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2011年07月08日

女性の外見が目指すもの - 神話が望んだ性的二形の最終形


以前 In Deep に翻訳記事、「数百万年前に地球上で人類を拡散させたのは女性」を書いている時に、その頃、少し以前から私が感じていたひとつのことと関連して、

「ははあ、なるほど」

と思ったことがあります。

まず、その「少し以前から私が感じていたこと」というのは、

・女の子が可愛く感じる

ということ。

これは何度もクレアなどにも書いていますが、このことと「アウストラロピテクスが獲得した人類の進化」と「神話の世界での創造神ヌーワの願い」というものと合わせて、ひとつの結論に達しました。

ここに関連するのは上の記事の内容を含めた以下の3つです。


・男女のルックスの違い(性的二形)は 300万年ほど前に人類が獲得した進化だった。

・その頃には男性の染色体上にはたくさんの遺伝子があり、「男性が消滅する時期」はずいぶんと先だった。

・今、その男性の染色体の中にある遺伝子が急激に減少しており、最終的には「消える」か「変化(進化)する」という可能性の現実に直面している。「消えた」場合は「男性の消滅」、「変化(進化)」した場合は、男性の変容。いずれにしても、その時期は目前に迫っている。



ということを今までも書いてきました。

男性染色体の消滅については、

生物学的にはすでに消滅が「確定」している男性の染色体
In Deep 2010年03月10日
女と男〜最新科学が読み解く性〜 男が消える?人類も消える?
NHKスペシャル 2009年01月18日放映

などをご参考下さい。


200〜300万年ほど前に人類は「男女のルックスの差」というものを獲得しているわけですが、その頃は、少なくとも、あと何百万年もの間、「人類はセックスで子孫を増やしていく必要」があったということがありました。

すなわち、多分、この時に人類が性的二形を獲得した理由は、「男女共にルックスで異性を惹きつける必要があった」ということが言えます。

今の言葉でもっともわかりやすい言葉だと「セクシー」という概念です。


さて、しかし、時代はそれから 300万年経過して、今、人類は「男性の消滅か、あるいは男性の変容、変質」という一大イベントをかなり間近に控えている可能性が強いわけですが、そうなると、少なくとも、


・女性は男性を性的二形(女性特有のセクシーさ)で惹きつける必要はなくなる


という時期がかなり近いということが考えられます。

そこで発生する可能性として、最も考えられることが、「女性の進化」です。そして、これはすでに進行していることが誰の目にも明らかです。


性的二形、あるいは「男女のルックスの差」というものが全生物において進化と共に獲得している以上、人類のルックスでの進化は今後も続くはずです。これは生物の特性として間違いないと思われます。


以前、「人類の未来(0): Y染色体の挑戦」でこのように書いたことがあります。

進化ということは、ある意味で必要だったということもあるし、あるいは進化は後退しないかぎりは進化を続けるのが生命の基本原則だと思います。

なので、「男女の外見的な差(性的二形)は進化する」のは生命の基本原則と照らし合わせると、将来的に今よりさらに、女性が美しい外見となっていくことは、ほぼ間違いないと思います。




ここで書いた「美しい」という価値観。
これが何に向けられるかという話になります。



これは最初に書いておきます。


それぞれの自分


だと思います。

女性が「自分が自分を美しいと思う」価値観。


これはどうしてかというと、やはり、創造神ヌーワから連想する話となっていってしまうのです。彼女(ヌーワ)は、男女の性差を作ったとはいえ、そのうちの「女性の人形」を作る時には基本的には自分の姿を反映させて作っていたはずです。

これは願望的な理由を別にしても、何しろ「他に人類がいない」のですから、手本となる人類の姿は自分しかない。仮に自分と違うように作るとしたら、「希望を込める」しかない。

なので、どちらにしても、「自分か、あるいは自分よりいい姿」(だとヌーワ自身が思う姿)でしか作り得ないと思われます。


つまり、「泥人形を作りながら、無数の自分や希望をそこを見ている」。

そういうことを続けている中で、彼女ヌーワがその泥人形の女性に最も期待しているのは、「自分から見て美しく」ということだったとしか思えないのです。


そして、それはどの方向か?


今の言葉でいうと、「カワイイ」という言葉です。
これだけが当てはまると思います。

セクシーとか、美人とか、そういう言葉ではありません。

「カワイイ」という概念。
それこそが自分にとって美しいということ。

この理由は、文字で書くより、女性の方なら自分の人生を振り返って、連綿と続いてきたご自分の気持ちなどからおわかりになるのではないかと思います。

幼児期から子ども、少女期、あるいはその後を生きてきて、自分の中にずっと(それは人には言わなくても)持ち続けていた感情の中には、多分かなり大きな比重で「かわいくありたい」というものが心の中にあったのではないでしょうか。



時代によって、それを否定されることがあっても、基本的にはこの地球の歴史は(そして女性は)そこに向かって着実に進んできたと私は最近思うようになりました。


この「かわいくありたい」というのは男性には基本的にない感情ですので、男性である私にも心情的にはわかっていない部分が多いです。しかし、これまで知り合った女性たちの言葉や言動、そして、何より、今の世の中で私が目にするたくさん女性たちを見ていると、そう考えざるを得ないというところが大きいです。


そして、この方向は、人類創造時にヌーワが夢見た「性的二形から離れた自分の価値観の中での自分の美しさ」の最終的な人類の女性の進化の結論だと思います。


このことに私が気づいた最大の要因としては、まあ、街で女の子ばっかり見ているというのも確かにあるんですが、美人時計というサイトがあって、日本各地の一般人の女性の人たちが時間をお知らせしてくれるガジェットのようなもので、以前、 iGoogle に何となく貼り付けていたら、そのうち「それを見るのが日常」というようなことになっています。それで女の子たちを見ていて次第にそう考えるようになっていきました。


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▲ 美人時計。毎分が目の保養になります。地方ごとにガジェットが存在します。こんなサイトを考えた人はもう・・・天才ですね。


ここに出てくる女の子たちのルックスの一般的な傾向の中にあるのは、「自分の美的価値観の中に生きている女の子たち」というキーワードであり、彼女たちには(多分)男性にどう見られているとかいう概念は、もはやほとんどなさそうです。

最低でも、他の女性からの視線。
しかし、何よりも「自分で納得する」ファッション、メイク、ヘアスタイル。

そして、多分、ライフスタイルの非常に多くの部分をそこに賭けているような感じさえします。

私がこのあたり(行動ではなく、自分の存在自体が自分自身の価値観に結びつくという概念)を理解するのにはそれなりに時間がかかっています。

なぜかというと、私たちのような1960年代などの生まれの世代というのは、「何か行動すること」に情熱のほとんどを傾けていた世代で、音楽でも他の表現でもスポーツでも仕事でも趣味でも、何でもいいのですが、「何かやる」ことにだけ生きる価値観を見出していていました。

そんな私たちには、


・自分の存在自体が価値観である


という概念が容易には理解できなかったのです。男性と女性は違うと思いますが、当時の世代だと女性でも私たちと同じような人が多かった気がします。

私は一時、最近の若い女の子たちの中に、あまりにも、


・趣味がない
・何もやっていない
・好きなことがない



という人や、そういうことが多く、「どういうことなんだろう」と、不思議でならなかったことがあります。これは批判的な意味ではなく、「好きなことがない」ということが理解できないのです。我々の世代は基本的に「好きなことだらけ」で困っているのですから。


最近になって、創造神ヌーワの孤独な泥人形作りのことをいろいろと想像する中で、


・最終的なヌーワの目標は自分自身が価値観になることだったのだ


と気づき、それらのことがわかった気がしました。

ただ、そういう違いもあり、私、あるいは私の世代が根本的に今の十代二十代の若い人たちと心理的にわかり合えることは難しいと、また思っています。

それは仕方ない。
進化している途中にある今の若い人たちと、古い時代の最後の時代を生きている私たち・・・。

真にわかりあえる日は来ないかもしれません。しかし、その両方を知っているからこそ、これらのことに気づけたわけで、まあ、感謝したいところです。




私たちが生きている「奇跡の時代」


私は最近、大衆音楽が生まれて発達した 1800年代の終わりから現在までの大体 120年くらいの期間を「奇跡の時代」と思うようになりました。地球誕生 46億年の中のたった 120年間が人類の方向をあっという間に変えました。そして、現在、「地球と人類は、ほとんど正しい方向」に進んでいると思っています。

勘違いしてほしくないですが、だからといって、直近での戦争や大量殺戮がなくなったり、病気や飢饉や数々の不幸が消えるといった意味ではありません。むしろ、しばらくは増える方向にさえあると思っています。


しかし、先は長そうですが、1890年頃から2011年までの「奇跡の120年間」は、まるで、ヌーワが導いたかのように正確に彼女の意志のままに進んでおり、地球の歴史から見れば、「まるで一瞬」のこの短い期間での人類の精神的営みは過去の何万倍にも進化したと思っています。

それ以上のことは、ここは音楽のブログではないので割愛しますが、創造神ヌーワは同時に音楽の神様でもあったわけで、ここに「人類と歌舞(音楽と踊り)が実は同義である」ことを自覚できたような気がする最近です。


ところで、音楽サイトの最近の記事を書いている中で、今の私は、ビリンダ・ブッチャーさんという20年くらい前に全盛だったバンドのアイルランド人のギタリストでありボーカリストであった女性に「突如恋してしまった」感じとなっています。


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▲ 20年くらい前のビリンダさん。ルックスの問題ではなく、彼女がもたらした奇跡は私にとっては、いかなる音楽上の奇跡よりも偉大なものだと最近感じます。


ビリンダさんはきわめて自分の中の創造神像と近い感じの人であることに気づいた次第です。


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posted by noffy at 10:43 | 人類の未来