昨日、 In Deep に、「スタンフォード大学で計算された宇宙の数: 「ビッグバンで作られた宇宙は10の1016乗」個」という記事を書いたんですが、その中に、「10の100乗」という単位が出て来ます。
10, 000, 000, 000, 000, 000, 000, 000, 000, 000, 000, 000, 000, 000, 000, 000, 000, 000, 000, 000, 000, 000, 000, 000, 000, 000, 000, 000, 000, 000, 000, 000, 000, 000
これが 10の100乗です。
これを見て、ふと、以前、このクレアに書いた
・地球の成り立ち(1) - 生命の確率 (2010年03月29日)
を思い出しました。
そこには、「地球上で無機物から生命ができる」という確率について、パチンコを例にして書いています。
そして、「無機物から偶然に酵素ができるまで」の確率までを書いています。「100個のアミノ酸からなる酵素を、完全にランダムな選択の過程によって作る」その確率です。
ところどころを抜粋します。
(ここから抜粋)
生物のからだを作るのに使われるアミノ酸は20種類だそうで、その中で、特定の機能を持つ酵素を作るためのアミノ酸の配列はすべて決まっているのだそうです。
つまり、
100のうち最初の1つのアミノ酸は20種類の中からひとつ選ばれます。
「20分の1」の確率から正しく選ばれなければならないわけです。
ひとつめですでに確率は
20分の1
ふたつめも20分の1。
みっつめも20分の1・・・と、100個まですべて20分の1の確率を最後まで正しく選んで構成していかなかいと、機能するための「生き物の素」というのはできないのだそうです。
その確率。
10の130乗分の 1
このうち、似たようなアミノ酸で代用して構成することを考えて、もう少し確率は甘くなるようですが、さて、しかし、この「10の130乗分の1」の確率を乗り越えても、まだやっと「ほんの小さな酵素がひとつできただけ」なのです。
そして、上の果てしない確率をくぐり抜けたとして、たとえば、小さな単細胞生物ひとつができるためにこれがどれだけ必要かというと、大体「2000個以上の酵素から生き物は構成されている」らしいのです。
そして、自然発生説では、これらがすべて「偶然に起きた」としているわけです。
その確率。
最初に出た数字の「10の130乗分の1」からみると、
10の130乗分の1 × 2000
から見ると、すなわち、
10の26000乗分の1
ということになります。
もうゼロがどれだけ続くのか想像もできない数字ですが、兆とか京の出る幕ではないのではないでしょうか。
そして、ここから生命には他に様々なものが必要だと思われます。ここで、ふと
・・・?
と思ってしまうのです。
この「超天文学的数字の確率」というのは、いくら何でもおとぎ話にもならないレベルの話なのではないだろうかと・・・。
(抜粋ここまで) (注) 上の「10の130乗分の1×2000」を10の26000乗分の1としていて、すでにかけ算が間違っていますが、ここでは、たとえば 1000兆や1000京くらいの誤差はあまり関係ないですので訂正していません。
今回の「資料」というのは、昨日の In Deep の記事で書きました「10の100乗」をあらわす、
10, 000, 000, 000, 000, 000, 000, 000, 000, 000, 000, 000, 000, 000, 000, 000, 000, 000, 000, 000, 000, 000, 000, 000, 000, 000, 000, 000, 000, 000, 000, 000, 000, 000
を見て、さらに上の「 10の26000乗分の1」を表示してみようかなとおもった次第です。
ちなみに、これはあくまで非常に単純な構造の小さな生物が一個できる確率」だということを繰り返し書いておきます。
また、当然ながら、「人為的に無機物から構成されるのではなく、ランダムにできる」ということです。人為的に無機物を構成して生命を作る条件を入れると、そもそも生命ができる前に生命がいたという変な話になるように思います。
ここから今度は多細胞生命などに進化していく確率や、そこから生物の種類が分化したり進化したりしていく確率をかけていくわけで、多分、同じくらい(あるいはそれ以上)の乗算となると思います。
下の「数字分の1」が無機物から単細胞生物のような生き物ができる確率です。














分の1。
もちろん、これはおよその確率です。
上の数値を昨年知ってから、私は地球での生命発生説はおとぎ話であるということに気づき、そして、「現実は他のところにある」と考えざるを得なくなった次第です。
私自身は常に現実の世の中に生きているという実感があり、現実以外のおとぎ話は私自身には不要です。夢は夢の中だけでいいわけで、現実にあまりにも夢を取り入れすぎると、生活の失敗に結びつくような気もします。「夢を見るのもほどほどにしなさい」と、若い頃、親に言われたことのある人も多いのではないでしょうか。
なので、私たちもそろそろ上の夢から、すなわち無機物から生命が自然とできたというような夢から「人類全員で」覚めてもいいような気もします。無機物から生命が自然とできたという可能性は一切ないと思います。
私は長くギャンブルをやっていたので、「確率の厳密さ」を知っています。また、一般的なギャンブルの場合、「当たりとハズレの間に曖昧な概念はない」です。
まさに現実。
地球に多様な生命体系がそれぞれに進化をするという確率の収束は、自然発生説とダーウィンの進化論ではとても地球の数十億年の歴史では足りないことが、ギャンブルを考えるだけでもわかります。
分母の数の問題ではなく、数字は数字です。
厳密だと思います。
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