2011年09月22日

高架下で会った「ミスター(ミズ)欠損くん」



クレアの記事はずいぶんと間が開いている感じがしますが、これに関しては変な話なのですが、「書きたいことが多すぎて書き始められない」というのが現実です。


そのほとんどすべては、「男性と女性というもの」に関してなんですけど、もうホントに最近、「男女」という存在について、知ること気づくことの多いこと多いこと。最近は公的な意味も含めて女性と話したりする機会も多いのですが、その中で次々と判明していく男女の違い。

今では、私はもはや「男女は違うところがずいぶんある」とは思ってはいません。
「多少似ている部分も少しだけある」という感じです。
それくらい根本的に違うと考えています。

男女の違いが「根本的なものであるかもしれない」と考えると、そもそもこの地球上に男女がこのように一緒に存在している理由から考えざるを得ない感じはします。「生殖のため」なんて理由は時代的な話であって、永久的な話ではない。

そもそも、生殖というか、「人間は増えていかなければならない」という意味すら不明と考えてしまいます。

現実の肉体が増えようが増えまいが、過去の DNA と、そこに蓄積されている記憶は地球上に無数に散らばっている中で、生殖でリアルな人類が増えていく本質的な意味はわかりにくい


これらの問題は、今となるとどこから手をつけていいものかわからず、あるいは「考えることに関して能力の限界」を感じます。

そんなわけで、どうもこのまま書けないままで人生が終わる可能性も出てきていますが(人生まで終わるのかよ)、本当にどこから書いていのかわからないです。


ところで、 In Deep に、今日、

「夢」についてほんの少しわかっていること

という記事をアップしました。

夢について学術的にわかっていることをまとめてあったサイトを訳したものです。
そんな英語の記事が気になったのも、最近、また「よく夢を見る」のです。

今日も印象的な夢を見ました。




左脳をアイスピックでグサリと

昨晩は、アイスピックかキリのようなものを持っている男が夢に出てきて、


「左脳を刺してあげましょう」


と言います。

私は、「頭に何かを刺されるのはちょっとイヤかも」とか抵抗するものの、結局、アイスピックで左脳を刺されてしまいます。

「あーあ、刺されちゃった」

と夢で思いながらも、頭の左側面を刺されている途中で(夢だと気づいているわけではないので)いろいろと考えるわけですよ、

「何センチくらいまで刺さったら死ぬんだろう?」

とか

「体を刺されるとまず痛みが来るだろうけど、頭の場合はどうなんだ? 痛みを感じる前に意識を失っちゃうのかな」

と、多少アセりながらも、向学心に燃えている部分もあって、しかし、一方で、

「向学心に燃えても、知った時には死んでるから人に伝えられないわな」

と、苦笑しながら、目覚めて「あ、夢か」と。

(>_<) また夢だと気づかなかった・・・と。


まあ、そういうわけで、いろいろなことを書くのはしばらくどうにも難しい感じですが、今日はちょっと珍しいものを見たので、日記として書いておきます。




高架下での危機一髪

私の街には長い高架があり、その下はずっと歩けるようになっていて、全区画は無理ですが、「荻窪→西荻窪→吉祥寺」と3つの駅を高架下と高架沿いだけで歩いていくことが可能になっています。

今日、買い物に出て、その高架下を歩いていたところ、少し手前に気配がすることを感じました。

「なにか生き物がいる」

と。
その周辺全体から「生き物信号」が出ていたのです。ここでいう生き物とは「大型生物」という意味です。
(私は小さな頃からわりと「生き物信号」をキャッチします)

止まって前をじっと見ますが、何も見当たりません。

後ろにも前にも通行人がいなかったので、もう少しちゃんと見てみました。
すると、3メートルくらい前の路上にゴミのようなものが落ちている。

このあたりの高架下の道はわりときれいで、小さな異物でもわりと目立ちます。
しかし、近づいても、どうしてもそれが生き物には見えない。

近づいて近づいて、そして数十センチまで顔を近づけた時、「あ」とわかったのです。


それは「尻尾のとれたヤモリ」だったのです。

確かに見れば、ヤモリなんですが、それが生き物だと気づかなかった理由として、


・生き物の形として尻尾のとれたは虫類を想定していなかった

・ヤモリの色がほとんど地面と同化していた

・微動だにしていなかった


などがあります。

ヤモリ自体を見るのもひさしぶりですが、「ヤモリが道路を歩いている」というのも完全な想定外で、当然、道路を水平に歩いているヤモリをはじめて見ました。

あまりに意外で、しばらく呆然とそのヤモリを見ていたのですが、それにしても、ヤモリ自体を見たのが実にひさしぶりでした。

私が東京に来た30年近く前は、ヤモリはそこら中のアパートの壁などに内外問わずいたものでした。「ヤモリは縁起が良い」的な迷信もあり、人間に追われることも殺されることもなく、ヤモリはそのあたりにいましたが、しかし、ここ十数年は見たこと自体がまったくありません。


思わず携帯で写真を撮ったのですが、ちょっとわかりにくいです。

yamo-1.jpg


真ん中の小さいのです。

地面の写り込みのせいで尻尾があるように見えますが、完全にシッポが欠損していて、カエルのような感じの体つきになっています。


しばらくヤモリを眺めていましたら、そこに携帯を見ながら運転している女の子の自転車が近づいてきました。
女の子はまったく前を見ていません。

すると、ヤモリが突然、自転車のタイヤの進行方向あたりに歩き始めました。
自転車の女の子はまったく前を見ておらず、あるいは見ていても、この小さなヤモリに気づくことはできないでしょう。

そして、果たして、タイヤはほぼヤモリの上を通過寸前!
見た感じでは轢かれた位置にヤモリはいました。

「あああ」と心の中で叫びました。


しかし、その直後、見ると、ヤモリは轢かれておらず、タイヤの数ミリ横で笑っていました(比喩ですよ)。そして、そのまま「つつつ」と元気に歩いて去りました。

「うーむ・・・」

と私はうなり、どうもヤモリに遊ばれていたような気にもなり、まあ、しかし、もしあの女の子がヤモリを轢いていて、そのことがわかったらあの女の子もイヤな気分だったろうし、「何となく大ハッピーエンドであった」と実感しながら帰りました。

ちなみに、今回のことは現実でしたが、「もしこれが夢だったら、どんな意味なのかな」と、帰って、ネットで夢占いみたいなサイトを見てみると、

ヤモリ 家庭での幸運。自己の側面や本能・欲求。夜の気さくな友達。夜通し一緒に居る人。保護すべきもの。慰め。

とありました。


夢で「左脳を刺され」た後に、現実では「シッポのないヤモリの危機一髪を救う」(救ったわけではないだろ)というのはどんなもんなのかなと、考えたりしたのでありました。
タグ:ヤモリの夢


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posted by noffy at 20:58 | ニシオギ日記