2011年11月03日

覚醒とは何か(4)ゼロへの希求



事件はいつも交差点から

先日、我が町で大事件がありまして、それは何かというと、駅前を歩いていると、交差点のところにある輸入食料品店のウインドウに見慣れぬお酒のポスターが貼ってあり、よく見ると、そこには

『生マッコリ初入荷』

と書いてあるではないですか。

yant-01.jpg

▲ そのポスターを見る私の表情のイメージ。


生マッコリは鮮度的に2〜3週間しかもたず、東京でも韓国の人の多い地域では売られているんですが、このあたりではほとんど手に入らないものでした。そして、これが本当においしいのです。普通に酒屋やコンビニなどで売っている生ではないマッコリとはまったく違うものです。

息せき切って店に入り、「生マッコリはどこですか?」と言うと、オジサンは完爾として微笑み、シャブ中を相手にする売人のように手際よく生マッコリを私に出してくれたのでした。それは「韓さんの生マッコリ」という名前のお酒で、日本で作られている唯一の生マッコリだそう。

実は、その生マッコリを家で飲んだ瞬間から書き出したのが、今書いているシリーズの最初の「「覚醒」とは何か(1)」なんです。


生マッコリを飲んでいると、昔よく行った韓国の風景を思い出します。

はじめて韓国に行ったのは軍事政権から開けて3〜4年目くらいだったと思いますので、今から20年くらい前ですかね。思えば、二十年ちょっと前まで、韓国って軍事政権。結構早く世の中って変わるもんです。

ちなみに、私は北朝鮮の金日成・正日親子と顔や体型が似ていて、昔は「吉祥寺のキム・イルソン」などと言われていたのですが、彼の死後は「井の頭線のキム・ジョンイル」と長く言われていました。顔は親、体系が子と似ています。そのせいなのか、韓国に旅行に行っても、現地の人、特に韓国人のオバアサンによく道をきかれたり、話しかけられたりしました。


立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿はゆりの花」という言葉がありますが、私の場合は、「立てば金正日 座れば金日成 歩く姿はきんどーちゃん」という感じの人物のようです。 


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▲ 左から金日成、金正日、きんどーさん。確かにどれも私とよく似ています。


さて、ここから前回からの続きです。
ここ数日、ずっと真夜中に目が覚めます。
今も午前3時くらいです。




母なる大地という言葉の「正体」


前回の記事の最後に、


しかし、男性も(一応)人類。


と書いたんですが、実は書いた途端に悩みました。

「このフレーズでいいんだろうか」と。

まあしかし、ここで止まると進まなそうですので、先に行きます。


実は昨日あたりに書いていた時まで、ある「イヤな考え」にたどり着こうとしていました。

それは、

・もしかしたら、男性は使い切りなのでは?

という考え方で、これはたとえば、オカルトなどでは転生とか生まれ変わりとか、そういう言葉もありますし、 科学でいえば、永遠不滅の DNA とか、そういうことも含めてなんですが、そういうことは「ある」と考えるのが、少なくとも最近の一般的な考えだと思います。

少なくとも、心の中ではなんとなく輪廻や転生を考える人のほうが「そんなものは一切ない」と考える人よりも多いように思います。

しかし、私が最近行きつきそうになった概念は、


・男性は輪廻転生しないのでは


ということでした。

ここに至った理由は大変に長くなるので、ちゃんとは書けないですが、後に書くかもしれない「女性は父である」という言葉と関係することでもあるので、少しふれておきます。

ここでの「父」とは「父と子と精霊」とかで使われる意味の「父」ですが、一般的な言葉でも、


・母なる大地


というような概念は普通に言われます。
マザー・ネイチャーとか、英語や他の言語でも同じような言い方がたくさんあるはずです。

大地とか自然というのは、要するに宇宙と同一のものですので、「母なる大地」という女性性の根本が「この宇宙の存在そのもの」だというところまでは、比較的容易に理解できる部分はあります。


しかし、「この宇宙の存在そのもの」というのは、最近の私の考えである「宇宙には誕生もないし終わりもないと思う」という考えからすると、つまり、


・宇宙というのは「存在そのもの」


だということになると思います。

この「存在そのもの」というものは何かというと、キリスト教というのか、西洋というのか、その中では「父」というものに該当します。

・存在そのものである父

です。

つまり。それには実体があったり形や色や音などがあるものではなく、しかも、大きさもないし、時間軸も存在しない。

それが「父」です。

ということは、「宇宙というのは、母であり父である」と言いたいところですが、「母」という言い方は実は後付けであり、存在しないことに気づきます。


つまり、大地(宇宙)は父である。

その大地は女性そのものである。

簡単にいうと、この流れが、

・女性は父である

ということにつながる。



このあたりが混沌としてきて、結局、上に書いた「男性は輪廻転生しない存在なのでは」という考えに行き着きそうになった時に、あるキッカケで「そこから逃れる道」を知ったのです。

それは、知り合いの女の子が書いてくれたメールでした。
彼女はこの前の2つの記事などを読んで、いろいろと書いてくれたのですが、彼女は、


> 男性が消えるということは、女性に還ることなのでは



ということを私に伝えてくれていたのでした。

そこには下のようなことが書かれてありました。
抜粋というより要約ですので、文体などは違います。




私は、魂にしても命や意識にしても、十代の頃から、それらは「宇宙(そら)に還るもの」だと無意識にずっと思っていました。「完全なる消滅」というのが理解できないからかもしれません。

どこに消えるの? という疑問がでてきます。

帰る場所を得られたからこそ「消えることも出来る」のだと。





これが正しいとか正しくないとか以前に、私はこのメールを読んで「私はやはり男性なのだ」ということを痛感しました。思考経路そのものが「男性性である」ということに彼女のメールを読んで気づいたのです。

それは、


・男性だけが持つ「完全なる消滅」という概念


のことです。

どうも、この概念は男性特有のもののようで、女性には基本的にはない思想のように感じます。

この「完全なる消滅」という概念だけではなく、これに関連したあらゆる概念が「男性性」的だと思います。

あるいは「無」という言葉もそうかもしれない。

「0(ゼロ)」という概念もそうです。


多分、「存在しない概念」を表現するものは男性性的であり、あるいは、実際に男性が作り出した言葉や概念かもしれないですが、それはともかく、確かに男の人はこれらの概念が好きです。


「完全破壊」

「抹消」

「全滅」

「一斉掃射」

「完全にオワタ」

「無の境地」

「裸一貫」


こういう言葉を好んで使うし、実際に好きだと思います。


森高千里さんの昔の曲に「気分爽快」というヒット曲があります。
こんな歌詞です。

owata.jpg

カラオケより。


好きな男の子が友だちの女の子とデキた、と。
本当はつらい、と。
しかし、それでも上の歌詞の後、サビでは


「私は大丈夫だよ 気分爽快だよ」


と続きます。

これは歌詞も森高千里さんによるものですので、女性の書いたものですが、男性の場合、やはりこういうふうにはならず、


「オレ終わった 気分最悪だよ」


というふうに歌は完結すると思います。


まあ・・・それはともかく(苦笑)、「何かあるごとにゼロに自分を持っていこうとする」というのが男性性の基本的性質だと気づいた次第です。

そして、私自身も男性性というか、要するに「男性」であって、この「ゼロに向かう性質」や、あるいは「消滅への希求」というものを強く持っている。


それに対して、私にメールをくれた女の子は、


男性が消えるということは、女性に還ることなのでは



という提言をしてくれたわけです。


つまり「消えない」と。


これは、「ゼロの否定」であり、そして、男性は言われなければ気づかないことでもあります。そして、なんとなく、宇宙や生命や、日常の光景などを見ていて思うのは、多分ですが、正しいのはそちら側。

つまり、「完全な消滅という概念はこの世にはない」ということのように思います。

では、どうして「男性」の考えはそこに向かうのか。




Y染色体の今後の行動が答えを出してくれるのかも


男性と女性が体内構成で違うのは、性差を現す「Y染色体」だけです。

この「ゼロ」を巡る価値観の対立が、男と女の全体的な問題だとすると、Y染色体の中「だけ」に秘密があると考えるのは、それほど違和感のある考え方ではないように思います。

すなわち、「人類の未来(0): Y染色体の挑戦」で書いた「急速にゼロに向かおうとしている男性の染色体である Y 染色体の中の遺伝子の中に、男性をゼロに向かわせるものがある」と考えるのが妥当だということです。

そして、今の方向性では、その遺伝子は消えるかもしれない。

というより、現実に消滅に向かっている。
つまり、男性染色体は自らの中にある遺伝子の「消滅への行動」で「ゼロへの希求」を現実に見せている。


なので、この Y染色体の遺伝子が

・本当にゼロになってしまうのか


あるいは、「人類の未来(0): Y染色体の挑戦」記事で書いたように、

・最後の一個の遺伝子で突然変異を起こして存続するのか


に、「ゼロは存在するか、しないか」の結論が見えると思います。




▲ 現在のXとYのそれぞれの染色体の中の遺伝子の数。男性のYは急激にその遺伝子の数を減らしています。資料によりばらつきがありますが、Wikipedia では、現在、X染色体上の遺伝子の数が 1098個で、Y染色体では 78個となっています。3億年前には元に同じ程度の数でした。


現在の多くの生物学者たちの見解には、「いつかはY染色体は消える」とする意見が数多くあります。


朝になりましたので、ここまでにします。


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posted by noffy at 09:47 | 人類の未来