2011年09月10日

地球は特別な存在ではないと思ってみたりする晩夏



こういうことを書くのも何だかアレなんですが、最近の私の考え方を突きつめていくと、多くのオカルトが自分の中から消滅していく寂しさがあります。「最近の私の考え方」という書き方は曖昧ですが、たとえば、 In Deep に以前書いたこちらの記事、

科学が到達しつつある「宇宙に存在するあまりにもたくさんの他の地球と生命」

などにある「全宇宙に広がる生命」という考え方と、そして、パンスペルミア説(宇宙が生命を拡散させている)なども、どんどん拡大解釈していくと、最終的には「地球に他の星からのエイリアンが来る必然性がない」という結論に行き着かざるを得なかったりします。

それは、宇宙に生命がありふれているものなら、地球を選ぶ理由がほとんどないと思えるからです。

それほどまでに近隣宇宙は生命に満ちていると考えています。

しかし、「近隣宇宙」と「高速移動までの限界」という2つのことがあり、それらの生命同士が相まみえる機会は極端に少ないということもあります。


たとえば、太陽系から数十光年という、宇宙規模から見ると比較的近い場所に、地球と同じような環境が想定される星がいくつも見つかっていて、今後、観測技術の向上によって、この数はさらに増えると思われます。

地球と似た環境が想定される「グリーゼ 581」(関連記事)という惑星は、地球から20光年のところにありますが、サイズは地球の倍あります。


Gliese581.jpg

▲ グリーゼの想像図。その太陽系との太陽との関係を含めて、何もかも地球とそっくり。こういう星は他にもいくらでもあると最近は考えられています。


仮に、太陽系外のそちらの方向から異星人が来たなら、地球よりグリーゼのほうが近いわけで、しかも、グリーゼ 581dと地球の間には他の「地球タイプ」の惑星はまだ見つかっていないはずですので、その場合は普通は少なくとも最初にグリーゼに行くと思います。そして、どの方向から来ても、地球や太陽系の周辺には似たような惑星がたくさんあります。

環境が地球のようなら、実際には人類がいようがいまいが、そちらに行くと思います。
なぜなら、私たちの地球でも人類は、誰もいないことがほぼ予想されていた「月」に最初に行っています。その最大の理由は「月が近かった」からです。


あるいは、多分、このすべての宇宙にある生命が作る文明は、「高速移動を越えられない」という宿命を持っているように思います。
物理の法則は、ほとんどすべての宇宙に適用できるはずだからです。


そうすると、実はどんな惑星のどんな進んだ文明を持つ人々であっても、「移動距離」は極端に小さくなる。

たとえば、1番身近な銀河である私たちの銀河系でも、その幅は「銀河系のディスクは直径約8万 - 10万光年」と見積もられているそうで、仮に量子テレポーテーション的な、光の速度で移動できる文明を持ち、それを実用できる人たちがいたとしても、銀河を横切るのに10万年もかかっていたのでは、それは普通の生命ではなし得ないものであり、あるいは、仮に高速移動で加齢しないとしても、「そんなことをして楽しいか?」という問題はあるわけです。

220px-Milky_Way_2005.jpg

▲ 私たちの天の川銀河。


私たちこの地球の人類はというと、「月」に行ったきりで、宇宙レベルではほんの目と鼻の先である火星にだって有人飛行はいつのことになるか(仮に米国の経済が再度ポシャれば、莫大な予算がかかる火星計画は存続が難しい感じがします)。


そして、物理の法則というのは宇宙すべてに適用できるものだとすると、他の惑星の人々にしても、やはり「光年の旅」というものは難しいものだと思います。


仮に、そういう高速移動のようなことができる人々がいた場合でも、他に魅力的な惑星は太陽系の周辺だけでもいくらでもありますし、そこには水もあるし空気もある。あるいはレアメタルも石油や天然ガスなどのエネルギーも多分ある。
そちらで悪い理由がない。


2年くらい前、CNNの「地球型の水の惑星が近距離で発見」という記事をご紹介したことがありましたが、そこに出てきたハーバード大学のデービッド・シャルボノーという教授は「地球型の惑星はわれわれの太陽系と同様の条件下でのみ形成されるという定説」が覆されたと述べましたが、この後、新しい惑星の発見が続く中で、自分たちの太陽系そのものが特殊なものでもないということがわかってきています。

そして、最近の宇宙惑星科学の理論では、水はともかく、空気に関しては、「最初からある程度保たれている」(惑星形成の中で自然と水素によって大気を保つように形成される)とする意見が強く、地球みたいな惑星は、どんな宇宙空間でも数十光年(地球からクリーゼくらいの距離)も行けばウジャウジャとあるはずです。



まあ、そういうようなことを合理的に考えていくと、一体これまで続いてきたエイリアン騒動とか、宇宙からの来訪者に関しての様々な話は何だったのだろうという感じもあります。

もちろん、「宇宙人がいない」という意見はまったく論外で、宇宙のどこにでも人々はいて、それらは姿も形も考え方も、あるいは趣味指向も地球の人間と同じようなものだと思っていますが、「それらが無謀なテクノロジーを駆使してまで地球に来る理由は?」というのは、どう解釈したらいいのかということかもしれません。


まあしかし、これは何かを否定しているということではなく、自然とそういう考えに落ち着いてきてしまうわけで、私個人の考え方であり、問題だと思います。人に説得するような話ではなく、独り言に近いです。だから日記として書いています。


しかし、それにしても、地球には未確認行物体の目撃は現実に存在するし、エイリアンのような人たちを見たりする事件がたくさんある。

ウソや作り話もあるにしても、全部がウソのわけがない。


一体、地球人の私たちは「何」を見てきたのか?
あるいは見ているのか?

それは「上から」ではなく「下から」来ているのではないのか?



なんてことも考える昨今であります。
西洋神秘学では、地球の内側には悪い者たちがたくさんいるというような概念もあるようですし。

まあ、悪い者たちではなくても、「地下には何かいるのかも」という考えは漠然とはあります。
こちらなどでたまにふれていますけれど、実際のところがわかるわけでもないし。

ilkleyalien2.jpg

▲ こういう人たちは何なのか? Phantoms & Monstersより、最近、英国ヨークシャーで撮影された写真の解析図。




神様の正体

夏前からたまに書くことがある「言葉と世界の創造の関係」、すなわち、

 ・世界は言葉で始まった

というようなことも、今の考え方を加速させているかもしれません。

「世界は言葉だけで始まって、今でも言葉しか存在していない」というような究極なオカルトを普通に信じ始めると、何だかもう、いろいろな他の不思議がどうでもよくなってくるという部分はあります。

むしろ、ひたすら現実的な考えに戻っていくという感じもして、最近では「神様の存在」すら危うい(というか、いないと思います)。

しかし、それでも、たとえば私は大人ですのでそのように考えますけれど、うちの子ども(6歳)なんかの中には「普通に現実的に」神様が存在していて、それと共存しています。うちの子の神様とは何なのか? ということも思います。


先日、話の途中でふいに、

「それはね、神様は知ってるよ」

と子どもが言いました。


わたし 「じゃあ、神様に訊けばいいのかな?」
子ども 「聴いたって仕方ないよ。神様は知ってんだからそれでいいじゃん」
わたし 「神様は教えてはくれないのかい?」
子ども 「人間で知ってる人なんていないもん(ケラケラ)」


と笑っていましたが、なるほど、そんなものなのかもしれないなあと。

そういえば、去年ですから、彼がまだ5歳の時ですけど、散歩の時にこんなこと言っていました。

私が空をボーッと見て、「空の上には宇宙があるんだよ」と言うと、


子ども 「知ってるよ」
わたし 「 UFO とか飛んでるかもよ」
子ども 「飛んでいるのは宇宙のずっとずっとずーっと上だから見えないよ」
わたし 「雲の上だから?」
子ども 「違う。宇宙の上だから見えないんだよ」


みたいなことを、タラちゃん語で言っていましたが、「宇宙の上」というのは、どのように解釈すればいいのだろうと考えたものでした。


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posted by noffy at 01:21 | 地球と宇宙の生命