熱で数日寝込んでいたのですが、症状が「熱だけ」でしたので、それが引きまして、体調は何とか復活してきた次第ですが、最近、 In Deep のこちらにちょっと書いたのですが、2008年頃からちょこちょこと出ていた睡眠障害がまた激しく復活していて、熟睡が全然できていないのです。
で、まあ、睡眠の状態の全体を自分で把握しているわけではないですが、感覚的には眠っている時に「夢ばかり見ている」のです。
睡眠中ずっとレム睡眠みたいな感じとでもいうのか、基本的に疲れた感じで目を閉じて、眠りのような状態に入った「ほぼ瞬間」から夢が始まって、それは次に頭痛などで起こされる10分後〜30分後くらいまでの間、ずっと夢を見ている感じです。
最近、それに少し加わった感じの「別の夢感覚」があります。
昨年あたり、自分の子どものことを書いていたことがあります。
うちの子どもはじきに6歳になる男児ですが、睡眠中以外でも「目を閉じただけで夢を見る」というのが小さな頃からあって、それは今でも続いているようです。
震災の前のしばらくの間、子どもが地震のことを頻繁に口にして脅えていたのを聞いていたこともあり、震災の後、私は子どもに「どこで見た夢でも、コワイ内容ならそれを口に出しちゃいけないよ。口に出すと聞いている他の人もコワクなるから。おとーさんにもおかあさんにも言っちゃダメ。そしてすぐ忘れちゃいなさい。大人になれば、そんなコワイのは見なくなるから」と言いまして、それ以来、彼は夢の内容を言わなくなりましたが、見えているという状況については同じようです。
そして、この「目を閉じた瞬間から夢が始まる」ということが、最近の睡眠障害の中で私も経験するようになったということがあります。
基本的に睡眠不足なので、とにかく眠いということに最大の要因がありそうですが、朦朧としている時などは、起きている時と眠っている時の差が結構曖昧で、「起きていて目を閉じているだけなのか、すでに睡眠に入っているのかが自分自身でよくわからない」くらいのことさえあります。
なので、夢はすでに始まっているのに(それが夢だというのは内容でわかる)、自分では「まだ眠っていないのではないか」というアセりがある。
それを毎晩のように経験しているうちに、「ああ、子どもが言っていたのはこのことかもなあ」と気づいた次第です。多分、広義では(脳の状態としては)すでに眠っているのだとは思いますが、眠る前のグダグダの朦朧状態との線引きが曖昧で、まるで、「起きているまま夢の世界に突入していく」という感覚があります。
夢から覚める時も同様です。「(夢か現実か)どっちだ?」と、現状把握に一瞬間が開く。
これは正直・・・・・疲れます(苦笑)。

▲ アイ眼科クリニックより。夢を見るのはレム睡眠というグラフの上の部分で、つまり「眠っているけれど、脳は活動している」時。これが長いようです。
夢の内容自体は他愛ないものが多くて、うちの子どもみたいなものではないです。しかも、私が子どもに「大人になれば、そんなコワイのは見なくなるから」というのは正しいようで、コワイのもたまにありますが、それは個人的にコワイというものであって、全体的な恐怖感を伴う夢は見たことがありません。まあ大体は女の子が出て来て・・・(夢でもかよ)。
そんな感じで、睡眠不足ということもあり、ボーッとしていることが多いです。
ところで、最近は言葉と DNA の関係に触れたりしていたこともあったのですが、「漢字」という存在そのものに関して、「女性存在」を考えさせられる単純だけど、巨大な落とし穴(?)がありました。
すべての漢字が示す「世界」というもの
以前、漢字の「僕」という漢字のことを考えて以来、男性と女性に関しての漢字のことなどを考えることがたまにあります。
しかし・・・・・。
実は漢字というものに想いを馳せると、最近の一連のこのブログで書いたりしていた、女性という存在の概念そのものが「漢字という文明そのもの」に色濃く出ていることに驚かざるを得ないという部分があります。
それはある種の「数に関しての完全な圧倒」です。
何の圧倒か?
これは、「女偏の漢字の字源」について考えるというブログの記事の冒頭部分を抜粋するだけで、それはおわかりになると思います。
(ここから抜粋)
女偏の漢字をひろってみると・・・姓、好、婦、嫁、奴、如、妃、妓、妊、妨、妙、妖、姐、姑、始、姉、妹、姆、姻、姪、姨、娯、娠、姫、娩、娘、婚、娼、婉、媛、婿、嬉、嫺、嬬、嬪、嬾、・・・数え切れないほどあります。
それでは、「男偏」の漢字は・・・せいぜい「嬲る」(なぶる)くらい。ほかには見当たりません。なぜなのでしょうか。兄弟に男偏はありません。しかし、姉妹は女偏です。
漢字は、「女好き」なのか・・・。
(抜粋ここまで)
・・ ・・・(笑)。つまり、そもそも、漢字には「男」がつく字そのものが存在しないのです。「なぶる」なんてのは、団鬼六先生のファンでもなければ、一生見ることも書くこともなく終わる漢字ではないでしょうか。SMの世界にのみ使われる漢字です。
上のブログはその後の展開も面白くて、「女性の一生」を漢字で追っていますが、
始 → 婚 → 姻 → 嫁 → 妊 → 娠 → 娘・・・
のように、女偏だけで人生をすべて語ることができることに気づき、作者は愕然とします(笑)。男性の人生も結局は、すべて女偏だけでしか表すことができません。
これはミトコンドリア DNA などと同じく、非常に「無存在」な遺伝子(無価値なのではなく、存在として見えにくい)である男性というものが、実は漢字の世界にも強く出ていることを示しているように思います。
日本人が「漢字を学び続けた」という事実は、なかなか大きなことだったのかもしれません。このあたりは、いつ頃の時代かよく知らないですが、漢字を作り出した中国と、その漢字を日本に持ち込んだ諸君に(偉そうだな)感謝したいですね。
まあ、漢字そのものが、実は男性のもので、それこそ「漢字」の「漢」は「男」の意味です。
「漢字の漢」でありながら、「痴漢の漢」でもある「漢」(笑)。
漢字は男が作った「字」。でも、内容的には男は存在しない。
私はあまり知らないですが、大学のテニスサークルなんかの活動目的が曖昧なサークル等も、男性が作ることが多いと思いますが、いざ作っても、「そこに女性が在籍していないとサークル自体の存在意味がない」というところがありそうで、漢字の存在と似ている気がします。
夜の街のお店なんかも経営者は多くが男性ですが、「女性が在籍していないと存在意味がない」というのも同じで、わりと何もかも同じかなあとか(これはこれで楽しい事実の判明)。
文字の「歴史の中での変化」というのは、朝鮮半島のハングルの例のように、結構あっという間(数年とか)で変わっちゃいますからね。ハングルは合理的で理論的に優れた文字ですが、「色気」という点からはいろいろと考える部分はあります。
韓国も、20年くらい前に旅行に行った頃は、新聞などでも見出しに漢字がまだ踊っていたんですよ。最近は漢字は普通のメディアではほとんど見ないと思われます。たったこの 20年くらいで、あっという間に韓国と北朝鮮では国家から漢字が消えていきました。
言い方を変えれば、すべての漢字を置きかえられるほどハングル文字は完成度が高いよく出来た文字だということは言えそうですけれど。日本語から漢字をとったら厳しいですし。
でも、その「日本語の表記文字」としての不完全さも、漢字の存続に役立ったわけですから、世の中よくできているものだと思います。
このあたり、以前書こうとした「記述文法での日本語と、口語だけの日本語」ということを考える上でも興味深いことのようにも思います。
関係ないですが、ちょうど、今、パソコンの画面に写っている Yahoo! ニュースに「女性国会議員11.3%=世界121位と低水準―男女参画白書」 (時事通信 2011.06.21)というのが出ています。
こういうことと上の「女偏(だけ)が表す人間の一生」という問題とのリンクも感じます。すなわち、文明において「国会」とか「議員」というものが大事なものなのかどうかという問題とも関係しそうなことにも感じます(この 300万年くらいの地球の歴史を考えると、人類文明に必要なものなら女性が必ず関係してくるはずです)が、政治系の話はまったく少しもふれたくないので、ここまでにしておきます。
ちなみに、女性国会議員の率が世界でトップなのは、アフリカのルワンダなんですが、このあたりにも個人的に大変に興味深いところではあります。私にとっての、現代史の中での三大事件。
それは、順不同で、
なんです。
変な言い方になりますが、これらの事件を思い起こすことで(強力な反面教師として)自分が生きることができていたというような部分があります。上のそれぞれはどれもこれも「宇宙で最高の生命であるはずの人間」が行ったこと。どうしてなんだろう? と今でも思い続けていることです。
あるいは、最近の自分で書いていることを読み返すと、また何か違う視点で見られるのかもしれないというような気もいたします。
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