(注)最初の余談が長くなってしまいました。適度に飛ばして下さい。
下のほうの「創造神ヌーワが持っていたたったひとつの気持ちと願い」というところからが本編です。
--
余談: 郭丹丹さんに諭されて
ここのところ、頭痛がほぼ消えてきたのですが、しかし、眠ってもすぐ起きてしまうというのは続いています。
今朝、ニュースの見だしを見ていたら、
・睡眠不足 不満の多い性格になりがち (大紀元日本 2011.07.02)
というものがありました。
「睡眠障害のオレらを勝手に定義づけやがって、チクショー」と不満に思いつつも、すぐに、「お、しかし、確かにこのようにすぐに不満をいだくオレ」ということに気づき、そんな自分が少しイヤになったりしていると、「お、こんなに簡単に、さらに自分に不満を持ち始めているオレ・・・」と、実はとても不満を持ちやすかった自分ということに気づいて、さらに不満が募るのでありました。
ちなみに、上の大紀元の記事の出だし・・・。
「あの時、こうしていれば・・・」「もっとあの人がこうしてくれたら、今ごろ・・・」。現実とは違うシチュエーションを想像することを、心理学用語で「反実仮想」という。誰でも経験する思考過程だが、寝不足の人は特にネガティブな反実仮想に耽りやすいと米研究者らが発表した。
とあります。
こういうのを読むと、そんな「不満を持ちやすい自分」がつくづくイヤになり、ふだんの自分の行動に否定的になります。「あの時、こうしていれば・・・」「もっとあの人がこうしてくれたら、今ごろ・・・」と、つい考えて、自分は上の記事そのものの人間なのだと気づいて、さらに落ち込み、「ああ、あの時、オレが・・・」(もうええわ!)。
ちなみに、記事に「反実仮想」という言葉が出ていて、私はこの言葉をはじめて知りました。
ニコニコ大百科によると、「反実仮想とは、思考実験の一つである」とのこと。簡単な例として、「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら世界は変わっていただろう」が挙げられていました。
続けて、
歴史において「もしも」は禁物だとされているが、物事の因果関係を推論する社会科学においては何らかの反実仮想は不可欠である。対照実験ほどの精度はないものの、当時の状況の精査によってある程度の推論を行うことも可能である。
とあって、このニコニコ大百科では解説が進めば進むほどむしろ何が書かれてあるのだかわからなくなっていますが、「日常生活でも「後悔」という形で反実仮想が行われる」と書かれてあるのは理解しました。
ところで、上の記事の最後なんですが・・・。
反実仮想は、仏教でいうところの「妄念」。邪な煩悩に振り回されないよう、睡眠不足には気をつけたい。
と、記者の人から私たちのような人々に対しての戒めの言葉で終えられていました。
この記事を書いたか編集した人に興味が沸き、「書いたのは・・・」と見ると、(翻訳編集・郭丹丹)とありました。「丹丹」という名前からすると、多分、女性だと思われます。
「やはりそうきたか」
と思い、ついでに、この郭丹丹さんの名前について調べてみると、この名前は、中国ではわりとある名前のひとつのようです。
なぜかというと、中国語サイトの「同姓同名大集合」というサイトを見ますと、このサイトの登録者だけでも 1000人以上もいたからです。

日本語読みだと「かくたんたん」となってしまうのですが、外国語の名前、特に漢字などの名前は日本語読みにすると何だか色気がなくなってしまいますので、本当の読み方を知りたくなりました。
中国の飛び込み選手だった郭唱唱さんの読みが確か「グォ・ジンジン」だったはずですので、名字は「グォ」。名前の丹丹は英語表記で dan dan とありますので、推定では郭丹丹の読み方は、「グォ・ダンダン」ということになりそうです。
意外だったのは、上記サイトによると、これは必ずしも女性の名前ではないということのようです。
このサイトでの分布でしょうが、郭丹丹という名前の分布は、

となっていて、女性95パーセントに対して、5パーセントの男性が存在しているという深刻な問題が露呈しています。
これは日本でいえば、「さくら」という名前あたりを考えるといいでしょうか。そりゃ、「さくら」という名前を男性につけて悪い理由はまったくないでしょうが、現実にはかなり少ないと思われます。でも、「いそうな気もする」と。
今は、願わくば、グォ・ダンダンさんが女性であることを祈るだけというような日々が続いています。
何だかもう全然わからない展開となりましたので、本題に入ります。
創造神ヌーワが持っていたたったひとつの気持ちと願い
昨晩、初めて話した女性との会話の中で、あることに気づきました。そのことを書ける部分だけ書いてみたいと思います。
最近の私の中にある疑問の中で最大のことがありました。
それは、
・なぜ、女性が男性の存在を求める必要があるのか
ということです。
逆のほうではありません。つまり、「男性が女性を求める」ほうのことではなく、「女性が」のほうです。
最初にこのことは書いておきたいですが、この期間・・・多分この 2000年間くらいのあいだ、男女の問題は「性」、あるいは「恋愛」、あるいは「性差」という曖昧な概念で括られてきました。それは、性行為(セックス)そのものの問題を含めて、
「男と女が引きつけられあうのは(恋愛、あるいは性差として)当たり前だ」
というような、ほとんど合理性のない根拠を漫然と、私たちが信用していたところにあります。
どうして「合理性がないか」というと、これは長くなるので今回は書かないですが、理詰め(歴史、生化学、遺伝、神話、宗教など)で考えると、上の「男と女が引きつけられあうのは当たり前だ」というのは幻覚やオカルトにも近い何の整合性もないという事実があり、そして、多くの人々はこのことに気づきながら、それについての言及を避けて長い間生きてきました。
私は、創造神ヌーワの神話を読み返すうちに、この疑問は「人類史で最も重大な疑問」であることに気づき、同時に「その答えも」非常に明確にわかったような気になりました。
順を追って書きます。
前提として過去に書いたことを簡単に書いておきます。
ここでは中国の神話の例ですが、どこの国のどんな神話でもいいです。女性の神様が存在する神話なら何でも同じです。
・中国の古代神話に出てくる人類をつくった創造神ヌーワという人。
・人は彼女と似せて作られた以上は、人間、特に女性は「完ぺき」な存在としてこの世に生まれたはず。
ということを以前書いたのですが、そのこと自体も実のところは、どうでもいいのです。
彼女ヌーワが人類、あるいは「女性の元型」だとすると、その時の彼女の気持ちを考えるだけで、すべてわかるのです。多分。
特に人類の女性の根源的な気持ちが。
以前訳した、資料・中国の天地創造神話 - 女?(Nuwa)を振り返ってみて下さい。
そこからの抜粋です。
・女?が最初に作った人類は、土をこねて作った操り人形のようなものだった。
・女?はそれらの粘土人間に満足していなかった。
・女?はその人形たちに息を吹き込み、彼らに魂を与えた。これにより、人形たちは生命を持つ人間となった。
etc etc ......
さて・・・・・。
これらの作業が始まって終わるまでどのくらいの期間がかかったかは明らかではありません。何万年か、何億年か、あるいは何兆年か。
それはわかりません。しかし、上の文章を見て明らかなことは「それを誰かと一緒に行った」という記述がいっさいないことなのです。
ヌーワは完全にひとりだった。
何万年も何億年も続いたかもしれない永遠にも近い地獄のような孤独。
しかも、半端な孤独ではなく、宇宙に他の人類がまだいない完全な孤独。
簡単にいうと、これが人類の女性の根本だと思います。
これは日本語でうまく言葉がなくて、以下の言葉しか使えないのですが、ヌーワ及び女性の気持ちの最大の根源は「とてつもなく、さびしい」ということ。
その孤独の空白を埋めてくれる対象なら、実は何でもいい。
しかし、できれば、同じ言葉や感情を持つ者であったほうがいい。つまり「それは動物や植物ではなく、人間がいい」。
ひとりで世界をつくったというなら、中国古代神話の男の神様である盤古も同じではないかと思われる方もいらっしゃるかと思います。
しかし、「盤古は人類を作ったりしなかった」。
孤独が何億年続いても関係なかった。
この差は大きいです。

▲ 途方もない年月を気の狂うような孤独の中で淡々と人類をつくるという「単調でつまらない作業」を繰り返していたヌーワの目的は、「この泥人形の中の誰かが自分の孤独を癒してくれるかもしれない」という夢(だと昨日気づいた次第です)。
このヌーワ及び女性が根源的に持つ「さびしい」というような感情は、(誰が言い始めたか定かではないですが)これまでのうお座の 2000年の間は「女性の相手が男性」というようにされたまま進んできましたが、これはそのうち変わると私は思っています。
いや、ほぼ確実に変わると思います。今の社会の空気を読んでいると、今後の200年くらいの間に変わる気配を十分に感じます。
今回のこの話を「人類の未来」シリーズとして並べた理由はこの「これから劇的に変わる社会」という意味のためです。
消滅を目前にしたみずがめ座の時代の男性の最大の役割とは
それと、神話から読み取ることのできる「男性と女性の存在の概念」については他に下の2つのことがあります。
・男性の役割は、本来、女性とは関係のないところにあり
そして、
・女性もまた男性とは関係のないところにある
ということ。
では、双方が何に関係しているかというと、男女とも相手は「宇宙」(のようなもの)であり「世界」(のようなもの)であり、言い方によっては「神」(のようなもの)とかそういうものです。
そして、それらはまた「母なる地球」と呼ばれる理由を持つ女性自身でもあるのですが。
男女のどちらが「この宇宙から最初に消えていく」のかは、今さら書くまでもないと思いますが、一応書きますと、男性です。実際に Y 染色体を減少させ続けている男性が先に消えます、物理的に考えても合理的な考えだと思います。
では、「男性がこの宇宙に存在している最大の目的は何か」ということを、特に私たち男性は知る必要があります。
それは、ヌーワ(つまり宇宙で単一の女性)の心の空白を永遠に埋めるものをこの地球(あるいは宇宙)に文明として残すこと。
それが終わった宇宙から順次、男性(の染色体を持つもの)は消えていくということになると思います。盤古とヌーワの関係を見ていると、このことがあまりにも明白に描かれていたのに、すぐに気づかなかった自分が情けないです。
ちなみに、上の話は昨日、飲み屋で知り合った若い女性と話している時に気づいたものです。彼女は目にグリーンのカラーコンタクトを入れていて、なんとなく、昔の知り合いだった「16歳のヌーワ様」を思い出させる雰囲気のある人でしたが、私は彼女との会話でひとつ気づいたことがあります。
それは、「女性は、今すでに、男性性システムの社会が作り上げた男女の在り方の理想像の矛盾と違和感に気づき始めている」ということです。個人的には女性たちはもっと気づいてもいいような気もしますが。
先日の記事で、うお座からみずがめ座への精神的文明の移行について書きましたが、これは「曖昧な移行」などではないと私自身は考えています。
なぜなら、その前の文明の転換を、日本だけに限って考えてみればわかりますが、私たちには「2000年以前の文明をすでに把握することもできていない」という現実があります。つまり、把握できないほど変わってしまった。
当時は記録型の文明がなかったからだ、という意見があるかもしれないですが、仮に1000年後、その時の文明が「今の私たちの記録型の文明を理解しない文明だった場合」は、やはり「あの2000年は何だったかはまったくわからない」ということになると思います。
多分、地球の2000年毎の区切りはそういうことなのだと思います。
なので、「とても考えられないほど大きく激しく徹底的に変わっていく」のだと確信しています。それに何百年かかるにしても。
タグ:中国古代神話