昨日、道を歩いていて、今まで釈然としていなかったことのひとつが翻然と理解できる「考え方」に至りました。
それを書きたいですが、今日はパソコンに向かう時間があまりとれません。
なので、その概略というか、書き留めておきたいことを書いておきます。
自分にとっても重要なメモになると思います。
「今まで釈然としていなかったこと」というのは、クレアの過去記事にいくつもそのフレーズが出てきます。
こちらの記事の中の、
「宇宙全体がひとつの体」という考え方もあながち間違っていないのかもしれません。ただし、それは「女性」でしょうけれど。
では、男性はどこに?
とか、あるいは同じ記事にあるカール・バルトというスイスの神学者の人が『ロマ書』だとかいう本に書いたという、
再臨が『遅延』しているのではなく、我々の覚醒が遅延しているのである」と言い、「終末は既に神によってもたらされている」という認識
などのこと。
あるいは、
こちらの記事にあるフレーズである、
男性は輪廻転生しないのでは
という疑問を持ったのはなぜかということ。
また、もう半年以上の前の記事ですが、突然わかった(かもしれない)太陽活動の意味という記事の中に、
再生のための「破壊の期間」を地球上に作るためと。
そして・・・・・
破壊 → 男性が担当
再生 → 女性が担当
と・・・。
そして、文明がまたひとつ先に進む。
という記事にも、「男性がゼロに向かう」という性質がすでに出ていることに気づきます。
さて、上の記事では、「太陽活動の影響を受けるのは主に男性であること」が、歴史的にわかっているというようなことを書いています。
その「主に男性が影響を受ける」という太陽とは、一体何なのか?

▲ 過去記事『月の夢と白血球の役割』
このあたりは、たとえば、前回の記事の、
大地(宇宙)は父である。
その大地は女性そのものである。
などにも関係あるかもしれません。
具体的にはともかく、「男性と太陽の関係」は、「男性と女性という関係」に置き換えられるかもしれないですが、あるいは「男性と宇宙の関係といってもいいですが、この「女性が宇宙だ」というのは、それで問題ないのだと思います。
では、男性は?
女性が宇宙なら、男性は何だと言えばいいのか。
あるいは、何に例えればいいのか。
男性は「××」である
というこの「××」の部分。
まあ、この部分は簡単に書けば、××は「虚体」という概念に繋がることだと思うんですが(埴谷雄高さんの小説「死霊」の中で描かれる基本的概念のひとつで、実体の反対のこと。「存在していない存在」)、しかし、「虚体」というだけでは、あまりにも形而上的で、よくわからない。
それに、何だか小説や抽象的な概念のようにも聞こえる。
なので、今後、「それは本当のことだ」ということを生化学的にも理解してみたいとも思います。
理解などしてなくても、グリグリに男性は存在していないはずですが、納得したいという感じもありますし。
そして、ここにたどり着くには、多分これまでクレアで書いてきたことだけでも十分だと思います。
・DNA の構造。
・人間は赤ちゃんの時にどのように世界を認識するか(母音)。
などと、
・人類創造神といわれるヌーワは実際には何をしていたのか。
このあたりを考えるだけでも、漠然とはわかります。
男性は宇宙の始まり(それはないですが)から現在に至るまで、一度も実体として、この世に存在したことはなかったということが。
大きな勘違い

▲ 過去記事「千年ムスコが気づいた「何も存在していない」現実」に載せた、しりあがり寿さんの漫画『弥次喜多 In Deep 』のラストシーン近くより。この後、「世界は存在していない」ことを悟ったこの少年は何もない中への「認識上の足取り」を築いていきます。ただし、この千年ムスコも私と同じ勘違いをしていたようで、存在しないのは「世界」なのではなく、男性。つまり、この漫画では、弥次さんと喜多さんを含めた男性だったと思います。千年ムスコも男性なので、自らは存在せずに、「他者の意識上の存在」として成立していたのかもしれません。
ずいぶんと以前に「人類の未来(4): 私たちは存在していない」という記事を書いたことがありました。聖書にあるように「世界が言葉から生まれた」なら、私たちは存在しないのではないだろうかというような意味でしたが、これは大きな勘違いでした。
言葉
は
誰かが発している。
という非常に単純な事実を見逃しています。
そして、「自分の言葉(声)は自分では正確には聞こえない」ということなどもあります。
自分の声って実はわからないんですよね。
まあ、それはともかく、しかし、上に書いたようなこと(男性は、物理的な意味でも実際に存在していないということ)は最近のこのブログの流れの中でも薄々感じていましたし、それに、何となく感じられていた方も多いのではないでしょうか。最近、男性の知り合い(ダメ友だち)などと話すと、この話がわりとすんなり理解されることに気づきます。
先日、昔からの知り合いの知人の元パンクスと久しぶりに飲んでいた時に、何の流れだったか忘れましたが、そんな話をした時に、
わたし「多分、存在してないんだよ、オレら」
知人 「あー、まあ、そういうのもあるかもね」
わたし「意識だけでもこの世なんて続くしさ」
知人 「だから、この世って終わんねーんだよな」
わたし「まあ、でも存在してないとわかった以上はちゃんと生活しなきゃね」
知人 「そんなもんかね」
わたし「だって自分たちがこの世に存在してないなら、実際には現実の生活だけだもの」
というような話になりました。
「自分たちがこの世に存在していないなら、実際には現実の生活だけ」というのは、よくわからないかもしれないですが、
・意識だけの世界
というのは、要するに、
・人間の元型としての常識の世界
とも言えるように思います。
だから、本当に私たち(男性)がこの世に存在して「いない」のなら、その生活には夢や奇跡は起こらない。
存在が非現実的であればあるほど、「生活は現実的」になっていく。
だから、2012年になろうが、3500年になろうが、この世は終わらないし、神様もやってこない。
ただし、これは「男性には」です。
女性の世界には奇跡というものがあるのかもしれません。
その、私と「オレたちは存在していない」という話に至った知人の彼はすっかり安心して、
知人 「よし、じゃあ、オレはこれから女の子のいるお店に飲みに行こうっと♪」
わたし「 (>_<)」
ということで、彼は夜の街に。
最近お金のない私は、部屋に帰って眠るのでした。
思想や精神や自我の物質としての正体
ところで、存在しないとはいっても、存在はするわけで・・・と書くと、ややこしいですが、つまり、「この世に何もない」ということはないわけで、こちらの記事だったか、アリストテレスという人の「宇宙は真空を嫌う」という言葉をご紹介したことがありました。
「アリストテレスという人」という書き方も変ですが、考えてみれば、私はアリストテレスが何をやったり言っていた人かをまったく知らないので、この書き方が妥当なようにも思います。
まあ、いずれにしても、「宇宙は真空を嫌う」という概念はわりと古くからあるようです。
つまり、男性が存在しないという意味は「何もない状態」ではないということで、「単に実体が存在しない」だけだと思われます。
では、何が存在するのか。
あるいはどこに存在するのか。
このことはわりと難しそうですので、少しずつ書いていきますが、難しい部分は「思想(意志)という物質の正体」がわからないからです。
すなわち、私は「男性は女性の思想として発生して、そして、現在もその状態で存続している」と考えています。