2011年06月11日

ご近所の宇宙創造


夕方、道を歩いていたら、電話がありました。

最近よく話題に出てくるクリスチーネではなく、ずいぶんと前に In Deep のこちらの日記に書いたことがある「20年間笑ったことがなかった」と、以前言っていた女の子です。EモバイルのサイトCMに出ている AKB の人とよく似たきれいな顔の人ですが、私と仲良くなるだけあって、精神的にいつもかなり不安定。

精神的に崩れると社会生活ができなくなります。
電話はその子からでした。

女の子 「オカさん」
わたし 「はい」
女の子 「何やってんの?」
わたし 「酒飲みながら歩いてた。そっちは何やってんの?」
女の子 「私も新宿ブラブラ歩いてた」
わたし 「結構久しぶりだよね」
女の子 「ずーっと調子悪かったんだけど、やっと復活して、外出られるようになった」
わたし 「引きこもりか・・・」
女の子 「最近何してた?」
わたし 「恋」
女の子 「いや! なんか不潔!」
わたし 「どうして第一声が不潔だよ」
女の子 「普通、男の人ストレートに恋とか言わないじゃん」
わたし 「オレ言うよ」
女の子 「なんかやだ」
わたし 「元気になったんならお店行こうか?」
女の子 「お店はまだ出てない。もうちょっと良くなったら」
わたし 「ああそう」
女の子 「ねえ、オカさん、また手紙書いて」
わたし 「何の?」
女の子 「前にさ、宇宙のこと知りたいって言ったら、パソコンで書いたのくれたじゃん」
わたし 「ずいぶん前だね」
女の子 「あの時も、宇宙とか太陽の話読んで元気になったのよ」
わたし 「それなら、あれだよ。オレの好きな神様の話書いてってあげるよ」
女の子 「神様?」
わたし 「ヌーワっていう女の神様。オレが思うに、彼女はキミらと似てるんだ。キミらみたいに酒を飲んでタバコを吸って、男性経験の多い神様なんだよ」
女の子 「へえ・・・よくわかんないけど」
わたし 「高校も中退してると思う」
女の子 「神様が?」
わたし 「うん」
女の子 「相変わらず変なこと言うね」
わたし 「でも、冗談でもないよ。なんかね、宇宙の始まりはご近所さんレベルのような気がしてんだよね」


そうなんですよ。最近、宇宙の始まりのことを考えていると、創造神ヌーワという人は、多分、人との付き合いも恋もうまくいかない人で、ややアスペルガーの傾向があるような人だったと思えて仕方ない。

そして、わりと身近なあたりから宇宙は始まったんじゃないかなあと思うことも最近はあります。

(頻繁にそれが起きているのかどうかは不明)

最近、「お酒があまり飲めなくなってきた」ということがあって、ここ1週間くらいの話なんですが、どうも飲めない。

「酒が飲めなくなったらお迎えが近い」

というオカ家の伝言もあり、そのうち「私の数である 23」も消えるというようなことも確定的となり(参考記事: 人類の未来(1): 人間から消える「23という数」)、歩きながら、ボーッと空を見て過ごすことの多い昨今であります。

「どうやって死ぬのかなあ」とは昔から考えていたのですが、いまでもそのあたりはよくわからない。


でも最近、これは人間についてだけの話ではないかもしれないですが、「生命の消滅」ということに関して、「文字通りに消えちゃう」という可能性ってずいぶんとあるのだなということは感じます。

それは要するに、「奥様は魔女」のオープニングタイトルの絵からいうと、こういうことです。


bewitched-1.jpg



bewitches-2.jpg


実際には今後上のように消えるとしたら、男性のほうでしょうけれど。

DNA や染色体だけを見ているうちは思わないことでも、物質をさらに分解していくと、多分、必ず突きあたるのがこの「消滅」という現象ではないですかね。

分子だの原子だの光子だのというような話で考えると、今、私たちが「見えて存在している」というほうが奇跡に近いようにも思ったりするわけで、見えていない存在であるほうが本来は普通のようにも感じたりします。

このあたり、物理にも量子論にも詳しくないので、それ以上考えようがないですが、ボーッと空を眺めながら、

「死ぬか消えちゃうかはまだわかんないんだよな」

と思ったりする次第です。



1987年に死んだひとりのヌーワ

ところで、上に書いた「ヌーワ」に関して私が持つイメージのひとつとして、「篠崎順子」という歌手であり、文章家であった人の存在があります。 1987年にまだ 25歳という年齢で亡くなった女性なんですが、彼女のことについての追悼記事が載っていた当時の雑誌を最近見つけまして、もしかすると、次回転載するかもしれません。

あまり知られていない人物ですし、ネットでも情報はほとんどないと思われる人ですので(ロリータ順子という歌手名で多少ヒットするかもしれません)、今のうちに紙媒体での資料をアップしておくことには意味があるかとも思いまして。


彼女は、私の想定している「ヌーワ像」にやや近いです。

多分、「悲しいから人間を作った」という意味においても、周囲との理解が人生で最後までできなかったということでも、そんな感じの人のひとりでありました。

実際に篠崎さん本人を見たことはなかったですが、文章と音楽から十代の私がショックを受け続けていた人でした。彼女の直接の死因は風邪と、嘔吐物が喉に詰まったことによるものでしたが、持病とダイエットによって基礎体力が極限まで落ちていたのではないかなあと思います。
タグ:ヌーワ


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posted by noffy at 09:47 | 雑記