2011年11月11日

覚醒とは何か(8)人類創造神の怠慢が生んだ奇跡 / 前編



「ブーバ/キキ効果」を知った日

睡眠障害だわ(毎晩、ものすごいペースで目覚めてしまう)、風邪はぶり返すわで体調は良くないんですが、しかし冷静に「体調が悪いのがイヤか?」と考えると別にそうでもない。むしろダラダラしていたりしても対外的に問題もなさそうだし、楽なことのほうが多いんですが、このあたりは、引きこもりタイプの人生の完成というのも感じたりして、何とも微妙ではあります。

そういえば、『死霊』の埴谷雄高さんは長く結核で入院生活をしていて、「戦時中は刑務所(政治犯)、戦後は病院」という感じだったらしいですが、ご本人のインタビューを読むと、それだけに(戦争などで)死んでいった知り合いなんかに対しての「生き残り感」が強いようなことをおっしゃっておりました。

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[私の心の師匠 1] 埴谷雄高(はにやゆたか)さん。私の愛称「ハニー」。


そんな埴谷さんが退院後にまず始めたことは「色恋沙汰」だといいますから(45歳になってからそれが始まったとご本人が書いてました)、それらの苦悩がそっち(女の子)につながるあたりは、さすが私の心の師匠。

・刑務所→病気→女の子(→死)

という流れはまごうことなきいい人生であります。

埴谷雄高さんの心の師匠でもある梶井基次郎さんなんかは、この「病気→女の子→死」の流れがもっとひどかったように見受けられます。梶井さんは芸者さんたちにむしり取られるだけ取られて、それで何も残さず若くして死んでいます。

しかし、そういう梶井さんみたいな生き方をきいて、どう思うかというと「どちらかというと、うらやましい」と思ったりする。

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[私の心の師匠 2] 梶井基次郎。私の愛称「コーネリアス」。略して「コニー」と呼ぶことも。


永井荷風という作家もそうみたいです。

私は読んだことないので、どんなものを書いた人かは知らないですが、私自身が胃潰瘍の吐血で死にそうになって、退院した後に、「胃潰瘍で死んだ作家」を調べている時に知ったんですが、晩年はほとんど東京の吉原でそこの女の子たちと過ごしていたようです。

Wikipedia にはこうあります。


> なお、故人は吉原の遊女の投込み寺、荒川区南千住二丁目の浄閑寺を好んで訪れ、そこに葬られたいと記していた。



このように書くということは、吉原では「結ばれた唯一の女性と知り合えなかったか、添い遂げられなかった」ことが推察されます。遂げられなかった思いが残っている場所だからそこに埋めてほしい。

かなりのお金を残したお金持ちだったようですが、貨幣システムで操る恋愛はどうもなかかなうまくいかないようです。

それは、現代も同じのように感じます。

「立派な会社の人と結婚したけど、その会社が倒産した途端に離婚する奥さん」


というような話がそれほど珍しいことではないことでもおわかりかと思います。これらは、奥さんが悪いわけではなく、これが「男性性社会の結婚システム」のあり方というもので、もともとが男性によって作られたものです。

前にも書きましたが、「結婚制度」というもの自体が「女性性」とはかけ離れていると感じています。

まあ、それはともかく、できれば、男女の出会いと結びつきはお金と離れたものだといいですね。

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[私の心の師匠 3] 永井荷風。私の愛称「ナガイー」(そのままじゃねえか)。


ところで、永井荷風の死に方は上の Wikipedia だと、「胃潰瘍に伴う吐血による心臓麻痺」とありました。これは、心臓麻痺と書いてありますけど、医学的にはいわゆる「ショック状態での心身機能停止」の一環だと思います。

5年くらい前に私もほとんど同じことになって、死にかけました。

胃に同時に穴が4つ開いて、ゴジラの炎みたいに口から血を吹き出して、そのまま緊急搬送。東京・新宿の病院で緊急手術を受けました。橋本龍太郎さんが亡くなった病院だとのことでした(後で看護婦さんから聞いたんですが)。

私のほうは死ななかったですが(そりゃ今書いてんだからそうだ)。


その時に、「意識を失う瞬間と蘇生する瞬間」を手術中の数時間の間に何度も経験したのですが、その時の記憶は今でもたまに思い出します。

確かによく言われているように「ふたつの世界」を行き来して・・・まあ、よく耳にするような、三途の川とかお花畑とは違いましたが、いつも意識を失うと同じ場所にいましたので、遺伝子の中には「死ぬ瞬間の光景」というのはインプットされているのだなあ、とつくづく思いました。

でも、そのお陰で、多分、死ぬ瞬間というのは苦しくないんですよ。

私の場合は意識を失う瞬間でしたが、感じとしては「どっちの世界に行ってもいいな」という感じでした。これは危篤とか瀕死とかになったことのある方なら経験された方は多いような気がします。なので、特別なことではなく、普通のことだと思います。


上に「ブーバ/キキ効果」と書いて、全然その話になっていないことに気づきました。



母音と世界の関係は1929年に判明していた

以前、このブログで翻訳記事として、

人間は生まれた時に「音」で世界の形を学習していた
 2011年07月12日

という、アメリカ科学的心理学会という学会が発表した緊急プレスリリースのことをご紹介したことがありました。

この内容には本当に興奮して、その頃は、このことを人にも話していたような気がします。

で、今朝。


うちの奥さんが雑誌を持って私のところにきました。


奥さん 「ねえ、ここに書いてあることって、前にあなたが言ってたことみたいな感じじゃないの?」
わたし 「オレの言ってたことって?」
奥さん 「ここに書いてある部分」



見ると、奥さんは科学雑誌「ニュートン」を持っています。私は読んだことのない雑誌です。

「なんで、ニュートンなんて読んでんの?」ときくと、奥さんは子どもとよく図書館で絵本などを借りてくるのですが、行った図書館でこのニュートンの表紙のタイトルが気になって借りたのだそう。

2010年12月号で、これです。

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宇宙にまで進出した知的生命体 ホモ・サピエンス』という文字が躍ります。

彼女が「私の言っていたようなこと」として指さしてくれたのは、脳神経科学者のラマチャンドラン博士という人の「ヒトの脳」の特集のページの中にあるコラムで、それはこのようなものでした。

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読みにくいと思いますので、文字を起こします。



二つの図形のうち、どちらが「ブーバ」で、どちらが「キキ」かと聞くと、98パーセントの人は左がブーバで右がキキと答えることをドイツの心理学者ヴォルフガング・ケーラーは 1929年に報告した。

この傾向は、被験者の母国語によらない。

このように、特定の形状が自動的に特定の音声に関連づけられる心理的効果を「ブーバ/キキ効果」とよんでいる。





ちょっと意味がわかりにくいかと思いますので、極端に簡単に書くと、


・ほとんどの人間は学ばなくても音声と形状が結びついている。

・母国語は関係ない(どんな言語でもそうなる)



ということなんです。

つまり、ほぼ全員の人類が「同じ音声に対して同じ形を想起する」と。

こんなスゲーことが 1929年にはわかっていたということを知りました。

それで、この「ブーバ/キキ効果」というものを人類は持っているということと、上にリンクしたアメリカ科学的心理学会の人間は生まれた時に「音」で世界の形を学習していたを加えますと、

・人類の成長

とは何かということがとてもよくわかる気がするのです。

一般的にいわれる「お母さんの赤ちゃんへの話しかけ」というものは本当に大事であって、しかし、それはよく言われるような、その内容ではないように感じます。

「のっぺらぼうの光の塊の中から母音によって赤ちゃんに世界を作ってあげる」

ということのような。
「家庭の中でも、はじめに言葉ありき」ということですね。

そして、個人個人の赤ちゃんの世界が全体の世界を作っていくわけですから、これは最終的には「はじめに言葉ありき」という意味での、小さな概念とは繋がるとは思います。

「ブーバ/キキ効果」に関しては、 Wikipedia などインターネット上にも説明がありました。



さて、本当は昨晩書いていたことがあるのですが、今朝の「ブーバ/キキ事件」によって前振りが長くなってしまいましたので、タイトルに急遽、「前編」と入れました。

次に書きます。

今年の6月1日に書いた「中国の天地創造神話 - 女?(Nuwa)」の中で、ずっと疑問に思い続けていたことが解けたのです。


それは「本当にヌーワは泥人形を作ったのだろうか」ということです。


このことを考えることで、何回か前のこちらの記事の最後に書いた、

私は「男性は女性の『思想として発生』して、そして、現在もその状態で存続している」と考えています。


ということの自分の中での理解に繋がったのです。

夢にはまだヌーワ出てきたことないですけど。


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posted by noffy at 12:27 | 人類の未来