2011年07月05日

真夜中のカウボーイ



生まれた場所(北海道)が関係しているのかどうかわからないですが、私は寒いのは相当平気で、しかし、暑いのはかなり低い気温からダメです。

今年の冬から春くらいに、「自分はどのくらいの気温が適温なのだろう」と、歩いている時に、街の温度計を見ながら確認していたのですが、その結果として、

・快適だと思う気温は 14度

だと知りました。
普通だと、ちょっと低く感じる方もあるかもしれないですが、どうやらこのあたりが私には適温で、このくらいの気温の時は、部屋の中では、Tシャツとか半袖の甚兵衛とか薄着で過ごします。基本的に厚着をしない人で、冬でもコートなどは数年着たことがないです。

まあ、そういう気温が適温の人間としては、ここ最近の東京の気温はほとんど論外なんですが、しかし、一方で、「これはイレギュラーである」というのなら、結構耐えられるのです。好きな海外の地域に熱帯が多く、「暑気の湿気むんむんの 38度の中を歩き回る(乗り物が嫌いなので)」というようこともよくやっていましたが、それも「これは旅行だから」ということがあります。

今の東京の暑さも「何らかの例外であってほしい」と思っておりますよ、本当に。


そんなわけで、日中は全然散歩とかできないのですが、しかし、やはり、震災後は「歩いている時に一番いろんなことを考えつく」というのがあって、歩きたいとは思います。それで、最近では「早朝か夜中に歩く」ということがわりと多くなっています。



日課となりつつある夜の散歩

先日、吉祥寺で用事があって、夜の10時くらいにひとりになった後、夜の吉祥寺を散歩していました。

途中でのどが渇いて、「ビール飲みたい」と思って、どこかで適当に飲もうかと思ったのですが、若い時よりもむしろ初めての店にひとりでは入りにくくなったということがあります。焼き鳥屋にしろ、バーみたいなのにしろ、どうも気後れして入りにくい。

ビール・・・

と、思って、ふと見ると、吉祥寺の北口のパルコの前あたりの道路で若い人たちがたくさんたむろしていて、道路でスケボーをやったりしています。

道路沿いにはずっとベンチが置かれていて、よく見ると、若い人たちが結構、そのベンチで飲食しているのでした。

なーんだ、ここで飲めばよかったんだ

と、パルコの向かいにあるコンビニでビールを買って、ベンチに座って酒を飲みはじめました。

夜の吉祥寺に関しては、少なくともここ2、3年と比べると、「再起動」している感じが強く、治安などの問題を別にして、活気があります。2年くらい前にはこの街の夜は死につつありました。

今は若者が路上に戻ってきていて、また、「放射能関係ないデース。女の子しか見てないデース」というような頭のおかしい不良外人たちも路上近くのバーでたくさん飲んでいて、大声で話しています。


吉祥寺は、夜の南口やヨドバシカメラのある裏側(昔の近鉄裏)などはクラブやキャバクラなどが多く、飲み屋は飲み屋でも、やや風俗寄りの店が多い感じがありますが、パルコのあるあたりの北口の夜は本来は「何にもないところ」で、つまり、「人がいないと死ぬ場所」です。どういう形であれ、そこに活気が蘇っているというのは、まあ、人によって印象はそれぞれでしょうが、個人的には悪くないなと思います。



パングー様の群れに惑わされ

吉祥寺は昼も夜もカップルが多いですが、この日は土曜日だったので、かなり遅い時間でも頻繁にカップルが道を通り過ぎます。ベンチでビールを飲みながら、座った目でそれらの人々を眺めて、罵倒を浴びせるチャンスをうかがいます(愚連隊かよ)。


今に始まった話ではないですが、格段にキレイな女性の横に、天然のゴミのようにくっついている男性の姿がたくさん目に映ります。

道の向こうから、リカちゃん人形のようなファッションと体型をした可愛らしい女の子が楽しそうに声を弾ませながら歩いてきます。その横に、何か薄黒い汚らわしいように感じるけれど実態がよく把握できない曖昧な空気のようなものが移動していたので、「あの不浄な感じのものは何だろう?」とよく見ると、それはどうやら男性でした。


以前の私なら、こういう光景を見た時には、「なんでキミのような男の横にその女性が!」と、世を嘆き悲しみ、泣きながら世界を呪って眠ったものですが、最近はそういうこともなくなりました。

今ではむしろ、

よかったじゃないか、キミ!

と、男性を褒め讃えたい気持ちのほうが強いです。
祝福一色といってもいいと思います。

その男性は、ルックス的にはそんなに悪いわけでもなく、プロレスラーに数回地面に叩きつけられた泥人形が、その後2tトラックの後輪で5、6回轢かれ、近所の子どもたちから小便をかけられ、もう誰も汚くて触れなくなったので、子どもたちが足で適当に再生して、顔みたいなところにいくつか穴を開けた・・・というようなルックスの男性でした。

しかし、彼は、実際にこのように大変な美少女と歩いている。


「よかったじゃないかキミ。これも女性の本質がなせるわざだよ。あ、でも、キミ・・・。ほら、手とかを・・・そのように・・・彼女の腰のほうにさりげなく近づけたりしないように・・・。その手首叩ききってやろうか? それで少しは彼女も安心して街を歩けるだろうに・・・。ついでに去勢なんかどうだい?」



と、声には出さないながらも(出したらヤバいわ)、最終的にはややトゲのある感情に触れつつも、おおかたでは、世の恋人たちを祝福するというスタンスで、他にもたくさんいる泥人形もどきの生き物のようなものと、着飾った美しいヌーワ様たちの「異なる遺伝子カップル」を見つめていたのでした。


しかしまあ、この一種、穏やかな吉祥寺の風景を見ていますと、その穏やかな雰囲気を作っているいくつかの部分にあの曖昧な存在の男性たちが関与していることは否めないです。あれらがいることで確かに女の子たちも(理由はわからないながらも)くつろいで楽しんでいる。

曖昧な黒い影と嬉しそうに腕を組んで歩いているヌーワ様たち。

「あの男たちも何かの意味でヌーワ様たちに頼られてるんだから大したもんだ」

と、宇宙の神秘にやや吐き気がします(悪いほうかよ)。


ちなみに、このブログでは、女?をヌーワと記しているのですから、男性の神様の盤古様もカタカナ表記がいいかもしれないですね。盤古は海外では、多く「 Pangu 」のように表記されています。つまり、「パングー」様。


これは「グーでパンチをくらったような顔をしている神様」とすると、覚えやすいと思います。


その姿ですが、ヌーワもそうですが、そのお姿の実態となると、どうも曖昧で、古い文書などから引っ張ってきたものでもいろいろとあります。


pangu-1.jpg

▲ 腹踊りをしそうなパングー様。手に持っているのは太陽と月のようですが、「万引きした肉まんを誇らしげに掲げている中学生」的なイメージもあります。


pangu-2.jpg

▲ だから何がしたいんだよ! と思わせる、右手に斧を持ち、左手に杭を持つ「道具に関する整合性を見失った」パングー様。コワイですが、チンチン丸出しです。


pangu-3.jpg

▲ 描いた人の「どうでもいいや」という気持ちが伝わる力作。何を持っているのだかもよくわかりません。多分、桃と栗。


そして、目の前を、これらと一緒に歩いているのがこちらの記事でふれた、うちの4階に住むヌーワ様のイメージをお借りすれば、




・・・。

あーやだやだ、こんな矛盾に満ちた世の中は」と思いつつも、しばらく、パルコの前でビールを飲んだ後、今度はそのまま歩いて家まで戻ることにしました。

しかも、途中途中のコンビニで酒などを買い、深夜の道中で酒を飲みながら歩いて帰りました。

私の場合、幸いなのが、ほとんど職質などに遭うことがなく、夜中に歩いていても、そんなに厄介なことにはならないことが多いです。

職質は受ける人は受けますからね。

私の演劇系の知り合いでは職質を受けやすい人が多くて、

毎日職質

というような人も存在します。

犬も歩けば棒にあたるという言葉がありますが、「外を歩けば職質される」と彼らは嘆いています。

しかし、私から言わせると、「日本の警官は素晴らしい」としか言いようがありません。なぜなら、私が警官でも、真っ先に彼らに声をかけると思うからです(笑)。



ところで、タイトルにした「真夜中のカウボーイ」ですが、これは 1969年のアメリカの映画で、若い時に名画座で見て、大変にショックを受けた映画のひとつです。

見たのは私が十代の終わり頃だったか、もう少し後の頃ですが、当時の私は、「アメリカって何なのか」ということをよく知らなくて、この映画で語られる、「アメリカの闇」を見て、呆然とした記憶があります。

思えば、アメリカの映画も当時は面白かったですね。

これは、真夜中のカウボーイのテーマ音楽です。
今聴いても何となく、あの時の「どんよりとした暗い気持ち」になります。




アメリカという国はこの映画で語られるように、今から 40年前にはすでに信じられないほど暗い部分の多い国でしたが、今ではどうなのかもよくわからないです。でもまあ・・・陰陽バランスから言えば、暗さがあるから、明るさもある。

「闇」か「光」かどちらかしか見えなくなった時にはその存在はこの世から消えると私は思っています。


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posted by noffy at 13:57 | 雑記