▲ 先日の公演「赤色反応」(2011.10/3-4 d-倉庫)の1シーンより。自分の姿を隠した少女(ヌーワ)にキスをするもうひとりの女性。(撮影 / 萩原 靖)
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今朝7時頃、ベロベロに酔った若いカップルが大声で話しながら歩いていました。
基本的にずっと笑っています。
女性はロングヘアのスリムな女の子、男性は背が高い人です。
進行方向が同じ方向だったせいか、なんとなく私とそのカップルは並んで歩くような形となり話がよく聞こえます。会話の中の「・・・」はベロベロに酔っていて、会話が止まる瞬間です。
男 「ジュライ・・・ってさ・・・」
女 「なに?」
男 「7月なんだよ」
女 「ああ、そういうのもありよね」
男 「6月ではないんだよな」
女 「そのへん、よくわかんないよねえ」
男 「何しろジュライだもんな」
女 「11月とかわかる?」
男 「よし、じゃあ、1月から言ってみよう」
女 「じゃあ、1月」
男 「・・・・・・・・・・・・」
女 「1月は?」
男 「ジャニュ(ろれつが回らない)ひゃははははははは」
女 「あはははははははは」
というような会話を続けていました。
冒頭の
男 「ジュライ・・・ってさ・・・」
女 「なに?」
男 「7月なんだよ」
あたりは、かつてのフランスの詩人のような響きさえある形而上的な響きですが、ただ、ふたりともベロベロに酔っ払って、「ぐっひゃっひゃっ」と笑いながら言っているあたりが、ややランボーやボードレールと違うところかもしれません。
ふたりとも非常に楽しそうで、そこがまた会話の内容の「永遠の逸脱ループ」を際ただせているのでした。私など、男性の「何しろジュライだもんな」という今まで聞いたことのない言い回しに、思わず彼らを見てしまったほどでです。
「しかし、これだけ酔っ払っているとなると」と私は考えました。
「このふたりは明日、起きても今のこの会話を覚えていないだろうなあ。この楽しい会話を聞いて記憶に残すのは世界でオレだけ。ふっふっふっ」
と笑いながら帰るのでした。
毎日毎日声に出ている会話や言葉の中で、本人の記憶にさえ残らず、誰にも認識されることなく「消えていく言葉」というものは存在しているわけで、「それらの言葉はどういう扱いになるのかな」と思ったりもしました。いずれにしても、上の若い男性の、「何しろジュライだもんな」はしっかりと私の記憶に残るわけであります。
「女の子はみんなひとつなの」
先日の公演が終わった後、衣装を担当してくれていた女性と話していた時に、ふと、彼女がこう言いました。
「女の子って、何人いたって、みんなひとつなんですよ」。
それを聞いた瞬間、もう目からウロコやら何やらが落ちる落ちる。「なるほど、なるほど、それですべてを納得した」という心境になったのです。
正確には、「女の子は、個人個人で何億人いてもひとつなの」というようなニュアンスだったと思いますが、本当にこのひとことで「全体的なこと」がパーッと理解できたのです。
何が「すべてを納得したか」ということの具体的なことはスッと書き出せないですが、しかし、世の中にある様々な神話。曰く、大地は女性の体が引き裂かれてできたものだ、とか、ヌーワのように女性の神様が泥と縄で人類を創造した、とか、いろいろなバリエーションはあっても、
・大地は女性
・最初の人類は女性
というふたつのラインはかなりグリグリに貫かれているように思います。
そして、さらには、通称ミトコンドリア・イブなどの現代の人類の直接の祖先の系譜を辿るには女性の DNA からしか辿れない事実や、それに属する様々な「永遠不滅の女性構造」。
「どうしてそうなのだろう」とはずっと考えていたのですが、理論的なことよりも、その衣装の女性の「女の子はみんなひとつなんですよ」という言葉のほうがそのことに対する理解に対して、はるかに強く影響しました。
この言葉は予想以上にありがたいものであり、そこから、私の中で悶々としていた、「男性と女性」という存在と関係性が、さらにくっきりと見えてきた感じがあります。
人間の体内の無数の宇宙
ちなみに、今回、タイトルにした「宇宙は毎日、彼女の中で無数に作られ続ける」というフレーズなんですが、これは最近の私が実際にそう考えていることです。
人間の体の中には無数ともいえる DNA が存在して、そして、「それらのひとつひとつが宇宙であるのかもしれない」というようなことは、わりとずっと考えていたのですが、先日以来、
・女性の DNA だけが宇宙と直結しているのかも
という考えに至りつつあります。
このことについては、実証的に説明するのは難しそうですが、表面的に見える男性と女性の DNA の違いは(解明されていないジャンク DNA というものもありますが)、性染色体(XX と XY)くらいしかないようにも見えて、そこに何かがあるのか、ないのか。
それにしても、 In Deep の記事で宇宙関係の記事をご紹介する機会が多くなる中で、たくさんの宇宙関係の写真を見てきましたが、それらの「あまりにも人間の体内と似ている光景」というのは一種、不気味でもありました。
たとえば、下の写真は、 「人体の中の部分」と「適当に拾ってきた宇宙の画像」を4つずつ並べてみたものですが、あくまでパッと見た限りでは一瞬、どちらが体内で、どちらが宇宙かわからないのではないでしょうか。


これは、上の写真が細胞染色色素というページにある細胞の写真。細胞の一部は、普通は光らないものが切断されると蛍光性を持ち、このように光るのだそうです(このこと自体がすでに不思議)。そして、下のほうは Google で検索した「宇宙の星雲」の写真を適当にピックアップしたものです。
Google の画像検索で、「星雲」を検索してみると、下の写真のような画像が数限りなく出てきます。

そこには、もはやこれまでの私たちの概念にあった宇宙とは違う色彩と形を持った宇宙の姿が広がっています。
宇宙の観測技術が進むにつれて、宇宙の姿の見識は急速に変化しています。
そして、「体内に対しての観測」というか、研究も同様に進んでいて、そこにもやはり、これまでの概念とは違った「人間の内部の姿」が浮かび上がります。
下の写真なんかは紛れもなく、人間の中にあるものですが、もう宇宙そのものにも見えます。

▲ 細胞小器官。

▲ 細胞内のひも状の器官

▲ 細胞内のいろいろ。MBL 研究試薬ウェブサイトより。
まあ、何を説明したいのだか、よくわからなくなってきましたが、「見えている部分だけを追求していくことにも意味はある」というようなことは感じます。
いずれにしても、「女の子はひとつなの」という言葉は今年、人から直接聞いた言葉の中でも最大の意味を持つものでありました。
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