲み屋。
どっちも体格のいいオヤジがやっているのですが、どちらもこの町での歴史はそこそこ長くて、沖縄料理屋のほうなど、私が二十代のはじめくらいの時から行っているので、もう20年以上やっていることになります。
杉並あたりで昔から飲み屋をやっているクソオヤジたちには比較的似たような傾向が以前はあって、
・政治活動などの運動上がり
・舞台活動などの芸術上がり
・ヒッピーくずれ
という人たちが多かったです。
今はそうでもなくなりましたが、東京の新宿から中央線という電車のラインが出ており、その路線上にある中野、高円寺、阿佐ヶ谷、西荻窪といった街はどこもかつてはそんな感じでした。
私の住んでいる西荻窪という町は、1960年代だか70年代だかくらいに、ヒッピーや学生運動家たちが大挙して押し寄せ、コミュニティみたいなのを作っていた時期が長いそうで、今では少なくなりまりましたが、十数年前までは「オヤジ・ヒッピー」みたいな人がたくさんいました。
最盛期のフラワー・トラベリン・バンドみたいな人たちが、夜の街を歩いていたりしたものでした。

▲ フラワー・トラベリン・バンド
まあ、実際問題として、私自身はこういう系統の人たちによくいた、快活で何でもハキハキと物を言うタイプの頭のいい人たちがわりとニガテで、もっとアンダーグラウンドで「ものも言わずに(あるいは言えずに)」ドヨーンと生きているような人たちとばかり付き合っていた部分が大きいです。
1960年代の生き残り系のような人たちは、自分たちの若者時代だった60年代、70年代に誇りを持って生きていた人が多い感じで、そのことを意気揚々と語ったりしていたものですが、私たち1980年代に青春へ突入した人たちの多くは、「自慢して話せるようなことが何ひとつない」世代でした。
なので、「人生を何も自慢しない」ということが一般的で、少なくとも私はそのように生きてきました。
そして、今に至るまでも、私は、自分の人生で自慢できることは何もないです。
(カツオの料理方法でちょっと自慢できることが・・・)
それでも、60年代のオヤジたちのやっている飲み屋自体は、それなりに楽しいわけで、若い時は本当に頻繁に飲んでいました。
二十代の終わり頃、何にもしていない時期があって、夜になったら飲みに行って、朝帰ってきて眠る・・・という生活を2年くらい続けたことがあります。2年くらい「無思考」で過ごしていたのですが、今思えば、あの時期が自分にとっての一大リフレッシュ時期で、あれがなければ生きていなかったと思います。
そんなこんなで、二十数年住んでいたこの町とか、あるいは東京も離れることになりそうですが、区切りとしてはピタリという感じです。
1960年代の幻想、1970年代の幻想、そして、私たちの持つ1980年代の(パンクなどの)幻想もすべて消えつつあり、その行き着く先が、
新しい時代
なのだと実感します。
あの料理屋のオヤジたちが死に絶え、そして、私が死に絶えた頃には、少なくとも今より新しくて良い時代が来ているのだと思います。
まずは、早く私たちの世代が滅びないとダメだと思いますが。
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