2011年07月26日

千年ムスコが気づいた「何も存在していない」現実



永遠の夏休み


子どもの幼稚園が夏休みに入りまして、昨年までは子どもは奥さんの実家のほうに長く遊びに行くということになっていたのですが、奥さんの実家はいわゆる「老老介護」問題を抱えていて、70代の女性が100歳の母親の介護をするという日々が続いており、今年は基本的に行けません。


そういうこともあり、昼間は子どもと一緒にいる時間が増えて、その上、夜は夜で以前より用事もあったりしていて、クレアの日記を書くことがあまりできませんでした。


夏休み・・・。

昔、大島弓子さんの漫画に「毎日が夏休み」というのがあり、会社に行かなくなってしまったお父さんと学校に行かなくなってしまった娘の交流の話でしたが、私は先日、子どもに、

「おとーさんって夏休みはいつなの?」

と訊かれました。

私は、


「それはね。毎日だよ」


と大島弓子さんの漫画と同じように答えたと思います。



あまり時間はないとはいえ、実は書きたいことは本当にたくさんあります。あまりにもたくさんありすぎて、むしろどれから書いたらいいのかわからなくて結局何も書けないです(何だそれは)。


それにしても、先日の台風マーゴンの影響は個人的には予想以上に大きくて、それは被害ではなくて(東京は微風すら吹かなかったです)、どうやら「台風が熱波を持っていってくれたっぽい」ということです。

台風以来東京は本当に涼しくなって、少なくとも、朝晩はパラダイス。朝方の散歩も復活しています。

まあしかし・・・これは台風の影響と共に、あの死ぬほど暑かった日々の私の毎日の祈りが通じたのかもしれません。


その祈りとは・・・。


pray-girl.jpg


(苦笑)。

最適温度14度の私の祈りはまだまだ続きます。


ところで、日本は全体的に涼しくなった感じですが、外国はいまだに暑いところが多く、米国も地域によってはいまだに非常に暑いようですが、今年もロシアがすごい。

特に首都モスクワはもはや北の街ではないです。

モスクワの今週の天気予報。


moscow-0725.png


7月28日の「雨が降って、なお 36度」って地獄のような・・・。
もはや熱帯ジャングルとかの気候に近い感じがします。




「母は娘からファッションの影響を受けている」という調査結果


昨日の米国のニュースにあった科学記事でとても面白いものがありました。

米国にテンプル大学というペンシルベニアの州立大学があるのですが、そこの研究発表リリースの内容がかなりおもしろいものでした。

Study: Some Moms 'Copy Their Daughters' Style


調査は、親子のうちの「母と娘」を対象に行われたもので、つまり、女性の親と女性の子どもの関係性の調査をおこなう中で判明したというもので、発表の要旨は、


・母親は娘の生活スタイルから影響を受ける傾向が強い



というものでした。

この「生活スタイル」というのは、主にファッションなどで、あるいはそれに類する嗜好や様々な趣味などです。


・娘が母から影響を受ける


のではなく、


・母が娘から影響を受ける


という傾向が極めて強いことが示されたということなんです。

母親の年齢と、親子の年齢差などによって違いはあるよるようで、母親が若ければ若いほど、娘の影響を受けやすいということです。


一般に、親子関係というのは、「上から下」、つまり、「親から子」へと伝承していくという概念が当たり前のように考えられていたり、あるいは、「親と子は別々(少なくともファッションでは)」という概念があったりしますが、今回の大規模な研究でわかったのは、「子から親へ」と影響が伝播していっているという構図でした。


意外といえば、意外にも思えるのですが、しかし、この研究が「女性のみを対象としたもの」であることを考えると、そして、今までクレアで書いたようなことを重ねて考えると、なんとなくわかるような気もします。


人類の未来(6):女性の外見が目指すもの - 神話が望んだ性的二形の最終形 (2011年07月08日)


という記事の中で、


「人類の創造時にヌーワが夢見た「性的二形から離れた自分の価値観の中での自分の美しさ」は、「男性を惹きつけるための美しさ」ではなく、「自分に対しての美意識」という部分に向いていた


そして、私が確信している「女性は(美意識とその発現に関して)進化している」という前提が仮にあるとすれば、世の中の母親たちは自分の娘たちを見て、


「わたしの娘はなんてかわいいのかしら」


と、通常の子どもへの愛情からくる可愛らしさとは違う意味でも思っていたりするのかもしれません。

そして・・・。


「わたしも娘にあやかりたい」


と(笑)。


ま、たとえば、これは先日の上の記事でも挙げた美人時計の表紙ですが、


bijin-t.jpg


この中に自分の娘がいるとして、そのファッション共々、それを見つめる母親たち。


「かわいい・・・」とつぶやく母親たち。


まあ、米国研究の、「母親は娘からファッションの影響を受けている」というのは事実らしいですので、少なくとも女性のファッションに関しては、「下の世代から上の世代に伝わっていく」という傾向があるようです。

男性にはこの傾向はないかもしれません。
これは年配の男性を見ていればわかります。

ちなみに、上の米国での調査は、消費動向を探るためのもので、つまり、経済的な調査の一環のようです。




梶井基次郎が宇宙にふれられた理由のひとつ:「ルックス」


さて、書きたいことはたくさんあるのですが、梶井基次郎さんのこともやはり書きたいです。


人類の未来(7): 言語による宇宙存在と人類存在の再プログラミングは可能か?(その1)


という記事で書いた梶井基次郎が気づきつつあった「言語と宇宙の関係」。

しかし、私はその梶井基次郎がこの崇高な地点にまでも行き着くことのできた理由も少しわかったのです。それは彼の短編を読めばよくわかるひとつの事実。


「梶井基次郎は女性にモテなかったであろう」


ということ。
これは推定ではありますが、読む限り、それ以外の解釈ができません。

親からくすねたお金までも含めて、ほとんどを芸者さんにつぎ込む日々。
その芸者さん自体はその梶井のことをそんなに覚えていない感じの雰囲気等(苦笑)、いろいろと苦しい部分は垣間見えます。


どうして「女性にモテないことが宇宙の真理に辿り着くことと関係があるのか」ということ。


これにはいろいろな理由はあると思いますし、一言では書けないですが、「男と女」という問題をずっと考えている昨今では思うところもあります。もっとも大きな理由は、仮に梶井基次郎がモテてモテて仕方なかったら、「ま・・・いいや、真理とかは。今は。」ときっとなっていたはず。

作家はきっとモテないほうがいいのです。
今モテている作家の方は今すぐモテなくなったほうがいいです(苦笑)。
いやホント。


kajii.jpg

▲ 梶井基次郎さん。苦労も多かったようですが、到達しつつあった世界観はまさに世界でも類を見ないほどの地点(「宇宙の成り立ち」)でありました。



でもね、梶井さん(死者への語り)、オレなんかも、夜の街でお金使ったりし続けてきて全然モテなかったわけで、まあ、似てるわけで。

梶井さんも多分、小説を読む限りでは、不安神経症でパニック障害。
当時は効果的な薬もあまりなかったでしょうし、そりゃどうしてもお酒に行くわけですよ。

まあ、でも、ルックスの問題もあったかもね、梶井さんは。


 ( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \



と、死者の怒りを爆発させて、この項は終わりということにしておきます。


(まあまあ、怒らないで、梶井さん ← 多分怒っていないと思う)




千年ムスコが気づいた現実


なんか話が断片ばかりで申し訳ないですが、もうひとつ。

以前、

楽な趣味の神様をめぐる男たちの人生 (2011年07月16日)

という記事でふれた、「弥次喜多 In Deep 」なんですが、その時は「今、手元にない」と書いたんですが、その後、買い直しました。廉価版というのがあって、それが古本で全巻セットで1000円で売っていたので買いました。

後半のほうだけ読み直して、当時(数年前)は気づかなかったんですが、この「弥次喜多 In Deep」という漫画、そのテーマは、



・この世は存在していない




ということだったことにようやく気づきました。

ヤジさんキタさんが、「新しい世界を言葉から創造する」というような下りがあることは書いたのですが、漫画はそこで終わりではなく、そこから「新しい世界」のエピソードが長く続きます。

その世界には弥次喜多は存在しておらず、弥次喜多は「神」として概念だけが奉られていて、また、その世界の支配者は「鳥」です。

そして、漫画のラスト。
新しい世界も、すでに「狂った世の中」になっています。

そこに、さらに新しい世界ができる予兆を描いて漫画は終わるのですが、そこが感動的ですので、ご紹介しておきます。


この漫画の登場人物のひとりに「千年ムスコ(息子)」という子どもがいます。命名の由来は忘れました。千年生きる種族の子どもだったか、千年続いた村の一族の子どもだったかなんですが、小学生くらいの男の子です。


この「千年ムスコ」だけが、この長いストーリーの末に、ふと、


「この世は存在していないのでは」


と気づくのです。


yaji-last.jpg

▲ 千年ムスコ。目の前に亡霊のように現れた弥次さんと喜多さんを前にこの台詞を言う。



この

「まさか、弥次さん喜多さんまで・・・ホントウはいないんじゃ・・・」

という台詞は、予想以上に重い台詞で、漫画のストーリーの後半部分の世界では、弥次喜多は神格化された存在となっていて、つまり、「リアルではないもの」として描かれます。

つまり、弥次喜多はすでに抽象的な意味での宇宙となっている。

その意味するところは、「現在の宇宙はすべて弥次喜多から始まった」ということになり、上の台詞の「弥次さん喜多さんは実際はいないのでは?」という台詞は、


・宇宙って存在しないのでは



という台詞であり、そして、それはさらにいうと、


・この世には何も存在していないのでは



という疑問です。

子どもにはあまりにも大きな疑問を抱えてしまった千年ムスコですが、しかし、そこはさすが弥次さん喜多さん。「何もない世界」へ旅立とうとしている千年ムスコに、弥次さん喜多さん(のようなもの)は、「闇夜の中で言葉だけで」こう言います。






そりゃあ不安だろうよ

だけどな・・・その不安をな ぐっとこらえて

ボウズが

そこに「ある」と思ったらな

そのちっちゃな足を・・・

そう

ぐっと・・・

そうやって前に出していくしかねえんだよ

そうやって・・・

ぐっと・・・






千年ムスコは、そのまま「存在しない中」へと進んでいきます。

最後は、その千年ムスコの後ろ姿も消えて漫画は暗黒となって終わります。


olas.jpg


ちなみに、この千年ムスコは「狂った新しい世界」の中でほぼ唯一まともな人間ですので、彼のつくる新しい世界なら多分大丈夫なような感じがします。


あと、いろいろ日記として書きたいことも、いろいろとあるのですが、おいおい記してみたいと思います。


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posted by noffy at 15:58 | 地球の歴史