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2011年11月02日

覚醒とは何か(3) 人類に芽生えたかすかな希望[同一の存在の可能性に向けて]



前回の記事の最後に、




人間が人間として認識されている遺伝子内の構造。
これが消えるか機能停止すれば、その存在は多分、完全にこの宇宙から消えるはずです。




というようなことを書きまして、これは勘違いを生む下りだと気づきました。
「存在が消える」ということをちゃんと書いていませんでした。

「その存在は多分、完全にこの宇宙から消える」ということの定義について、きちん書かないといけないと思います。


まず話は、「宇宙」という存在が恐れていることは何か?

というところから始まります。
あるいは「宇宙の希望は何だったのか」という言い方でもいいかもしれません。

タロット占いなどでは「希望と恐怖」は、ほぼひとつの視点から見ることになっていて、「希望と恐怖」が一対のものとしての解釈となります。私の知っているのは古代ケルト式という方式だけですが、その方式ではそうなります。タロット的には、「希望」と「恐怖」は、そのソースは同じところにあると考えることが可能だということになります。


宇宙に関しては、その希望と恐怖は「認識」ということになります。
人類が今、宇宙に対しておこなっていること。


空を見て、

太陽を浴びて、

宇宙観測衛星で宇宙の写真を撮り、

赤外線分析で遠い宇宙の組成を探る

遠い星の異星人に想いを抱き、

見知らぬ星にロマンを持つ、

目で見られる人はそれを目で見て

目で見られない人は、頭の中で宇宙を思う。

見える人も見えない人も最終的には頭の中に広がる「その人の宇宙」

ほぼすべての人の頭の中は宇宙のことでいっばい。



これらの「宇宙に対しての人類の認識」ということが、宇宙が「存在するため」の唯一の拠り所だと思われます。

宇宙に対してこれだけ強烈な想いを抱いているのは「宇宙で人類だけ」のはず。これはどの星のどんな人類でもいいですが、「人類の DNA を持つ人たちすべて」ということになると思います。

彗星が生命を宇宙に運搬している以上、人類は何億光年離れた星でも私たち人類と同じ。


数十光年先にあるクリーゼなどの「地球型惑星」も、実際に行ってみれば、落胆するほど私たちの地球と同じ可能性があります。しかし、幸いなことに人類は「移動に光年の単位がかかる場所」には行けません。「光速の壁」を打ち破る可能性は今のところはないからです。

なので、宇宙へのロマンはそう簡単には消えないはずです。

何年も何代も宇宙に対してのロマンを人類は持ち続ける。
そして、何年も何代もそこには行けない。

しかし、肉体は何光年も先に行けないかもしれないですが、「意志のほうは違う」と私は思っています。

これは埴谷雄高さんの願望でもあるわけですが、「アンドロメダの兄弟とは意志として会える」と思っています。


その理由は、「宇宙はひとつひとつがひとりの人間の体の投射なので、その程度の距離は光速で十分に移動できるから」です。では、肉体そのものは移動できないのかというと、「リアルな肉体の中にリアルな肉体は入れない」という、やはり物理の壁があり、難しい。


ここで前回も書いた「『意志という物質』がどこにあるのか」という問題とも繋がるのですが、しかし、それはわかるはずもないです。

何しろ、この世にはニュートリノを含めた宇宙線のように、「存在することはわかっていても、そのものを獲得したり見ることはできない」という現実の物質が存在しているわけで、仮に「そういうものが意志だったり霊魂だったり自我なんだよ」と言われてしまえば、それは「そこにあることはわかっているんだが」というところで終わるはずです。

それはそれでいいのだと思います。

とりあえず、宇宙みたいなものを作った人たちは、宇宙線などと同様、人間に関係した部分でも、「根本的な物質は見えないように、あるいはとらえられないようにした」という感じもしないではないです。



いずれにしても、宇宙は自分が認識されなくなることを最も恐れている。なぜなら、どれだけ広大に宇宙が広がっていても、「誰も認識しないただの空間は」存在しないことと同じ意味になります。


あなたは、行ったこともない、見知らぬどこかの町の廃墟ビルの3階の2号室の空間に想いを馳せたことはありますか? 

それはないと思います。そして、死ぬまでその空間に思いを馳せることはないと思います。これは少なくともその人たちにとっては「どこかの町の廃墟ビルの3階の2号室の空間は存在しない」ことと同義になるわけです。


認識しないとそれは「その人の中で、そのものは」存在しない。

「その人の中」といいましたが、ここが重要なのです。


さて・・・。

人は本当に個々なのか?



もう一度書き方を変えて書きます。


人は本当にひとりひとりなのか?


これは昨日気づいた大命題です。

もし、そうでない場合、「ひとりの中で消えた認識は全体の認識」となるはずです。

以前、私の公演関係の記事で、「女の子はひとつなんです」と言った人の話がありました。
なるほど、私はそれに深く納得しました。

しかし・・・では、人類という枠では?


うっひゃっひゃ、宇宙よ!
それを考えさせていただきますよ。

「オレたち人類には『全部がひとつ』というかすかな希望が生まれている」

ということですね。
「オレたち」と書いたのは、女性はもともとそれでいいのです。
しかし、男性も(一応)人類。

というわけで、ここまでで1度切ります。
相変わらず内容の流れがグチャグチャですが、書ける時に書かないとまた止まっちゃうので。


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posted by noffy at 21:06 | 人類の未来