2011年09月01日

スウェーデンボルグの「神とことば」に関しての見解



緊急時用の食品として本棚の上にカップラーメンを置いていてそれを忘れていたことに気づいて、「ああ賞味期限切れてるかも」と見てみると、ずいぶんと以前に賞味期限が切れていたので食べることにしました。

私の場合、基本的に記載されている賞味期限を信じないので、悪くなっているかどうかは食べて味で判断します。もっとも、子どもには賞味期限を守らせていますけれど。


えーと・・・で、何の話かというと・・・そのカップラーメンを本棚から取る時、一緒に本が落ちてきて、頭に当たったんですよ。


軽い苛立ちと共にそのあたった本を見て、「ああ、これは!」とその本のことを思い出したのです。私の頭をたたいたその本は、エマヌエル・スウェーデンボルグという人の「宇宙間の諸地球」という本で、1758年に書かれたものですから、今から 250年くらい前の著作です。


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2年くらい前、古本屋でこの本のタイトルを見て「このタイトルはおかしい」と思って、衝動買いしたのでした。それまでエマヌエル・スウェーデンボルグの名前も知らず、どんな人だか見当もつかなかったので、家に帰って Wikipedia で調べると、大変な人だったことを知ったのでした。


Wikipedia から抜粋します。中略が多いです。

エマヌエル・スヴェーデンボリはスウェーデンのバルト帝国出身の科学者・政治家・神秘主義思想家。霊的体験にもとづく大量の著述で知られ、その多くが大英博物館に保管されている。

スヴェーデンボリは当時 ヨーロッパ最大の学者であり、彼が精通した学問は、数学・物理学・天文学・宇宙科学・鉱物学・化学・冶金学・解剖学・生理学・地質学・自然史学・結晶学などで、結晶学についてはスヴェーデンボリが創始者である。 動力さえあれば実際に飛行可能と思えるような飛行機械の設計図を歴史上はじめて書いたのはスヴェーデンボリが26歳の時であり、現在アメリカ合衆国のスミソニアン博物館に、この設計図が展示保管されている。



そんなに学問に精通しなくても、と思わず苦笑するような華麗な経歴なのですが、しかし、この「宇宙間の諸地球」は本当に面白かった。

どういう内容かというと、一言で書くと、


太陽系内の水星、木星、火星、土星、金星、そして月の住人たちの「霊」と毎晩交わした会話の記録。



なのです。

こう書くと、やばげな老人の日記にくらいしか思われないかと思います。

だからこそ上の Wikipedia の経歴を載せたという意味もあります。

紛れもない 18世紀最大の科学者。
そういう人が書いたものです。


そのスヴェーデンボリが真面目に「木星の霊や天使たちは・・・」というように書き続けているのが「宇宙間の諸地球」という本なのです。


さて、まあ、この本を古本屋で見つけて、スウェーデンボルグさんのことを知ったのも偶然でしたが、今回、賞味期限切れのカップラーメンと共に「宇宙間の諸地球」が本棚から落ちてきたのも多分、何かの偶然。


さきほど改めてパラパラ飛ばし読みしてみると、やはり面白い。

特に、この本の中の章に

主が我々の地球に生まれることを良しとされて、他の地球に生まれることを良しとされなかった理由

という長いタイトルの章があります。

このニュアンスがおわかりでしょうか。


・我々の地球に生まれる
・他の地球に生まれる



という言葉をスウェーデンボルグは使っている。

この本を買った2年前は意味自体わからなかったけれど、「ああ、これこれ」と今は曖昧ながらも思います。


いずれにしても、この「主が我々の地球に生まれることを良しとされて、他の地球に生まれることを良しとされなかった理由」というタイトルの章には大変に刺激的な表現が多くあります。

そこからいくつか資料として抜粋したいと思います。

スウェーデンボルグに言わせると、「私たちがこの地球に人間として生まれてきたことには理由がある」とのことです。彼はこの章でそのことを書いています。旧仮名づかいの変換と、改行をしています、

(※)本文中の太字は私によります。




エマヌエル・スウェーデンボルグ 「宇宙間の諸地球」(1758年)

主が我々の地球に生まれることを良しとされて、他の地球に生まれることを良しとされなかった理由」より。


 なぜ、主は我々の地球に生まれて、人間性をとることをよしとされ、他の地球にはそれを良しとされなかったかについては、多くの理由があり、それについては私は天界から教えられたのである。

 その主要な理由は、聖言のためであり、すなわち、聖言が我々の地球に記され、記された後は全地に公けにされ、いちど公けにされたならば、全子孫に保存され、かくて神が人間になられたことが他生のすべての者までも明らかにされるためであった。

「主要な理由は聖言のためであった」のは、聖言は人間に、神が在す(いらっしゃる)こと、天界と地獄が在ること、死後の生命が在ることを教え、さらに人間は天界に入って、永遠の幸福に入るためには、どのように生き、どのように信じなければならぬかを教える神的真理そのものであるからである。

 すべてこれらのことは啓示されなかったならば、ひいては、この地上では聖言がなかったならば、全く知られなかったであろう。しかも、人間は、その内部の方面では、死ぬことができないのである。

(中略)

「かくて神が人となられたことが明らかにされるためであった」、なぜならこれは第一の、最も重要なことであって、そのために聖言が啓示されたからである。

 なぜなら誰もどのような姿の下でも把握することのできない神を信じて、その神を愛することはできないし、それゆえ目にも見えずそのため理解もできないものを承認する者の考えは自然の中へ落ち込んで、全く神を信じなくなるからである。

 そのため、主はこの地球上に生まれて、このことを聖言により明らかにされることを良しとされたのである。それは、そのことがたんにこの地球に知られるのみでなく、そのことによって、他の地球から来ている霊たちや天使たちにすらも明らかにされ、また我々自身の地球から来ている異邦人たちにも明らかにされるためであった。

(中略)







実際にはこの章はこの後もかなり長いのですが、長すぎる抜粋も飽きると思いますので、その部分は別の機会に。


なお、この章の最後は・・・ああ! なんと、聖書の「ヨハネによる福音書」の冒頭の引用(1節から14説まで)終わるのです。

すなわち、

はじめに言葉ありき

の部分です。




▲ もうこの写真はいいっての。光の時代(ニューエイジとニューヘイジ)より。



著作では「ことば」は「聖言」と訳されており、つまり、上の抜粋本文中に何度も出てくる「聖言」というのは「ことば」と置き換えられることがわかります。

このヨハネによる福音書の冒頭に対してのスウェーデンボルグの見解は次のように書かれています。


聖言(ことば)は、神的真理の方面の主であり、かくて主から発する神的真理である。しかし、これは少数の者にしか理解されないアルカナである。



「アルカナ」がどういう意味だかわからないですが、タロットで名前のついている22枚のカードを大アルカナといいますので、そのあたりと関係あるのかもしれません。

いずれにしても、上の文章自体とても難しい言い回しなのですが、この全体を通じて私たちが理解しなければならないのは、「この時代、どんな人物であろうとキリスト教的な神を否定できなかった」ということがあるはずです。

だから、非常に婉曲でわかりにくい表現が多いのはそういうことだと思います。

これは、共産党政権の中国やかつてのソビエト政権下での出版物や映画(政権の不利となるものはいけない)、そして、軍国主義時代の日本の出版物(軍事政権を否定するようなものはいけない)などにも多く見られたことです。

非常にまわりくどい表現になりやすいのです。

ちょっと回り道になりますが、このことで思い出したことを書きます。



戦時中に出版された「戦ふ日本刀」に思うこと

日本で戦時中の昭和15年頃に出版された「戦ふ日本刀」という名著があります。成瀬関次という刀の修理工の人が書いたもので、彼は戦時中に数千本の刀を修理している「日本刀のプロ中のプロ」なのですが、この本で明らかになる事実は、「日本刀は基本的に欠陥兵器」ということでした。

工芸品としての美しさに優れている日本刀ですが、構造上、「人を殺傷することに適していない」のです。これは今でも知らない方が多いかと思いますが、テレビのチャンパラは完全なおとぎ話で、刀は「刺す」ことはできても、人を叩き切るには、あまりにも各部が脆弱で、人を切ることに適していない構造です。


まあ、戦国時代以前までは、日本刀も武器として開発が続いていたようですが、戦国時代にはすでに「腰にぶらさげる身だしなみ用品」となっていったということのようです。


実際、戦国時代以降の戦争での主要武器は弓と槍と鉄砲で、こちらなどで見ると、


日本の歴史上、刀ほど実戦において役に立たない武器はなかったはずです。組織的な戦争が頻繁に行われた鎌倉時代から戦国時代にかけて、武士の主要武器は常に弓・鉄砲でした。たとえば戦国時代の戦争における負傷者の負傷原因を探ってみると、そのうちの約80%が弓もしくは鉄砲による負傷、10%程度が槍による負傷、刀による負傷はせいぜい2〜3%に過ぎません。



とあり、戦国時代でも、すでに日本刀は「武器」ではなかったようです。
しかし、今でも外国人は仕方ないとしても、日本人でさえ「日本刀は強い武器」と考えている方も多いのではないでしょうか。
「神話」というのはちゃんと崩さない限り続いてしまうのです。

探すとネットに「戦ふ日本刀と軍刀の評価」というページがあり、ここにこのようにあります。



戦時言論統制下、日本刀神話絶対の世論の中で書かれた本書はその背景を勘案して読まないと其の真意が読み取れない。




つまり、日本刀は軍事政権下では聖なるものであり、「直接、日本刀を批判すること」はできなかったのです。
これがスウェーデンボルグの書き方と似ていると感じたのでご紹介しました。





「人間は内部では死なない」ことと「地球からの異邦人」の意味は

ずいぶんと話が大きく逸れましたが、スウェーデンボルグがいた時代の「キリスト教」と、戦時中の日本の「軍人神話」や「日本刀神話」は似たようなものであり、それらを直接非難することは誰にもできないのです。なので、言い回しがとても婉曲になり、わかりづらくなります。


それを考えた上で「聖言(ことば)は、神的真理の方面の主であり、かくて主から発する神的真理である。しかし、これは少数の者にしか理解されないアルカナである」という部分を「訳して」みたいと思います。

こんな感じではないでしょうか。



「言葉こそが真理であり、私たちが神と呼んでいるものの真理でもある。しかし、このことはほとんど理解されていない」。



スウェーデンボルグが言う「これは少数の者にしか理解されないアルカナである」については、聖書にも似たような記述があるので、そこからの引用のような部分もあるのかもしれません。

「ヨハネによる福音書 /1章 10節」のこのあたり。


言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。
言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。




そして、これらと上に抜粋したスウェーデンボルグの文章の中にも関係する部分はあります。

誰もどのような姿の下でも把握することのできない神を信じて、その神を愛することはできないし、それゆえ目にも見えずそのため理解もできないものを承認する者の考えは自然の中へ落ち込んで、全く神を信じなくなるからである。


これもわかりにくいんですが、後の部分にもいろいろとでてきて、つまり、スウェーデンボルグはこういうことを言いたいようです。


とりあえず、神を人間のような形にしておかないと誰も神を信じない

と。

つまり、「言葉」だとか「何となく存在するもの」が神では信仰が成立しないので神を人間の形にしているということが何度もこの「宇宙間の諸地球」に出てきます。




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▲ たとえば、こんなような姿の形容できないものが出てきて「私は神だ」と言っても、誰も信奉などしないが、

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▲ (本当は違うけど)こういうような人間の姿をしているものに出てきてもらったほうが信仰は成立すると。






なんだか、思うままに書き殴っていて、全然まとまりがないですが、実は、今回の部分を抜粋したのは、上の抜粋文で太字にしたこの2つの部分を注目したいと思ったからなのです。


・人間は、その内部の方面では、死ぬことができない





・我々自身の地球から来ている異邦人たち


という2つの部分です。

どちらも意味はよくわかりません。最初の部分では「その内部の方面では、死ぬことができない」とあります。

これは、私は DNA のことだと考えたいですが、しかし、スウェーデンボルグの時代には DNA の存在は明らかになっていなかったので、スウェーデンボルグの想定していたものの具体的な感じがわからないですが、「人間の中には死なないものが存在する」ということであることは確かだと思います。


また、次の「我々自身の地球から来ている異邦人」というフレーズ。

これはもっと言い方を現代風にすると、「この地球からやって来るエイリアン」ということになります。


どこから来るのか?
それは誰なのか?


いろいろと考えながら賞味期限切れのカップラーメンを開けるのでした。


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posted by noffy at 16:50 | 地球の歴史