2011年06月02日

しばしの美の集団との決別と、楽器「二胡」の調べ


昨年も今くらいにこのブログを一度やめているんですが、その時も同じような「基本的にはうつ」の時でした。そして、毎回、この時期には感じるんですが、特に私のようなお調子者にはこの「軽度のうつ期」というのは大変に重要なんですね。

熱狂と少し離れて、冷静に興味のあることを考えられたりします。先日、

中国の天地創造神話 - 女カ(ヌーワ) (2011年06月01日)

を書いた後、その翻訳部分にあった、

女カは人間にさらに知恵を与え、そして、彼らのために楽器を作製した。歌と音楽と、そして踊りが人類の間に浸透していった。

それ以来、人類は歌って踊ることで感情を表現できるようになり、人類に感情が発達していった。



に自分でえらく感動して、涙が止まらなくなりました。

これは、創造神ヌーワが人類に「音楽」というツールを与えたということの重要性ではなく、

・人類は感情を表現できるようになり

とあるように、音楽の目的は「感情の発露」であり、それが満たされているのなら、音楽そのものは何でもよかったのだということが、生まれて初めてわかったからです。つまり、音楽に多様性があることは、人間に多様性があることと同義であり、「音楽は基本的にどんなものでも存在していい」ということが再確認された気がしたのです。

パンクでもシャウトでもノイズでも、それがその人の感情の発露に貢献しているものならば、演奏者はヌーワに背いていないということにもなります。

私は演劇なども含めて、自分のやっていたことを、たとえば人に注目されたいとか、有名になりたいとか思ったことがなく、そのプロになること(それでお金を稼ぐこと)を考えたこともありませんでした(モテたいと思ったことはありますが←このあたりは同じ)。

パニック障害であり不安神経症であった私が表現をやっていた理由は、ほぼ完全に「自分のため」であり、それはそこから発散される感情が自分を支えるかもしれないという期待と、また実際に、「何かやっていれば生きられた」という実績によります。

しかし、私は「表現の意味」というものがこれでいいのかどうかよくわからないままでした。

つまり、自分の感情以外にも向けるべきなのではないかと。

しかし、創造神ヌーワの記事を読んで、とりあえず「自分の感情が躍動しているのなら、それでいい」と、ヌーワからOKをもらった気がして大変に嬉しかったです。なので、音楽サイトでも突然、それに関連した特集などをはじめています。



「美」とのお別れ

さて、こうなってくるといろいろとある。

とりあえず、最近記事に書いたいた「美しい人たち」ともしばらくは会えることがなくなりそうです。

前回の太陽黒点最大期(10〜11年前)にも、その前の太陽黒点最大期(22〜23年前)にも同じようなことがありました。それ以来、20年以上会っていない人もいますので、先日会ったのが最後となる美しい人たちもいそうです。

街ゆく女性は相変わらず美しいですが、しかし「うつ入り」(梅雨入りみたい)してからは、むしろこの「美」を見ることが苦痛で、つまり、「どのみち自分の手に届かない美しさ」なのだと考えると、つらいものがあり、昨日は人がいない道ばかりを散歩していました。


以前、「太陽黒点最大期には女性との関連の出来事がある」と以前書いたコトがあるような気がするのですが、実は、その大部分は「恋や恋愛とは関係のない関わり」なのです。

私は知り合いに対して友人とか同胞とかいう言葉を恥ずかしくて普段は使わないですが、そういう「同胞としての女性たち」のことです。この時期にはその多くと出会います。それらの人々とはほぼ全員と一切の恋愛感情も性的な関係もありません。

なのでまあ、「美」とは関係ない話ですが。

これらの人々とはたいていは「強烈な同胞」となりますので・・・過去を考えると、そのあたりを含めて今年と来年はいろいろありそうです。



二胡

今日も翻訳をしましたのでご紹介します。

先日の地球の創造神「盤古」と、人類の創造神「ヌーワ」の記事をご紹介したエポックタイムスのカルチャー欄に、少し前、「二胡」という中国楽器の記事が載っていました。読みは日本語で「にこ」、他の言葉では「アルフー」のような感じの発音です。

私はこの二胡の音色が非常に好きなんです。

私個人は、二胡はきちんとした演奏で披露されるものより、ソロで演奏したもののほうが好きで、中国などの路上でストリート演奏しているものなどが最もその素晴らしさがわかるような気がします。

こういうようなものです。
それにしても、この子すごい。
こんなにうまくなくてもいいです。




この「たった二弦の楽器」での感情表現にも、またヌーワの影を見ます。


ここから、エポックタイムスの記事からの翻訳です。




The Erhu: Simple Yet Divine
The Epoch Times 2011.05.20

シンプルかつ神聖な楽器: 二胡

nico-1.jpg中国人にとっての二胡の音色は西洋人にとってのバイオリンのようなものだと考えてもらってもいいかしれない。

美しさ、悲しみ、痛みなどの様々な感情を、二胡の音色を通して体験することができるのだ。そして、中国の歴史の中での様々な感情とふれることができる。

はじめて二胡を見た人は、その単純な構造に驚くだろう。そして、たった2本の弦でその音が出されているということに胸を打たれるはずだ。

二胡は中国で 1000年以上の歴史を持っており、中国文化に深く織り込まれている。宋朝の時代に中国北部の少数民族が使っていた弦楽器にその起源があるといわれる。

二胡(英語表記: Erhu )という言語の「Er」は、「2」を意味する。これは2つの弦のことを意味すると同時に、「ふたつの文化」の意味もある。「hu」は、中国北部の遊牧民のことをさす。

これは中国で異なる文化の要素が同化したことを意味し、今では二胡は、中国文化の貴重な遺産となっている。

二胡が出す音は絹のように繊細で、そして、心に強く訴える音色だ。実際、過去には弦に絹が使われていた。

現在は耐久性の点から、金属製の弦が使われている。そのボディに共鳴のための箱を持ち、木とパイソンの皮から作られる。二胡は、弓で演奏される。最高の弓には馬の毛を使う。

二胡は演奏で和音を使わないので、メロディを作り出すために最適であるばかりではなく、さまざまな感情のささやきを表現できる。それは泣くことやため息や、そしてお喋り等を模倣する。

また、馬のいななき、雨の音、嵐の音や風などの音を表現できる。

これらにより、二胡ではたくさんの感情表現をおこなうことができ、多くは、幸せや喜び、そして陽気さを表現する。

また、自然と祖先の歴史をも表現できるのだ。


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posted by noffy at 12:01 | ニシオギ日記